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2013/02/03(日)
天気予報
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日本語保持のために、帰米すると、また日本語番組を申し込んだ。一つ気がついたことー天気予報にまったく興味がなくなったのである。前は、大阪・神戸の天気に関心があった。母がいたからだろう。今、こういう天気で、母はどうしてるのだろうか、と自分勝手に無意識のうちに想像していたのである。その部分が消えると、日本の天気予報なんてどうでもよくなった。神戸で私のことをひたすら考え、待っていてくれた人もいなくなって。。。と書いてはみるものの、実は、自分の心に疑いの気持が生まれているのも、私自身が自覚している。ほんとに母は、私のことをずっと考え、待っていてくれただろうか。それは、私がそう思うように仕組まれたのであって、ほんとは、母は自分の人生を思うままに生きたのではなかったのか。私自身におきかえてみても、もう一人前に独立した娘のことを、一日中考えているわけではない。どこかで好き勝手に、がんばってちょ、とは思うけれど、会いたい、会いたいと一日千秋の思いで、会える日を待っているわけではない。それよりも、自分の人生のほうが大事である。とうとう親が消えて、自分の前にも後ろにももう誰もいず(友人は、親を亡くしたとき、これで自分が第一線に曝されると感じた、と表現した、親に突き放されて育った私は、その意味を理解するのにけっこう時間がかかった)、茫漠たる時間を、それも明らかにその終着点が見えてくるようになった今からどうやって生きていけばいいのか。自分の頭を悩ましているのはそれだけである。母は、もちろん私のことを思うことはあっただろうけれど、それ以上に、毎日、火事を出さないように、電気とガスの取り扱いには気をつけて、財布のおき場所を忘れないようにして、人様に迷惑をかけないようにして、とそんなことに頭と気持を使いながら、日々を生ききったのではなかったか。私はもうすぐ二度目の白内障手術を受ける。そのために今日から、二種類の目薬をささねばならないのだが、この還暦直前の年齢でも、ちゃんと薬をさすことを忘れないでできるかどうか、不安になってくるのである。80歳を超えて一人暮らしをしていたら、日々の不安は山ほどあったろう。骨折して寝たきりにならないように、こけないようにすること、ボケないよう漢字の書き取りや英語を勉強すること。。一日に一度は外に出て散歩すること。。けっこう忙しかったのではあるまいか、その緊張感が、母を動かし続けたのではなかったか。病気になった最後の数ヶ月直前まで。母も毎日気になっただろう天気ー天気予報に背を向ける、私の心の中の距離感が寂しい。
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