〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2013/03/30(土) 人生の締めくくり
母が亡くなってから、そろそろ私も人生を締めくくっていかねば、という気持がものすごく強くなってきた。死が身近に迫ってきたような気がするのである。そろそろ退職に向けた準備をせねば、という気持も出てきた。”給料泥棒”をしているより、時間のほうがよっぽど大事だからである。人生はほんとうに短い。今までの人生でしたことのなかったことを一生懸命やってーたとえば料理(笑)1週間に一度でもやれたら大万歳(笑)−これまでの人生の落とし前をつけねば、と思っている。家のローンも今年で終わりそうになっているが、同時に修理もしなければならなくなってきた。ガス代が去年に比べると異様に高く、家がいつもみしみし鳴ってるし、家のどこかがおかしくなっているのは明らかである。今日は、車のディーラーへ行ってみた。今のホンダは、発進するときに、ものすごい勢いで、ごとんごとんという。トランスミッションがどうのこうの、ということらしい。ガソリンの表示もときどきおかしくなったりして、いよいよがたが来ている。人間も車も猫も、動くものはすべて消耗品なのである。次の車が私の人生の最後の車になるだろうから、一度ぐらいは高級車に乗ってみたいものだと思って、ベンツだのボルボだのを見てみた。で、考えた。こういう車に乗ったら、傷ができたら、すぐに修理しなくちゃだめなんだろうなあ。擦り傷のあるベンツなんて、かっこ悪いんだろうなあ。。ディーラーのお兄ちゃんには、こういう車って、タイヤがパンクしたら分かるようになってるんですか、と聞いて、笑われてしまった。今は、どの車にも分かる機能がついてるとのこと。私が今乗ってる2002年のホンダアコードにはついてなくて、このあいだ苦労したぞ。。(笑)というわけで、へこんだ傷つきのボルボに乗るわけにはいかない、とか考えていると、やっぱり私の人生、アコード止まりか、という気分になってきて、ちょっと落ち込み気分である。(笑)そういえば、このあいだ、神戸のデパートで、ルイビトンの店に初めて入って、猫も杓子も持っているようなバッグが、30万円以上もすることを知って、ぎょっとしてしまった。(笑)なんでこんなバッグが30万以上もするのー猜疑のオーラが全身から出ていたに違いない。母の手作りのアップリケのバッグを提げていた私には、店員は見向きもしなかった。(笑)ふんだ、ルイビトンがなんだ、ベンツがなんだ。ドイツへ行けば、タクシーの車じゃないか。。みんな乗ってるよ、で、私は、相変わらず、世界でたった一つをめざしたい。世界でたった一つの車ーそれこそお金を払う価値があると思うのだけれど、どうしたものか。悩み悩みながら、ディーラーがびっくりするほどまでに、あの傷だらけのアコードに乗りこもうかな。動き続けて、私の命があれば、だけど。ほんとに人生の締めくくりの車になるのかも。。(笑悲)

2013/03/27(水) 次は、つつじかさつきか
わずか1週間の滞在だった。疲れた、疲れた。。空き家をおいているから、何かと気になって神戸に帰ってみた。家は無事にあったが、よく見ると、あっちこっちの壁がひびわれし、壁に貼った建材ははがれかけている。大工仕事を始めようかと思ったが、友達に、やめておけ、ととめられた(笑)。どのタイミングで、この家をどう処分するかを決めるのが、人生の大きな分岐点になるかも、とぶつぶつ思いながら帰ってきたら、こっちも死にかけているものがあった。つつじかさつきか、真っ赤な花を咲かせてくれて元気そうだったので成長を楽しみにしてたのに、1週間して帰ってきたら、葉がしおれて、どう見ても死戦期である。配偶者は、ちゃんと水をやった、と言い訳するが、どうもおかしい。。猫ちゃんも二人ともいなくなって、帰宅しても出迎えてくれるものもなく寂しいのに、今度は楽しみにしてたつつじかさつきちゃんまでも、である。ああああああ。。。生き物はほんとに、ほんとに。。。でもどうしようもない。日本からのニュースでは、救急車で病院をたらいまわしにされて命を失う人もいるようで、命の行く末だけは人間の意志の管理の外である。(悲)家二軒のあいだで創っていく自分の世界とこれからの人生ーどう生きたらいいものか。つつじかさつき(違いがわらぬ。。。笑)のように、人間の意志の向こう側で黙ってころり、が一番かも、だけれど、人間であることだけはやめられず、いつも意志が邪魔をするから、生きにくくなるんだよな。。。(笑悲)

2013/03/09(土) やったあ!!!(笑)
急展開で、事態が多くの人間が望んでいたように動きはじめている。大学の黒幕の黒人が、とうとう停職処分となった!!!といっても、まだ30万ドルの給料は払われ続けるが、出勤停止である。これは、懲罰的な首へのプロセスである。で、地元新聞によると、FBIがやってきたのは、この黒幕が、個人のビジネスでやってる低所得層用ハウジングビジネスにからむものらしい。で、FBIは、このビジネスに関する、黒幕と首になったポリスチーフ(黒人)とのやりとりを全部押収したというから、おお、たぶんチーフは(年収20万ドルだそうな)、おれを首にするなら、お前のあれをばらすぞ、とすごんでみたが、実際に首になったから、じゃあ、お前のもばらしてやる、とFBIにたれこんだのだろう。。やっぱり、夷をもって夷を制すーdivide and conquerがベストの戦略の証左である。それにしても、黒幕のビジネスは、州からの助成金ももらって、となっているらしいから、州からの助成金を横領して、個人用に使ったとか、なんとか、危ないことをやってきたのだろう。こうなってくると、大学の屑鉄を勝手に外部に売って、”コーヒー資金”にしたといったレベルよりはるかに問題が大きくなってきた。(それでも、この件でも数人が起訴されたうえで、職場復帰したが、二人はまだ停職中らしい)みんな、黒幕が臭い、臭いと思いながら、長年過ごしてきたのである。やったあ。。やったあ。。ああ、これで、あの黒幕のアホな娘と息子も、肩身が狭くなって、ちょっとはおとなしくなるのだろうか???(笑)来週、オフィスに出ていくのがすごく楽しみになってきた。あのアホなくせに、態度と口がでかいだけの娘に、にたりにたり笑いかけてやろう。。(笑)

2013/03/08(金) FBI
が大学にやってきた。いよいよ面白くなってきたぞ(笑)なにやらヘリコプターも飛ばしたらしい。。FBIって、ヘリコプターでやってくるの??? 大学側は寝耳に水だったようで、証拠隠滅を恐れて、エージェントはひそやかにやってくる、と学んだ。(笑)1日いて、調べて、押収した書類は2005年あたりから、らしい。確定申告の書類といい、連邦政府の時効はどうやら7年ということか。FBIの訪問を報じた地元新聞やら大学新聞を読むと、どうやら首になった黒人のポリスチーフがFBIの調査を申請したらしい。で、記事の中には、大学ー要するに州の物品を横領して、自分の家で使っていた白人のアドミニストレーター(事が発覚してすぐ退職したが、私が給料課にいたころ、目が飛び出るような給料をとっていたのは事実である。。怒)の名前も出ていたから、そのあたりとの関連も調べるのか。。ますます、これからが面白そう。。(笑)で、そのうち、横領罪に問われるかも知れぬ白人の上司ー大学の黒幕の実力者の黒人ーにまで捜査が及べば、私はもっと大笑いしてやるのになあ。。(笑)というのも、私が職場で暴れたとき、その男の娘に、アホなことを言われて、いまだに腹をたてているのである。笑 父親の名前で、頭の悪い娘やら息子が大学でおおきな給料をとっている。そのことに腹をたてている人は大学にいっぱいいると思うけどなあ。。(笑)アメリカもコネ社会だが、日本のコネと完全に違うのは、紹介された人間のできが悪くても、紹介した人間は責めを負わないことだろう。日本では、あんなアホな人間を紹介して、何考えてるんだと、紹介した人間の顔がつぶされる、みたいな力関係が働くが、アメリカではそれはないと思われる。というわけで、偉いさんのアホな娘や息子には、誰も文句が言えないーというのは、日本でも同じか。。でも、日本なら、偉いさんの娘や息子が大手を振って、同じ組織で働くということがあるのだろうか。というわけで、FBI、がんばれ〜〜〜大学の膿を出し尽くせ〜〜〜〜(笑)

2013/03/04(月) ケロ
が逝った。朝6時55分ぐらい。いつもと同じように、一晩中、配偶者の腕の中で最後の時間を過ごした。幸せだったと思う。生きてるときにどんな時間を過ごし、残された者にどんな思い出を残すか、生きるって、それがすべてである。(悲)18歳の誕生日が目前だったケロ。兄さんが逝ってから、ほぼ1年間、よくがんばった。私が日本から帰ってくるのを待っていてくれたのである。私が1月末に帰ってきてから、急に体調がおかしくなったが、私がいなかったときのように、咆哮?することは一度もなかった。ありがとう、ケロ。ケロとシナがくれた18年近い思い出のすべてに感謝。17年、18年といえば、母が父を亡くしてから生きた時間と同じである。猫の17歳、18歳は、人間の84歳、88歳にあたるという。年まで母と同じである。三人は同じ円環にいた。そして、みんな消えた。誰にもとめられない時間の残酷さを、あらためて思う。閉じた円環から身をひきはがし、新しい一歩を踏み出し、新しい円環を作っていかねば。。が、その円環も、いつか必ず閉じる。だから、その日が来るまで。。ただ生き続けるだけ。。(悲)

2013/03/03(日) 母とケロ
きのうの夜は、まだふらふらしながら、歩いていたのに、というか歩こうとしていたのに、今日は、もう今朝からベッドの中で少しも身体を動かそうとはしない。きのうは、まだ体位が苦しくなったら、身体を動かそうとする意欲があった。地下からもってきたトイレの砂にも座っていた。今日はもうぜんぜん動かない。まるで意識がないかのようだ。が、目はあいていて、一点を凝視している。息があるのは、お腹がゆっくりと動いているからわかる。それでも、朝のうちは、私が声をかけると、口から舌を出して、応答してくれた。今は、私が声をかけても知らん顔である。ただじっと耳をすませている感じだ。でも知っていると思う、私がここにいることを。私も、最後まで見守ってやらねば、と思って、外は青空なのに、じっと家にこもっていることにした。このすべてが、母との最後の時間を思い出させる。ケロに声をかけるたびに、ああ、母にもこうやってかければよかった、と後悔する。母はほとんどいつも目をつぶっていたので、寝ているかと思いきや、ほんとは意識があって、すべてを聞いていたような気がするのだ。私がちょっと部屋から出るときは、ケロに、すぐに戻ってくるからね、と声をかける。母にしたのと同じように。今のケロは、まだふらふら動きたがったきのうに比べると、はるかに平静で落ち着いている感じがする。脳からペインキラーが出て、気分がいいのではないだろうか。そう思うと、意識をなくす直前に見た母の顔を思い出す。目があいていた。私の目を見て、母はすぐに視線をはずしたが、そのときに母の目から受けた私の印象は、なにやら幸せそうだ、だった。あのときも、もしかしたら、母の脳はペインキラーを出していたのかも知れぬ。心静かな最後の時間だったかのも知れぬ。と想像して、今、ケロの様子を見ながらちょっと安心している自分がいる。必死で抵抗しているかのような母の目がとじられるのを見てから、それから母はほぼ1日半生きた。ケロは、兄さんが私のベッドで一晩いっしょに寝て、起きてからまったく動かぬまま、その朝に亡くなったことを思いだすと、もうケロの死戦期も終わりに近づいているに違いない。母が永遠に目を閉じる前のあの数時間、どうして私はずっと母に声をかけ、母の手を握ってやっていなかったのだろう、と後悔している自分がいる。だから、私は今、目はあいてるものの反応のないケロに声をかけ、そっとなでてやる。そして、ここにいるよ、心配しなくてもいいよ、と、私が母に言い続けた言葉をまた繰り返している。(悲)

2013/03/02(土) いよいよ
ケロが、とうとう水もツナ水も口にしなくなった。歩き方もおぼつかなくなり、ほとんど立たなくなった。いよいよである。ようくわかっているのである。これだけは止められないんだと。(悲)それにしても、兄さんのシナもそうだったけど、苦しんでいるところを一切見せない。痛いんだろうか、と想像するが、一言も発せず、ただじっとしている。でもからだを丸めて寝る、ということはここ数日しなくなっているから、やっぱりものすごく痛いんではないだろうか。それでもきのうは、私が床にころがって新聞を読んでいるところにゆっくりやってきて、私の下にもぐりこんできて、両足を私の腕において、じっといた。いっしょにいたいのである。どんなに苦しんでいるとしても、安楽死は考えられない。ということは、もう一度、断末魔を見なければならない。今日一日もつかどうか、というところだろうか。食べられなくなり、やせ衰えたケロを見ていると、母を思い出す。亡くなる一年前に、医者に、生きてるだけでしんどいんですよ、と言われたことを思い出す。一度だって食べられなくなったことを愚痴らなかったが、今のケロを見ていると、その気持がよくわかる。生きてるだけでしんどかったんだ。食欲なんてもうどうでもよかったんだ。そんなもの、とっくの昔に失ってたんだ。ただただ、生きてるだけで精一杯だったんだ。声をかけても返事をしてくれなかったのは、声を出すのがもうしんどかったんだ。。意識を失う数時間前に声を出してくれたのは、最後の力をふりしぼってくれたんだ。。。ケロにも、ありがとう、を言わなければ。。最後の最後まで黙ってがんばってくれてることを。。。でも、それで母は幸せだったんだろうか。これでよかった、と思って、目をとじてくれただろうか。ケロに尋ねてみなければならぬ。


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