〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2013/07/02(火) ボランティア
母が逝ってから半年以上が経った。が、母のことを考えない日はない。とうとう本人も医者を受診することを拒まなかった3月30日までの苦しかっただろう半年の時間のことを思うと、ほったらかしにした自分が悔やみきれない。関空の搭乗口で、どうしようか、神戸に引き返そうか、とベンチで考えこんでいた自分を思い出すと、思い切って入管にかけあい、もう一度”日本”に入国させてもらおうとしなかった自分のふがいなさが情けない。あのとき、神戸に引き返し、母を無理やりにでも医者に連れていき、心臓のほうも脳のほうも、問題をクリアにして、薬をもらって、私も自分の生活を整理しなおして、ときっちりしておけば、今、まだ母は生きていてくれるような気がするのである。警察じゃないけれど、初動が大事だ、みたいな感覚がある。要するに早期発見である。それさえしておけば、今もきっと生きていてくれるに違いない。そこをほったらかしにして、母の頑固さに甘えたというか、母の自己責任に責任転嫁してしまったから、結局、あの3月30日から二度と自宅に戻ることなく逝ってしまった。この悔しさ、自分への怒りへのエネルギーをなんとか有効に使いたいと、シカゴのコミュニティセンターで、ぼらんティアをはじめることにした。そこでも、高齢者対象のデイケアがあるのである。母も、自宅にいた最後の半年間、週に一度行っていたものだ。17人の高齢者ー白人、黒人、日系の男性、フランス系、日系、フィリピン系の女性たち。。車椅子の人もいたが、大半が歩ける元気な人たちである。年齢を聞いてびっくりした。ほとんどが80台も後半、なかには90歳を超えてる人もいた。やっぱりアメリカ生活は恵まれてるのではないだろうか。アメリカの油っぽいものを食べてたら早死にする、とか言う人もいるけれど、アメリカにいても、日本食を作って食べることは可能なのだから、アメリカの脂っぽいものうんぬんは、アメリカに対するやっかみのような気がする。大きな違いを感じるのは歯である。母は、自分の抜けた歯を全部袋に入れて、鏡台の奥深くにおいていた。育ち盛りが戦時中で、栄養が悪かったせいで、総入れ歯になってしまったのでは。。(悲)こっちの高齢者は、100歳近くになっても、自分の歯でしっかり食べている。自分で食べられなくなると。。。を考えると、きのう出会った高齢者はまだまだ元気で、100歳はゆうに越えそうな人ばっかりだった。かれらの顔に、母親の気持ちを探す。一人暮らしの人もいるらしい。車椅子の日系の90歳を越えたおばあさんは、脳障害で食べられない、話せない状態だった。母によく似た状態だが、まだまだからだは年齢を考えると、頑強といわんばかりだった。すこしずつすこしずつ、かれらの中に母を探して、自分が母にできなかったことをしてあげたいと思う。いつか必ず、安らぎが心に宿りますように、そう祈りながら。。


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