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2014/11/28(金)
ショック
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感謝祭で、アイオワから配偶者の友達が来た。イスラエルやらパレスチナやらシリア・レバノンと、中東の紛争地域の写真を撮っている人である。死が日常の一部になってる人たちの話からファーガソンの話になった。それから原爆に対するアメリカ保守派の話も。要するに訓練だということになった。警官は、ある一定の条件を満たす状況に置かれれば、発砲して当然、という条件反射の訓練を受けるのだと。軍人も同じ、原爆の話で罪悪感をもたされたくない人々は、その一定の訓練頭で、原爆投下を正当化する。訓練を受けた人間が集まっているところでは、死をただただセンチメンタルに嘆き悲しんでいる暇はない。パレスチナの子供たちは、いつも死ぬ覚悟で生きている、という。イスラエルからの車輛には石を投げるように訓練、というよりも、それが普通という感覚とともに生活しているらしい。そこでは、日本からのテレビがうんざりするほど口にする、希望やら夢やらなんていうセンチメンタリズムは存在しない。生と死は同じコインの裏表ーすっきりしている。すっきりしているから、パレスチナの子供たちは幸せだ、と私が言ったら、みんなが目を白黒させた。(笑)「どう死ぬか」を常に考えて、毎日生きるべきなのである。「どう生きるか」ではない。「どう生きるか」では、夢やら希望ばかりが出てきて、不満たらたらになるだけではないか。その不満を逆手にとれば、国家が国民を操ることも容易となる。美辞麗句のスローガンを掲げたら、みんな一斉にそっちの方向に走りだしそう。(笑)夢やら希望より、「一億一心百億貯蓄」のかつてのスローガンのほうがずっと子供のためになるのでは。。百億貯蓄の使い道さえ見張ることができるなら。(笑)「どう生きるか」なんて心配しなくても、「どう死ぬか」だけをイメージしながら生きてたら、生き切ったときに死はある日突然、やってくるものなのだ、と私は、今、勝手に想像している。と、訃報を読んだ。私が今一番尊敬する本を書いてきた人が亡くなったという。まだ60代だったとか。今度東京に出たら、会いに行けるぐらい本を読みたいものだ、と思ってたのに。。松本健一氏である。あああああ。ショック。。もう松本氏の新しい本は読めない。。(悲)生き切られたのだろう。ということは、書き切られたということか?? 少なくとも、あとに残された著書は全部読めるほどの知力は養わねば。。
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