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2014/02/04(火)
高齢者たち
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デイサービスに出かけて、高齢者たちの人生を想像する。とにもかくにも、口を開けば、Where is my husband?とwhere is my jacket? としか言わない人。ご主人がもってきてくれるから、待とうと言っても、もちろんわかるわけもなく、同じ言葉を繰り返す。仕方ないから、ご主人に電話かけるふりをしてーこれも特におかしく思わない模様ー何してるんですか、奥さんがもう待ち焦がれてますよ、早く来てくださいよ、えっ、渋滞にひっかかってる?日ごろの行いが悪いからですよ、と、左手で受話器をにぎるふりをして、一人芝居をしていたら、ふっと後ろを振り返れば、ご主人がたっていたから、おお、びっくりした。奥さんのほう、ほいほいして、帰っていった。(笑)そうかと思えば、ベトナム帰還兵の帽子をかぶっている男性は一言も発しない。帽子を見て、ベトナムへ行ったの、大変だったね、と声をかけると、じっと視線を返す。落ち着いていられず、歩きまわりたがるが、英語で、座っていなさい、みたいなことを言うよりも、握手すると、喜んで手を離さない。そうやって、うまく椅子に誘導すると、けっこうおとなしく座る。心の中に何がよどんでいることだろうか。来週100歳になるというフランス系のおばあさんは、まだまだ頭もしっかりしていて、自力で歩くこともできる。来週の誕生日には何が欲しいか、と聞かれて、ジゴロと答えて、へらへら笑っている。やっぱり性は、生の源らしい。100歳のおばあさんが一度だけジゴロと口にするなら、かわいいけれど、これが、先のおばあさんみたいに、四六時中、ジゴロ、ジゴロ、と言うようになれば、うんざりしてる周りは、このすけべえばばあ、ぐらいにののしりはじめるかも知れぬ。(笑)主人はどこ、を連発するおばあさんにも、元気な90歳のおばあさんは、he is with another woman とはっきり言ってのける。でも、当のおばあさんは平気である。(笑)2年前までは、英語もしゃべっていたというヒスパニック系のおばあさんの口からは、もうスペイン語しか出てこない。確か、大昔に芥川賞をとった「寂寥荒野」だったっけ。。アルツハイマーになった日本人女性の口からは、日本語しか出てこなくなる話だったような気がする。今でも日本語しかしゃべらない私。老後もそれほど変わるまい。(笑)高齢者を見ながら、自分の老後を想像する。私が日本語で何を口走ろうと、スタッフには分かるまい。わかっても、まあ、病気のおばあさんの言ってることだから、と、誰も気にはしまい。。そうやって、必死で生きた人間とその記憶は、遠くへ押しやられ、まるで存在したことがなかったかのように消えていくのである。残るのは、ともに時間を過ごした人の心の中だけである。でも、その人たちが私より先に逝ってしまったら。。。人間の生なんて、ほんとに不条理なものだ。でも、その不条理に向き合うために、私はデイサービスに行く。かれらが臆することなく提示する生の不条理こそ、生の美だと思うから。
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