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2014/09/03(水)
雑感5
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先日、司馬遼太郎の特集番組を見た。「知の巨人」というシリーズである。東大阪にある記念館がよく出ていたので、懐かしく見ていた。だいぶ前、安藤忠雄の建築物を見て回っていた娘と訪ねたことがあるからである。ガラス張で、外の庭の自然が飛び込んでくる気持ちのいい空間だった。番組の中で一番驚いたことが、司馬が自分の気持ちを空(くう)、無だと感じていたという部分である。あれだけの仕事をしても、やっぱり無を感じるのなら、私なんて何???(笑)敗戦直後、日本は何とバカなことをしたんだ、という強い怒りから、日本人は何か、という問いを自らに発し、仕事を続けたが、ノモンハン事件のことは10年調べても書こうとはしなかった、怒りが先にたつと書けなかっただろう、と知って、そうだ、そうだ、と納得。(笑)私もいつも文句ばっかり言っているし、友達には、なんでいつも怒っているの、と問われたが、司馬遼太郎も生きている自分の来し方に怒りを感じて、書き続けたとなると、レベルの差こそ雲泥でも、私も書き続けるしかない。母親のことは、まだ怒りのほうが先にたつという感じで、書ききれるとは思えない。(悲)司馬遼太郎は、自分は学者ではないから司馬史観と呼ばれるのは嫌っていた、と知って、これまたふ〜〜〜ん、と納得。たぶん学者として論じるのではなく、読者の気持ちにすとんと落ちるものを書きたかった、書いてきたのではなかったか。私も学者になる頭もなし性格でもないし、で、自分のできる形で何かを書き続けていきたいな、と思っている。底にあるのはやっぱり怒りかなあ。。大きい女と笑ってきた日本社会や日本人に対する怒り、父娘を断絶させようとした母親への怒り、白人じゃないから、とバカにされることに対する怒り。。怒りばっかりだあ。。(笑)司馬遼太郎は、偏狭な日本人にはなりたくない、アジア人になりたい、とか言ってたそうな。じゃあ、アメリカに来たらよかったのに。。自分から日本人だ、と言わなかったら、アジア人以外のなにものでもないよ。(笑)テレビが言わなかったこと、でも私が記念館のビデオで知ったことー司馬遼太郎に趣味はなかった。やっぱり歴史に名を残す人は違うなあ。。友達なんて、たぶんいなかったのでは。。友達としゃべってる暇ないもんね。(笑)私は、自分の怒りを、書くよりも、庭そうじしてるほうが発散しやすいみたい。。ああ、年、とったなあ。。。(笑)
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