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2015/01/02(金)
気がつけば
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もう、2015年も2日が過ぎた。早いものだ。(笑)元旦は、お雑煮を食べるどころか、家で誰ともしゃべらず、静かな1日となった。東海岸と西海岸とにわかれている家族からも、「おめでとう」の電話すらなし。アメリカ人とはこんなものだ(笑)ぜんぜんさびしくないといえばウソになるが、心の中で自分に言い聞かせていることがある。それは、人は最後はいつも一人なんだよ、と。母が最後の最後まで一人でがんばってくれた、あの死の不安と戦いながらの自宅での最後の6ケ月のことを想像すると、たった一人の正月なんてどうってことない。私はまだ好きに動けるのだから。別に一人の正月は今年だけではなく、もう何年も続いていることなのだが、電話一つないというのもね。。(笑悲笑)それにしても、今になって父親も母親も私に生きざまを見せつけてくれたとはっきりと感じている。その死に方で、生き方がわかるというものである。キリスト教文明の中で生まれ育つ人間にはわからない一種の覚悟ではないだろうか。誰かが孤独もいいものだ、と書いていた。自分と対峙する最高の時間だと。自分を知ってはじめて幸せを感じることができる、とも。そう、他人と比べて優越感を必要とする人間ほど、自分がわからず、またわかるだけの強さもない、ということである。人間は最後は一人、孤独を通して自分を知ることが幸せー花を咲かせようと歌を歌えば、絆や思いや家族といった言葉を振り回せば振り回すほど、現実とのギャップに耐えられなくなるだろうー甘い言葉を振り回すことなく、黙って覚悟して、今年も生き抜きたい。
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