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2016/05/13(金)
孤独
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須賀敦子の文章をなめるようにして読んだ。すごく気持ちが落ち着き、生きてることがどんなにありがたく思えたことか。本の帯にある、人生ほど、生きる疲れをいやしてくれるものはない、という逆説めいた言葉が、じわじわと身体にしみこんでいった。須賀敦子の人格と人生の深み、それを見つめぬく彼女の眼の清廉さが彼女の言葉と世界を作っている。ああ、文学者は違うなああ。。改めて思う、わたしは何とがさつな人間か。。。でもまあ、いまさらそんなことを嘆いてみても仕方なし。。がさつな人生を生き抜くのみ。。(笑)彼女の本の最後の言葉を書きだした。「その相違が、人間の誰もが、究極においては、生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しない限り、人生は始まらない。。。少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知った」。。洞窟にこもっている人間の気持ちとしては、これ以上の表現はない。自分自身の孤独を確立しない限り、人生は始まらない。。それは、よく母から聞いた、「人は一人で生まれ、一人で死んでいく」という現実を真正面から受け止める覚悟でもある。そう考えて、日本のテレビに出てくる人たちにあふれかえっている、「思い」やら「絆」といったセンチメンタリズムに欠落しているものをはっきりと悟った。それは、自分自身の孤独を確立するという生に対する覚悟であり、自らの思想であり、生の称賛でもある。どんなに「思い」やら「絆」といった言葉を並べても、それは自分をごまかして生きる、めくらましのためのすべにすぎぬ。生きるとは孤独と向き合うこと。そして、なぜ年をとってからこそが生が充実してくるように感じるかといえば、それは、孤独が、若いときに恐れていたような荒野ではないことを知るからである。自らの孤独と向き合える人間こそ、他者をも助ける力、エネルギーをもっている。自分が見えない人間に、なぜ他者の声が聞こえるだろう。須賀敦子さん、ありがとう。あなたのすばらしい人生に対する眼に触れて、エネルギーをいっぱいもらいました。
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