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2016/05/15(日)
ごみと普遍性考
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このごろ、ごみがない。きのう、大学の図書館に行ったら、いつもならゴミの集積場みたいになっているところが、何と、きれいに、ゴミ一つ落ちていなかった。なんだあ、これ。私の狩猟場もしくは漁場がなくなりつつある。。。(笑)誰かが拾っているのは確かである。感謝。感謝せねばならないのは確かだけど、寂しくもあるなああ。ゴミがなくなると、わたしゃ、ますます歩かなくなるぞ。。困ったなああ。。(笑)いやいや、これでいいのだ。。これからは、駐車場を探して、車で遠くにでかけていって、それからまたゴミ拾い。。そうやって、”世界”を拡げていく。それこそ、グローバル人間だあ。。。(笑)などと、あほな政府広報みたいなことは言いたくないが、グローバルとは何か。普遍的な価値を探し、それを自らの行動で拡げていくこと。。決して組織にはしてはならぬ。なぜなら、組織にすると、そのうち、組織維持のための論理がまかり通り、追求すべき本来の普遍的な価値は二次的なものになりさがるから。組織のトップのエゴが大きすぎると、腐りはじめるから。。みたいな考えをもって、今日は、久しぶりに人に会いに、キリスト教会に出かけてみる。どう感じるかなあ。楽しみ、楽しみ。。(笑)とにかく、ゴミ拾いの次の猟場を探さねばならぬ。うれしい悲鳴。。(笑)
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