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2016/07/24(日)
雑感
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このところ、ここの天気も日本みたいになってきた。といっても、流れるような汗はかかない。でも、肌がじとじとする。この年になって確信したこと。わたしゃ夏が嫌い。。冬のほうがいい。。(笑)雑感1 きのう、目撃してしまった。行きつけのスーパーの惣菜売り場に、新しい黒人の従業員が入った。若い女の子である。で、フライドチキンを買おうと思って、そのあたりをうろうろしていたら、これまた黒人の若い女の子がその子に寄っていって、何か小声で言っていると思ったら、なんと、チキンを一本あげたのである。で、その客を装っている友達か、それとも単に黒人同士のよしみか、それともこじきさんなのかは不明だが、そのチキン一本をもって、さっさと立ち去った。何これ〜〜〜〜。(笑)サンプルに1本食べさせろ、と言ったのかどうか知らないけれど、こういうのは初めてみた。。で、思った、アメリカで住んでる日本人同士、こういうことをするかなあ。。と。しない。知り合い・友人でもしない。知らない同士なら絶対にしない。恥、はずかしい、という観念がしのびよる。知らない同士だったら、わたしゃ、あんたみたいなのとおなじにされたら困る、といわんばかりに、絶対にしない。日本人はよく集団主義者といわれ、固まって行動するようにいわれてきたけれど、黒人同士の連帯感を考えると、日本人の集団主義は、アメリカのマイノリティの連帯意識とは根本で完全に違う。いったい何が違うのだろう、と考えて、日本人の集団主義にはお上の目が必要なのでは、と。ようするに、人間のヒエラルキーを認めたうえでの行動様式なのかも、と。アメリカでは、ヒエラルキーは現実問題としてあるけれど、人間の理想としては、ない。むしろ、人間同士の連帯のほうが、ヒエラルキーを意識した恥意識を超える。。まあ、たまのチキン1本なら大丈夫だけれど、これが癖になり、続いたら、どうかなあ。。。いつまでいるか見ものだ。。(笑)2 私のごみ拾いのおかげで、これまでで2本の木が切り倒された。木がかわいそうで。。要するに、ごみを呼び込む木は切ってしまえ、という発想である。なにこれ。。(怒)風に吹かれたごみが、木とその周りの短木に集まり、とどまるのなら、ごみ拾いしたらいいだけではないか。罪のない木を切る必要はないのに、問題解決といえば、とにかくてっとり早い方法を選ぶ、というわけだろう。こういうアメリカ人の発想が大嫌いである。あほアメリカ人。だから、ああいうトランプみたいな奴も出てきて、喜ぶ輩もいるのである。メキシコとのあいだに壁を作る、なんてあほなことがよくもまあしゃあしゃあと言えるものだ。その短絡的な発想は、ごみ拾わずして、木を切る発想とまったく同じである。あっほ。。。外に出ると、あっほが多すぎるから、今日も洞窟こもり。。(笑)
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