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2016/08/16(火)
また雑念
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もう、夏は終わろうとしている。確かに気温はまだ高くなるが、木の葉が庭におちはじめた。落ち葉はきから一日が始まるようになった。終活をしている身としては、もう新しい植物を植えることもなく、ただただいまある木々の世話をするだけ。庭の木も子育てと同じで、小さいときはかわいい、かわいい、とめでてたらいいが、大きくなってくると、ほっておくと、ジャングルみたいになって手に負えなくなる。ああ、人間の思春期と同じ。。(笑)。小さいとき以上に、大きなパースペクティブをもって、世話をしてやらねばならぬ。子育てとまったく同じ。生き物はほんとに大変だあ。。8月15日が過ぎて、やっと「平和を考える」というセンチメンタルな常とう句が日本のテレビから聞こえなくなって、ほっとしている。平和を考える、だって、あほか。(怒笑)8月15日前後に、いくつか戦争物を見た。一つは、映画「日本で一番長い日」。原爆が落とされてから、天皇の聖断とやらが2回も出たのに、まだ「2000万もの特攻をもってすれば、状況を変えられる」みたなあほなことを言う人間が国のトップにいたらしい。ぞっとした。。「平和」といった抽象観念ではなく、人間の命は何のために使うか、を具体的に考えるべきである。 本土決戦をやりたかった人間が日本にいたんだから、アメリカが戦争終結のために原爆を落としたのは当然、と考えられるではないのか。平和を考えよう、なんて、抽象的な気の抜けたサイダーみたいなことを言って、お茶を濁すのではなく、2000万の特攻をもってすれば、と、国民全員を殺したがる人間が国を牛耳っていたことをまっすぐ受け止め、考える教育をするべきである。原爆うんぬん、もそれからの話ではないのか。そうそう、生きて虜囚の辱めを受けるな、なんてことを言った東条ひできが、自分は自殺に失敗したことも、日本の教育の原点にすべきである。(怒)もう一つ、見て腹がたったのが、スペシャルの、アフガニスタンに派遣された文民警察官の話である。無理やりに通したPKO法案の結果、日本人の警察官は丸腰で、むずかしい場所に送られた。で、殺されたのである。で、外務省の人間や政治家が、ほかの国は犠牲を覚悟してますから、日本だけが、犠牲を騒ぎ立てることはできない、みたいなことを言った。じゃあ、はじめから、PKO法案に、武器携帯、自分の身に何かあれば、銃使用可、をいれるべきではないか。それができずに、ごまかして、ごまかして、でその場しのぎを重ねて、体裁だけをととのえようとする。で、まじめに職務を遂行しようとした人が死んでも平気なのである。アメリカでこういうことが起きたら、市民は国を訴えるだろう。訴えることで、国の欺瞞、国民だましを世に知らしめようとするだろう。2000万特攻も、ごまかしPKOも、ねっこはみんな同じである。で、8月15日になったら、平和、を考えよう、だ。で、戦争体験を語りつぐ、をやって、戦争はだめ、だめ、だめ、というセンチメンタルな一本調子だけがのさばっていく。はっきり具体的に答えを出して、変えていく、変わっていくべきなのに。本土決戦で2000万特攻を主張する軍人がいた国は、ほんとに変わったのか。まったく変わってないと私は思う。「平和」を考える、なんて、念仏のように唱えても、何の意味もない。何の意味もないことで自分たちを洗脳し、ごまかして生きている人たち。あああああ。。。(悲)そういえば、あのあほトランプがアメリカ大統領になれば、日本も変わらざるを得なくなるのでは、という声を聞いた。おおおおおおお、やっぱり洞窟の中がいい。。。(笑)
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