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2016/08/21(日)
美学
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このあいだ、太鼓レッスンで、へたでもパフォーマンスに出たがる人がいると聞いて、「それは私の美学に反するので」と答えた自分に、我ながらびっくりした。(笑)美学なんて、めったなことでは口にしない言葉だからだ。今日、加藤周一が若き日に書いていたノートに関するドキュメンタリーを見て、再び美学を考えた。自分がこれだけは譲れないものは何か、を考えながら生きることの美学である。スタンダールの言葉は、美こそが幸福への道?、だとか。さすが、スタンダール。(笑)その通りである。美を追求し、美しいものを見るのは生の喜びである。どう死ぬか、を考えながら生きることは、まさしくどう生きるか、を考えること。戦争の時代を生きたからこその美学だと思う。私の身体には、戦争を生き抜いた両親から受け継いだ美学が刻み込まれていると思う。その美学を貫いて生きようと思う。東大医学部出身の理系の頭脳をもちながら、文学にも通じていた加藤周一のようにはいかずとも、私は私の美学で生き抜こう。番組の最後で、加藤は、日本にあって西洋にはないものを考えていたとか。それが憲法9条とか。憲法9条も、ドーピングやら負けて大泣きした選手の話やら(私は、みっともないことをしたと考えている)、メダルの数を国家別で争うことのバカさ加減やらなどの、オリンピックのあり方問題も、すべて根っこで問われているものは同じである。普遍性をもつ美学はどこにあるのか。人間として共通に理解しあえる普遍性とは何なのか。それを追求することこそが、生きている、という実感につながっていると思う。今日も、一日がんばるぞ。。ごみ拾い、である。(笑)
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