〜ing〜アメリカつれづれ日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2018年1月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新の絵日記ダイジェスト
2024/04/14 4ケ月
2024/04/12 雑感
2024/04/08 いよいよ
2024/04/07 宇宙のエネルギー
2024/04/06 なんとなく

直接移動: 20244 3 2 1 月  202312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 1 月  202212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  202112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  202012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 月 

2018/01/18(木) 親というもの
神戸の震災から23年とのことで、日本からのテレビは震災関連のプログラムを流していた。ニュースにも神戸が出てきて、もっとうれしいのは、けったいな尻上がりのイントネーションで、ゴシップ番組に出てくるような体言止めとか、このあいだはノーベル賞の山中教授すら東京弁に毒されてしまっているのを発見、がっかりしたが(ほね、という二文節の言葉では、ねが尻上がりになるのが東京弁―憎笑)取材された神戸の普通の人の言葉が聞けるのがすごくうれしいのである。で、ショックを受けたのが、震災孤児という番組である。震災で両親を二人ともなくしてしまった人たちが、この23年どう生きたか、を伝えていた。一番ショックだったのが、10歳ぐらいで両親を亡くした女性が自分の子供が生まれたそのときに、ママパパに会いたい、と病室で大声で叫び続けたことである。取材した人間もショックだったから、その声を記録に残したのだろう。ナレーターは、今まで抑え続けた感情がほとり走り出た、としか言わなかったが、肝心なのは、彼女がどんな感情を抑え続けていたか、である。親にもう一度甘えたかったんだろうなあ、と感じた。これから自分が親になって、人間を一人育てていかねばならない、という大きな責任を背負うことになったとき、もう一度自分が親に甘えたい、助けてもらいたい、と本能的に感じたんだろうなあと思った。ところが番組が追ったのは、彼女の、親に会いたいという気持ちは、自分も死んで、親と同じところに行きたい、という気持ちだったという。子供が生まれていても、でもある。屈折した人間の気持ちのむずかしさを思った。そして、ほんとに悲しかったのは、そんな母親の気持ちを、娘がすべて吸収して、よく理解していることである。この娘さんも、これからが大変だろうなあ、と想像した。ああ、親というもの。。番組の中で、孤児の女性が言った、親はいてくれるとありがたいものですよね。ほんとにそうである。親とは、二人ともいなくなったときに、その姿を現すのである。自分をこの世に送り出した根っこが消えるということ。人生100年時代となり、親がいつまでもいてくれるように感じられる人が多くなっているからこそ、小さいときに親が二人とも突然いっしょに消えてしまうというのはどんなに寂しいことだろうか。神戸の震災23年と聞けば、その前年の夏に突然消えた父親のことを今だに思う。そうか、死んでもう24年が来るんだ、と。生きてるときはあんなに腹を立て、嫌っていたのに。。。(悲)亡くなる直前、ある新聞の懸賞論文の2位に選ばれ、私の文章と写真が新聞に掲載されたことがあった。あのときも、東京の編集部から電話があって、神戸のご両親にお知らせしましょうか、と何度も聞いた。新聞社側は、単に購読者を増やしたかっただけかもしれないが、私は、はい、知らせてください、と何度も言おうとした。でも言えなかった。その前に神戸に帰ったときに、2度と帰ってこないのが本当の親孝行や、と言われて、大けんかしたからである。あれでも親か、と腹を立てていたのである。親にあの新聞を見せたかった、と今だに思う。どんなに喜んでくれただろうか、と今だに想像する。意地を張って、ほんとにバカだったといまだに涙が出る。あああ、親というもの。。(悲) 番組の最後、テレビ画面の孤児の女性に声をかけた。子供さんをしっかり育ててあげてください。親はあなたしかいないのだから。ああ、親。。。親を知らない人間が子育てをするむずかしさー小学校5年生で親元を離れた父親の姿が重なった。寂しかっただろうに、じゃあ、娘を甘えさせて育ててくれたらよかったのに。。。私の寂しさである。(悲)


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.