〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2018/01/23(火)
週末は気温が上がり、道の雪もとけたので、久しぶりにごみ拾いに出た。そして、腹が立つものを拾った。まだ開封もしていない新しい食べ物がいっぱい入っているプラスチック袋である。マルちゃんのインスタントラーメンとか、アップルソースだとか、袋入りのスナック菓子とか。。思うに、どこかの支援団体が、貧困層の人に配った支援食糧だと思う。袋ごと捨てているのである。めちゃ腹が立った。お前ら、食べる気がないのなら、ましてや捨てるならもらいに行くな。もらって喜ぶ、必要とする人がいっぱいいるんだから。ええ、何て、ステーキがもらえると思った? あほ。その程度の根性だから負け犬なんだよ。食べる物を何の躊躇もなく捨てるなんて、最低だ。封はあけられてないから食べようと思えば食べられるのだが、やっぱりどこかいやああな気がして、捨てた。ごめん。(悲)そこからすこしいくと、これまた封を切っていない1ガロンのミルクを拾った。あほっ、仕方ないから、これもミルクを道に流した。もったいないなああ。。どんな奴らか知らんけれど、お前ら、アメリカの豊かさに甘えているろくでなしだ、屑だ。(怒)そう思いながら歩いていると、今度は、尿袋を見た。膀胱尿道にとりつける細い管がついている。プラスチックの袋の中は、濃いこげ茶色の液体が入っている。尿なのかどうかわからないが、いったいこれは何だ。病人のものではないか。なんでこんなものが道に落ちている? 尿袋をつけてる人間が、車の中で袋をとって投げたのか。それとも尿袋をつけて、歩いていたとでもいうのか。ほんとに人間の心もするこもわからない。私は、基本的に人間が嫌いだ。(怒笑)その一方で、きのうは、久しぶりにシカゴのじっちゃんばっちゃんに会いに行った。クライアントの中に、筋肉が弱っていく難病をかかえている人がいる。5年ほど前に私がボランティアに行き始めたときからいる人だが、このごろは、いよいよ舌の筋肉も弱ってきているのだろう、ますます言っていることがわからなくなった。それでも昨日は、別のクライアントの娘さんと一生懸命話をしている。病人の娘さんと同じ職場で働いていたとか。信頼関係があるのだろう、よく回らない口で何度も口にしたのは、私はナーシングホームには行かない、家にいる、だった。ナーシングホームは、家で介護ができなくなった人が行くところである。クライアントの症状はだんだん重くなってきているし、家族はそろそろナーシングホームに送るしかないなあ、家族のケアもいよいよ限界だ、みたいな話をしているのかもしれない。以前は、抱えてあげたら、両足をえっちらこえっちらこと歩けたのに、いよいよ車椅子に座りっぱなしになってきている。家での介護はむずかしかろう。それを聞かされるクライアントは、私はナーシングホームには行かない、を繰り返した。回りにいるほかのクライアントも私もスタッフも黙りこんで、あたりは静まりかえってしまった。 彼女は心から悲壮な本音を叫んでいた。ナーシングホームには行きたくない、家族といっしょにいたい、と。そこにいたみんなは、それが、もしかしたらかなわないかもしれないことはようくわかっていたから、ますます誰も一言も声を出そうとはしなかった。そのときである、クライアントの一人の男性が立ち上がり、その車椅子のクライアントのそばに行き、何も言わず、彼女の手をとって、じっと握った。相変わらず誰も何も言わなかった。言葉が聞き取れなくなっているクライアントも何も言わなかった。言葉はいらなかった。何もいらなかった。心だけが、そこにあった。見えないけれど、心があった。温かい心があった。道端のうす汚い心に腹を立てながら、人生の最後が迫る悲しさを一生懸命生きている人たちの暖かい心から、私はエネルギーをもらう。もう何もいらない。あたたかい、強い心だけが欲しい。振り返ってみれば、私も、食べる物を道端に投げ捨てるようなことをしてきたかもしれぬ。小さな自分を思い出すのは怖いものだ。もう目の前の時間には限界が見えてきたのだから、なんとかきれいに生ききりたいものだ。心ー人生で一番大事なものだと思う、自分が自分として認識できる限り。。(悲)


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