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2018/05/04(金)
シカゴの春
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やっと春が定義できることに気づいた。日本から帰ってくると、まだ気温は10度以下でさむ〜〜〜と暖房も入れるような感じだったのに、ここ2、3日前に急に気温が25度ぐらいにあがって、もう夏かよ、春はどうなったの、と思ったが、夏の気温は落ち着いたようで、今、やっと春を実感している。春とは何か。木々に葉か花かのつぼみが宿り、土から新しい芽が出てきて、人間は突然草とりに忙しくなる時期、それが春である。シカゴまでドライブしようと自分を奮いたたせるが、その気持ちが萎えてしまっている。庭のエネルギーに押されてしまっているのである。 せいぜい1ケ月ほどのことだ。今は、毎朝起きると、コーヒー片手に庭を歩きまわる。頭上に、ぴーちくばーちく鳥の声を聞きながら、あっちこっちから新しい芽が出ていて、おお、こんなところにこんな子がいた、みたいな新しい発見がうれしい時だ。で、気づいた、立ったりしゃがんだりが大変になってきたのである。いったんしゃがみこむと、すっと立てないので、一、二、三と掛け声をかけて、必死の思いで立ち上がる。膝に負担がかかっているのがようくわかる。ああ、これが年をとるということか。そのうち、掛け声をかけても立ち上がれなくなるんだろうなああ。(悲)庭も広すぎると感じはじめた。もう、ここに来て20年である。20年前は、喜んで、立ったりしゃがんだりして、新しい植物を植えて、とはりきっていたが、いまじゃ、しゃがめば立てなくなるから、という感覚が先に立って、しゃがまずに、何かしようとするけれど。。何ができるのか。あああああ。(悲)短いシカゴの春は、自分のこの先も短いことを実感させてくれる季節でもある。そういえば、昨日の朝ドラで、俳優がいいことを言っていた。「この年になると先が見える。夢が見られるという時間こそが幸せなんだよ」みたいな。そう、若いときは先が見えない。だから夢が見られる。いいなああ。。庭に新しい樹木やら植物やらをめったやたら植えて、夢が見られた時代は幸せだった。(笑)今じゃあ、植えても育たない植物は何かようくわかっている。もう新しく植えても、先を楽しみにすることもできないから、植えもしない。ただただ現状維持のみ。私の身体と同じだ。(笑)でも、新しく学んだこともある。たんぽぽは雑草だが、どこに雑草が生えるかがよくわかった。芝生がない、土がほったらかしになっているところにけっこう集まってきていた。ああ、人間もごみも同じだと思った。町のどこにごみが多いか。貧困層が住む地区である。貧困層はファーストフードを食べる機会が多いようで、ごみが多い。ごみが多いことと犯罪発生率と貧困はすべて連動している。ほったらかしにしていると、町全体が飲み込まれていくだろう。だから、私はごみ拾いをするし、しゃがみこんで、たんぽぽも引っこ抜いた。(笑)人間もスキができると、何か悪いことにまきこまれやすくなるそうな。いつもきれいに芝生を手入れしていると、たんぽぽも入り込みにくくなるという論理を当てはめると、人間もいつも手入れしておかねばならぬ。でも手入れって言われても何?(笑)スキねえ。たまにはスキがあってもおつなもの、ではないの。。タンポポも、他人の庭が一面真黄色になっているのはきれいで、なかなか壮観なものだよ(笑)
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