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2018/09/24(月)
了見が狭い。。
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このごろ言葉がわからずに、pettyと言う言葉をずっと使っていた。今日、たかのは*さんに関するオンラインのニュースを読んでいて、この言葉を見た。ああ、これがpettyだと思いだした。(笑)相撲協会は了見が狭いそうな。。そうでしょ、そうでしょ。。メンツを見たらわかるやん(笑)同じような顔をしているのが、レスリングだか、体操だか、フットボールだか、確かもう一つぐらいあったような。。。結局スポーツって、脅す脅されてするものなの? 脅しといえば、この国のドアホも了見が狭い。。地位を利用して脅し自分の力を再確認する。。これが了見の狭い人間のやり方である。どこにもうじゃうじゃ。。(笑)テニスの女子選手のことを、日本人初めて、という言葉で形容することはおかしいですか、という見出しの記事を読んだ。はい、おかしいです。(笑)記事の中には、日本人といっても、本物の日本人と違う、という声が聞こえる、といった記述もあった。そうでしょ、そうでしょ、これも了見の狭い話である。何が了見が狭いか。日本人のナショナリズムである。これが小さい。要するに、混血の人間は、本物の日本人ではない、ということである。テニスの選手にしろ、陸上の選手にしろ、野球の選手にしろ、混血の人でスポーツに秀でている人をよくテレビで見かけるようになった。かれらが日本で育つとき、どんな風にいじめられたか想像できる。が、かれらがそのいじめに、なにくそ、と思って才能を伸ばして、記録をうちたてるようになったら、急に「日本人」が出てくるのである。要するに、日本人のエゴを喜ばすために、利用するのである。ふん、了見が狭いのう。(笑)ノーベル賞受賞者も同じである。アメリカで才能を開花させた人でも、ナショナリズムのために利用するために急に「日本人」が登場する。小さい、小さい。(笑)そのくせ、同性愛者は生産性がない、と言ってのけた国会議員を辞職させようという動きはまったくなく、どこかの雑誌が休刊、つまり廃刊になるだけで終わる。これも小さいなあ。。どこもかしこも、了見が狭い、があふれているのが日本である。ぺっ、ぺっ、ぺっ。。(笑)今、小熊(だったと思う笑)氏の「日本人の境界」という本を読んでいる。台湾、朝鮮、沖縄の日本政府の統治に関する本だが、そりゃもう、「了見が狭い」にあふれかえっている。政治とはこういうもんなんだ、と知るとぞっとする。沖縄なんてひどいもんである。法的に、「日本人」であって、「日本人」ではない、という地位にずっとおかれてきたのである。びっくりびっくり、である。日本人であって日本人ではない、という了見の狭さは、今活躍している混血のスポーツ選手の地位にも言えることだ。日本人・社会・国家の了見の狭さは、いっこうに変わっていない。(悲)いっぽうアメリカは。。。了見の狭いドアホが国のトップになって、了見の狭いアメリカ人が大きな顔をしはじめ、国家もあっちこっちで了見の狭い脅しで摩擦を生じているが、みんな心のどっかで11月の中間選挙まで何とか我慢しようと気持ちがあり(笑)、社会は今のところ私でも生きていられている。。「あなたの英語は大阪弁」なんて言う、了見の狭い日本人に会わない限り。。(笑)がんばるぞ。。人を脅せる力が持てる地位なんてなくても、「私は私」のオーラで、世界をぶっとばす。。(笑)なんて言っても、私の世界は、誰にも会わぬ洞窟の中。。ああ、それが一番幸せ。。了見が狭いかも。。。(笑)
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