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2019/04/25(木)
帰米の日
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1ケ月を超える滞在だった。無事に今回の目的は達せられた。台所と3畳のあいだの壁はとりのぞかれ、友達が心よく提供してくれたテーブルとイスのおかげでかわいいダイニングスペースが誕生した。母親がガラスを壊れたままにし、破れた雨戸で隠していたーつまり外と内がすでに一体となっているにもかかわらず、絶対にあけられることはなかった、66年前のオリジナルの窓をとりのぞき、サッシ窓を入れたおかげで、くらあああかった6畳の部屋は明るくなり、家の雰囲気が変わった。もう親の家ではない。これでいいのだ。あと何年、この家に戻ってくるのか、この家で死ぬのか、ここから最後の施設に移るのか、それはわからない。が、するべきことをしたという充実感がある。死戦期に入る直前に、母に、お母ちゃんが守ってきたものは必ず私も守るから心配するな、と言い、母を冥土の旅に送りだした。これでいい。これが最初で最後の手直しである。このあとは、ただただ使えるだけ使って、私とともにこの家は消える。それでいい。滞在の最後の日に、アメリカから連絡があった。義理の何?(笑)、去年亡くなった義父のお兄さんが、いよいよ目が見えず、耳もほとんど聞こえなくなり、他者とのコミュニケーションが難しくなっていたが、いよいよ頭もクリアでなくなりつつあることを自覚したため、自ら死を選び、断食に入っていた。亡くなったと聞いた。96歳だった。私も、状況さえ整えば、これでいこうと思う。強い意志をもった、立派な生き様、死にざまだと思う。立派な生き様といえば、滞在中ずっと腹をたてていたのが、87歳のじいさんが日本の細い道を100キロでぶっとばし、殺人をおかしても、さん、づけで呼ばれていたことだ。通産省のえらいさんで、勲章までもらってたから、だって。若いときに、どんなにえらくても、人生の最後で殺人を犯したら、人生すべてがぱあ、である。それがわからずに、人をひき殺しても、車のせいにしたり、人、ひいちゃった、と息子に電話してのける厚顔ぶり。だからこそ、勲章までもらえたんだ。腐った国だ、と怒っていたら、何と翌日、通産省の陰謀だ、と私は怒っていたのだが、地元神戸で同様の事故が起きた。何度も何度もビデオを流し、運転手はすぐに容疑者よばわりされた。亡くなった人の数は同じだけど、バスのスピードは10キロほどである。87のじじいのドライブレコーダーの映像は一度も流されず、容疑者よばわりされていない。隣のじいちゃんは、役人天国やねん、と言った。ふん、役人が腐ってるんだから、腐った役人の天国なんて、この国は最低の最低になり下がっている。100キロでぶっとばしたじいさん、体調を崩したと入院する政治家同様、絶対に退院してこないのでは。退院したら、容疑者と呼ばれる、とどこかで聞いた。容疑者よばわりされたくないと、自分のエゴだけで生き延びようとする人間の小ささ、汚さを考えると、断食で自死を選んだ人間の気高さを想う。官僚がなんだ、勲章がなんだ、誰にも知られることなく、吹けば飛ぶような小さな存在でも、内に気高く無限の宇宙を広げている大きな人間でありたい。そんたくだか何だか知らないが、上手にごまかせる人間がほめられる国ではなく、正論がまっとうに通る国に帰るときである。
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