|
2019/07/17(水)
相変らず。。。
|
|
|
無事に、夏の小旅行から帰ってきた。いよいよ、家がいいなあ、と家にとじこもりたがる気持ちがわかるような気になってきた。年だあ。。(悲笑)相変らず、郵便局は、私の封筒をなくしたままである。同じ州内に配達するのに2週間経ってもまだ届かない。ドアホ。とうとうワシントンDCの本局に電話した。1時間も受話器をもったままでまたされた。どうせ一人でやってるんだろ、と思ってたら、無事に電話がつながったと思えば、背後でうるさく人がぎゃあぎゃあ言う声が聞こえていた。要するに、郵便局は仕事ができず、文句たらたらということだ。二度と使わぬ。(怒)旅行で学んだことー1ワシントンの鹿は、犬みたいにお尻を地面につけて、用を足すこと。 奈良の鹿が立ったまま、まあるいまあるい糞を、滝みたいに一斉放射するのを子供時代に見てから忘れられないので、ワシントンの野生の鹿のお行儀のいいのにはびっくりした。(笑)2 飛行機の中で、1985年?の日航機墜落事故で、遺体の確認作業をした人の本を読んだ。往復で文庫本一冊読み終えた。片道4時間の飛行が、こんなに短く感じられたことはなかった。それにしても、凄惨な遺体というか、指1本でも、その身元を確認しようとする医者や警官や看護婦たち、専門家たちの仕事を知って、また世界を見る新しい視点を知ったような気がする。人間の死、遺体に対する日本人がもつ厳かな宗教心に思いをはせると、やはり老後は日本で、と考えてしまう。この国の人間みたいに、死んだ金魚を平気でトイレに流すようには扱われたくない。炭化した肉の塊をきれいに洗って、中から現れたわずかな皮膚の一片からでも血液型なり、とにかく身元を割り出そうとする心は、この国の人間にはない。そういえば、義父母の遺灰は、ジャムのガラス瓶に入れて、リビングにおいてある。ジャムの瓶である。まあ、私の親じゃないから知らん顔はしているけれど、こういうのはねえ。。。私にはついていけない。その異端と感じる感覚は、言葉では言い表せないものがある。病気になったら、やっぱり優しく扱われたいものだ(悲)とにもかくにも、長時間飛行機に乗るときは、飛行機事故のノンフィクションを読むのが時間つぶしに最適ということを学んだ。おちおち退屈がっている暇はないのである。自分がどこにいるのかを忘れられるのが飛行機事故の本だ!!(笑)
|
|
|