〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2020/12/30(水) ドラマ考
やっと外が銀世界となった。冬らしいのがいい。(笑)どうせコロナ、脚の手術などなどで、外には出ないから。(笑)いよいよ押し迫ってきた。今年も終わりである。年末年始の面白くないことーテレビが面白くなくなる。いいドラマがなくなる。。人間を勉強するのはドラマを通じて、だから、なくなるとさみしい。(笑)それにしても、このごろのドラマは。。登場人物が直接視聴者に語りかける、みたいな形をとることがある。。最初の1度ならまあ物珍しいかも、だけど、続くとくどい。ごたごた言うとらんと、まじめに演技せよ、と言いたくなる。スマホの恋愛ドラマみたいなのは、そりゃもう、ぐちゃぐちゃ女主人公がしゃべり続ける。。うるさい、へたくそすぎる。(笑)昔のサイレントを思い出せ。何もしゃべらなくても、目の動き、顔の表情で、なにを考えているか表現できたのだ。今のドラマは、しょうもない、空洞の言葉を並べるだけ。。見てられない、で、何度か途中で切ってしまった。時代劇といえば、男一人で子育てしているサムライやらひきこもりサムライも出てきたりして、何これって感じ。。おおい、暴れん坊将軍か銭形平次か、かっこいい男はいないのか。(笑)そういえば、「いいね」のボタンを押したがるのは、自分をいい人間に見せたがる自己商品化だという言葉を読んだ。自分を人に好かれるための商品にしてしまって、自分の骨はどこへ行ったの??そういえば、日本のアニメやらドラマは、現実とは真逆とも。かっこいい主人公を見るのは現実逃避にすぎず、ガス抜きをして、また日常の我慢一筋の生活に戻る、ということだろう。日本って変わってないよなあ。。来年はどうなることやら。。願いはただ一つー神戸に帰られせて〜〜〜。。いい1年になりますように。アメリカはージョージアで奇跡が起きますように。

2020/12/24(木) うれしい仲間(笑)
きのう、日本からのニュースで、仲間を発見した。(笑)道のごみ拾いをしている女子高校生の話である。この春、ガラパゴス島へ留学して環境保全の勉強をする予定だったのが、コロナでだめになって、今はゴミのプラスチックでアクセサリーを作ったり、自転車で回って道のごみ拾いをしているとか。がんばれ〜〜〜。私が高校生のときは、何の社会意識ももたず、ただただ国立・公立大学へ行くことしか考えていなかった。私立大学へやる金はうちにはない、と親に宣言されたからである。で、大学へ入ればバイトばっかりで、自立した人生を歩むための就職という意識を持って勉強しなかったから、これまた中途半端な人生で終わろうとしている。あの時代は、女は25歳までに結婚するのが社会的常識だったから、と自分を納得させようとするが(といって、25歳までに結婚したわけではない。笑)、映画館に行く以外、何のために中学、高校と勉強ばっかりしてたんだろう(でも塾には行かなかった、というか行けなかった、親がただそれだけはほめてくれたのを覚えている。。笑)という若き時代への後悔の念はいつまでもくすぶっている。それに比べて、今の若い人は。。。高校生でガラパゴスへの留学が考えられるんだねえ。。うらやましい。英語で他の国の若い人たちと話している絵も流れた。がんばれええええ。 ごみプラスチックでアクセサリーを作ったりは私にはできないけれど、自分が何か1歩を踏み出すことで、かならずエネルギーが生まれ、それが社会を変えていく力になる、と心から信じている。たとえ自分が生きているあいだに、目に見える形で社会が変わらなくとも、そういう風に将来に希望を託すことができるーそれこそが今、ここにいる自分に力を与えてくれる夢のエネルギーである。ああ、早く私も道に出て、ごみ拾いしたいなああ。まだ今のところ、家の中とかコンクリートの上とか、平なところしか歩けないようだ。凸凹の土に対処する力はまだ脚にはなさそう。。(悲)6週間、がんばるしかない。まだ2週間ちょっとしか経ってない。。(笑)今年は雪が降らず、でも今日初めて氷点下まで気温が落ちた。。クリスマスイブとやらだけれど、クリスマスを祝う理由は何もなし。聖書にイエスの誕生日と書いてあるわけでなし、冬至を祝っていた異教徒の祝祭を、たぶんその異教徒を征服したキリスト教徒が、自分たちの祝いに勝手に変えただけなんだろ、傲慢な征服者め。。わたしゃ、クリスマスよりも冬至を祝うほうがよっぽど理にかなっていると思う。人間の存在そのものが自然の一部なら、やっと冬至がやってきて、これから少しずつ春に近づき、昼の時間が長くなっていきますよ、という自然のメッセージのほうがよっぽどうれしく、日々の生活を豊かにしてくれると思うからだ。聖書に何が書いてあろうと、言葉は人間の解釈次第で何とでも意味を変える。が、冬至の喜びは永久不変である。その意味で日本人が、春分の日、秋分の日、という祝日をもっているのはすばらしいいことなのである。どうせクリスマスなんて、雑貨やらレストラン業界が、プレゼントを買ってくれ、と勝手に作りあげたもんじゃないの。。バレンタインデーと同じでさ。(笑)そうそう、日本のお正月の初詣は鉄道会社の策略とどこかで見たような気がする。すべてそんなものなのである。すべて嘘、まやかし、おためごかしなのである。そんなものはあえて全部打ち捨ててやろう。。ただただ自分の五感だけを信じよう。自分が見て、感じて、聴いて、味わった喜びだけが本物である。 来年も洞窟暮らしになるだろうけれど、それでもただただ一つ。。早く道のゴミ拾いに出たいなあ。自分がごみを拾った、世界のあるちっちゃな一角が、ほんの一瞬、きれいになるのを見るのは無限の喜びである。一瞬だからこそ美しい。早く、脚よ、治れ!!(笑)

2020/12/22(火) 自由1
やっと術後2週間が経った。長い2週間だった。理由の一つは、足にとりつけた血栓防止のマシーンのせいである。起きているときは、コードを振り回し、チャージを心配し、30分以上外してはならぬ、とか言われたから、ずっと持ち歩いて大変だった。もちろん夜はよく寝られず。きのうがつけて寝る最後の夜だったが、普段から寝不足だから、夜9時を過ぎたら眠気が襲ってきて、ベッドに入った。そして今朝、いよいよとりはずす時が来た。起きたらすぐにとりはずしにかかるか、と思いきや、貧乏性のせいで、寝ているあいだに器械を百パーセント充電したのに、使わずにやめるのはもったいない、という汚い根性が働いて、起きてからも器械をつけている自分に驚いてしまった。(笑)3時にトイレに立ったときから充電をやめて、それがほぼ空になるのに朝9時までかかった。で、今、やっと自由!!! 最高だあああ!!(笑)あんな風にぼこぼこと電気でふくらはぎをマッサージしているような感じでほんとに血栓が予防できるのか。手術翌日から歩いているのに、なんで2週間もつけねばならなかったのか、いまだにようわからん。手術した足の痛みはほとんど感じなかったし、あの器械が一番の重荷だった。でも、もうどうでもいいや。今は次の目標に向かうぞ。。車の運転だああ。。るんるんるん。。笑

2020/12/17(木) 抜ホッチキス
Physical therapyに行って、それから医者にも行った。Physical therapyでは、左足が痛むときがあるんですけど、どんなリハビリがいいでしょうか、と聞いてみた。歩き方を見ると、手術した右足より、左足のほうが頼りなげで、体が左右に大きく揺れる。結局は、左足を直さねば、まともに歩けないのである。(悲)一つ気がついたことー脚の裏、とりわけひざの後ろを伸ばせ、伸ばせといわれる。で、回りを見回すと、ひざがまがったままで歩いている高齢者がけっこういることがわかった。あれは、ひざを伸ばさずに歩いて、そのまま固まってしまったのでは。。わかりました、膝を伸ばすようにして歩こう。。医者で、抜糸ならぬ、抜ホッチキスの針をしてもらった。ちょっとだけ太ももが軽くなった感じ。。(笑)医者にも同じ質問をぶつけてみた。さすが医者、はっきりしていた。左足の痛みで、右足の回復が遅れるようなら、左足の手術のしどきでしょう。はあ、わかりました。手術そのものを覚えているわけではないから、何も言えないが、リハビリが大変、大変と学んだ。これからは歯の掃除に行くためにも、抗生物質を飲まねばならなくなった。死ぬまでである。血が出るものはすべて感染症の恐れがあるから、とのこと。あああああ、人生変わったなああ。。切って終わりの手術ではなく、異質物を体に埋めこんだわけで、そこは自己防衛、つまり免疫力をもたないから、身体保持者がいろいろ工夫して、体の免疫力を補ってやらねばならないのである。(悲)生きること、生き続けること、ただただ無心に、すべてに誠実であれ。そのうち時間が身体に教えるだろう、長とでるか半とでるか。すべて受け入れること。

2020/12/16(水) 新しい懸念
右足はだいぶ楽になってきた。筋肉のひっぱりというか硬さがとれてきた。傷口は、手術以降、恐れていたような痛みを感じることはなかった。右足が忘れてしまっている正しい歩き方を思い出させるために、家の中でまだ歩行器を使っている。一応教会から杖はもらってきたけれど。で、気づいたのである。右足は歩きやすくなったが、今度は右足においつけない左足の存在である。手術前の右足のように痛むわけではないけれど、ときどき左足に痛みが走るのは確かである。確かに悪い、と言われているわけで、痛みは仕方がないけれど。。でも、こうなってくると、いったいどちらの足のためにリハビリをするのかわからなくなってきた。杖を使うとしたら、右足のため、それとも左足のため????あああああ。なにもかもうまくまわるく収まってくれますように。。

2020/12/14(月) 家というもの
手術からちょうど1週間である。1週間前の今頃はもう手術室にいたなあ、と思い出す。手術室にいた記憶はわずか1,2分だろう。おかしな1週間だった、早いような遅いような。きのうの午後くらいから、歩行器を完全に放棄した。足にとりつけた器械の持ち運びを片手で行うことで、かなり自由に歩き回れるようになれた。まだ太ももが張っているから、さっさっとは歩けないけれど。右足の痛みは感じない。感謝。日本からのテレビで、建築家のドラマを見た。ドラマの中で、「家とは親の存在そのもの」という建築家のセリフがあった。神戸の実家を思い出した。その通り。あの家から出たかった、とは、あの親から離れたかったということである。でも、この年齢になって、あの家に戻っていこうとする自分がいる。家とはその人間が最後に戻っていくところなのか。ドラマは、主人公の建築家が、無意識のうちに、別れてしまった家族とともに住みたい家を建てた、がテーマである。その気持ちを理解しようとすると、建築家の娘が神戸の家の土地にどうしても家を建てたい、と言い張る気持ちが少し理解できるような気がした。毎年連れて帰った神戸の家は、娘にとって牢獄でしかなかったらしい。私の母が特別娘に優しかった、という記憶はない。むしろ、言うことを聞こうとしない娘の頭を傘で叩いたと聞いている。(私はその場にいなかった)そういう関係性しかなかったあの家を壊したあとーそれは私の死後であるー、自分の家を建てたいと。それは土地の記憶と自分との新しい関係性の構築を新しい家の存在に賭けるということになるのだろう。私の死後のことなど心配することもなし。でも、ふっと思った、これまで拒否して、拒否し続けてきたこのアメリカの家のことを、もう少し前向きにとらえてもいいかもしれぬと。手術をして、新しい股関節を手に入れ(もう1本はいつ???笑)新しい身体とともに過ごす土地への新しくも最後の記憶。どうなることやら。。みおあわったドラマは消すことなく、このまま残しておこう。いつか答えが見つかるかもやしれぬ。

2020/12/12(土) なあんだああ。。(笑)
手術後4日目のきのう、フィジカルセラピーへ行った。私の様子を見ていて、セラピストが歩行器なしで歩いてみよう、と言った。歩いて、オフィスをぐるぐるした。セラピストが背中のほうに手を回していたが、特に何の問題もなし。歩けるじゃん。これなら杖もいらないね、ということになった。なああんだあ。。どういう手術やったんやろ。あんなロデオの金属サドルみたいな器械なので何をしたんだろう。結局、痛みもそれほどないので痛み止めも飲まないことにした。家ですることはー歩行器なしで歩き回り、足の筋肉を鍛えること。でもまだあんまり自信がないし、実は歩行器以上にやっかいなものを24時間態勢でずっとつけておかねばならないものがある。エコノミー症候群にならないように、と、足の膝から下をずっと刺激する器械である。これが重たい、重たい。まるでサムライかサッカー選手が身につける足のあれーあれを何というんだったっけ。。笑ーである。ずっと身につけるとは、使う部屋のコンセントにイクステンションコードをとりつけておいて、その部屋に行くたびに充電しなければならない。これがやっかいやっかいで。手術よりこっちのほうがいやになってきた。それも2週間である。ふくらはぎとかがいつも刺激されるのは気持ちがいいときもあるけれど。。。とにかく持ち運びが大変で肩がこるので、歩行器にこの重い器械をひっかけて、歩行器はとろとろして遅いので、歩行器を手で運ぶことにした。いったい、これって何? 答えはただ一つー手術4日でここまで回復して、ありがたいことである。感謝。。このまま順調によくなりますように。

2020/12/10(木) 無事生還!!!
アメリカ時間パールハーバーの日の朝、6時半、病院に着いた。連れていってくれた配偶者はそのまま自宅へ直帰。どうせ長いあいだ待たされて、何もすることがないのなら、一人でいたほうが気楽なので。(笑)着くと、けっこういろいろ準備が始まった。IVで水を入れたり、抗生物質も入れたのかな。わからん。(笑)面白かったのは、足の毛をそることになっていた人が、毛がない、そる必要なし、と言ったこと。はい、毛唐じゃござんせん。(笑)それからは、看護婦さんが出たり入ったりして、何か質問していったけど、特に何もなし。それでテレビをつけてぼおおと見ていた。ついでに、隣近所の声も聞いていた。学んだことーベルトコンベアーに載せられているようなものだ。隣の男性は膝の手術で同じ外科医。通路を隔てた向かい側の人は、私とまったく同じ手術。。なあんだ、こういうことか、で納得。9時ちょっと前だったろうか、手術室担当の看護師さんが来た、で、なにやら違うIVを使いはじめて、ベッドを押して、手術室に向かった。怖いですか、と聞かれて、はいと答え、手術台に乗せられ、外科医がそこにいたので、まだ起きてますよ、と言うと、医者が笑った。(笑)なにやらロデオで使うような、馬のサドルのような形をした、けっこう大きな器具がおいてあって、あそこに足を載せるんだろうか、と思ったのが最後。次に目がぱっとさめたときは、まだ手術室にいたが、医者はいなかった。看護師さんの数を数えたら、7人ほどいた。手術後の片づけをしていたのだろう、無表情だった。次に目が覚めた時は回復室にいた。麻酔が頭がもうろうとすると聞いていたのに、頭がぱっちりさえていたので、数を数え始めた。ににんがし、しにがはち、はちにじゅうろく、32,64,128,と2倍していくのが、若いときから、自分がどれだけよっぱらっているかをチェックするための方策である。けっきょく4096までがんばって、そのあとはあきらめ。。英語でやってたのか日本語でやってたのかは記憶になし。(笑)私が帰ってきたときは、向いのおじいさんがいなくなっていたから、手術室に入っていたのだろう。というわけで、それから6時まで病院にいた。日帰り患者だから、部屋をもらえるわけでなし、カーテンで仕切ってあるだけのスペース。歩行訓練をやって、といれにも行かされて、で、家にかえってきた。この日は麻酔でハイになっていたのだろう、痛みを感じることもなく無事終了。二日目も、まだハイになっていたので、ターキーなんとかも食べることができた。フィジカルセラピーにも行った。問題は3日目だった。食べる元気をなくしてしまって、食べなかったら、なんと頭がふらふらして、立つこそすらできなくなった。心臓ぱくぱく、頭ふらふら、5種類だか6種類だか、普段クスリを飲まない人間がクスリ漬けになっているから、これも問題あるんだろうな、と考えていた。それで今日、思い切って、炊飯器を配偶者に見てもらって、おかゆを作ってもらった。食べると、おお、元気、元気。やっぱり日本人はおかゆだ!!!というわけで、ほっと一息をついたところである。薬のせいなのだろう、痛みはない。骨に金属棒をぶちこんだりしているわけで、痛みがないはずがない。。これから麻酔がとれて、痛みが始まるのかなあ。。いややなあ。。背骨注射をあれほど怖がっていたのに、注射されたことはさっぱりわからず。それよりもリハビリのほうが大変そう。。(悲)今の状況では、手術がうまくいったのかどうかもわからず。12年間も痛みに耐えていたので、足は正しい歩き方も忘れてしまったようだ。どうなることやら。。がんばるしかない!!! そうそう、それでもうれしいニュース。私のシカゴ記事をユーチューブで紹介してくれてる大学の先生がいるよ、とこれまた大御所の大学の先生が教えてくれた。。捨てる神あれば、拾う神あり。。心から感謝。。がんばります。

2020/12/05(土) ひきこもり死
コロナ検査の結果が送られてきた。陰性。はい、よかった。すべて予定通りに運ぶということか。病院の手術室に緊急手術が入らない限り。(確か配偶者の手術は、緊急手術で待ち時間が数時間伸びた。。)週末はもう何の予定もなし。ただただ月曜朝6時半、病院に向けて出発するための心の準備をするだけ。。そんな準備にぴったりの番組を見た。今、日本では「ひきこもり死」というのが増えてるそうな。80歳の親が50代のひきこもりの子供の世話をすることを「8050問題」というそうな。親がいなくなると、収入がなくなって、そのまま死に至る人が年間100人近くいるそうな。番組は、なぜ彼らが生きる意欲を失っていくのか、に焦点を当て、ほんとは彼らも生きたかった、「生きてるだけでいいんですよ」が言える社会にならねば、かれらとともに寄り添わねば、を結論としてもってきた。その通り。特に異論なし。想像するに、まじめ以上にまじめに生きてる人たち。親より先には死ねないと、親に頼る自分を情けなく思いながらも、親のためにと親に甘えて、親に養ってもらうことを長年是とする。でも親つまり自分を必要としてくれている人がいなくなってしまうと、お金と同時に、居場所、生きる意味をなくしてしまうということだろうか。必要なのは、親の枠を越えられる横ーつまり他人とのつながりか。そしてその生活を支えるお金ーつまり仕事。。コロナ禍で失職する人が増えて、ひきこもりが増えるのでは、と番組は警鐘を鳴らした。仕事ー私は自分すら自分で養えない人生を送ってしまった。仕事がないと、ひきこもる人の気持ちをとやかく言うことはできない。でも手術を前に思うのである、もし足が無事によくなったら、今度こそ元気いっぱいに道のごみ拾いをいっぱいやろうと。(笑)今はもう、足が悪くなりすぎて、道に出る元気すらなくなってしまったのが悲しい。確かに手術はいやだけど、もしかしてまたできるようになるかも、という希望で、手術の怖さに目をつぶれるような気がする。自分の中に引きこもるのではなく(手術の怖さに気持ちを集中するのではなく)、とにかく外へ、外へ、と自分を解き放つこと。世界は広い。世界にはいっぱいエネルギーが回っている。要は、そのエネルギーの片鱗を自分の手でつかむこと。。それさえできたら。。。自分でつかんだその新しいエネルギーが自分のこれから先を静かに導いていってくれるのではないのか。自分を養っていけるだけの仕事ができなかった自分も、病気の自分も、売れない本しか書けなかった自分の人生もすべてを受け止めてくれるはず。。生きてるだけでいいんですよ、その通り、生きてて、道のごみ拾いしてるだけでいいんですよ。ごみ拾いできたら、生きててよかったと思える自分の小ささがうれしい。(笑)月曜の麻酔の瞬間まで、残るはあと1日。。今この瞬間を見つめ抜く。。

2020/12/04(金) コロナ検査
無事にすべての検査を終えた。コロナ検査の結果はいつわかるのだろう。知らん。陽性だったら、月曜の手術は中止だろうなあ。どうなってるのか。家で歩行器を使う練習を始めた。歩行器を押すのではなく、歩行器の中に入って、いっしょに歩く、という感じだそうな。(ひざの手術をした友達が教えてくれた)サポートがあると思うと、へたに足に力をいれないので、楽になるような気もするが、やっぱりとろとろしているので、手術後のやむにやまれないときしか使いそうにない。(笑)教会で無料貸し出しのプログラムがあるので、借りてきた。別に返してほしがっている様子でもなかった。(笑)要は、亡くなった人の家族が教会に寄付しているのである。増えることはあっても、減ることはなかろう。ガレージには歩行器以外にも、つえやらトイレの補助やら、ありとあらゆるものがわんさかあった。とうとう教会がありがたく思える年になってしまったということだ。(悲)シャワーで使う特別せっけんとは、よく医者ドラマで、医者が手術の前に手を洗うときに使うらしい液体らしいということがわかった。体に塗り付けるような感じである。。こんなことを毎日やって、それでばい菌がなくなるの。。何しか、着る服やらベッドカバーが汚いからなあ。。いつ洗濯したことやら。(笑)コロナ検査も、特に印象なし。もっと不快感があるかとびびっていたが、毎日鼻にクスリを入れるときに、面白がって、けっこう深くまで綿棒を突っ込んでたので、慣れてしまっていた。(笑)慣れといえば、手術の麻酔が背骨注射だと聞いて、これまたびびり倒して、みんなに言ってまわった。すると友達曰く、たかこさん、技術は進歩しているよ、30年前、飛び上がるような痛さだったけど、最近は、背骨に打つ前に、麻酔薬を塗るんだと思う。麻酔の注射がいつ打たれたのかぜんぜんわからんかったよ。別の友達曰く、たかこさん、アメリカは歯医者でも痛くならないようにするでしょ、体の手術となると絶対に痛くないようにしますよ、とか。そうかあ、アメリカの対症療法的発想にもいいことがありそう。。(笑)というわけで、もってうまれた足で歩くのもあと二日だけ。痛いけど、楽しまねば。。(笑悲)

2020/12/01(火) いよいよ心の準備。。。
きのうのお昼、無事に娘をシカゴのホテルまで送っていった。ループのど真ん中まで運転したのは9ケ月ぶり。。道を忘れてしまっていた。(笑)娘もだいぶ落ち着いてきて、けんかもせずに5日間をいっしょに過ごせたのは生まれて初めてのような気がする。向こうが大人になったのか、こちらが老いぼれて、怒る元気もなくなっているのか。。(笑)でも何も怒ることがなかったのも事実。力の移行はすでに始まっている。老いては子に従え、である。(笑)娘がいなくなったと思うと、電話がばんばんなり始めた。病院の看護婦さんたちからである。手術の準備、注意事項、歩行器の手配、フィジカルセラピーのスケジュールとり、シャワーの仕方。。ああ、大変。。明日から5日間特別のせっけんを使ったシャワーが始まる。結局、日に2回のシャワー、手術前日は3回である。ああああ、めんどくさ。(笑)今日は、アレルギーテストに行った。20年前、ここに来たころに全身麻酔の歯科手術をしたとき、あとで熱が出たのである。で、歯医者が、じゃあ、ペニシリンのアレルギーですね、と言った。それから20年間、医療機関にはいつもペニシリンのアレルギーです、と言い続けた。今回、手術をするにあたって、外科医が、もうだいぶ前のことだから、調べてみましょう、ということになった。1時から4時半までかかった。まずは、腕の4ケ所に、皮膚下の結構深くまで何やらドラッグを突っ込んだ。20分待った。確かに赤い斑点ができたけど、みんな同じ大きさで、病的なものは感じられず。二回目、3ケ所に皮膚直下ぐらいに何かを注射した。入れたときは痛かったけれど、また20分待っているうちに、消えてしまって、赤くもならず。3回目、2ケ所にまた違う角度で何かを入れた。これまた赤くもならず、そのうち消えた。次は、ペニシリンを飲んだ。甘ったるいドロリとしたものになっていて、注射器を口に入れて押し出すのである。飲んで30分待った。呼吸困難にもならず。(笑)もう1回飲まされて、今度は1時間待った。アレルギー反応ゼロ。。医者に見せるまでもなく、自分でもわかった。(笑)医者も看護婦さんも、たぶん最初の腕の反応でわかっていたと思う。あああ、余計なストレスをかけられた。。20年間、ペニシリンにアレルギーと思いこんでいただけだったのだ。あの歯医者、何者やねん。これやから、医者は嫌いや。。(怒笑)というわけで、アレルギーじゃないことがわかって、これは吉? 明日も医者、一日あけて、その次は病院でまた血液検査。。コロナ検査もするらしい。。あああああああ。。すべて吉と出ますように。。。(祈)


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