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2020/04/27(月)
とうとう(笑)
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今日やっと天気がよくなったので、るんるん気分で、貧困地区にごみ拾いに行った。とうとうジョブオファーがあった。メキシコ料理、ブリトのファーストフードの店の前を歩いていたときである。黒い大きなピックアップトラックからヒスパニックのおっちゃんがおりてきて、あんたは、あそこの駐車場を掃除して、お金をもらってるんか、と聞いた。うん、もらってないよ、くれる人がいるなら教えて、と言うと、そうか、誰も払ってないんか、とえらく納得したような感じで、じゃあ、明日からあんたがここに来て、掃除してくれたら、俺が払うよ、みたいなことを言ってくれた。笑いながら、ありがとう、と私は返した。行きたい時に行って、ごそごそやってるだけだからね、朝からごみ拾いに行けないよ。。(笑)ここに至って確信。要するにアメリカでは、町をきれいにするために人は喜んで掃除するというコンセプトが完全に欠落しているのである。掃除するのは、金のためのみ、なのである。ああ、情けないのお、あんたらは。日本人は、ちゃんと小学校のときから、自分たちが一日を過ごした教室を、一日の終わりに自分たちで掃除するというコンセプトをもっている。掃除は自分のため、みんなのため、なのである。ところがアメリカでは。。一度、アメリカ人の学生に、ここでも小学生に教室を掃除させたら、と言ったことがある。彼らは何て言ったか。小学生に掃除させるなんて、児童労働だ、と来た。あっほ。。労働bとは金が対価で与えられるもんだろ、それは教育なんだ。教育とは金のためではないんだよ、ばっか。。。そういうことだから、歩きながらキャンディ食べて、その包装紙を道に捨てても、何も感じない人間どもができあがってるんだよ。ふん、これがドアホが言う、アメリカグレートアゲイン、か。あっほ。。彼らにとってごみ拾いとは、私が職を探しているか、お金を探している、みたいな即物的なことしか考えられないのである。ああ、なんという貧しい人間性か。うんざりである。(怒悲)とは言いながら、今日は、むやみやたらと小銭が落ちているスポットがあって、結局ペニーを8枚、クオーターを1枚、ダイムを1枚、5セント(あれを何と呼ぶんだろ。。)を3枚も拾って、うしうし、と喜んでしまった。(笑)そうか、掃除をする、がお金にしか結びつかないんだったら、高速道路を下りた出口のところで、よく、お金がありません、という札をもって立っているホームレスたちに本気で言ってやりたいものだ。かれらの足元はごみだらけである。「おい、ごみ拾いしたらどうなんだよ、働けよ。甘えるな。」(笑)
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