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2020/04/07(火)
断捨離
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いよいよ日本語テレビで、好きなドラマも見られなくなり、庭に出られる季節になっても、足が悪いために思うように身体が動かせなくなって、庭掃除もむずかしくなってきた。こうなると、いよいよこの家も重荷以外のなにものでもなくなってきた。離れるときのために、と考えて、部屋の中のもの、庭で壊れている飾り物とかを捨て始めた。断捨離の本で有名になった人が何を書いたのか知らないけれど、私が捨てるものは、その物がもっている時代である。壊れていても、好きだったからと残していたものを思い切って捨てる。それは、もうその時代には絶対に戻れないからである。写真をいっぱい撮った古いカメラも捨てた。そういえば、このあいだ、デジタルカメラを使ったら、そんなカメラ久しぶりに見た、とか言われた。(笑)今は電話で写真をとる時代らしい。昔の人の写真も出てきた。この人たちが今、どこで何をしているのか知らぬ。知ったところで何になろう。その人たちもまた日々もくもくと一生懸命生きているだけだろう。石さんという、バークレーでお世話になった人が好きだった曲を奥さんが集めて作ったCDが出てきたので、聞いてみた。あの人が亡くなってもう何年になるだろう。確かここに移ってきたばかりのころに1度だけ遊びに来てくれたことがあったと思うから、少なくとも15年ぐらいか。東大出の人だったから、加藤登紀子の歌がいくつも入っていた。「ああ、もう恋だとか愛だとかむずかしいことは言わないで、私の子供になりなさい」という歌詞には涙が出てきた。男は、そういう女の大きい、優しい気持ちに甘えたいんだろうなあ。そういう女に巡り合えた男はいいなあ、じゃあ、女はどうなのよ。男の父性愛とはそういうものなのだろうか。わからん。縁のない人生を送った。(笑)今、思うのはただ一つ。この足2本で、いつまで自分で歩けるかわからないから、一人で死ぬ準備を始めること。天涯孤独の身である。誰かに車椅子を押してもらうためにお金を払わなければならないかもしれない。亡くなった母親がこぼしたことがあった。誰も私のことを心配してくれへん、と。お母ちゃん、お母ちゃんが強かったから、誰も心配せんでもよかったんと違うのん。そんな人生もええやん。人なんて、心配している顔の下で、何を考えているかわかったもんじゃないよ。めんどくさい、と嫌いながらも、表面だけはええ顔してるかもしれないし。そんな人に車椅子は押してもらおうとは思わないなあ。ほんとの意味で、自分を心配してくれたのは親だけだったと思う。親がいなくなった今、一人で、誰にも心配されることなく死ぬための準備を始めねばならぬ。断捨離。。もう物は何もいらんなあ。。前に見えるのは、あと何年間か、自分の足で歩けるかもしれぬ限られた時間だけ。自分の身体そのものが重荷になったとき、人は喜んで死ねるような気がする。永遠の断捨離ーその日までただ無心に足を動かそうと努力するしかないなあ。(悲)
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