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2020/05/10(日)
とうとう
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仏壇の前に椅子をおいた。これまではずっと、仏壇の前で正座をして、手をあわせてきたが、とうとう右足の痛みで、ゆっくりと正座ができなくなってしまったのだ。(悲)それで、そういえば、お寺さんでも、椅子がおいてあるよなあ、と思い出して、家でも椅子を使うことにした。配偶者が母方の祖母の家からもらってきたもので、少し壊れているのに、アンチークだからとこの30年間使わなかった物だ。美術館がひきとってくれそうな本物のアンチークでも美術館に寄付することになるでしょう、どのぐらい古い物か知らないけれど、ここに至ってはアンチークであろうがなかろうが、きれいに使いきって捨てればそれが一番の供養ではないのか、と、私が使い始めたわけである。仏壇の中に祭ってある魂も、椅子も、前で手を合わせている者ももうみんなアンチークである。(悲)アンチークだと大事にしたがるのは若い証拠。今やアンチークだからこそ、使い切る意味を考える。つまり、今を生きる意味、である。これも出口戦略の一つにほかならぬ。(笑悲)
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