〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2020/08/27(木) 世間様(笑)
このあいだ、日本からのコロナニュースを見ていて、ああ、長いこと忘れていたと感心した言葉がある。「世間様」である。(笑)コロナ感染者のクラスターが発生した学校に、「世間様に迷惑をかけた、謝れ」という電話がかかってくるんだって。笑ってしまった。どんな人間が電話するのか。1.暇やのう。2 お〜〜い、迷惑かけた、って何?つらい思いをしているのはかかった人であって、お前と違うやろ。エラそうなこと言うな。3 世間って何? お前みたいな島国根性人間がうじゃうじゃのとこか。くだらぬ。世間なんてくそくらえだ。。と考えるのが、アメリカが長くなった人間。。(笑)アメリカには世間なんてないんだから。あるのは、ただただ自分が自分を、社会を、世界をどう見るか、そしてそれらとどう関わっていくか自分の決意だけ。顔をみせず、ただエラそうなことを言いたがる、ビッグフィッシュインスモールポンドがでしゃばる余地なし。。(笑)それにしても、巷にあふれかえった「させていただく」「笑顔を届けたい」式の言葉はすべて、顔のない「世間様」に向けたものなんだろうなあ。ビッグフィッシュインスモールポンドにへつらわねばならぬ社会なんて、ああ、息苦し。。(笑)でも、自分が年をとってきたら、その息苦しさも感じなくなるような気がする。つい最近、知ってる学者が二人亡くなったニュースが流れていた。二人とも60代半ば、つまり私の年齢である。いよいよ同世代が消えていくことが自然に思えるような年になってしまった。(悲)「世間様」を連発したがる人も、案外人生の終わりを迎えているのかも。「世間様」を振り回し、他人を責め、無意味な説教をすることにしか自分の存在意味を見いだせない人、最後の生への執着。(悲)最後の最後まで、「世間様」をぶっとばし続けるエネルギーをもって生きていたいものだ。(笑悲)

2020/08/23(日) 別れ
パラリンピック関係のニュースで、いい言葉を聞いたので、書き留めておこう。「失ったものを数えるな。今あるものを最大限に使え」みたいな。別に、パラリンピックの選手のためだけの言葉ではない。今生きている人間すべてに言えることではないのか。失ったものを数えるな。そう考えると、悔やむものなど何一つなくなる。今自分に与えられているものを最大限に楽しむこと。。生きること、そのものではないか。また道向かいの家の人たちが引っ越していった。若い人たちだったが、フレンドリーな人たちだった。去年の今頃、ここに引っ越してきたとき、この家に挨拶に来てくれた唯一の人たち。それ以外の近所の人たちなんて、ここに20年住んでいてもお互い知らん顔。(笑)向こうも朝が早い人たちで、かれらが犬の散歩に出かけるとき、私は一人コーヒーを飲みながら、庭の世話をしていて、唯一「おはよう」を交わす人たちだった。たった1年だけの滞在で、カリフォルニアへ移っていった。奥さんのほうがいい大学に職が見つかったみたいで、ダンナのほうはこの1年無職だった様子。カリフォルニアならきっといい仕事が見つかるだろうが、今ねえ、カリフォルニアねえ、大規模な山火事だそうで。。そんな危険なところの住宅事情が、ここより4、5倍は高い、なんて信じられない。道向かいの家は26万ドルぐらいで売れたようだが、あの家がカリフォルニアへ行けば、100万ドルはするそうで。。ばかたらし。。(笑)イリノイで満足だあ。失ったものは数えるな。次に来る人も、お互い挨拶できるような、フレンドリーな人ならいいなあ。。フレンドリーじゃなかったら、どおってことないよ。ははは。。(笑)

2020/08/17(月) 雑感
やっと8月15日が過ぎた。これで来年6月まで戦争の話聞くことはなくなるだろう。それでいいのか。6月から8月中旬までやいのやいのと、戦争の記憶をどう次世代につないでいくのか課題になってます、と言うくせに、本気でとりくむ気はないのでは。。それを思ったのが、ドキュメンタリーを2本見てからである。1本目は、空襲被害者たちが国に補償を求めて裁判を起こし、今も支援を求めていることを知ったこと、もう一つはアウシュビッツでナチスの手助けをさせられて、同胞を殺し、死体処理をさせられたユダヤ人たちが、自分たちのしたこと、気持ちを書いてびんやら箱にいれて、アウシュビッツの敷地に埋めたものが掘り起こされて、明らかになった内容を知ったこと。最初の空襲被害者の件ーたとえばB29の焼夷弾で足を吹っ飛ばされた当時小学生だった女性が、今も国に補償を求めている。これに対して、日本人は普通に何と言うか。厚かましいババア、みんな大変な思いをしたんだ、お前だけ金の亡者みたいなことを言って、などなど。。ドイツやイタリアでは、民間人も軍人・軍属もみんな平等に補償されたとのこと。日本では。。。軍人恩給も、台湾や朝鮮半島出身で日本軍のために働いた人たちには出ないんだって。。で、A級戦犯の東条の遺族には、普通の兵士の10倍以上ぐらい出たらしい。何だ、これ。なんで東条の恩給が、国に駆り出されて殺された国民の10倍? あほ。というわけで、こういうことを知ると、腹が立って、やっぱり国なんて、ろくなことがない、とアナーキズムの気持ちがむくむくとわきわがってくる。で、思うのである、戦争の記憶を語りつぐとは、こういう怒りを語りつぎ、考えつづけるということなんだ、と。若い人にこういう問題を突き付けて、考えさせたらいい。空襲の補償を求めているこの女性の気持ちをどう考えますか、これが戦争を考えるということなんですよ、と。 博物館や美術館で、戦災の様子やら原爆の被害の写真を見つつづけることだけが、戦争を語りつぐことではない。考えようによっては、亡くなるほうが楽だったかもしれぬ。怒りとともに生き続けることがどんなに苦しいことか。戦争とはその苦しさを生きている限り強いるものなのだと。「戦争は悪い」とひとごとみたいに言い続けることではない。戦争が悪い、なんてみんな知ってることだ。それでも、人間は戦争をする。で、戦争をしたらどうなるか。。現代に生きる人間が自分のこととして考える問題設定をせねばならぬ。ただただ情報だけを手に入れ、覚えることが語りつぐことではない。そういえば、広島で会ったボランティアのおじいさんなんて、広島の惨状は地獄よりひどかった、と言ってのけた。あほ。あんたは地獄を見たことがあるのか。あのおじいさんは戦後生まれである。こういうボランティアは何の意味もなし。知ったようなことを言うな、といら立たせはしても、言葉は心に届かない。(怒笑)ドイツの研究者は、国と個人の関係を考えると、空襲被害者が補償を受けるのは当然だ、みたいに言っていた。民主主義とは、国と個人が相対峙するものという考え方に立つものである。こういう風に考えると、日本の民主主義はまだまだ、北朝鮮か中国より以上、ドイツ・イタリア未満というところか。アウシュビッツを見て、人間の執念なるものを考えた。かれらだって結局は殺されることを知っていた、それでも、何とかして生きたい、とガス室の手伝いをした。同時に、メッセージを地中に埋めた。人間の哀しさと美しさー戦争がつきつけるもの。「戦争は悪い」なんて、他人事みたいな、手垢のついた言葉なんか聞きたくない。おんなじように日本軍のために命をかけたのに、旧植民地出身の軍人や軍属には恩給は出ないーこのことをどう考えるか。それが戦争を考えることだ。私の母は、晩年まで、うどんを絶対にたべようとはしなかった。戦時中、粉をこねて、水をまぜて、けったいなまずいものばっかり食べていたから、うどんなんて食べたいとは思わなかった。その気持ちこそが戦争である。厖大な量の食品ロスが出ている時代に、戦争なんて本気で考えられるのだろうか。戦争といえば、戦闘シーンばっかり見せられるのは、命が理不尽に奪わられる、を訴えたいからか。命は大切なもの、がメッセージか。75年空襲を背負っていきてきた人々の気持ちが、「戦争だったんだ」「みんな大変な思いをした」で切り捨てられるのなら、なぜ同じことを、原爆被害者にも言わないのか。戦争だったんだよ、って。本土決戦のために、沖縄を犠牲にして、一億総玉砕をさけんで、戦場にも出て行かなかった軍人の恩給が、なんで戦場で怖い思いをして、殺されてしまった普通の国民の10倍なのか。その答えが出せないうちは、「戦争の記憶を語りつぐ人がすくなってきました」みたいなことは聞きたくないなあ、と思いながら、やっと8月15日がすぎてほっ。(笑)

2020/08/10(月) 戦争の月
8月は戦争の月である。広島・長崎の原爆投下に続いて、15日の敗戦の日まで、テレビでは戦争の話が続く。今朝は、偶然に、あの有名な「焼き場に立つ少年」の写真をおっかけたドキュメンタリーを見ることができた。写真をコンピュータで分析して、写真の場所を特定し、少年自身も放射能をあびているらしいこと。。写真をとったアメリカ兵は日記のようなものを残していたらしく、その言葉とともに番組は終わった。ナレーターは「この少年はこのあとどんな人生を歩んだのでしょうか」とセンチメンタルな言葉を投げかける。戦争孤児は戦争の悲惨さを教えているとか。そうだろうか。昨夜は、渡邉*ねおのインタビュー番組で、いかに戦後政治が作られていったかを見た。政治家の世界には興味がないが、一つ身にしみたのは、戦後政治を担った政治家たちにも国民にも、戦争経験が共通体験として、日本社会と人間の基盤をつくっていた、現代は何もない。これから日本は、日本人はどうなるのか、という問いかけだった。これは、ちょっと前に読んだ、日本人は死者を失ってしまった、という言葉とぴったりと合致する。戦争を、ただただセンチメンタルだけで語っていていいのか、という気持ちが常にある。原爆だって同じだ。原爆を落とされるまで、日本人は戦争をやめようとしなかった、やめるどころか、本土決戦、一億玉砕を叫ぶ指導者たちがいたのである。戦前の指導者にとって、国民の命なんてなんの意味もなかったのである。本土決戦やって、国民みんな殺して、どうやってそのあと国づくりするつもりだったのか、とほんとに腹立たしく思う。アメリカが、自国民をこれ以上死なせないために、早く戦争を終わらせるために、原爆を落としたなら、そっちのほうがよっぽど理にかなっているではないか。なんで落とされたのか、を考えることなしに、ただただ原爆は悲惨だった、ばっかり聞かされるのにはいい加減うんざりするのである。ぞっとするほど悲惨なのはようくわかった、でもこれからは、そこからもう一歩踏み込むべきなのではないのか。核兵器禁止条約を批准できない国に何ができる。。センチメンタルばっかり追っかけていたら、結局、戦前日本に逆戻りなのではないのか。生きて、虜囚のはずかしめを受けるな、とえらそうに国民に言い、沖縄の集団自決やらサイパンかどこか南洋の万歳クリフとか、そうやって国民を平然と殺しておきながら、自分は自殺に失敗して、MPにとり押さえられている東条の写真から、日本人は歴史を学びなおすべきなのである。なんで、こんな気の狂った人間が一国の長となるような機会が与えられたのか、を日本人は、原爆の悲惨さを教えられてきたのを同じだけの量と頻度で、学ぶべきなのである。「耐えがたきを耐え」の天皇なんて、ひどいもんだ。責任をとって退位する勇気もなく、のうのうと、それから40年も天皇の地位にとどまり続けた。自ら退位した平成の天皇は、父親の尻ぬぐいをしおえて、地位をしりぞいたのだと思う。で、今の天皇には何がある? それを渡邉*ねおは問うたのだと思う。同感。今日は、市から電話がかかってきて、トルネードが発生する恐れあり、地下室に逃げろ、と言ってきた。見ていたテレビも、突然画面がとまり、警告がでた。窓の外を見る。庭の大きな木が右に左に大きく揺れている。空はまっくら。。町のトルネード警報が鳴っている。訓練以外で実際に鳴るのは、この20年のあいだで初めてかもしれぬ。トルネードは来るのか。窓から空をみあげながら感じたその不安に、空襲警報が鳴って、防空壕に飛び込んだ親たちの不安を想像した。トルネードか、空からB29がどんどんどんと落とした大量の焼夷弾か。自分の命と状況の危うさとのアンバランスー戦争は悪いだって。そんなセンチメンタルなバカげたことを口にしている暇ないよ。原爆も戦争も、生き延びた人間たちが生きていくためにした苦労を考えると。。。センチメンタルなことばっかり言ってうっとりするだけなら、思い切って核兵器を作り、所有して、世界に堂々と乗り出していけ。。それが原爆と戦争で亡くなった数百万の死者たちへの供養だ、といえば、怒られるかなあ??と頭をかしげる8月。。(笑)

2020/08/08(土) ドラマ想
このごろ、外に出ず、人に会わず、人としゃべらずの毎日だから、人間模様は、日本のテレビドラマだけを通じて知る日々である。で、このあいだ警察ドラマを見て、ああ、女でよかったと思った。(笑)犯人の男は、小さいときから父親に誤解された上で怒鳴られる経験を重ねた。父親に憎しみに近い気持ちを抱いていた。で、おんなじことを勤め先の上司にもやられて、昔の記憶とともに、その上司を殺してしまう、という筋書きである。で、殺したあと、その勢いで、実家に戻って、父親も殺してしまおうと思ったが、父親はすでに他界、実家は空き家になってしまっていた。そのとき、その犯人が言うのである、一度も謝ってくれなかった、謝りもせずに死んでしまいやがって。。みたいに。へえ、とびっくりした。男の衝動とはこういうものなら、私は女でよかった、というわけである。(笑)というのも、私の親も絶対に謝らなかった。誤解とわかっても、謝らなかった。母親なんか、私の指輪を目の前で壊しても、謝らなかった。あ、こわれた〜〜とそれだけだった。めちゃ腹が立ったが、私は何も言わなかった。親とは理不尽なもの、と私は身体に刻みつけて成長した。おかげで、反体制・反権力の今の私がいる。(笑)たぶん、こういう感覚は、私が最後の世代なんだろうなあ、と思いつつ、いやいや、ドラマになるぐらいだから、やっぱりまだいるんだろう、と考えて、あれ、もしかして私が殺される親の世代なんだあ、と気づいた。(笑)そうでしょ、今のテレビに出てくる若い親たちは、子供のいい”お友達”みたいで、。。。ちゃん、だよねえ、みたいな言葉遣いで、気もち悪い、気もち悪い。。(笑)あの裏返しが静かに進行する虐待。。。いつの時代も、すべては家庭から、である。家庭が人生を決めるといってもいいぐらいである。親と子ー哀しいよねえ。。やっとこのごろ、小説もテレビドラマも、人間を描くものなんだ、と理解できるようになった。退職生活は小説に挑戦?(笑)誰にでも、私小説はかならず1本は書けるでしょう。誤解された、謝ってくれなかったで、人を殺してたら、私は親やら教師やら、そりゃもう何人も殺さなあかんなあ。。鬼女の私小説?(笑)

2020/08/04(火) 雑感
あっというまに8月になって、はや4日目である。3月中旬からもう5ケ月近く、近所のスーパーと道のごみ拾い以外、どこにもいかず家にこもっているなんて信じられない。ほんとにおかしな年だ。。(悲)テレビをつければ、日本語ニュースはコロナと水害と熱中症と。。いい話は何もない。(悲)コンピュータをつければ、ニュースの最初に飛び込んでくるのはほとんどいつもカスの顔で、げっ。。朝から何と気分の悪いことか。きのうだったか、郵便配達を遅らせて、郵便投票の結果がなかなか出ないようにして、出たところで不正と糾弾して、自分がホワイトハウスに居残れるようにする、郵便省のトップに、自分にいつも多額の寄付をしてくれる人間を据えつけて。。みたいな話を読むと、もう怒る元気すらなくなった。この国の民度の低さにはもううんざり。そういえば、テレビでも、ミシガンだかでカスのために運動している白のおばはんが、にこにこ笑いながら、We love himと力をこめて言ったのには吐き気がした。あんたらなあ、テレビで好きな俳優、選ぶのと違うねんで。だけど、そのレベルなのである、結局は。カスが政治経済外交で何をしたかといった国政の成果を問うレベルではない。好きな俳優のおっかけレベルである。確かにレーガンも俳優だったが、彼はハリウッド時代から俳優組合の組合長をしていた。政治的傾向、手腕はもっていた。カスは。。。なあんにもなし。自分の思いつきをしゃあしゃあしゃべって、相手の反応を見て喜んでいるだけ。。前回の自らの発言と矛盾しようと、何も考えない、感じない。思想、哲学、Integrity,人間にとって一番大事なものはすべて欠落している。 人を笑わせてなんぼの、テレビのコメディアンのショーのレベルである。で、そういう人間を大統領職に選ぼうとする。選ぶ人間も底なしのアホである。そんな民度の低さ。。もううんざり。。ほんまにアメリカ人なんてたいしたことないのう。世界を知らず、それでも自分たちが世界一と思ってる小さな人間ども。。もううんざりだ。。(怒)コロナで家にこもっていていいこと1つ。。家の片づけが進むこと。(笑)机の回りもだいぶかたづいてきた。人生の片づけに向かって、気持ちも落ち着いてきた。足の様子をじっくり観察して、「筋肉は愚直」という自分なりの表現も見つけた。「筋肉は裏切らない」を連発するテレビに出てくる体操の先生に言いたい。。「筋肉は裏切らない」では、普通のアマチュアは、ああ、じゃあ、こっちが一生懸命したら、きっとそれに応じてくれるに違いない、と思って、運動をやりすぎるのである。で、裏切らないどころか、体は壊れてしまう。「裏切らない」ではなく、愚直だ、と知ると、やりすぎるようなことはしなくなると思う。何しか愚直なんだから。おんなじ結果を出すのに、すっこいことをするように言っても、愚直ではできないのである。何でできないの、と怒っても、相手は混乱するだけ。それよりも、愚直な筋肉にもわかるように、ゆっくり、おんなじことを毎日続けてやれば、愚直だからこそ、誠実に、正直に、裏切ることなく、応えようとするわけである。やっぱり相手を見なきゃ。。。(笑)というわけで、毎日、愚直な筋肉と向き合えるのもコロナのおかげ?(笑)早く元通りの生活に戻りたいというよりは、家にこもる生活が気に入ってきた。(笑)でも、はやく神戸には戻りたい。いつごろ帰れるのだろうか、11月4日の飛行機に乗れる???(笑)


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