〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2020/08/17(月) 雑感
やっと8月15日が過ぎた。これで来年6月まで戦争の話聞くことはなくなるだろう。それでいいのか。6月から8月中旬までやいのやいのと、戦争の記憶をどう次世代につないでいくのか課題になってます、と言うくせに、本気でとりくむ気はないのでは。。それを思ったのが、ドキュメンタリーを2本見てからである。1本目は、空襲被害者たちが国に補償を求めて裁判を起こし、今も支援を求めていることを知ったこと、もう一つはアウシュビッツでナチスの手助けをさせられて、同胞を殺し、死体処理をさせられたユダヤ人たちが、自分たちのしたこと、気持ちを書いてびんやら箱にいれて、アウシュビッツの敷地に埋めたものが掘り起こされて、明らかになった内容を知ったこと。最初の空襲被害者の件ーたとえばB29の焼夷弾で足を吹っ飛ばされた当時小学生だった女性が、今も国に補償を求めている。これに対して、日本人は普通に何と言うか。厚かましいババア、みんな大変な思いをしたんだ、お前だけ金の亡者みたいなことを言って、などなど。。ドイツやイタリアでは、民間人も軍人・軍属もみんな平等に補償されたとのこと。日本では。。。軍人恩給も、台湾や朝鮮半島出身で日本軍のために働いた人たちには出ないんだって。。で、A級戦犯の東条の遺族には、普通の兵士の10倍以上ぐらい出たらしい。何だ、これ。なんで東条の恩給が、国に駆り出されて殺された国民の10倍? あほ。というわけで、こういうことを知ると、腹が立って、やっぱり国なんて、ろくなことがない、とアナーキズムの気持ちがむくむくとわきわがってくる。で、思うのである、戦争の記憶を語りつぐとは、こういう怒りを語りつぎ、考えつづけるということなんだ、と。若い人にこういう問題を突き付けて、考えさせたらいい。空襲の補償を求めているこの女性の気持ちをどう考えますか、これが戦争を考えるということなんですよ、と。 博物館や美術館で、戦災の様子やら原爆の被害の写真を見つつづけることだけが、戦争を語りつぐことではない。考えようによっては、亡くなるほうが楽だったかもしれぬ。怒りとともに生き続けることがどんなに苦しいことか。戦争とはその苦しさを生きている限り強いるものなのだと。「戦争は悪い」とひとごとみたいに言い続けることではない。戦争が悪い、なんてみんな知ってることだ。それでも、人間は戦争をする。で、戦争をしたらどうなるか。。現代に生きる人間が自分のこととして考える問題設定をせねばならぬ。ただただ情報だけを手に入れ、覚えることが語りつぐことではない。そういえば、広島で会ったボランティアのおじいさんなんて、広島の惨状は地獄よりひどかった、と言ってのけた。あほ。あんたは地獄を見たことがあるのか。あのおじいさんは戦後生まれである。こういうボランティアは何の意味もなし。知ったようなことを言うな、といら立たせはしても、言葉は心に届かない。(怒笑)ドイツの研究者は、国と個人の関係を考えると、空襲被害者が補償を受けるのは当然だ、みたいに言っていた。民主主義とは、国と個人が相対峙するものという考え方に立つものである。こういう風に考えると、日本の民主主義はまだまだ、北朝鮮か中国より以上、ドイツ・イタリア未満というところか。アウシュビッツを見て、人間の執念なるものを考えた。かれらだって結局は殺されることを知っていた、それでも、何とかして生きたい、とガス室の手伝いをした。同時に、メッセージを地中に埋めた。人間の哀しさと美しさー戦争がつきつけるもの。「戦争は悪い」なんて、他人事みたいな、手垢のついた言葉なんか聞きたくない。おんなじように日本軍のために命をかけたのに、旧植民地出身の軍人や軍属には恩給は出ないーこのことをどう考えるか。それが戦争を考えることだ。私の母は、晩年まで、うどんを絶対にたべようとはしなかった。戦時中、粉をこねて、水をまぜて、けったいなまずいものばっかり食べていたから、うどんなんて食べたいとは思わなかった。その気持ちこそが戦争である。厖大な量の食品ロスが出ている時代に、戦争なんて本気で考えられるのだろうか。戦争といえば、戦闘シーンばっかり見せられるのは、命が理不尽に奪わられる、を訴えたいからか。命は大切なもの、がメッセージか。75年空襲を背負っていきてきた人々の気持ちが、「戦争だったんだ」「みんな大変な思いをした」で切り捨てられるのなら、なぜ同じことを、原爆被害者にも言わないのか。戦争だったんだよ、って。本土決戦のために、沖縄を犠牲にして、一億総玉砕をさけんで、戦場にも出て行かなかった軍人の恩給が、なんで戦場で怖い思いをして、殺されてしまった普通の国民の10倍なのか。その答えが出せないうちは、「戦争の記憶を語りつぐ人がすくなってきました」みたいなことは聞きたくないなあ、と思いながら、やっと8月15日がすぎてほっ。(笑)


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