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2007/12/20(木) 勇気の月命日..
あの日から、1ヶ月も経ってしまった..私の心の傷も癒えぬまま、時間だけがあっ言う間に過ぎて行った

元気の月命日が終わったと思ったら、勇気の月命日が来る..私が生きてる限り、これが繰り返される。
元気を失ってしまった心の傷を、勇気が癒してくれた..やっと、元気との日々を思い出に変えてくれた。
やんちゃで悪戯っ子だった勇気..そして超甘えん坊だった勇気..そんな勇気が、私を変えてくれた..

2007/12/16(日) 十五回目の月命日..
2時15分..空は見上げずに、祭壇でお線香をあげた..元気を想って、久し振りに涙が溢れて来た..

勇気がいなくなってから、初めての月命日..いつも祭壇の前に座ってた写真を撮っていた勇気がいない
ベビーの頃から、祭壇の前にちょこんと座っていた..その姿が見えない..元気、勇気はそこにいるの?

2007/12/12(水) 全然眠れない..
最近、布団を被っても全然眠れない..眠ろうと目を閉じると、勇気との日々が頭に浮かんで来てしまう

特に、集中点滴を始める前の元気な勇気と、集中点滴を始めてからの、憔悴しきった勇気の姿が浮かぶ
私の頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消え..私の最大の後悔..集中点滴なんかしなきゃ良かった。
勇気に残された僅かな時間を一緒に過ごしてあげなかった..どんなに寂しい思いをしていたのだろう。
自分だけ、病院に取り残されて、狭いケージの中で身動きも出来ずに、私が迎えに行くのをじっと待っていた
オシッコもウンチも出来ず、お水さえ飲ませて貰えなかった..精神的なダメージと体力的なダメージ..
お水をたくさん飲んで、オシッコを出す..その循環が出来なかった..毒素が体内に溜まってしまった。
一日中、横になったままの体..血流も悪くなれば気の流れも滞ってしまう..悪循環の繰り返しだった..
最初に主治医と相談すれば良かった..短い時間しか残っていないのなら、一緒の時間を過ごしたいと..
例え、何日か前に逝ってしまっても、この事に対しての後悔はなかった..私は、やっぱり駄目な人間だ。

2007/12/07(金) さ.く.ら
毎日、抜けるような青空..毎朝、お日様が眩しい..こんなに天気が良いのに、外に出る気分になれない。

勇気が生きていたら、毎日お散歩へ行ってただろうな..長い会談を駆け下りて、ももちゃんの所へ〜
あの日、長い階段を転げるように下りて、まっしぐらにももちゃんのがいる珈琲ショップへ走って行った
ドアの前で、「早く開けてよ〜」って..珈琲ショップのドアは固く閉じられていた..配達中で不在
いつまでも、いつまでも、ドアの前に佇んでいた..ももちゃんに会いたかったろうな..心残りだよね
会わせたかった..もう一度、連れて行ってあげれば良かった..あの後、雨が続いて行けなかった
勇気も私も、心残りが一杯..命が短いと分かっていたのに、やり残した事が一杯..大事に出来なかった。

さ く ら..この曲を、初めて聴いた時は、元気を想って泣いた..今は、勇気を想って泣いている。
勇気は、あの時の私の涙をどう想ったのだろう..私の心が自分に向けられてないと感じたのだろうか..
寂しかっただろうな..勇気の写真の瞳は、どこか寂しそうだ..生きてる時は、全く感じなかった。
今、改めて見ると、パピーの瞳ではない..自分の命の短さを知っているような、寂しげな表情をしている
いつからだろう..妙にお利口さんになってしまった..聞き分けが良すぎた..やっぱり知っていたんだ

2007/12/05(水) 浮上出来ず..
最近、起きるのが遅くなった..起きても、何にもする事がない..生きる張り合いをなくしてしまった..

仕事から帰って来た彼が、まだ起きられずにいる私に、作ったばかりのコーヒーを運んで来てくれた..
そのコーヒーを黙って受け取り、布団の中で飲み始めた..彼は、彼なりの優しさで私に接してくれる..
元気を介護している時から、死んでしまった後も、私は満足に買い物へ行ってない..彼に甘えたまま。
仕事明けの寝不足の体を引きずって、買い物や支払い等をしてくれていた..もうそろそろ解放しなくちゃ
そう思っていた矢先、勇気の病気が発覚..勇気の面倒を見られないから、買い物へはボクが行くからと
季節が過ごしやすくなって来た頃..病院の帰りに勇気を車の中に置いて、買い物に行けるようになった
これで、彼の負担も少しは減るだろう..それも束の間の事だった..私は再び、引きこもりおばさん..

24日に、東松山のカフェに行った切り、ゴミ捨て以外は外に出ていない..足腰もだいぶ弱くなって来た。
この二年間..私の人生って何だったんだろう..介護や看護に明け暮れ、待っていたのは悲しみの時間
どうして、私ばかりこんな目に遭わなきゃいけないんだろう..そして、人を羨む卑屈な心が芽生えている
あ〜.............もう嫌だ......こんな人生なら、ない方がマシだ....いらないや..

人の訪れも途絶えた..ブログの訪問者も減った..勇気が懸命に生きていた事も忘れ去られてしまう
時は流れ、時は過ぎて行く..小さな命がお空へ逝ってしまった事も、人々の心から消え去ってしまう..
仕方がない事だけれど..元気の時も、同じ思いだった..この世に生きていた事を、忘れないでと願う。


 「まだ元気だった頃、カフェミントさんでの勇気..累ままさんが写してくれたベストショット..可愛いね」

2007/12/02(日) 誕生日が終わって..
勇気の生きる目標にしていた、1歳の誕生日が終わった..後、10日で迎えられた誕生日..悔しい..

気が抜けてしまった..私の生きる目標も張り合いも、なくなってしまった..何もする気が起きない..
常に、私の傍を離れなかった勇気..お風呂もトイレも、私が出て来るまで、ドアの前で待っていた..
ドアを開けて出て行くと、「ママ〜ボク寂しかったよ〜」..尻尾とお尻をフリフリしながら大歓迎していた
階下へのゴミ捨てまで、ルンルンしながらついて来た..10ヶ月間、お留守番などした事もなかった..
お留守番の躾をと思った矢先に、病気が発覚..この仔を置いて何処へも行けない..躾は断念した。
それでも、涼しくなってから、車で待たせる事を覚えさせた..「ちょっと待っててね、直ぐ戻るから..」
そう言って待たせると、ケージの中でお行儀良くお座りをして待っていた..少しの文句も言わなかった。

勇気は、異常に物覚えが早かった..オシッコもお座りも待ても、我が家に来た直後から出来ていた。
ちょうだいも、直ぐに覚えた..ボール投げも、待てをかけゴーサインを出すと飛んで行き持って来た..
アイコンタクトもベビーの頃から出来ていた..言葉の理解力に優れ、私達の言う事はほとんど理解した
運動能力にも優れていて、初めて行ったアジェのポールも1度で跳び、トンネルも躊躇なく潜り抜けた..
初めて行った川で、スイスイと泳ぎ始めた..垂直跳び、横っ飛び、横移動等々..たいしたもんだった。
階段の昇降は、ベビーの頃から出来た..初めてつけたリードにも、全く抵抗せず自分から歩き始めた。
不思議な仔だった..時間をかけて覚える事を、2、3度教えれば覚えてしまった..お利口な仔だった。
短い犬生を駆け抜けて行く為に、備わっていた事だったのだろうか..勇気のような仔には二度と会えぬ


   「ブログにも掲載している写真だけど、大きくして見たかった..ケーキ食べてみたかったろうな..」


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