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2008/11/16 二十六回目の月命日
2008/10/16 二十五回目の月命日..
2008/09/16 三回忌..
2008/08/16 二十三回目の月命日
2008/07/24 誕生日♪

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2007/02/28(水) 成長..
今日も快晴..午後になって、風が強くなって来た..18時になっても暗くならない..時は進んでいる。

今日で、勇気が3ヶ月になった..我が家に来て2ヶ月余り..ずっと以前から一緒にいるような気がする。
行動も、動作も、顔も、元気に似て来たような気がする..元気が大好きだった事が、同じように大好き
生後36日で我が家に来たので、家庭内で暮らして行くのに必要な基本的な事は、ほとんど覚えてくれた
元気を我が家へ迎えたのは、4ヶ月の時だった..ある程度、出来上がっていたので、躾が難しかった..
オシッコも中々覚えてくれず、粗相ばかりしていたが、我が家に来た途端、お留守番生活だったからだろう
勇気と違うのは、4ヶ月から寂しい思いをしていた事..勇気を見ていて、元気の寂しさが伝わって来る。

昨日、ルークママさんに付き添って行った病院の待合室に、介護が必要な大きなワンコが寝そべっていた
後ろ足に靴を履かせていた..その後ろ足は、膝が曲がらずに真っ直ぐ伸びていた..あ〜元気と同じだ
飼い主さんとお話しする事が出来た..私と同じように、信頼して通っていた主治医の誤診だったそうだ
小さい時から、月に2度も通っていたのに..具合が悪くなっても、詳しい検査も治療もしてくれなかったと
そして、オシッコが出なくなったので、この病院に駆け込んだが、既に腎臓が悪くなっていて手遅れだったと
どこの病院だったのかと尋ねたら、○が丘の方にある病院だと..私は、四つ葉にある病院だと答えた..
どこにでも、元気の主治医と同じような医者はいるものだ..医者である前に、人間としての心が欲しい

小さな命を救おうと志した獣医..それなのに患者が集まったら、命を救う事より利益の追求を始めた。
元気の主治医も、開業当時はとても熱心だった..真夜中でも、電話1本で往診に駆けつけてくれた。
それなのに、数年後には「夜は、お酒を飲んでしまっているので、電話されても治療は出来ないですよ」
そう言って、笑っていた..治療が出来ないって..それじゃ、入院患者に何かあったらどうするのだろう。
その時に気がつけば良かった..この獣医に、開業当時の熱心さは無いんだと..託す相手を間違えた

ペットロスのお坊さんのサイト「たとえ、どんな医者でも憎んではいけません..愛する者が悲しむだけです」


     「元気4ヶ月の頃..まだ、毛もツンツルテンだった..やっぱり、元気と勇気は似ている」

2007/02/27(火) 不可思議..
毎日々、寝るのが真夜中なので、時々起きられなくなる..どうも、熟睡出来てないような気がする..

元気を介護していた頃も、熟睡出来なかった..真夜中に元気を抱いて、何度も何度もベランダへ..
ベランダへ行っても、すぐにはオシッコが出なかった..自力で立てなくて、へたり込んだり、転んだり..
真夜中のベランダで、格闘していた..あれは、真夏だったから出来たのだろう..真冬じゃなくて良かった。
ベランダに出ると、不自由な足で頑張っていた姿が浮かんで来る..そして、私の怒号も聞こえて来る。
どうして、あんなに頑張っていた元気を、怒ってしまったのだろう..元気のすまなそうな顔が浮かんで来る
今、そのベランダでオシッコをしているのは勇気..その姿に、元気だった頃の元気の姿を重ねてしまう..

昨日、ショップの店長さんが選んでくれた、勇気の首輪とリードが届いた..偶然、元気と同じストライプ柄
ショップには、いつもメールで注文する..その時、勇気の首輪&リードを選んで欲しいとお願いをした..
選んでくれたメーカーの首輪&リードを、ショップのHPで確認してみた..それを見て、びっくりしてしまった。
メーカーは全く違うが、元気が最後に使っていた胴輪&リードと同じストライプ柄..何と言う偶然だろうか
ショップの店長さんにその事を伝えたら、びっくりしていた..そして、「元気君が選んでくれたんですね」..
そうとしか思えない..何十種類もあるリード&首輪..その中から、偶然選んだのではなく必然だった?
写真↑が、元気が最後に使っていたポンポリースのリード..写真↓が勇気がこれから使う首輪&リード

ショップの支払額の端数が123円..お給料の残りの端数が123円..就寝前のお墓の訪問者が123人
奇妙な数字の一致に、思わず笑ってしまった..元気が死んでから、不可思議な事がたくさん起きている
写真もその一つ..元気と良く行った綺麗な池で撮った写真に、鮮明な骸骨と犬の顔が二匹写っていた
部屋の中で撮った写真..同じ場所で撮ったにも拘わらず、赤い光が入ったり、半分赤黒く写ったり..
そんな時は、祭壇に向かい元気に問うてみる..「何が言いたいの?何をして欲しいの?教えて元気」

未だに心の隙間は埋まらない..勇気と楽しい時間を過ごしていても、元気の面影を追い続ける私..


 「去年の2月27日 まだ自力でオシッコをしていた」     「元気とお揃いの、勇気の首輪&リード」

2007/02/26(月) 命日..
今日は、母の3回目の命日..今の状況では、お墓参りに行けないので、ささやかなお花をお供えした。

4年前の4月、父が胃ガンで亡くなり、その10ヶ月後に、父の後を追うように、母が亡くなってしまった..
プライドが高かった母..父が亡くなっても、気丈に振る舞っていた..うるさい父がいなくなって清々したと
でも、本当の気持ちは違っていた..遺品の中から出て来た、父母が若かった頃のラブレターや日記等
切々とした思いがしたためられていた..私達が赤面するほどの内容だった..でも、確かに愛があった。
ラブレターを読んでいて、父は母を愛し、母は父を愛し、私達兄弟は、愛されて生まれて来たんだ..
そう実感する事が出来た..それにしても、あの当時の恋愛にしては、相当に情熱的な父と母だった..

父の病気が分かった夏..最後の家族の集まりを持とうと、弟は新潟から、私は大洗から船で集合した
父は、病気のせいで性格が歪んでしまっていたので、扱いが厄介になっていた..母も父に苦労していた
その夏が、最後の一家集合になってしまった..そして翌年の夏..父の新盆の為、また船で集合した。
母は、本来のお嬢様育ちが出てしまい、我がままを言いたい放題..これまた扱いが厄介になっていた。

そして秋になり、私の飛行機での介護帰省が始まった..酷い時には、夏物と冬物を入れ替えに来て〜
「そんな事の為に飛行機で行くの?ヘルパーさんにやって貰ったら」と言うと、「他人には触られたくない」
仕事を休んで、彼と元気にお留守番をさせて、介護帰省パスまで作って、何度飛行機で通っただろうか
そして、元気な顔を見たのは、初冬のある日が最後だった..玄関まで見送ってくれた顔が寂しそうだった
その時、もう二度と会えない気がして、帰りの飛行機の中で初めて泣いた..旭川の夜景が綺麗だった
3年前の今日..旭川は、交通が麻痺するほどの大雪だった..母の死に顔と共に忘れない日となった。

父も母も亡くなり、北陸に住む長男とは絶縁状態、次男は旭川の身障者養護施設に入所している..
父と母の死をきっかけに、バラバラになってしまった兄弟..いつの日か、心が繋がる時が来るのだろうか
旭川の実家は、もう3年も空き家のまま、残された荷物も手つかずのまま..今は警備会社に任せっきり
今頃は、雪の中でひっそり立っているんだろうなぁ..それにしても、あの家はどうするつもりなんだろう?

この4年間で、父と母の死..そして、元気の死..大切な者達が次から次へと天国へ逝ってしまった..


     「母にお供えしたささやかなアレンジ..2003年、大洗から乗った商船三井のフェリー」

2007/02/25(日) 何だか..
昨夜は、久し振りに元気☆と話が出来た..「最近、ゆっくり話せなくてごめんね..暴れん坊が..ね」

今の私は、気持ちの浮き沈みが激しい..彼が帰って来て、大はしゃぎしている勇気を見ていて笑ったり
そんな勇気を見ていて、元気が元気だった頃を思い出して、泣きそうになったり..心の整理がつかない
勇気は、顔も行動も元気に似て来た..それが嬉しくもあり、悲しくもあり、辛くもあり..とても複雑..
元気の匂いが染みついている物が気になるらしく、片っ端から匂い付けを始めた..元気の匂いが消える
死んでしまった命より、生きている命を優先しなくてはいけないのは分かっているが、心は割り切れない。

勇気が、元気のソファーを必死でほじくっていた..その場所を確認したら、元気の被毛が沢山出て来た
あ..こんな所にも、被毛がたまっていたんだ..その場所にある全ての被毛を拾って、大切に保管した。
勇気は、その被毛の匂いを嗅いで欲しがっていた..やっぱり、匂いを嗅ぎつけて、ほじくっていたんだ..
まだ、勇気には元気の物を犯されたくない..だから、元気の被毛が付いてる物は、大事にしまってある
毛布、ブランケット、洋服等々..いつの日か、気持ちの整理がついたら、勇気の為に使ってあげよう..

元気と共に過ごした11年..私の辛かった時期を、一緒に過ごして来た..だから、尚更忘れられない。


 「去年の2月25日 鍼の翌日は調子が良かった」       「元気の縄張りに咲く満開の白梅」

2007/02/24(土) また..
昨夜から、凄い風が吹いている..お天気が良いので布団を干したが、飛ばされそうなほど強い風だ..

今朝は、目が覚めた途端、ある場所の風景が浮かんだ..そして、怒った顔の元気がその場所にいた。
そこは大学病院の待合室..検査を終えて麻酔から覚めた元気が、カートの上から私を睨みつけていた
やっぱり、怒っているんだ..今までにも、何度か同じ事があった..この事が、一日中頭から離れない..
「せっかく、車から大きな音を出して、行っちゃ駄目って知らせたのに..ちっとも気づいてくれなかった..」
そう言われてるような気がする..私の最大の後悔..元気に残されていた僅かな自由を奪ってしまった
そして、腫れていた左後ろ足に針を刺した事で、元気なりに保たれていた体のバランスを崩してしまった。
リンパ管を刺激して癌細胞が全身に回ってしまった..私が、余計な事をして元気の命を縮めてしまった
後悔しても..後悔しても..後悔しても..後悔しても..後悔しても、私の前に元気は戻って来ない

勇気を抱いて、ルークママさん、ルーク君とお散歩へ〜ルーク君は、遊歩道と反対の道へ歩き始めた..
一緒にお散歩をするようになって、こんな事は初めてだった..その道は、元気のかつての散歩道だった
元気がマーキングしていた場所に、ルーク君がマーキングをしていた..何だか妙な気持ちに襲われた..
念入りにしていた場所には、同じように念入りに、まるでそこに元気がいるような気がしてならなかった..
懐かしい景色が、私の前に広がっていた..ここで草を食べたていた..ここで嫌いな犬をやり過ごした..
ここでオシッコをしていた..大きなツツジの前で、毎年写真を撮った..色んな思い出が蘇って来た..

長い階段を降りて大通りへ..この道沿いに、珈琲ショップと煙草の販売機がある..何故こんな所へ、
私を連れて来たのだろう..初夏のあの日に行った切り、元気が死んでからも、一度も来た事がなかった
元気に促されたのだろうか..「ルーク君、ママと勇気をあの場所へ連れて行ってあげてね..もういいよ」
そんな事を言ったのかな..決して足を踏み入れなかった場所へ行っても、不思議と涙は出なかった..
元気は、不思議なワンコ..私を立ち直らせる為に、色んな事をしてくれる..死んでなお、私を想う?

ハピラブママさんから、迷子札を頂いた..元気の迷子札は、天国から我が家まで迷子にならない為。


   「去年の2月24日 鍼治療を受けてうっとり」        「ハピラブママさんから頂いた迷子札」

2007/02/23(金) ぐうたら..
微かに、雨音が聞こえていた..そして、人のいる気配が..私が起きるより先に、彼が帰っていた..

勇気もまだ寝息を立てていた..「パパだよ〜パパが帰って来てるよ」..その声で、慌てて飛び起きた。
ぐうたら飼い主と、ぐうたらワンコ..これで良いのか?..元気は、パパが帰って来ると真っ先に起きていた
パパが帰って来ると、勇気も元気と同じ..手荒なただいまの挨拶を受けて、全身で喜びを表している
元気はパパが大好きだった..勇気も、パパが大好き..元気は、パパを尊敬してるような気がしていた。
毎日、一緒にいる私は、何だか馬鹿にされているような気がする..怖そうだけど、本当は甘いから?

去年の今日..スキー旅行から帰った翌日..元気の回復力は、今までで一番早かった..病気なの?
そう思える程の、素晴らしい回復力だった..午前中眠っただけで、午後にはすっかり元気になっていた
どこから、そんな力が湧いて来たんだろう..本人が、生きたいと願えば、自然に免疫力もアップする..
この頃、医者から処方されていたのは消炎剤のみ..西洋医学に、見切りをつけ始めていた時期だった
抗ガン作用のあるハーブパウダー、抗ガン作用のある野菜、コンドロイチンやQ10等のサプリを与えていた
これが、元気の体の免疫力を高める手助けをして、生きて行く為の体を作っていた..命の源だった..
食欲旺盛で、目もキラキラと輝いていた..左後ろ足さえ何でもなければ、病気だなんて思えなかった。

勇気との日常..元気と過ごしていた静かな日々が懐かしい..育児疲れが出て来たのかもしれない。


 「携帯のメモリーに残っている写真..チロルへ向かう車中..チロルのリビング..チロルの正面玄関前」

2007/02/22(木) 思い出4..
ゆっくり夜空を見る事が出来ない..昨夜も、元気☆が見えていたのに、暴れん坊がちょっかいを出す..

今日は我が家で、ルークママさんと一緒にお昼ご飯を食べた..私の、オリジナルスパゲティーを作った..
久し振りに作ったので、美味しかったかどうかは微妙..でも、一人ほっちじゃない昼食は楽しかった..
デザートに、ルークママさん差し入れの、レアチーズケーキを食べて、私の心はとても満たされていた..

昼食後、遊歩道までお散歩に出かけた..風は強かったが、陽射しが暖かくそれほど寒さは感じなかった
遊歩道の端まで、ルーク君の歩調に合わせて歩いて行った..勇気は、上着の中で眠たそうにしていた
先日と同じベンチに座り、缶コーヒーと煙草で一服..暖かい日差しが、心まで温かくしてくれていた..
帰り道..軽やかに歩いていたルーク君が、ある場所の近くで止まってしまった..てこでも動かない..
その場所は、冬のお散歩の時に、ポタージュスープを買っていた販売機の近く..どうしてこんな所で..
ルーク君に向かい、「元気がいるの?その販売機には、もうポタージュスープは売ってないんだよと伝えて」
ルー君は、しぱらく販売機の方を見ていたが、突然歩き始めた..元気に、この事を伝えてくれたのかな

その後、ルーク君は順調に歩き出したが、またある場所の近くで止まってしまった..じっと座ったまま..
その場所を通り過ぎる時に、「ここで、いつもクッキーを食べたっけ..ねぇ〜元気、ねぇ〜ルーク君」..
涙が溢れて来た..その場所に、カートに乗った元気がいるような気がした..「ママ〜クッキー頂戴!」
ルーク君にも、私の思いが伝わったのだろうか..元気とのお休み処を、長い時間ずっと見つめていた..
我が家に戻って来てからも、お休み処で美味しそうな顔でクッキーを食べていた元気の姿が離れない..
どうしてこんなに涙が溢れて来るのだろうか..「ボクの事を忘れないでね」と、言っているのだろうか..?

去年の今日..チロルのオーナー夫妻に、元気とここへ来るのは、今日が最後かもしれないと伝えた..
ママは、元気の体を撫でながら、「また来るよね..また、来られるよね」..そう言いながら泣いていた..
「絶対来る..寝たきりになっても連れて来る」..そう言いながら、心の中ではもう最後だと思っていた..
冬が駄目なら雪が解けた春に、春が駄目なら新緑の季節に..そう願いながら、冬のチロルとお別れした

いつものように、軽井沢に寄ったが、お気に入りのショップも冬季休業中..カフェも冬季休業中だった..
元気は、カートに乗らず、テクテクと歩いて行った..私達に、甘える事もせずマイペースで歩いていた..
せっかく、駐車場に止めて、歩いて行ったのに、有料のトイレに入って、お土産を買っただけだった..
元気は、旅行の最後の日だったのに、全く疲れた様子が無かった..生きようとする力がみなぎっていた。
大好きなドライブ、大好きな旅行..それが生きる力になるのなら、何処へでも連れて行こうと思った..

タボスの丘の木の下に、元気とコロンちゃんの被毛が埋まっている..もうすぐ、その地で会う事が出来る。


  「去年の2月22日 これが最後のチロルでの記念写真..帰りに寄った軽井沢の駐車場にて..」

2007/02/21(水) 思い出3..
昨日、前の公園に、ジョン君のママの姿が〜慌てて、勇気を抱いて、ママが近くに来るのを待っていた。

私の姿に気がついて、「新しいワンちゃんが来たのね〜元気君に似てるよ〜これで心が癒されるね」..
本当に嬉しそうな顔で、そう言ってくれた..ジョン君のママは、元気の事を心から心配してくれていた..
お散歩で会う度に、元気の体を撫でながら、優しく声をかけてくれた..元気は、いつも嬉しそうだった..
元気が死んだと伝えた時も、体の調子が悪いのに、お線香をあげに来てくれて、祭壇の前で泣いていた
元気が6月まで使っていた小さい方のカートを、ジョン君が使っている..元気も、きっと喜んでいるだろう。

去年の今日..3日目の朝..いつものように朝食前のお散歩へ..これが10年来のチロルでの日課..
どんなに寒くても、どんなに雪が降っていても、どんなに雪が積もっていても、決して欠かした事がなかった
凍てつく寒さの中のお散歩は、心も体もシャッキとする..元気の、オシッコや、ウンPから湯気が上る..
雪の上に出来た黄色いシミを見ながら笑う..そんな私達を見ながら、得意そうな顔でまたオシッコをする
左後ろ足が悪いのに、そんな事は少しも感じさせないほど、雪の上をしっかり踏みしめて歩いていた..

朝食を終えて、彼の友人が待っている峰の原スキー場へ向かった..元気は大人しく送り出してくれた。
妙に大人しかった..一昨年までは、私達が玄関を出るまで吠え続けていたのに、静まりかえっていた。
そんな静けさが寂しかった..元気は、今の自分をわきまえているんだ..そんな元気がとても愛しかった
友人の奥さんが、スキー場で怪我を負ったので、早めに切り上げ、元気を連れて雪原へ出かけた..

雪原の雪質が固かったので、元気は少し歩きづらそうだった..時々、滑って転びそうになっていた..
元気は、あまり楽しそうではなかった..とぼとぼ歩く元気の背中が、「帰ろうよ」と言ってるような気がした
元気は、チロルへ帰りたくなると、自分で向きを変える..この時も、元気に促されてチロルへ戻った..
10年間続いた雪原での遊びも、この日が最後になってしまった..生後半年の冬から、10歳の冬まで..
たくさんの事を学ばせてくれたダボスの雪原..私達にとっては、最も思い出深い場所となってしまった..

そして、今年も3月4日〜3月6日まで、思い出深いダボスの地へ出かける..元気の思い出と会う為に


  「去年の2月21日 10年間続いていた早朝のお散歩も、夕方の雪原遊びも、これが最後の姿..」

2007/02/20(火) 思い出2..
今朝は、どんよりとした曇り空だった..そして、寒い..勇気のワクチンへ行こうと思ったが中止にした..

まだ、行くつもりだった朝..化粧をしていたら、首の左側に激痛が走った..ヤバイ!..やっちゃった..
昨日の美容院の疲れなのか、今朝の寝相の悪さなのか..なりを潜めていたむち打ちの後遺症が出た
背中にまで痛みが走って来た..左腕もしびれて来た..勇気の面倒も、首が回らないまま見ている..
冷たい雨が降って来たのも、痛みに拍車をかけている..座っているのも、立っているのも、寝るのも辛い

去年の今日..チロル2日目の朝..スキーへ行く前に、ちょびさん達と、元気を連れて雪原へ出かけた。
足が悪いのに、雪原を歩けるかどうか心配したが、本人はいたって平気..雪原を楽しそうに走っていた
元気は、その時の自分を受け入れて生きていた..雪原を走る元気は、元気な頃の元気そのものだった
雪原ではしゃいでいる元気の姿を見ていて、連れて来て良かった..不安だった気持ちも飛んでしまった

小太郎君が、元気と私をソリに乗せて引っ張ってくれた..以前の元気とは違って大人しく抱かれていた
元気な頃の元気は、抱いてソリに乗せると、暴れまくっていた..やっぱり、少し気弱になっていたのかな
たくさん遊んで、たくさん吠えて..元気はいつも、自分が満足すると、チロルの方を見て帰ろうと合図する
チロルに戻って、スキーへ出かける準備..元気を一人で残して行くのは不安だったが連れては行けない
部屋の中に、危険な物や邪魔な物がないか、点検をしてから、元気にも言い聞かせスキーへ出かけた。
1年振りのスキーを、心から楽しむ事が出来なかった..部屋に残して来た元気が気がかりで心配で..
でも、スキーを終えて部屋に戻ると、元気はいつも通りだった..違ったのは、お迎えの歓迎が凄かった事

ちょびさんと小太郎君は、この日に帰ってしまった..小太郎君がいなくなって、元気は寂しそうだった..


 「去年の2月20日 いつものように、早朝のお散歩へ..リメイクのスキーウェアーがとても似合っていた」

2007/02/19(月) 思い出1..
今日は、春のような暖かい日だった..私は、久し振りに美容院へ行った..去年の10月以来だった..

担当の美容師さんが..「心配してましたよ..その後どうですか?」と..今までの経過を報告して来た
髪がごっそり抜けた事を伝えると..手入れが悪かったのもあるけれど、ストレスではないかと言われた。
確かに以前より髪が少なくなったけれど、今の毛艶は悪くないので、多分元に戻るでしょうとの事..
手入れを怠った事、栄養不足、ストレス、過労..色んな要因が重なって、抜け毛が多くなったのだろう
髪の毛は、短くなってさっぱりしたが、元が悪いのでたいして変わり映えしない..若さを取り戻したいな

美容院の帰りに、サティで買い物をした..去年の12月31日に、累ママさんと一緒に行って以来だった。
一人で買い物をしたなんて何ヶ月振りだろう..商品の置き場所が分からずに店員さんに聞いてしまった
本当に情けない..主婦なのに、買い物さえろくに出来ないなんて..私は、彼に甘えすぎていたのかも

去年の今日は、元気を連れてスキー旅行に出かけた..早起きした私を、キラキラした目で見つめていた
「お出かけするんだ..何処に行くのかな?」..そんな目で見つめていた..ルンルン気分の顔だった..
いつものコースを通って、いつもの場所でお弁当を食べて、いつものようにハイテンションな元気だった..
下仁田の道の駅で、いつものソフトクリームを食べて、益々上機嫌..これが最後のソフトクリームに..
下仁田から軽井沢へ向かい、塩沢タリアセンから中軽井沢を抜けて、北軽井沢の「珈琲工房須田」へ
馴染みのお店に寄りながら、「チロル」へ向かった..雪らしい雪は何処にも無くて、快適な道程だった..

「チロル」に到着して直ぐに、外の階段の雪掻きと、いつもの部屋の大改造..どちらも元気の足の為..
私は何もせずに、チロルのリビングで、元気とのんびり待っていた..そして小太郎君もママ達を待っていた
この日は、ちょびさんご夫婦&小太郎君と、チロルで待ち合わせをしていたのだ..二度目の再会だった
元気と小太郎君は、元気の父方の親戚さん..以前のキャバナビを通じて、お付き合いが始まった..
元気と小太郎君のご対面は、実に素っ気なかった..と言うより、近寄らなかったと言う方が正解かな..
仲良くもしないし、喧嘩もしない、最後までそんな仲だった..犬には、血の繋がりは分からないのかな?

一日目の夜は、食事をした後、チロルのオーナーご厚意のワインを飲みながら、楽しく過ぎて行った..


  「去年の2月19日 ソフトクリームを食べた後の満足げな顔..チロルへ着くと真っ先に座るソファー」

2007/02/18(日) お墓..
昨夜からの雨が、降り続いていた..ベランダに出てみると、少しみぞれ混じりの雨だった..寒い訳だ。

昨日、勇気が粗相をした..今は、ほとんど粗相をしなくなって来た..それなのにたった1回の粗相に、
彼が烈火の如く怒った..早い時期に我が家へ来たので、まだたった2ヶ月半だと言う事を忘れている..
勇気は、彼に誉められるのが嬉しくて、彼の顔を見ながらオシッコをしている..そして、飛んで行く〜
それなのに、あんなに怒らなくても..つい言ってしまった..「たまにしか居ないのに、そんなに怒らないで」
部屋の中に重い空気が漂ってしまった..彼は元気に対しても、そう思ったに違いない..たまにしか..
しばらく会話が、無くなってしまった..言ってはいけない言葉を吐いてしまった私..受け取った彼..
でも、夕食の頃には、重い空気がなくなっていた..そして、彼が勇気に対して、もっと優しくなってくれた

インターネットのお墓をアップした..もっと早く登録したかったが、なかなか気持ちが前に進まなかった..
元気が死んだ事を認めたくなかった..お骨が目の前にあるのに、死んでしまった事を認めたくなかった..
最近になってやっと、生きてる姿ではもう私の前には帰って来ないんだ..そう思えるようになって来た..
真ん丸な頭も、大きくてキラキラしたお目目も、シュルシュルのお耳も、もう触る事が出来ないんだ..
そう思ったら、お墓が無いんじゃ可哀想..コロンちゃんと同じお墓を登録しよう..そして、やっとアップした
  【このHPに遊びに来た方は、お参りしてあげて下さい..元気は、尻尾フリフリで喜ぶと思います】

自分の月命日が終わったら、また何処かへ行ってしまった..昨日から、また心の中に風が吹いてる..


   「携帯のメモリーに残っている写真..3枚共、去年の今頃..いつも、この寝顔に癒されていた」   

2007/02/17(土) どんより..
今朝は、目覚ましの音より、上の階の物音で目が覚めた..斜め上のガキんちょ達が走っている音..

上の部屋と、斜め上の部屋から、毎日シャワーのように降り注ぐ音..ガキんちょの泣き声、金切り声。
他人の私にとっては、この世で一番嫌な騒音..まだ、ワンコの吠える声の方がましだ..あ〜嫌だ..
上の階のガキんちょの泣き声を聞くと、元気の介護をしていた頃を思い出す..だから、余計に苛つく..
空気を入れ換えようと窓を開ければ、「キーキー、ギャーギャー」..一服しようとするベランダでも同じ..
その度に、私の態度や言動が荒くなるので、元気は私の顔色をうかがっていた..気を遣わせてしまった
その時もそうだったが、今でも上の階のガキんちょの泣き声や金切り声や笑い声を聞くと、胃が痛くなる。
この建物は、投資用のマンションだった..だから、ガキんちょがいる家庭が住めるような建物ではない。
何で、こんな欠陥マンションに、ガキんちょのいる家庭が引っ越して来るかなぁ〜私の胃痛は当分続く..

去年の今日..風が冷たいので、カートのお散歩を止めて、家の前の公園でのんびりベンチに座っていた
近くの植え込みを覗いていた元気が、「ギャッ」と呻いた..元気を見たら、片目がショボショボしていた..
慌てて車に乗せて、病院へ直行した..目を洗い流して検査をしたら、やっぱり片目に傷がついていた。
目を洗い流されても、実に大人しかった..医者もびっくりするほどだった..治療慣れしちゃったんだ..
そんな元気を見ていて、病院にいる事も忘れ、泣いてしまった..元気が不憫で、哀れで、可哀想で..

今日は、コロンちゃんとリロちゃんの月命日..明日は、チャマちゃんの月命日..仲良く並んじゃった..


  「去年の2月17日 何だか睨まれているような」      「いつもの花屋さんの、春らしいアレンジ」

2007/02/16(金) 月命日..
昨夜、元気が逝ってしまった2時15分まで起きていて、元気☆に話しかけようかなと思っていたのに..

勇気と一緒に眠ってしまった..昨夜の勇気は元気と同じような仕草をした..「寝ようよ〜布団敷いて」
敷き布団を敷くと、布団の上に座って、「早く、早く、寝ようよ〜」..そんな仕草で私を見つめていた..
この子は誰?勇気?元気?..不思議な感覚に襲われた..時々、元気にしか教えてない事もする。
元気の生まれ変わり?乗り移ってる?それとも、元気が教えている?..不思議な毎日を送っている。

今日は、5回目の月命日..あの日と同じような青い空..暑かったあの日から、5ヶ月も経ってしまった。
もの凄いスピードで、時間が過ぎて行く..あの日から、もう5ヶ月も経つなんて、信じられない思いだ..
今でも、脳裏にこびりついて離れない..息を引き取る時の元気の声..苦痛から解放された元気の顔
息を引き取ってからも、まるで生きているように美しかった死に顔..手触り良いシュルシュルの被毛..
今でも、はっきり浮かんで来る..でも、私は何も出来なかった..最後のありがとうの言葉も言えなかった
生きている時も、最後の時も、死んでしまった時も、死んでしまった後の事も、後悔ばかりが残っている。
だから、立ち直れないのかもしれない..元気は笑っているだろう..せっかく、贈り物を贈ったのにって..

勇気を抱いて、遊歩道へお散歩に行って来た..今日は、ルークママさんとルーク君も一緒だった..
暖かい日差しの中を、私の上着の中に入って腕の中に抱かれている勇気と、大張り切りで歩くルーク君
1年前は、元気に促されてトボトボ歩くパピーのルーク君、そしてカートの上からルーク君を見守る元気..
時が流れ、立場が逆転してしまった..勇気に、こうやって歩くんだよと言いたげに、軽快に歩くルーク君
勇気が、本格的にお散歩が出来るようになったら、きっとルーク君が、歩き方を教えてくれるだろう..

帰り道で、近所のワン友さんに会った..元気が死んだ直後、お花を持って、お線香を上げに来てくれた
私の腕の中の勇気を見て、「新しいワンちゃんが来たのね〜良かった..この子、元気君に似てますね」
嬉しそうな顔で、心から喜んでくれた..彼女も、先住犬を亡くしているので、気持ちが分かるのだろう..
勇気は、ワンコに対して、怖がる素振りを見せない..プードル3匹、大きなラブとご対面して喜んでいた。
遊びたいよ〜と、私の腕から下りたそうにしていた..パピーの頃の元気も、大きな犬でさえ恐れなかった
勇気は、元気と同じワンコになるかもしれない..人間も、ワンコも大好き..それが私達の願いでもある

勇気が、ワンコ達とご対面を始めた時、ルーク君がおかしな動きをした..私の横にぴったり張りついた。
そして、私の足をガリガリ..何かの合図を送っているようだった..そして、大きなラブに顔を近づけた時、
私の前に、立ちはだかるような動きをした..え〜っ!ルーク君が、勇気を守ろうとしている..そんな〜
いや..ルーク君は、確かに勇気を守ろうとしていた..ルーク君の行動にびっくり、そして感動してしまった

元気が遺した事は、人間に対してだけじゃない..ワンコ達に対しても、確かな形となって遺っている..


  「5ヶ月経っても、祭壇を片づけられない..最後の日に使っていた枕の匂いも消えようとしている」

2007/02/15(木) 帰って来た?
今朝は、心の中に風が吹かなかった..元気が帰って来たような気がする..明日は月命日だもんね..

月曜日..なおたさんとぎゅうちゃんが、あの海に行ってくれた..あの日と同じような青い空と青い海..
なおたさんのブログにアップされていた動画..去年と同じ浜辺を、ぎゅうちゃんが楽しそうに走っていた..
ぎゅうちゃんの動きが突然止まった..そして、何かを探すように、辺りをキョロキョロ見回していた..
なおたさんが呼んでも動こうとしない..きっと、元気も一緒に走っていたのだろう..そして、いなくなった。
ぎゅうちゃんと元気は、心で繋がっていたのだろう..だから、何度も何度もぎゅうちゃんの前に現れる..
ワンコは、人間に見えない物が見えると言う..気配も感じているのだろう..勇気でさえそんな時がある

去年の今日は、暖かい日だったみたい..暖かい日差しに誘われて、いつもの遊歩道へお散歩に行った
そこで、黒ラブのパピーに出会った..この日がお散歩デビューの日だった..黒ラブに最後に会ったのは、
初夏の珈琲ショップの帰り道だった..随分大きくなっていた..飼い主さんは元気が死んだ事を知らない

遊歩道へ行けば、元気を知っている人に会う..今日も、勇気を抱っこして行ったら、知ってる人がいた
相手が反対方向を向いていたので、挨拶しないで済んだけれど、これから、きっと会う機会が増える..
その時、必ず聞かれるだろうな..「あの、ワンチャンは元気?どうして連れてないの?この子は?」と..
聞かれる事が辛いなぁ〜お散歩仲間の人達は、元気の病気の事を心配し、いつも励ましてくれていた。
お散歩中の、ワンコを飼っていない人達も、心配して声をかけてくれていた..あの優しいお婆ちゃんも..
会いたいような、会いたくないような、複雑な気持ち..会えば、分かっている..泣いてしまう事を..

まだ、パピーだったルーク君に出会ったのもこの頃だった..元気は、最初からルーク君がお気に入りだった
まだ、歩くのを嫌がっていたルーク君に、カートの上からルーク君の方を向いて、早く歩けとばかりに吠える。
その吠える声に促されるように、ルーク君はトボトボと歩き出す..そしてまた止まる..そして吠えられる。
その繰り返しだった..遊歩道へ着いて、カートから下りた元気と、並んで歩く姿はとても微笑ましかった。
そのルーク君も、1歳を過ぎた..今は、すっかり一人前になった..今度は、勇気が鍛えられる番かな?

明日は、元気の5回目の月命日..最後の1年半も、死んでからの5ヶ月も、猛スピードで過ぎて行った


 「去年も、今年も、変わらぬ景色..青い空と青い海..変わったのは、ここで走った元気がいない事」

2007/02/14(水) 心が..
雨音が心の中に響く..雨が心の中まで濡らす..泣いても、泣いても、心は元気から離れられない。

泣きながら、写真の中の元気を撫でる..温もりの無い写真を..生きている温かい体に触りたい..
写真の元気に問いかけても、返事は帰って来ない..「ママが立ち直る為には、どうしたら良いの..」
元気の写真を撫でながら泣いている私の膝へ、勇気が飛んで来た..そして、涙と鼻水を舐めてくれた
生きている小さな命が傍にいるのに..死んでしまった元気を求める心..元気、勇気、馬鹿なママだね

朝、何もせずに、元気の祭壇の前に座ってボーッとしていた..こんな物があるから断ち切れないのか..
片づけてしまった方が、良いのではないだろうか..元気のお骨に問いかけても、返事は返って来ない..
フードや、大好きなお菓子や、大好きなゆで卵や、ヨーグルトをお供えしたって、食べてくれる訳じゃない
毎日、毎日、空しい気持ちで捨てている..元気なうちに、好きな物をもっと食べさせてあげれば良かった
食に、こだわり過ぎてたから、好きな物を制限していた..それを今更お供えしたって、喜ばないよね..

今日は、バレンタインデー..去年も今年も、彼はいない..そして、今年は元気もいない..寂しい..


  「去年の2月14日 この先に何を見てるの?」       「先日購入した、青いバラのアレンジ」

2007/02/13(火) お揃い..
彼は、昨日お休みだったが、夕方出かけてしまった..その帰り道で、お寿司を買って来てくれた..

彼..昨日、勇気と元気のオシッコの話をしてから、勇気に対して、とても優しく接してくれるようになった
かける言葉も以前より優しい..遊んでくれるようになった..面倒も少しだけ見てくれるようになった..
彼の心の中で、何かの整理がついたのだろうか..元気と同じ寂しさを味わせたくないからだろうか..
去年の初夏..彼が転職してから、元気と会う時間が極端に減ってしまった..元気は寂しそうだった。
何もしてくれなくても、元気はパパが大好きだった..いつも耳を澄ませ、パパの気配を感じようとしていた
帰って来ても、充分なスキンシップをする時間がなかった..だから、いつも寂しそうな顔で見送っていた。
元気と一緒の時間を、充分に過ごせなかった事を、後悔しているのだろうか..彼も寂しかったのだろう。

コロンママさんに頼んでおいた、勇気の洋服が届いた..袋を開けると、元気とお揃いのラガーシャツが..
私の心が震えた..元気のラガーシャツは、コロンママさんに初めてオーダーした洋服..思い出の洋服
それと同じ洋服が、私の目の前に現れた..嬉しいんだか、悲しいんだか、寂しいんだか、良く分からない
複雑な思いが私の心の中を駆けめぐる..↓の写真は、元気の最後のラガーシャツ姿..8月15日の姿
作って貰った時には、ボタンをすると苦しそうだったのに、この時にはボタンをしてもブカブカになっていた..
見た目には、痩せていなかったのに、このラガーシャツを着せた時に、病気が進行している事を実感した
そして、この写真を撮った1ヶ月後に、天国へ逝ってしまった..だから、私の心は複雑なのかもしれない。

どうして、こんなに寂しいのだろう..勇気がいても、ちっとも心の隙間が埋まらない..元気に会いたい。


  「お揃いのラガーシャツ..元気が遺して行ったラガーシャツを、勇気が着られる日はいつ頃だろう」

2007/02/12(月) 彼の涙..
午前中、自宅の電話が鳴った..コロンママさんだった..昨日の事を心配して、電話をかけてくれた..

ペットロスを経験しているから、私の今の心理状態を分かってくれる..そして、的確なアドバイスをくれる
「みんな、多かれ少なかれ同じだよ」..この言葉を聞いてほっとした..私だけ、鬼なのかなと思っていた
新しい家族を、心から受け入れるのには時間がかかるのかも..どうしても、元気と比較してしまうし..
昨日、メールをくれたワン友さん達も、同じような事を言っていた..勇気は勇気、元気にはなれない..
元気がいたから知り合えたワン友さん達..元気が遺してくれた人との繋がり..元気が生きていた証..
これからも、大切にして行きたい..それが、元気への感謝の気持ち..ワン友さん達ありがとうございます

彼と、勇気の粗相の話をしていた..私がかまってあげないから、寂しくて気を引く為の行為なのかと..
「元気も小さい頃、粗相ばっかりしていて酷かったね..今も、元気のオシッコの後だらけだもんね」..
「元気は、寂しかったんだ..ず〜っと、お留守番ばかりさせられてたんだもんね..我慢してたんだね」..
と言うと、突然下を向いてしまった..泣いてる?..隣の部屋にいた私の耳に、鼻をかむ音が聞こえた。
彼は、元気が死んだ後、私の前では泣くのを我慢している..でも、きっと一人の時は泣いているんだろう

去年の今日も、なおたさんご夫婦と一緒だった..お箸屋さんへ行ったり、海辺のカフェへ行ったり..
遠くに見える美しい富士山..真っ青な空..真っ青な海..強い風が吹いていたが、みんな元気だった
とーちゃんと楽しそうに走り回るぎゅうちゃん..元気もぎゅうちゃんに負けずと、浜辺を走り回っていた..
左後ろ足を引きずりながら走る姿は痛々しかったが、「ボク、走れて楽しいよ〜」と言う顔をしていた..
このまま時が止まって欲しかった..この足なら、この先生きて行ける..どうか、悪化しないでと願っていた

勇気を抱いて、遊歩道へ行って来た..泣かないつもりだったのに、桜のつぼみを見たら涙が溢れて来た


   「去年の2月12日 楽しそうに、嬉しそうに浜辺を走っていた..この時の動画をアップする予定」

2007/02/11(日) ペットロス..
どうにもならない今の気持ち..あるお坊さんのサイトを読んでいたら、今の私はペットロス第二期のようだ

ここ数日、気持ちがどっと落ち込んでいる..気持ちの整理がつかない..元気が恋しくて恋しくて..
元気に会いたくて、会いたくて..「何故、私の傍にいないの?何故、私を見つめてくれないの?」..
「どうして、私を置いて逝ってしまったの?」..元気の写真に向かって、その言葉ばかりを繰り返している
ペットロス第二期..やっと死んだ事を認め始めた時、傍にいない寂しさに、心が押しつぶされて行く..
そう言う事らしい..泣きたい時は、決して我慢せずに思い切り泣く事..涙は重い心を軽くしてくれる..
愛する家族を亡くした後、ペットロスを乗り越えるまでに、平均で10ヶ月かかるそうだ..私はまだ5ヶ月目

最近、勇気のやんちゃ振りについていけない..粗相も多くなって来た..腹が立ってイライラして来る..
スイッチが入ると、どうにも手がつけれなくなる..静かだった部屋が、勇気の吠える声で一杯になる..
大事な物にも、食いつこうとする..私の手足にも食いついて来る..どうして良いか分からなくなって来た
元気の匂いが消えて行ってしまう..元気の遺して行った形跡が無くなってしまう..それが許せない..
急に優しく出来なくなって来た..うっとうしくなって来た..今の私は、勇気を愛せないかもしれない..
今も、あちこちに粗相をしていた..ちゃんとした時に誉められた事を忘れ、私の目の前で粗相をしていた
私は我を忘れ、発狂寸前..久し振りにワンコに発した怒鳴り声..こんな小さな子を相手にと思うが、
利口なんだか、馬鹿なんだか..元気の抱き枕を抱えて、元気に助けを求めながら、大泣きしてしまった

去年の今日は、なおたさんちへお泊まりをした..彼の友人が経営しているお箸屋さんへも一緒に行った
途中のサービスエリアのドックランで遊んだりして、のんびり気分だった..元気も元気で張り切っていた..
この頃の元気は、食欲があって体調もあまり悪くなかったし、左後ろ足の症状もそれなりに安定していた
元気なうちに、お友達に会わせておきたい..ドライブが大好きな元気の為に、旅行にも連れて行きたい
そんな思いを心に抱いて、なおたさんちへ向かっていた..ぎゅうちゃんと元気の仲は、いつも素っ気ない。
仲良くもせず、かと言って喧嘩もせず..いつも、静かなご対面だった..でも、そんな姿が大好きだった。

勇気と心が通じ合うのは、何年後だろうか..元気のように目と目とで話せるようになるのは何年後?


  「去年の2月11日 なおたさんちへ向かう車中にて..東名高速由比パーキングから富士山を臨む」

2007/02/10(土) 病院..
昨日から、月曜日まで彼がいない..本当なら連休なのに、仕事の関係で、和歌山の本社にお泊まり

昨夜、寝たのが夜中の2時過ぎ..やっと寝たと思ったら、勇気に起こされた..時計を見たら3時だった。
オシッコをさせて、再び眠りについたと思ったら、また起こされた..今度はウンPがしたい〜よって..
今日は、勇気を病院へ連れて行く予定だったので、眠い目をこすりながら、そのまま起きる事にした..

ルークママさんにお付き合いをお願いしてあったので、勇気と荷物を持ってルークママさんをお迎えに〜
坂を下って行きながら、こんな日が去年あったなと言う思い..7月下旬のあの日..忘れられないあの日
今でも、一番後悔しているあの日..大学病院へ行ったあの日..元気の運命を変えてしまったあの日
元気の不安げな顔が脳裏に蘇って来た..あの日、大学病院へ行かなければ、もっと生きられてたのに
ルークママさんに、「何か思い出さない?」と尋ねたら、「何にも思い出さないよ」と、顔を背けられた..
あの時の事に触れれば、泣くに決まっている..お互いの為に、二度と触れない方が良いのかもしれない

久し振りの運転に、おどおどしながらも、無事に病院へ着いたが、駐車場の空きが一台しか無かった..
しかも、一番難しい場所しか空いてなかった..「え〜っ!ここに入れるんですか〜入れられないかも」
情けなかったが、駐車場の係りのおじさんに「久し振りの運転なので、誘導して下さい」と、お願いをした。
本当に情けない..これが、以前毎日のように、ブイブイ車を走らせ仕事をしてた自分なのだろうか..?

今日は、担当のY医師は不在の日だったので、元気の時と同じサブ担当のO医師が、診察をしてくれた
O医師は、元気の足が壊死した時に、泣きながら電話をした私に対して、病院へは連れて来ないで..
移送の途中で、死んでしまう可能性もあるから、無理をして連れて来ないで..自宅で最後を看取って
今まで、自宅で介護を続けていたのに、最後が病院なんて悲しすぎます..自宅で最後を迎えて下さい
そう言ってくれたO医師..その時の言葉通りにして良かったと思っている..最後まで一緒にいられたから

元気は我慢強いワンコでした..最後の最後まで、本当に頑張っていました..そう言った私に対して..
我慢強いワンコだったから、生きられたんですよ..普通のワンコだったら、あんなに生きられなかったですよ
自宅で、最後を迎えられて本当に良かった..元気君は、みんなに看取られて、幸せだったと思いますよ

本当に幸せだったのだろうか..足を不自由にさせてしまった私の事を、恨んだ事はなかったのだろうか?


     「コロンママさんに、作って貰った特注品の洋服..今は、悲しい遺品となってしまった..」

2007/02/09(金) 動画..
昨夜は、睡魔に襲われていた..何にしていないのに、体が疲れているみたい..だらけ病にかかった?

今朝も、仕事から帰って来た彼が、買い物へ行ってくれた..私は、ただ必要な物を紙に書くだけ..
「後は、必要だと思う物を適当に買って来て」と..何ヶ月、一人で買い物へ行ってないのだろうか..
元気の介護を始めた8月頃から、一人では行ってないかもしれない..これから先、一人で行けるかな?
煙草や飲み物でさえ、自分で買いに行った事がない..今では、彼の方が買い物上手になってしまった
車の運転もずっとしてないし、歩く事さえ忘れてしまった..元気とのお散歩で鍛えた足腰もフニャフニャ
勇気との、お散歩へ行くようになれば、買い物へも行けるようになるだろうか?普通の日常に戻りたい..

勇気の動画を撮っていて、心が締め付けられて来た..どうして、もっと元気を撮っておかなかったのか..
写真は、整理仕切れないほどある..お出かけのビデオもたくさんある..でも、日常の物が残っていない
病気と闘っていた時の物は、ほとんど残っていない..あんなに頑張っていた姿を、残しておけば良かった
最後のスキー旅行は、ビデオも動画もない..最後のお出かけの動画も、携帯に数秒しか残っていない
それも遠くから撮った動画..「元気〜おいちに、おいちに..頑張れ〜」そんな私の言葉が入っている。
緑美しいゼブラの芝生の上を、腫れ上がった左後ろ足を引きずりながら、必死で私の所まで歩いて来た
その動画を見る度に、「頑張ったよねぇ〜頑張って歩いて来たよね」..元気は、懸命に生きてくれた..

駄目だ..こんな事を書いていたら、涙が止まらなくなって来た..まだ、立ち直る事なんて無理だ..


「去年の7月6日 最後にお出かけしたゼブラ..ルーク君、コナちゃんとは、最初で最後のお出かけだった」

2007/02/08(木) 元気?
昨夜は、とても寒かった..それに比例するように、たくさんの☆が輝いていた..勿論、元気☆も..

今日もいつもと変わらない朝..早朝にオシッコがしたいと勇気に起こされ、まだ眠いけれど起きなくちゃ〜
勇気のご飯の支度をしてから、元気に新しいお水と、お菓子と、フードと、ヨーグルトと、缶詰をあげて、
「おはよう〜」の挨拶をしながら、お線香をあげる..そして、お花の点検..これが、私の朝の日課..
そろそろ、お花が怪しくなって来た..二つ同時に枯れそうだ..お花だけは絶やさないようにしなくちゃ..
元気の為と言うより、私の為かな..お花がないと、心が落ち着かなくなる..そして、心寂しくなる..

今日は、ルークママさんとルーク君が遊びに来てくれた..玄関のチャイムの音で、勇気が飛んで行った。
ドアを開けると、尻尾フリフリで廊下へ飛び出し、嬉しそうにルークママさんの足下にじゃれつき始めた..
その時、ルークままさんが「キャァーこの子元気だよ..私、泣きそう」..その目が潤んでいたような..
確かに元気と勇気は同じ仕草で、お客さんを迎えている..誰が教えた訳でもない..実に自然なのだ
今の私は迎える立場..勇気に迎えられるようになったら、どんな気持ちになるのだろう..それが怖い。

去年の今日は、病院へ行っていた..いつもと同じ診察&検査..リンパにも血液検査にも異常無し。
リンパの触診も足の付け根に触れるだけだった..本来なら、お尻の穴に指を入れて検査するのが基本
血液検査も、詳しい検査ではなかった..小さな病院でもすぐに結果が分かる簡単な検査だけだった。
左後ろ足が曲がらないのは、膝のお皿が外れてしまったせいだと..そんな事は、とっくに分かっていた..
それでも、何の治療も施されなかった..下手にいじると、薄くなってしまった骨が砕けてしまうからと..
もっと以前から分かっていたのに、何の治療も施そうとはしなかった..今更、何を言っても遅いけれど、
病院を替えていれば、足も命も救えたのではないか..あの医者が未だに平然としているのが許せない。

勇気の動画を撮っていて、ふと悲しくなる..どうして、元気の頑張っている姿を撮らなかったのだろう..


「去年の2月8日 病院の待合室で不安そう..曲がらない左後ろ足..お姉ちゃんと一緒にお散歩へ」

2007/02/07(水) 捨てるな命..
昨夜の空は、薄曇りだった..空を見上げて元気☆を必死で探した..あった!私の真上で光っていた

私が住んでいる沿線で、ホーム内での事故があった..我が家より二つ手前の駅..何故あの場所で..
人通りも多く車の通りも多い..踏切がしまえば、大勢の人間が迷惑を被る..普段でも開かずの踏切
飛び込んだ人を助けようとして、交番の警察官が重傷を負った..どうして、他人を巻き込むのだろう..
死にたければ、死ねば良い..でも、あんな場所で死のうとするなんて..本当は死にたくないんだ..
私も若い頃、死にたい時が多々あった..○を飲んだり、リ○○○トも..でも、必ずSOSを送っていた。
それは、本当は死にたくないから..そんな状況になった自分を見つけて欲しいから..賭けに近いけれど
どこで死んでも、大勢の人に迷惑がかかる..死のうとする前に、もう一度立ち止まって欲しい..
生きたいと願うのに生きられない命..それは、人間も動物も同じだ..自分の命の尊さを知って欲しい。
夏のある日、元気のお見舞いに来てくれたコロンママさんを送って行った駅..あの日の事を思い出した。

勇気のブログに、元気の動画をアップしてみた..生きてるうちに、ブログを開設すれば良かったのに..
そうすれば、元気に動いている元気をお披露目出来たのに..たくさん動画を撮っておけば良かった..
動画を見ていた彼が、「元気、君の尻尾は凄いね〜」と、元気の祭壇に向かって、優しく話しかけていた
本当に凄い尻尾だった..高々と上げた時の見事さ..病気だなんて信じられない位の被毛だった..
美しい自慢の被毛だった..それは死んでも変わらなかった..シュルシュルの被毛に、もう一度触りたい

勇気は、元気と同じような体型と、被毛になってくれるかな?性格も似て欲しい..多くは望めないか


    「去年の2月7日 この日も雪が降ったんだ..大好きな○○さんが来てくれて嬉しそうだった」

2007/02/06(火) 捨てられない..
昨夜、元気用に買った、「六一0ハップ」を入れてお風呂に入った..硫黄臭かったが身も心も温まった。

未だに捨てられない、元気用の数々の物..心臓の薬、フィラリアの薬、抗生物質、数種類のサプリ..
数種類の消毒液、生理食塩水、抗ガン作用のあるハーブ、愛用していたアロマ水&パロマローザ水等
元気の祭壇の下の写真の影に、ひっそりと置いてある..その隣には介護用に作った洋服や胴巻きも..
いつまで置いておくつもりなのか..今の自分には分からない..後悔の念が消えるまでは無理かも..

勇気が我が家の家族になって、1ヶ月が経った..あんなに小さかったベビーが、キャバの姿になって来た。
本当なら、勇気だけを見つめなくてはいけないのだろう..でも、悲しいかな、今はそれが出来ない..
勇気を見ていると、元気を思い出してしまう..新しい家族を迎えた事は、まだ早すぎたのだろうか..?
11年と言う歳月を、苦楽を共にして来た元気..1ヶ月しか経たない勇気..心の比重は語らずとも..

久し振りにショパンが聴きたくなった..元気の縄張りを見つめながら大泣きした..涙が止まらなかった。
その間の勇気は、あちこちに粗相をしたり、私にちょっかいを出したり..それでもしばらく放っておいた..
あまりにも、まとわりついて来るので、抱き上げてあげたら、私の顔をじっと見つめ、優しく涙を舐めてくれた
こんなに小さくても、私の心が自分にないと言う事が分かるのだろうか..少し反省しなくちゃと思った..

どうあがいても、どう後悔しても、どう反省しても、過去は変えられない..過去は変えられないんだ..


   「去年の2月6日 ちょっとふて気味だった」        「いつになったら、捨てられるのだろうか」

2007/02/05(月) 行けない..
昨夜、ベランダへ出たら、もの凄く寒かった..それでも、煙草を吸いながら、元気☆を見上げていた..

その時、ふと思い出した..元気にオシッコをさせる為に、始終ベランダへ出ていた真夏の夜の事を..
連れて行っても出ない時は、ベランダにいる時間の方が長かった時もあった..泣きたいほど辛かった..
真夜中に、元気を抱いてベランダへ行き、出ないオシッコと格闘する..必死な姿の元気と格闘する私。
哀れな光景だったろうな..どうして、こんな真夜中にベランダで、出ないオシッコと格闘してるんだろう..
元気は、私よりもっと辛かったろう..立てなかった時、転んでしまった時、その都度私の顔色を見ていた。
あんなにピリピリしないで、出ない時はのんびり空でも見てれば良かった.でも、あの時は必死だったんだ。
あの頃は、暑くて可哀想だなと思っていたが、今の寒い時期より、あの時期で良かったのかもしれない..

↓の写真は、病院へ通じる遊歩道の途中にあるドラックストアー..彼がお休みの時には、良く行ってた
「買い物して来るから、待っててね」..そう言って、大急ぎで買い物を済ませて、彼と元気の元へ..
「ママ〜良い子で待っていたよ..ボクの物も買って来てくれた?」..そんな顔をして私を見つめていた。
最後に行った夏の夜..同じように私を待っていた..でも、その目には以前のような輝きが無かった..
元気が死んでから、このドラックストアーにも、病院へ通じる遊歩道にも、一度も足を踏み入れていない。
ドラックストアーのこの場所へ行けば、平常心ではいられなくなる..この場所を思い出すだけで涙が出る

どうして、こんなに寂しいんだろう..どうして、こんなに物悲しいんだろう..心の中を風が吹き抜けて行く


   「去年の2月5日 どちらの写真も茶目っ気たっぷり..穏やかで、、平穏な時間が流れていた」

2007/02/04(日) 風強し..
昨夜の空も綺麗だった..月は眩しく輝き、☆はキラキラと輝いていた..そして、元気☆もキラキラ..

勇気を抱えて、元気☆を見上げた..「ほら、あの☆が元気兄さんの☆だよ」と..勇気は知らんぷり..
それでも最近、元気の名前を覚えて来たようだ..毎日、祭壇の前で「ここに元気兄さんがいるんだよ」
と言っているからだろうか?..祭壇に悪さをしようとした時、「こらっ!元気兄さんに叱られるよ〜」..
今のうちに、しちゃいけない事を教え込まなくてはいけない..私の大切な場所..荒らす事は許さない。
とは言っても、まだちっちゃいから、分からない..毎日、注意していれば、そのうち理解出来るかな?

今日は、風が強かった..ベランダにしか出ない私には、関係ないけれど、それでも寒さが身に染みた..
確か、去年の今日も風が強かった..風が強いと、カート上の元気が冷えるのでお散歩へは行かなかった
お散歩命の元気は、ちょっとふてくされ気味だったような..元気は、寒いのなんかへっちゃらだった..
私が寒いのが嫌で、お散歩へ行かないんだと、見抜いていたのかもしれない..元気はそんなワンコだった

この頃、↓の写真のような格好をする事が多かった..肉体的には、まだ調子が良かったのだろうか?


 「去年の2月4日 このくつろぎ姿が大好きだった」     「真ん丸お月様..冬の夜空は美しい」

2007/02/03(土) 節分..
今日は、節分だったんだ..そんな事は忘れていた..去年も、アクシデントがあって豆をまけなかった..

去年は、豆も太巻きも用意してあった..元気に鬼のお面を付けて笑っていた..元気は不機嫌だった
元気をからかって、笑い転げたり、それで元気に怒られたり..それなりに、楽しい時間を過ごしていた..
お散歩へ行った時、左後ろ足を軸に、右後ろ足を高々あげる事が出来た..誇らしげな顔が眩しかった
もしかしたら、これ以上左後ろ足は、悪くならないんじゃないか..そんな淡い期待を抱いてしまった..
この頃、左後ろ足は一進一退を繰り返していた..まだ、内側は腫れていなくて、骨の変形だけだった
この頃に適切な治療が施されていれば、例え足を失ったとしても、命を無くす事はなかったかもしれない
足を失わせたくないと言う判断が、元気の命を失う原因になったのかもしれない..この事も私の後悔。

毎日、過ぎてしまった日の事ばかり書いている..他人は、何て未練がましい人間なんだと思うだろう..
愛する者を失ってみなければ分からぬ思い..頑張って生きようとしていた命を救えなかった無念の思い
新しい家族が来ても、元気への想い、後悔の念は決して消えない..いや、益々深まって来てしまった。
消え去ってしまった命と、これから生きようとする命..どちらを大切にしなくてはいけないかは分かっている
元気を想いながら、勇気を愛し育てる..今の私には、この生き方しか出来ない..いつか、きっと..ね

毎日、ダラダラと時間が過ぎて行く..これで良いのか?そう自分に問いながら、また暗い夜が訪れる..


「去年の2月3日 この顔が大好き..大きな真っ黒い瞳と、濁りのない真っ白な白目..心を引きつける」 

2007/02/02(金) 早起き..
昨夜の☆も、キラキラと輝いて綺麗だった..ゆっくり、語ろうかなと思ったのに、勇気が邪魔をする..

今朝は、早起きをした..窓から差し込む朝日が、とても美しかった..太陽の位置が少し変わって来た
彼の帰りを待って、勇気を病院へ連れて行った..今日が2度目のワクチン..今回は5種混合ワクチン。
ケージの中へ閉じこめたら、病院に着くまで、キャンキャン、ワンワン、しまいにワォーンと遠吠えの繰り返し
この1ヶ月で、すっかり甘えん坊になってしまった..元気は小さい頃、こんなに甘えん坊じゃなかった..
注射をされると、「キャイ〜ン」..先日より泣かなかったが、家に戻ってから、思い出したように「キャィン」

元気は、注射をされても、泣いた事がなかった..しっかり受け止めて、医者が失敗すると睨みつけていた
診察台の上で、「きれい、きれいにして、お注射チュッ」と言いながら、足を撫でると「ウーッ!カブッ」..
「注射をする前に、そんな事をしてからかうのは止めて下さい」と、医者が怒りながらも笑っていた..
病院が大好きだったが、私と院長が対立するようになってから、露骨に嫌な顔をするようになって行った。
元気は、元気なりに、院長の人間性を見抜いていたのかもしれない..ワンコは、人間の心に敏感だ..

本当に我慢強いワンコだった..だから、足の骨が折れてしまっていても、痛みを我慢していたのだろう..
痛くても、辛くても、苦しくても、弱い自分を見せなかった..私達は、それに甘えていたのかもしれない
未だに断ち切れぬ思い..してあげなかった事と、しなければ良かった事への後悔..決して消えぬ思い

勇気を、幸せにしてあげられるだろうか..元気への思いが残っている心で、幸せにしてあげられるのか?


  「去年の2月2日 不自由な足でも元気一杯」         「冬の朝日は、とても美しい」

2007/02/01(木) 2月..
昨夜は、☆も月も綺麗に輝いていた..最近、勇気の世話に追われてて、元気☆をゆっくり見ていない

勇気は、ほとんど手がかからないけれど、夜になると遊んで攻撃が始まる..放っておく訳にはいかない。
勇気は最近、元気の祭壇の上が気になるようだ..お菓子やフード、山羊さんミルクを狙っている..
お線香入れも標的だ..1日1回は、引きづり回している..写真をひっくり返すので、目が離せない..
写真をひっくり返されると、悲しくなって来る..元気の場所を冒されたくない..私の大事な場所を..

ベランダで咲いていた、夏の花を切った..元気が頑張っていた時に、一生懸命咲いていた夏の花..
咲き終わっても枝を切る事が出来なかった..でも、今年の夏も咲いて欲しいから、願いを込めて切った
花が咲くと、あの時の元気を..何も出来なかった自分を思い出すのだろう..それでも咲いて欲しい..

最近、元気と過ごした日々が鮮明に蘇る..日々の生活もお出かけした日の事も..その度に胸が..
もう、記憶の中での元気しかいない..もう、手を触れる事も出来ない..もう、抱きしめる事も出来ない
もう、元気はこの世にいないんだよ..死んでしまった者より、生きている者を..自分にそう言い聞かせる

いつになったら、勇気の事だけを見つめられるようになるのだろうか..元気、ママに生きる力を貸して!


 「お骨カバーを替えた..写真は、去年の5月末、シエルちゃん、ぎゅうちゃんと行った大阪のカフェにて」


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