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2007/02/26(月)
命日..
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今日は、母の3回目の命日..今の状況では、お墓参りに行けないので、ささやかなお花をお供えした。
4年前の4月、父が胃ガンで亡くなり、その10ヶ月後に、父の後を追うように、母が亡くなってしまった.. プライドが高かった母..父が亡くなっても、気丈に振る舞っていた..うるさい父がいなくなって清々したと でも、本当の気持ちは違っていた..遺品の中から出て来た、父母が若かった頃のラブレターや日記等 切々とした思いがしたためられていた..私達が赤面するほどの内容だった..でも、確かに愛があった。 ラブレターを読んでいて、父は母を愛し、母は父を愛し、私達兄弟は、愛されて生まれて来たんだ.. そう実感する事が出来た..それにしても、あの当時の恋愛にしては、相当に情熱的な父と母だった..
父の病気が分かった夏..最後の家族の集まりを持とうと、弟は新潟から、私は大洗から船で集合した 父は、病気のせいで性格が歪んでしまっていたので、扱いが厄介になっていた..母も父に苦労していた その夏が、最後の一家集合になってしまった..そして翌年の夏..父の新盆の為、また船で集合した。 母は、本来のお嬢様育ちが出てしまい、我がままを言いたい放題..これまた扱いが厄介になっていた。
そして秋になり、私の飛行機での介護帰省が始まった..酷い時には、夏物と冬物を入れ替えに来て〜 「そんな事の為に飛行機で行くの?ヘルパーさんにやって貰ったら」と言うと、「他人には触られたくない」 仕事を休んで、彼と元気にお留守番をさせて、介護帰省パスまで作って、何度飛行機で通っただろうか そして、元気な顔を見たのは、初冬のある日が最後だった..玄関まで見送ってくれた顔が寂しそうだった その時、もう二度と会えない気がして、帰りの飛行機の中で初めて泣いた..旭川の夜景が綺麗だった 3年前の今日..旭川は、交通が麻痺するほどの大雪だった..母の死に顔と共に忘れない日となった。
父も母も亡くなり、北陸に住む長男とは絶縁状態、次男は旭川の身障者養護施設に入所している.. 父と母の死をきっかけに、バラバラになってしまった兄弟..いつの日か、心が繋がる時が来るのだろうか 旭川の実家は、もう3年も空き家のまま、残された荷物も手つかずのまま..今は警備会社に任せっきり 今頃は、雪の中でひっそり立っているんだろうなぁ..それにしても、あの家はどうするつもりなんだろう?
この4年間で、父と母の死..そして、元気の死..大切な者達が次から次へと天国へ逝ってしまった..
「母にお供えしたささやかなアレンジ..2003年、大洗から乗った商船三井のフェリー」
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