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2008/11/16 二十六回目の月命日
2008/10/16 二十五回目の月命日..
2008/09/16 三回忌..
2008/08/16 二十三回目の月命日
2008/07/24 誕生日♪

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2007/04/30(月) 再び..
今日も、澄み切った青空だった..目の前のツツジ畑がピンク色に染まり出した..良い季節になった。

今日は、ラッキーかあちゃま宅へ〜最近の彼は、お休みの度に私の要望を聞き入れて出かけてくれる..
いつもの日曜日は、徹夜明けだけれど、今日は連休だったから、頼みやすかった..優しくなったのかな
選んだ道が悪かったせいなのか、ヘボ運転手が多かったせいなのか、渋滞にはまってしまった..
最近、彼の運転が、関西仕様になってしまった..関東仕様の運転とは違うので、ちょっと怖い..
しかも、毎日時間に追われた運転をしているので、乗用車を運転していても、それが如実に出ている..
まあ、私も2年前までプロドライバーで、手荒な運転をしていたから、彼に文句は言えないけれど..

ラッキー君に、ご飯を作っていた..サプリも、ハーブも、元気にあげていた物と全く同じ物だった..
ご飯は馬肉..これも同じだった..美味しそうに食べているラッキー君を見ていて、元気を想っていた。
ある日を境に、サプリも、ハーブも拒絶し始めた..まるで、「ボクには、もうそんな物は必要ないんだよ」
そう言われているようだった..ご飯に入れれば、ご飯を食べない..カプセルに入れれば吐いてしまった。
オブラートに包んで口の中に入れれば、飲んだ振りをされた..何をどう工夫しても飲もうとはしなかった。
自分の命の時間を知っていたのだろうか?..それとも、私を解放してあげようと思っていたのだろうか?

元気は、私の心を読み取るワンコだった..私の諦めかけている心を読み取っていたのかもしれない..


 「去年の今頃 暖かくなったので、縄張り見張りも入念に行っていた..生まれて初めて入ったケージ」

2007/04/29(日) 反対側の遊歩道..
昨夜、久し振りに☆を見た..多分、あの☆が元気☆だろう..以前と同じように、キラキラと輝いていた

累ママさんが、累ちゃんを連れて遊びに来てくれた..累ちゃんの足は、先日よりかなり良くなっていた..
まだ、多少ビッコを引くけれど、地面に足が着くようになっていた..確実に、回復へと向かっている..
累ちゃんの足を見ていて、元気も初期の頃に、獣医の判断が確かだったら、助かったかもと思ってしまった
今更だが、良い獣医に巡り会う事が、最愛の家族を助ける事が出来る..これがなかなか難しいけれど

累ママさんがいたので、反対側の遊歩道へ行く気持ちになれた..10ヶ月間、行く事が出来なかった..
先日、勇気に引っ張られて途中まで行ったけれど、あの場所のPの看板が見えた途端、引き返していた
元気をカートに乗せて、病院までテクテクと歩いた反対側の遊歩道..どの場所にも思い出が残っている
私にとっては、一番辛い場所..一番行きたくなかった場所..でも、この辛い思いを乗り越えなくては、
先へは進めないだろう..色んな思いが心の中を駆けめぐって行った..そして、思い切って歩いてみよう

遊歩道を進んで行ったら、あの場所のPの看板が見えた..思わず目を逸らし、奥を見ないようにした。
まだ、ここだけは見たくない..その時、あの場所で、カートに乗って笑っている元気の顔が浮かんだ..
「ママ、もういいんだよ..もう、ここを見てもいいんだよ」..元気に、そう言われているような気がした..
行きには見る事が出来なかったので、そのまま遊歩道を進んで行った..その先にはゾウさんのお休み処
病院の行き帰りに、ゾウさんの銅像があるベンチで一服していた..私は、この場所が大好きだった..
日当たりの良いこの場所は、冬でも割と暖かだった..暖かい陽射しが、元気と私に降り注いでいた..
このベンチで、のんびりとした時間を過ごしていた..煙草を吸ったり、元気にお菓子をあげたりしていた
土の地面は、元気の足にも負担が少ないので、草や木々の匂いを嗅ぎながら、楽しそうに歩いていた。

今日も、この場所でのんびりとした時間を過ごした..でも、私の目の前にいるのは、元気ではない..
勇気といるのは楽しいけれど、元気の事が頭から離れない..元気の楽しそうな顔が浮かんでは消える。
コンビニで買ったプリンパフェを、横取りする勇気..美味しそうに食べている姿に元気を重ねてしまった
元気は、ソフトクリームが大好きだった..放っておくと、1個丸ごと食べてしまった..満足そうな顔だった。
それだけ食べても、お腹を壊した事などなかった..美味しそうに食べている姿を見るのが幸せだった..

もう、何もかも遠い日の思い出となってしまった..この思い出の数々を、どう消化すれば良いのだろうか


   「累ママさんから頂いたお散歩バック..見た瞬間に、元気の顔にそっくりだと感激の声をあげた」

2007/04/28(土) ベット..
今日は、とても良いお天気だったのに、夕方の嵐は凄まじかった..突風が吹いて、ひょうまで降って来た

勇気の足裏の毛を切って貰う為に、コナママさんちへ行って来た..去年の初夏にお邪魔して以来かな
コナちゃんは、相変わらずのハイパー振りだったが、元気が生きていた頃より、少し大人しくなっていた..
ちょうど、去年の今頃、遊歩道で初めて出会った..あの頃は、コナちゃんもまだパピーだったっけ..
コナちゃんは、元気が大好きだった..我が家に来ると、真っ先に元気が寝ている所へ挨拶に行っていた
どんなに、「ウーッ」ってされても、決してめげなかった..本当は、元気も満更ではなかったのだろう..
コナちゃんのハイパー振りが、元気に生きる力を与えていた..お菓子争奪戦まで繰り広げるほどだった。
オシッコをしなくなった時に、コナちゃんの匂いが染みついたベットを借りた..これが救いの神となった..
匂いを嗅いだ途端、20時間振り位にオシッコをしてくれた..この時が、初めてオネショをした瞬間だった。
元気は、とても照れくさそうな顔をしていた..そんな表情をしたのは、初めての事だったかもしれない..

元気が死んだ後、コナママさんが撮った写真に、オーブが写っていた..ベットから点々と始まっていた..
コナちゃんが移動した場所まで、大小のオーブが幾つも写っていた..元気がコナちゃんを守っている..
そう感じられる写真だった..きっとコナちゃんに感謝しているのだろう..これからも、ずっと守ってあげてね
コナちゃんも、一点をじっと見つめている時があるそうだ..コナちゃんにも、元気が見えるのかな?..
元気の存在を確かに感じ取る事が出来る..この世に生が無くても、元気はいつまでも生き続けている。


  「去年の初夏 お散歩の途中でコナちゃんのベットでくつろぐ元気..天国へ旅立つ5日前の元気」

2007/04/27(金) 最近..
とても寝苦しい..胸に重い圧迫感があって、なかなか眠る事が出来ない..万年寝不足に陥っている

昨日、出張所の帰りに、赤塚公園へ寄った..噴水があるメインの公園の方へは、1年振りに行った..
桜が終わった公園は、新緑やツツジが美しかった..家を出る時に降っていた雨はすっかり止んでいた。
ルークママさんが、「元気が、ルークや勇気の為に、青空をプレゼントしてくれたんだねぇ〜」と..
元気は、ルークママさん&ルーク君と一緒の時は、いつも見守っていてくれる..恩返しの気持ちなのかな
ルークママさんは、元気を最後まで心から心配してくれて見守ってくれた..元気は感謝しているのだろう
1年前に、元気が寝そべっていたベンチに、勇気を座らせた..そこに元気がいるような錯覚を覚えた..
確か、陶器市を見に行って、娘にお茶碗を買って、噴水の前で写真を撮ってから、ベンチで休憩した..
彼が一緒だったので、元気はベンチの上で嬉しそうに笑っていた..穏やかな時間を過ごしていた..

赤塚公園の帰りに、近くのお花屋さんへ寄った..元気の祭壇のお花が、全て無くなってしまったのだ..
お花が無くなってしまったのを機会に、撤去しようかなと思ったけれど、それではあまりに寂しすぎた..
やっぱり、一周忌まではこのままでいよう..それまでには、私の心の隙間も今よりはましになるだろう..
お花屋さんが、予算をはるかに超えたアレンジを作ってくれた..そして、植木を一つサービスしてくれた..
私の大好きな黄色のカラー、黄色のバラ..フリージアの香りが部屋を包み込み、心を和ませてくれる..
お花屋さんの帰りに、薬局とスーパーへ寄った..こんな場所で買い物をするのなんて、何ヶ月振りだろう
買い物を済ませ車へ戻ると、勇気を見ていてくれたルークママさんが、「買い物が出来たじゃん、偉い!」

ワン友さんが「役所の登録は抹消されても、心の中には再登録したんだから」..心の重荷がフッと消えた


  「去年の今頃 こんな格好の時の元気は、とても幼くて可愛らしく見えた..黄色主体のアレンジ」

2007/04/26(木) 登録&抹消届け..
今朝は、とても良いお天気だった..久し振りの青空に、気持ちも少し晴々していた..でも、今日は..

ルークママさんの帰りを待って、勇気の新規登録と元気の登録抹消届けに、出かける事になっていた..
支度をしていて、空が暗くなって来たのが気になっていたが、洗濯物は干したまま出かけようとしていた。
戸締まりを始めたその時、「ママ〜、そろそろ雨が降って来るよ」..そんな声が、聞こえたような気がした
戸締まりを途中で止め、洗濯物を取り込んで鍵をかけた瞬間、突然雷が鳴り出し、雨が降り始めた。
元気は、雨の匂いに敏感なワンコだった..いつも、雨が降って来る事を事前に察知して、教えてくれた
だからお散歩に出かけていても、一度も雨に濡れた事がなかった..元気は不思議な能力を持っていた

勇気の登録を済ませ、次に元気の末梢届けの書類を書き出したら、涙が溢れそうになってしまった..
悲しかった..死んだ事を社会的にも認められてしまう..でも毎年、狂犬病のハガキが来るのも辛い..
今年来た、狂犬病のハガキの切り取り線を切れなかった..中を見れば、元気の名前が書いてある..
それを見たくなかった..係りの人が、もどかしそうにハガキの切り取り線を切っていた..訳を言って謝った
「鑑札はお持ちになりましたか?抹消届けをする時には、必要なんですよ」..「持って来ていません..」
「形見として、取っておいては駄目ですか?」..「分かりました..紛失したと記載しておきましょう..」
全ての手続きを終え、出張所の玄関を出て、ルークママさんの顔を見たら、涙が溢れて来てしまった..
最初に貰った鑑札は、元気がこの世に生を受けた証..全ての狂犬病の札と一緒にリードについている
リードは、元気が生きていた時と同じ場所に、同じようにぶら下がっている..今も、これから先もずっと..

今日の土砂降りの雨..降り続ける雨を見ながら、ふと思った..この雨は元気の涙かもしれないと..


「去年の今頃 ソファーで寝るのが大好きだった..鑑札1枚&狂犬病10枚、色あせてしまった札もある」

2007/04/25(水) 咲いた..
朝から、冷たい雨が降っていた..彼が帰って来るので、少しだけ早起きをした..ほんの少しだけ..

元気は、彼が帰って来た翌朝は、とっても早起きだった..束の間の彼との時間を惜しんでいるようだった
朝早くから、彼を起こして、思い切り甘えていた..そんな元気が愛おしかった..彼も同じ思いだった..
そして、彼が仕事に出かけてしまうと、途端に早起きをしなくなった..ぐうたらな私と一緒に眠っていた。
最後の日..彼に足の消毒をして貰いながら、嬉しそうに得意そうに、私の顔をじっと見つめていた..
元気は、彼の事が大好きだった..時々、雷を落とされていたけれど、それでも彼の事が大好きだった..

今年も、ベランダの花が咲いて来た..何の手入れもしていないのに、いつもの春と同じように咲いて来た
違うのは、ベランダの住人..11年間、花の中に埋もれて、縄張り見張りをしていた元気はもういない..
花は、その事を知っているのだろうか..いつものように咲いているようだが、少し花の数が多い気がする。
ベランダの花を見ていて、後悔する事がある..この花達のお陰で、元気は肩身の狭い思いをして来た。
いよいよ足が動かなくなり、用が済んだ後、Uターンするのが大変そうなので、いらない花達を捨てた..
何故、もっと早くベランダの整理をして、動きやすくしてあげなかったのか..私は、いつも後手後手だ..
もっと早くから、花達が無かったら、ベランダに寝かせてあげて、太陽や風に当たる事も出来ただろうに..

春は、生命の息吹を感じる..動物達も、植物のような再生力があったなら、もっと生きられるだろう..


  「去年の初夏 突然、お外が見たいから抱っこしてよと催促された..今年も見事に咲いた白い花」

2007/04/24(火) HP開設二周年..
今日で、HPを開設してから2年と言う月日が経ってしまった..この間に色んな事があった..ありすぎた。

2年前の4月24日..私が仕事を辞める1ヶ月前..クウカイママさん、マミーさんに続いてHPを開設した。
始めた頃は、ジェイコムの無料のHPを借りていたが、そのHPに限界を感じて、ビルダーで制作し直した。
その頃、知り合ったのがコロンママさんだった..キャバの親戚サイトで、異母兄弟だと知った時の驚き..
あれから2年..コロンちゃんが天国へ逝ってしまって、その後を追うように元気も天国へ逝ってしまった..
そして今、天国へ逝ってしまったコロンちゃんと元気に変わって、ココロちゃんと勇気と言う兄弟を迎えた..

元気との日々を綴りたくて、HPを開設した..そして、大勢のワン友さん達と知り合える事が出来た..
元気だった頃も、病気と闘っていた頃も、天国へ逝ってしまった後も、大勢の人達に支えられて来た..
元気が遺してくれた、かけがえのない宝物..その存在が無ければ、今の私はなかったかもしれない..
元気は、確かに人の心の中に記憶として残っている..それだけ、一生懸命頑張って生きていたんだ..
私は、元気を誇りに思っている..私達を支え、私達を愛し、私達を慈しみ、懸命に病気と闘っていた。
だから、元気が生きていた証である、このHPを続けて行こうと思っている..それが愛する元気への恩返し
辛かった事、苦しかった事、悲しかった事、寂しかった事、楽しかった事..色んな事を思い出してあげる
それが、元気への供養..このHPを通じて、たくさんの人達に、元気の事を思い出して欲しいと願う..

【HPに来てくれている方々へ】..HPを開設して2年が経ちました..開設当時は希望に満ちていました
元気も元気一杯でした..私が長年勤めていた会社を辞め、毎日べったりの日々が始まりました..
10年間、朝から夕方まで、独りぼっちでお留守番していた元気は、一緒にいられる事を喜んでいました
これからの元気の老後を、一緒に穏やかに過ごして行ける..そう思っていた矢先に病気が発覚しました
希望は、いきなり失望に変わってしまいました..このHPも元気の闘病の記録に変わってしまいました..
そして元気の死後、回想と愚痴のHPになってしまいました..読んでいて暗い気持ちになったと思います
どうか、もうしばらくお付き合い下さい..私の心の整理がついた時、このHPは閉鎖するつもりです..

元気が元気だった時も、病気と闘っていた時も、天国へ逝った後も、私を励まし続けてくれてありがとう


「去年の4月24日 HP開設一周年の記念撮影..このベンチに座る元気の姿はもう見る事が出来ない」

2007/04/23(月) 結局..
今日は、起きられなかった..時計を見たら、9時半..体がとってもだるい..手も足も浮腫んでいた..

その人が元気に会いに来ると言ってから、何ヶ月が過ぎただろうか..何度も、その言葉を繰り返していた
その度に、元気の祭壇に向かって、「もうすぐ会えるから、待っててね」..その言葉を空しく言っていた..
具合が悪くて来られないのかと思っていたが、そうでもないみたいだ..他の所には行ってるみたいだし..
最初から来る気などなかったんだ..それなら、元気に会いに来るなんて言葉を言って欲しくなかった..
自分が私と同じ立場になった時に、初めて私の気持ちが分かるだろう..人の心を傷つけてしまった事を

昨日、彼に元気と友人との別れ際の話をした..「今まで、あの人を追った事なんてなかったよね」..
「元気は、自分の寿命を知っていて、もう会えないって分かっていたのかな?」..「そうだったんだ」..
彼は、そう言ったっきり、うつむいてしまった..何気なく顔を見たら、目に大粒の涙が浮かんでいた..
思い出してしまったんだ..彼が、仕事に出かける時、お散歩がてら送って行ったあの日の出来事を..
遊歩道の端っこで、「パパはお仕事だからね」..そう言って見送っていたら、悲しそうな声で泣き始めた。
そして、彼を追って走ろうとしていた..彼が、横断歩道を渡り、姿が見えなくなっても吠え続けていた..
彼の耳にも、はっきり聞こえていたそうだ..悲しそうな声、吠え続けていた声が今でも忘れられないと..

彼の悲しみも未だに癒えない..勇気を可愛がるのは、心の隙間を埋めようとしているのかもしれない..


 「去年の今頃 肝機能が低下したせいか草を食べていた..こんな不味そうなご飯食べたくないぞ〜」

2007/04/22(日) お見舞い..
今日は、急に累ママさん宅へ出かける事になった..先日、膝の手術をした累ちゃんのお見舞いへ〜

会う約束をしていた前々日に、急に膝のお皿が外れて、その翌々日には緊急手術を行った..びっくり
ワンコの体には、何が起きるか予測がつかない..その日まで元気だったとしても、油断は出来ない..
累ちゃんの場合は、良い獣医に恵まれて、手術も上手く行った..後は、累ちゃん自身の頑張り..
まだ、指先しかつかないけれど、椅子の上がり下がりもしていたし、ビッコを引きながらも走っていた..
リハビリをしっかりやって、ママさんにマッサージをして貰って、骨を強化するサプリを飲めば大丈夫だと思う
鍼治療が効果的だが、元気がかかっていた先生は、土日は働かないと言ってたから紹介出来ないな..

そう言えば2年位前..スキーに行った時に、チロルのリビングでキャンと泣いてビッコを引いた事があった。
すぐに獣医に電話をかけたが、痛がらなければ大丈夫だと言われた..あの時、きっとお皿が外れたんだ
翌日には、ビッコも引いていなかった..きっと、自然にはまったんだろう..それが癖になっていたのかも..
あの時、もっと真剣に受け止めて、検査をしていれば..と後悔するけれど、今更何を思っても遅すぎる。

去年の今日は、私の友人が遊びに来ていた..元気が我が家に来た時から、元気の成長を見て来た。
元気が元気だった頃を良く知っている友人..ビッコを引きながら歩いている元気を見て、涙ぐんでいた。
元気の頭を優しく撫でながら、「頑張るんだぞ」..元気もそんな友人に、珍しく思い切り甘えていた..
友人を送りがてら、お散歩へ出かけた..友人と別れる時に、悲しそうな声で泣きながら後を追った..
それを制止すると、友人が見えなくなるまで吠え続けた..こんな事は、長い付き合いで一度もなかった
もう二度と会えない事を悟っていたのだろうか..事実、友人とは元気が生きているうちに会えなかった。

累ちゃんの元気な姿を見られて良かった..まだ若いから、回復力も早いだろう..また一緒に遊べるね


 「去年の4月22日 遊歩道はツツジの花で一杯だった..今年も同じ場所に同じツツジが咲いていた」

2007/04/21(土) 不思議な再会..
勇気の粗相が酷すぎて、私は真夜中に発狂した..24時間、一緒にいるのはお互いの為に良くない。

勇気を叱っているうちに、悲しくなって来た..布団の中に入った途端、涙が止めどなく流れて来た..
「元気、ママはどうしたら良いの?..勇気をどう育てて良いのか分からなくなって来ちゃった..教えて」
勇気を抱きしめながら、元気に問いかけていた..その時突然、勇気がお座りをして暗闇を見つめ出した
じっと身動きもせずに、一点を見つめていた..そこに元気がいるんだ..勇気に、説教していたのかな?
元気の説教が効いたのかどうかは分からないが、今日はほとんど粗相をしなかった..不思議だな..

遊歩道の入口付近で、白いワンコに会った..もしかしたら、この子は時々会っていたビションフリーゼ?
飼い主さんに、「この子は、ビションフリーゼですか?」そう尋ねてみた..やっぱりビションフリーゼだった..
不思議な事に今日の午前中、去年の4月の日記を読み返していて、この子の事を思い出していた..
そのビションフリーゼが、私の目の前にいた..再会した場所も、元気が子供達とくつろいでいた場所..
飼い主さんに、元気が天国へ逝った事と、日記の事を伝えた..「元気君が、会わせてくれたのね」と..
私もそう思った..毎日元気と一緒に歩いていた遊歩道には、元気との思い出が一杯詰まっている..
だから、こうして不思議な再会を、もたらしてくれるのだろう..元気は、今も一緒に歩いているのかも..

遊歩道を歩いていると、元気の姿が見える..特に、お休み処に来ると、笑っている元気の姿が見える。

2007/04/20(金) 思い出..
昨夜、勇気が突然「頂戴!」をした..元気と同じように、私の太股に前足を置いて、がりっと動かした。

もしかしたら、元気のようにしてくれるかもしれないと思い、「頂戴」と言ってみた..同じようにしてくれた。
お魚をあげながら、何度も何度も繰り返した..私の顔をじっと見つめながら、「頂戴」をしてくれた..
やっと、覚えてくれたんだ〜そう思っていた..ところが、今日の昼食時、「頂戴」と言っても反応しなかった
昨夜と同じように、何度も何度も繰り返したが、一度も私の手の平に前足を乗せようとはしなかった..
彼曰く..昨夜は、元気がランから一緒について来て、勇気に乗り移って「頂戴」をしてくれたんだよ..
そう言えば、差し出された前足の感触..私をじっと見つめていた目..元気と錯覚するような感じだった
と言う事は、今日はここにはいないんだ..自分の任務は完了したとばかりに、お空に帰って行ったのかな

去年の昨日は、所沢のcafe Fu〜で、ワン友さん達と会っていた..初めて会う方達、顔馴染みの方達
元気は、終始にこやかで楽しそうな顔をしていた..今、生きている事を楽しんでいるように見えた..
大きな目が、キラキラ輝いていた..そんな元気を見ていて、ずっとこのままでいて欲しいと願っていた..
でも、本当は退屈だったんだろうな..私達がお喋りに夢中になってる間、ずっとカートの中だったから..
それが証拠にオシッコへ行きたいって、何度も何度も要求して来た..その度に外へ出ると嬉しそうだった
この時会ったのが、最後になってしまったキャバちゃんもいた..もう一度だけ、会わせてあげたかったな..
帰りがけ、ワン友さんと公園内を散策した..元気は、若いキャバちゃんに負けまいと必死で歩いていた。
普段は見られないような力強い歩き方だった..この負けん気が、生きる力になっていたかもしれない..

ドックカフェって、一対何なんだろう..ワンコにとって、本当は一番行きたくない場所なのかもしれない..
窮屈な場所に閉じこめられて、長々と話をしてる飼い主に付き合わされて、家で寝ていた方が楽かも
元気が小さな頃は、犬が入れる場所なんてほとんど無かった..いつも、車の中で待ちぼうけだった..
でも、待たせている元気が心配で、何事も決して時間をかける事はしなかった..それが当たり前だった
元気は、普段は聞き分けの良いお利口さんなワンコだった..でも、車で出かけた時だけは違っていた。
置いていかれる..それがトラウマとなり、私達が下りる時は大騒ぎだった..最後まで変わらなかった..
今のワンコ達は幸せかもしれない..飼い主に置いて行かれる事もなく、いつも一緒の時を過ごせる..

思い出ばかりを、追いかけている日々..私の心には残っていても、他の人の心には残っていないだろう


    「去年の4月19日 元気はみんなに会えて嬉しそうだった..まだ、まだ、元気一杯だった..」

2007/04/19(木) 思い出のゼブラへ..
今朝も、冷たい雨が降っていた..この雨が止んでくれないと、ゼブラで遊べないな..そう思っていた..

「寒いから、ゼブラじゃなくてカフェに変更しようよ〜」と言うルークママさんに、「行くだけ、行ってみよう〜」
そう言って、ゼブラ方面に向けて走り出した..久し振りの運転、無事に着くかどうか自信がなかった..
運転は5分もしないうちに感を取り戻したが、空は相変わらず低い雲に覆われていた..大丈夫かな?
そう思いながら走っていたら、ゼブラが近づくに連れ、低い雲の合間からお日様が見え隠れして来た..
ゼブラに着く頃には、青空から暖かい陽射しが降り注いでいた..元気が空の上で雲を取り払ってくれた
きっと、元気も一緒に走りたいんだろう..そんな思いで門を開け、懐かしいゼブラの中へ入って行った..

去年の7月初旬、最初で最後のゼブラ..そして、ここが元気とお出かけした最後の場所となってしまった
やっと、この場所へ来る事が出来た..元気が、重い足を引きずりながら必死で歩いていた2番目のラン
この場所でルーク君と勇気を遊ばせる事にした..ゼブラで撮った写真を持参して、ベンチに置いてあげた
暖かい陽射しの中で、ルーク君と勇気は飛んだり跳ねたり、ボールを追いかけたり、楽しそうに遊んでいた
暖かい陽射しが差し込むベンチに置いた元気の写真も、一緒に楽しみながら笑っているように見えた..

私達以外、誰もいないラン..貸し切り状態..少し寂しい気もしたが、心は開放感で一杯だった..
そろそろ、お腹が空いて来たので、カフェに移動する事にした..去年このカフェでアクシデントが発生した
元気が寝いた場所に、灰皿が倒れて来た..かろうじて、直撃は免れたが、心臓が止まる思いだった..
元気の体に突っ伏して、泣き崩れてしまった..そこに居合わせた全員が、私達を心配そうに眺めていた
その場所に立った時、その時の情景がはっきり浮かんで来た..ここに元気がいて確かに生きていたんだ

駐車場で帰り支度をしていたら、ゼブラの方に呼び止められた..そして、元気の安否を聞かれた..
たった一度しか来てないのに、元気の事を覚えていてくれた..あの後、どうしたのか気になっていたと..
あの時カフェに居合わせた人達の間で、元気の事が話題になっていたと言う..皆が心配していたそうだ
「ここへ来た2ヶ月後に、死んだんですよ」..「そうだったんですか..でも、きっと幸せだったと思いますよ」
「あんなに頑張って生きていたんだから」..元気は、見知らぬ人の記憶の中にも確かに生き続けていた

元気は、短い命を懸命に生きてくれた..幸せな生涯だったのだろうか..写真の中の元気に問いかけた


「暖かい陽射しを浴びて、写真の中の元気も気持ち良さそうだった..去年と同じ場所に写真を置いた」

2007/04/18(水) 帰って来ない..
元気は、彼と一緒に帰って来なかった..何処へ行っちゃったのかな?..今日はチャマちゃんと一緒かな

久し振りに覗いた、元気が通っていた病院のHPに、こんな事が載っていた..読んでいて腹が立って来た

【当院では、インフォームドコンセント(ご説明に基づく納得)をモットーにして診療をしています。
大切なご家族としての動物と、健康で末永く一緒に生活が送れますよう、スタッフ一同努力しています。
最近社会から注目されている人獣共通感染症についても、専門的に取り組んでいます。
特に検査体制は充実していますので、ご相談ください。相談は無料です。
セカンドオピニオンについても対応しています。高度医療につきましては、大学などと連携をしています。】

特に、セカンドオピニオンの対応に関してと、高度医療の大学病院等との連携に関して..嘘ばかり..
自分で治療が出来ないのなら、どうして獣医師会のネットワークを活用して紹介してくれなかったのか..
そう尋ねた時に、「セカンドオピニオンは、自分で探すものだ」..主治医は、そう冷たく言い放った..
大学病院への紹介に関しても、「大学病院へは、紹介などしなくてもフリーで行ける」..そう言い放った
他の獣医の紹介で、大学病院へ行った時に、その事を聞いてみた..「フリーでの診察は受け付けない」
「大学病院がフリーの患者を受け入れていたら、患者で一杯になって時間をかけた診察が出来なくなる」
元気を担当してくれた、大学教授の獣医がそう言っていた..私は、それが当たり前の事だろうと思った

どんな事があっても、自分が担当した患者の命を救おうと、努力をし手を尽くす事が、獣医の仕事だろう
何故、主治医は、元気の命を粗末にしたのだろう..去年の今頃、もう一人の獣医に問うた事があった
主治医がいない時に、元気に対する初期の段階での対応が間違っていなかったのかどうか聞いてみた。
初期の対応が間違っていた事を認める発言をした..レントゲンを撮らなかった事が全ての始まりだと..
あの時、椎間板だけではなく、足のレントゲンも撮るべきだったと..膝のお皿が外れてしまっていた事も、
骨の空洞化も、もっと早く発見出来ただろうと..そうすれば、治療の方法も変わっていたはずだと..

この獣医は、元気の事が大好きだった..いつも背中を撫でながら、ここにチャックがついていると..
元気の体の中には、人間が入っているから、こんなに言葉が通じるんだと..そんな事を言って笑っていた
元気が死んで2、3日後に、泣きながら電話をかけて来た..「元気君が、僕の夢の中に出て来た」と..
元気に謝りたいと言っていたが、未だに現れない..所詮、主治医と同類の獣医だったのだろうか?..

主治医に対する憎しみ、恨み、怒りは消えないが、一番悪いのは病院を変えなかった飼い主の私だ..


 「去年の今頃 電気鍼の治療中は、気持ち良さそうに熟睡していた..元気の事を大好きだった獣医」

2007/04/17(火) いなくなった..
今日は、どんよりとした曇り空..冬に逆戻りしたような寒さだ..こんな日は、心の中まで寒々しい..

月命日が済んだら、元気の気配を感じなくなってしまった..今度は、何処へ行っちゃったのかなぁ〜
今日は、異母兄弟のコロンちゃんの月命日..もしかしたら、コロンちゃんと一緒にいるのかもしれない..
と言う事は、大阪の地..彼の側にいるのかも..元気がいなくなると、心の中を風が吹き抜けて行く..
寂しい..形は見えなくても良いから、気配だけは感じていたい..明日、パパと一緒に帰って来てね!

娘からのメール..「突然で悪いんだけど、引っ越しするから」..娘は、私に対していつもこんな感じ..
近くに住んでいるから、会える機会が多かったけれど、沿線が違えば、ほとんど会う事は無くなるだろう..
元気が生きていた頃は、毎週のように遊びに来たけれど、いなくなってしまったら、ほとんど来なくなった。
旅行にも、一緒に行けなくなるらしい..彼も休みを取れないから、今後は私一人で行動するしかない
「引っ越しする前に、元気にお線香をあげに来てね」と入れたメールに対して、何の返答も無かった..

元気がいなくなって時間が経過して来たら、周りの人達も私から遠ざかってしまったような気がする..


   「去年の今頃 大好きなパパに抱かれて幸せそう..久し振りのシャンプーでシュルシュルな元気」

2007/04/16(月) 7回目の月命日..
昨夜、帰宅してから遅い晩ご飯を食べた後、彼も私も勇気も、いつの間にか床に転がって眠ってしまった

突然、パチッと目が覚めた..もしやと思い時計を見たら、2時13分..元気が死んだ時間の2分前..
元気に起こされた..元気の月命日に、彼がいる日はなかなか無かった..それなのに眠ってしまった。
「コラーッ、起きろ..僕の月命日に、寝てるなぁ〜」..きっと、そんな思いで私達を見ていたのだろう..
彼が慌てて、ベランダの窓を開けたが、☆は見えなかった..二人でゆっくり元気☆に語りかけたかった..
元気の祭壇の前に座り、お線香をあげながら、「元気が天国へ逝っちゃって、もう7ヶ月になるんだね..」
「時間ばかりが先行しちゃって、ママの心はそれについて行けない..ついこの間のような気がするよ..」

勇気がいるからと言って、元気を心の中から葬り去る事など出来ない..生きて来た時間が違い過ぎる
11年間、苦楽を共にし、一緒に生きて来た大事な家族..元気の存在を、否定する事など出来ない。
今でも、私の心の比重は元気の方が重い..生きている者を優先しなくてはいけない事は分かっている。
でも、勇気の比重が重くなるには、まだ時間が必要だ..元気は、私達にとっては特別な存在なのだ..

先日、勇気と遊歩道へお散歩に出かけた時、ルークママさんとベンチに座り元気の最後の日の話をした
「元気は、最後の最後まで頑張っていたよ..頑張り過ぎだよ..普通の犬なら、とっくに死んでいたよ」
「ママの事が心配で心配で、頑張っていたんだよ..最後に、私達にちゃんとお別れをして逝ったよね..」
そう..ずっと横になったまま、ゼイゼイと苦しそうな顔をしていた..その目は、黒目しか見えなかった..
最後の最後に、むくっと上半身を起こして、私達を見つめていた..そして、その目はキラキラ輝いていた
キラキラ輝き出した目を見て、元気は持ち直す..そう思った..でも、それは元気の最後の挨拶だった
元気の最後の頑張りを、見守っていてくれた人達がいる..私の娘、ルークママさん、コナママさん..
どうして良いか分からず泣きじゃくる私を、遠く大阪の地から、電話で励まし続けてくれたコロンママさん..
他の誰もが、元気の事を忘れても、あの日までの元気の頑張りを、記憶の片隅に留めていてくれるだろう

元気は、大勢の人達の優しさに包まれて、天国へ旅立って逝った..私達家族は今でも感謝している。


   「少し寂しくなって来た祭壇..左側に、ラッキーかあちゃまから頂いた、陶器の鯉のぼりを飾った」

2007/04/15(日) 再会&お披露目..
彼の帰りを待って、勇気のお披露目にラッキーかあちゃま宅へ遊びに出かけた..久し振りの再会だった。

ラッキーかあちゃまと初めて会ったのは、去年の7月下旬..元気が大学病院で検査を受けた直後だった
元気は、この頃病院通いばかりが続いていて、精神的にも肉体的にもとても落ち込んでいた時期だった
前日まで、ぐったりしていたのに、ラッキーかあちゃま&ラッキー君に会ったら、顔に輝きが戻って行った..
元気は、自分の寝床から身を乗り出して、ラッキーかあちゃま&ラッキー君に初対面の挨拶をしていた..
ラッキー君は、元気に遠慮をしていたのか、元気の体が普通ではないと感じたのか、少したじろいでいた。
それでも、キャバ同士..少〜しだけ近づいてくれた..あの時の元気の嬉しそうな顔を今でも忘れない。

元気が天国へ逝ってしまった9月16日..この日は、ラッキーかあちゃまと再会を約束していた日だった..
真夜中に、元気が天国へ逝ってしまった事をメールで伝えた..本当は一緒に送って欲しいと願っていた
もしかしたら、元気はラッキーかあちゃまとの再会の日を知っていたのではないだろうか..そんな事を想う。
元気の月命日の前日に、ラッキーかあちゃまに再会したら、心の中の隙間風が吹かなくなってしまった..
今日の再会は、元気が導いてくれたのではないかとう..元気もラッキーかあちゃまに会いたかったのだろう

ラッキーかあちゃま宅へ向かう道..一昨年のアリスちゃんと元気の合同誕生会に向かう為に通った道..
あの時の元気は、とっても元気だった..待ち合わせのカフェへ向かう車の中でも、ハイテンションだった..
大好きなアリスちゃんに会えるんだよと、前日から言ってあったので、支度をする私の側でソワソワしていた
現地に着いたけれど、道を間違えてUターンしている私に対して、後部座席から抗議の声を発していた
車窓を眺めながら、あの時の自分や元気の事を思い出していた..今は懐かしい思い出となってしまった

ラッキーかあちゃまの部屋に、元気の写真が飾ってあった..今でも元気を大切にしてくれてありがとう..


「去年の7月29日 ラッキーかあちゃま&ラッキー君に会って顔が輝いた..大切にされていた元気の写真」

2007/04/14(土) 不思議..
穏やかな青空..穏やかな春の陽射し..穏やかな春の風..でも、私の心には隙間風が吹いている。

久し振りに、ショパンが聴きたくなった..ずっ〜と、聴いていなかった..ショパンの旋律は、涙を誘う..
窓際に座り、ベランダの元気の定位置だった場所を見ていたら、そこに縄張り見張りしている元気の姿が
見えたような気がした..春になると暖かい陽射しを浴びながら、その場所に座りずっと外を見ていた..
今は、勇気が元気と同じ位置に座り、外を通る人や犬を見ている..ベランダの番人は勇気に変わった

ショパンを聴いていたら、未だに足を踏み入れられない、反対側の遊歩道の景色がが浮かんで来た..
今は、勇気との散歩道になっている遊歩道に行けなかった時も、こんな風に景色が浮かんで来た..
元気が呼んでいるような気がした..「もう、いい加減に歩いてみたら..勇気と一緒においでよ〜」と..
勇気を連れて、行ってみる事にした..いつものように遊歩道へ向かい、横断歩道を渡ろうとしたが、
いざ行こうとすると、足が前に進まなくなってしまった..しばらく、遊歩道の入口付近でためらっていた。

その時、勇気が私を引っ張って、横断歩道を渡り始めた..え〜っ!どうして、私の気持ちが分かるの?
そのまま、勇気に引っ張られて、遊歩道を進んで行った..そして、あの場所のPの看板が見えて来た..
行けない..やっぱり、行けない..あの場所の前を通れない..私の足が、手前で止まってしまった。
勇気はどうするのかなと見ていたら、突然くるっと向きを変えて、今歩いて来た道を勝手に戻り始めた..
勇気には何も言ってないのに、どうして私の気持ちが分かるのだろう..今日は不思議な体験をした..

今日も、遊歩道で「乳母車に乗ったワンちゃんは?」と、聞かれた..元気を覚えていてくれてたんだ..


  「去年の今頃 ベランダの定位置で、縄張り見張り..元気と共に生きて来たお花が今年も咲いた」

2007/04/13(金) 祭壇の元気..
最近、全く☆が見えない..昼間は晴れていても、夜になると雨が降って来る..今日も見えないだろう

昨夜、勇気の粗相疲れもあって、イライラしていた..祭壇の元気の写真を見ていたら、涙が溢れて来た
元気は、勇気みたいじゃなかったよね..パピーの頃から、パパやママの言う事を理解してくれたよね..
お留守番をしてる時も、お利口さんでいてくれたよね..ママが疲れている時は、そっとしてくれたよね..
パパやママが元気を必要だと感じた時は、呼ばなくても側に来てくれたよね..何でも理解してくれたよね
どうして、勇気には言っている事が伝わらないの?..どうしたら、元気のようになってくれるのかな?
泣きながら、祭壇の元気の写真に語りかけていた..泣いたって、元気は答えてはくれない..寂しい..

去年の今日は、病院へ行った..足に溜まっていた液体を抜いて、検査に廻す予定になっていた..
その事を、鍼の先生に相談したら、患部に針を刺す事に寄って、全身に癌細胞が回る危険性があると
それに、今頃になって検査をした所で遅すぎると..今更、元気に痛い思いをさせる事はないと言われた
それを主治医に伝えて、検査の中止を申し入れた..主治医は、一瞬困惑した顔をしてムッとしていた
私が一番言いたかった事は、初期の段階で精密検査をしていれば、こんな事にはならなかったと言う事
初期の段階で、適切な検査、適切な治療を施す事が、医者としての責任ではないのだろうか..?

この時、患部に針を刺す事を留まったのに、何故大学病院で針を刺す事を許可してしまったのだろう..


「去年の4月13日 病院までテクテクと歩いて行った..私が一服ばかりしているので、元気は呆れていた」

2007/04/12(木) 思い出..
昨日より、心の中のすきま風が強く吹いている..あの時、本当に元気の命を救えなかったのだろうか?

いつも思う..私が元気の命を縮めてしまったのではないだろうか..余計な神経を遣わせてしまった..
毎日を穏やかに過ごしていれば、もっと生きられたのではないだろうか..元気は、私に遠慮していたの?
瞼の上にシコリを発見した時に、私の心に諦めの気持ちが芽生えてしまった..それを見抜いていたの?
毎日の介護で疲れ切って、辛く当たってしまった時もあった..そんな時の元気はいつも伏し目がちだった
一番辛かったのは元気なのに、自分の感情をぶつけてしまった..今更謝っても遅いけれど、「ごめんね」

去年の今日は、まりさん&エマちゃんと、嵐山パーキングで待ち合わせをして、ブリーダーさん宅へ向かった
元気には前日から、「明日、エマちゃんに会えるよ」と言っておいたので、当日は朝からウキウキソワソワ
行きの車の中でも、ハイテンションだった..嵐山パーキングに到着すると、早速エマちゃんを捜していた。
以前、カフェで待ち合わせをした時も、エマちゃんが到着するのを、今か今かと外を見ながら待っていた..
会っても、そんなにべたべた仲良くする訳じゃないんだけれど、会えるのが嬉しかったんだろうなぁ〜

嵐山パーキングで無事に合流して、ひとまず花園の道の駅へ寄った..ここで、アクシデントがあった..
私が、滅多に開けない助手席のドアを開けた時、後部座席にいた元気が立ち上がってしまった..
その時、「キャン」と泣いた..多分、骨が折れてしまったのだろう..「キャン」と泣く度に折れていたようだ
この頃、既に骨の空洞化が進んでいた..ほんの僅かな衝撃でも、折れてしまう危険性が潜んでいた..
そのリスクを背負ってでも、一緒に行動したかった..そして、ワン友さん達にも会わせておきたかった..

ブリーダーさん宅で、まりさん&エマちゃんは、パパとお祖父ちゃんに会う事が出来た..感激だったね!
ちょうど子犬がいたので、元気に会わせてみたら、カートの上でくるっと向きを変えて拒絶されてしまった。
元気が生きているうちに、子犬を飼おうかなと言う考えは、元気の態度を見てもろくも崩れてしまった..
今思えば、飼わなくて良かったと思う..子犬がいたら、元気への愛情や世話が疎かになっていたと思う
ブリーダーさん宅は、たくさんのキャバが吠えまくり..エマちゃんは怯え、元気は不機嫌な顔をしていた..
元気は、ここで産まれ、ここで育った事を、忘れてしまったのだろう..パパもママも一緒にいたのに..

ブリーダーさんに会わせておいて良かった..この日が、元気が里帰りをした最後の日になってしまった..


  「この頃の元気は、病気なのにおデブちゃんだった..ベンチの上で、エマちゃんを待っていた元気」

2007/04/11(水) 死亡届け..
今日も、夕方から雨が降って来た..最近、こんな事が多い..雨が降る度に、公園の木々が美しくなる

元気の介護が始まってから、ず〜っと続いている事..彼が2日おきに、日々の買い物に行ってくれている
銀行、郵便局への支払いや振り込み、元気のお花や煙草までも..去年の夏から、ずっと甘え放し..
勇気が来た時に、「これで僕もやっと解放されるね」..そう言って、安堵の表情を浮かべていたのに..
未だに、解放してあげていない..大阪や和歌山から、徹夜で運転して来て疲れているだろうに..
自分の睡眠時間を削ってまで、買い物へ行ってくれる..今では、私より買い物上手になってしまった..

元気の死亡届けを出し忘れていたら、狂犬病ワクチンのハガキが来てしまった..とても複雑な心境..
出し忘れていたと言うより、出したくなかったと言うのが本音かもしれない..死んだ事を認めたくなかった
でも、出さなきゃいけないんだ..勇気の登録と同時に、元気の死亡届けを出さなくちゃ..何だか寂しい

もうすぐ7回目の月命日..月命日が近づくと、心の中にすきま風が..死ぬなんて思っていなかった日々


 「熊さんの敷物は、今でも玄関で元気の帰りを待っている..今年も来てしまった狂犬病予防注射」

2007/04/10(火) 狂犬病ワクチン..
狂犬病ワクチンの、接種時期が始まった..去年のワクチンは、病気を理由に接種する事を拒否した。

元気の主治医は、狂犬病予防に力を入れている獣医..○○とか言う組織に所属して活動している。
だから、ワクチン接種を拒否した時に、露骨にムッとしていた..何でもかんでも接種したいようだ..
癌や心臓病を抱えた犬に、5種や8種混合ワクチン、狂犬病ワクチンが病に影響する事を知らないのか
8種混合ワクチンを接種するかどうか悩んでいた時も、「接種しないなら外に出すな!」その一言だけ..
その言葉の裏には、「接種しないなら病院にも連れて来るな..」と、含まれているような気がした..
自分の目の前で、病気で苦しんでいる患者の命を粗末にするような医者が多くの犬を救えるのだろうか

先日、舞浜駅に向かう前に、近くのコンビニに寄った..元気の病院へ繋がっている道を通って行った..
ある交差点を左折すると、右手に遊歩道の最後の桜並木が見える..あ〜ここを何度通っただろうか
そして、左手にも遊歩道が見える..去年の今頃、ベンチに座って屋台で買ったたこ焼きを食べたっけ
そして、コンビニの駐車場から、郵便局に繋がる歩道が見えた..病院の帰りに良くATMに寄っていた..
ATMの前で、窓口での支払いが終わるのを、お行儀良く待っていてくれた..そんな事を思い出していた
その歩道の先には、良く行っていた銀行もある..じーっと見ていたら、そこに元気の姿が見えた気がした
コンビニの駐車場を出て真っ直ぐ行くと、どうしても行けない場所の前へ..ちらっと視線に入ってしまった
悲しかった..辛かった..そして言いようのない寂しさに襲われた..まだ、あの場所へ行くのは無理だ。

未だに主治医に対する怒り憎しみが、心の中にくすぶっている..命を粗末に扱った主治医が許せない


「携帯のメモリーに残っている写真..どの写真も去年の元気..とても10歳過ぎのキャバには見えない」

2007/04/09(月) 今日も..
夕方、雷が鳴った..元気の祭壇に向かって、そっと「ゴロゴロ、ピシャーンだよ」..そう話しかけていた。

元気は、何も答えてくれない..一方通行の会話..独り言..それでも、いつも話しかけてしまう..
もしかしたら、私が話しかけている声が聞こえているけれど、返事が出来ないだけなのかもしれない..
そんな事を思いながら、話しかけている..お出かけする時も、「行ってくるからね..良い子で待っててね」
帰って来ると、「元気、ただいま〜寂しかった?」..生きている時と同じように、毎日話しかけている..
心の中に、空しさが漂うけれど、話しかけずにはいられない..未だに、未練がましい日々が続いている

去年の今日は、ホンダの帰りに赤塚公園へ寄った..お弁当を買って、赤塚公園の側に止めて食べた。
お弁当を食べた後、赤塚公園を散策した..元気は、足の調子が悪いのか、あまり歩きたがらなかった
それでも、桜の花弁が散る中を、気持ち良さそうに歩いていた..そんな姿を見られるのが嬉しかった..
このまま、穏やかな日々が続いてくれたら、どんなに幸せだっただろう..でも確実に病魔は進行していた

そろそろ、晩ご飯でも食べようかなと、こたつの前に座っていた..ふと、私の横に何かの気配を感じた..
白い物がす〜っと私の横を通り、元気愛用のソファーの上で消えた..あっ!..元気が歩いて行った..
その時勇気は、私から1m位離れた見える場所でご飯を食べていた..だから、勇気が歩いた訳じゃない
私がこんな経験をするのは2回目..もっと、現れているのかもしれないが、私はそれを感じ取れない..
前回と言い、今回と言い、私に何を伝えたかったのかな..心配して現れたのか、それとも縄張り点検?

HPを始めて、そろそろ2年になる..元気がいたから始めたHP..いなくなった今、続けて良いのだろうか


「去年の4月9日 パパと一緒なのでご機嫌だった..春風に吹かれ凛々しい元気&一生懸命歩く元気」

2007/04/08(日) 再会..
今日は、ディズニーシーに遊びに来る、クウカイママさん親子に会う為に、舞浜駅まで出かけて来た..

一昨年の9月、軽井沢で会って以来の再会..元気は、まだ元気一杯に歩いたり、走ったりしていた..
軽めのビッコは引いていたが、さほど気にならなかった..皆と一緒に、カフェやラン、ショッピングを楽しんだ
スカイパークで、リフトに乗ってコスモスが群生する頂上へ〜下りのリフトで震えていた私を慰めてくれた..
そし、スカイパークの駐車場で再会を約束してお別れ..この時が、元気との最後の別れになってしまった
あれから、1年半..こんな形で再会するとは思ってもいなかった..私の側にいるのは元気ではなく勇気
正直、元気を連れていない事が、もの凄く寂しかった..11年間、私の側には元気が寄り添っていた..
勇気とではなく、元気と一緒に会いたかった..元気の存在がどれほど大きかったか、改めて分かった..

舞浜駅に、予定より早く着いた..私達がいる場所が分かるかどうか心配したが、すぐに会う事が出来た
携帯で自分達の居所を知らせながら歩いていた..噴水の前に、懐かしいクウカイママさんの姿が見えた
絶対に泣かないつもりだった..でも、顔を見た途端、人が往来する歩道で、抱き合って泣いてしまった。
久し振りに会えた事..元気が死んでしまった事..何も話さなくても、お互いの心が通じ合っていた..
元気の事を、話せば悲しくなる..話せば辛くなる..話せば寂しくなる..話せば思い出してしまう..
元気が生きていたから、クウカイママさんと知り合う事が出来た..そして、思い出もたくさん残してくれた。
元気がいなくなっても、クウカイママさんとの絆が切れる事はないだろう..心から元気に感謝している..

短い時間しか会えなかったけれど、それでも充分幸せだった..きっと、元気が会わせてくれたのだろう..


  「一昨年の9月..北軽井沢の珈琲工房須田でワンコケーキを..スカイパークのランで走る元気」

2007/04/07(土) 行けた..
今日は、ルークママさん&ルーク君と、お散歩へ行く約束をしていた..行き先は思い出の赤塚公園..

まずは、赤塚公園に隣接する「我が家の秘密の場所」へ..ここへ勇気を連れて来たのは初めての事。
先日、手前の公園までは来たけれど、ここへ来る気持ちになれなかった..やっと行く事が出来た..
椅子に座って、おにぎりを食べていたら、去年の春ここへ来た時の楽しそうな元気の顔が浮かんで来た。
桜も完全に散ってしまった頃、今日と同じようにコンビニでおにぎりと唐揚げを買って、ここへ来たっけ..
私達が食べていた、おにぎりと唐揚げをおねだり..少し分けてあげたら、満足そうな顔をしていたっけ..
健康だった頃は、この公園の中を走り回り脱走を企てたり、新芽がついている草を食べたりしていた..
元気も一緒に来てるかな?..一緒に春の陽射しを楽しんでいるかな?..そんな思いで一杯だった..

いよいよ雑木林の中の階段を下りて、メインの赤塚公園へ〜去年の初夏以来、足を踏み入れなかった
元気が死んでしまった後は、車の中からこの公園が見えただけで、悲しくて辛くて目をそらしていた..
そんな場所に、自分が立っていた..ルルちゃんと会った時に、お弁当を食べようって座った場所が見えた
その場所には、黄色い花がたくさん咲いていた..こんな綺麗な花が咲く場所だったんだ..知らなかった
ファインダーから覗き込んだ時、その場所に元気とルルちゃんと私達が、座っているような気がした..
お弁当を食べようとしたら、蚊の大群に襲われて、その場所から避難して、ルルちゃんちまで行ったっけ..
その日の事を思い出しながら歩いていたら、涙が溢れそうになってしまった..泣かない..泣かない..

帰り道の遊歩道で、ハッちゃんのママさんに会った..元気の介護が始まってから、ずっと会っていなかった
元気が死んだ事も、新しい家族が来た事も知っていた..微笑みながら「この子が新しい家族なんだね」
「どうしても、元気と比較しちゃうんです」..「仕方がないよ..犬種が違っても比較しちゃうんだから..」
「それに、今はまだ無理だよ..時間が解決するよ」..その言葉を聞いて、少し心が軽くなったような..

赤塚公園に行けたのだから、あの場所にも行けそうな気がして来た..でも、まだ当分行けないだろうな


 「一昨年の秋..仲良くお菓子をおねだりするルルちゃんと元気..その場所に黄色い花が咲いていた」

2007/04/06(金) あ〜びっくり!
昨夜は、久し振りに☆が見えた..でも、元気☆が分からない..どこへ行ってしまったの?元気☆〜

突然、掲示板が消えた..「エラー、登録して下さい」..えーっ!登録してあるから使えていたのに..
もしかしたら、新しくなったと言っていたから、移行手続きをすれば、使えるようになるかもしれない..
そう思って、移行手続きを始めたら、何度やってもIDとパスワードが違うと出て、移行手続きが出来ない。
IDとパスワードに間違いはない..「何だよ、むかつく」..そうだ、今流行の掲示板荒らしかもしれない..
FC2に苦情のメールを入れたが、返信も来ない..もう一度だけ、移行手続きに挑んでみた..完了!
何だ、出来たじゃん..その事を知らせに、ワン友さんのブログへ行ったら、掲示板復活してるじゃん..
え〜っ!..私の苦労は何だったんだろう..結局、FC2に問題があったんだ..無駄な時間を費やした

去年の今日は、ルーク君の兄貴に任命された日だった..ルーク君は、今の勇気と同じ位の月齢だった
ちっちゃくて可愛かったぁ〜お散歩をしていても、歩いては止まり、歩いては止まり..そんな感じだった..
元気は、ちっちゃいワンコはあまり好きではなかったが、ルーク君に対してだけは、この頃から違っていた..
ルークママさん曰く..自分がいなくなった後の事を考えていたんじゃないかと..元気に狙われていた?

この日は、大好きなジョン君にも会う事が出来た..桜散る遊歩道に、ご機嫌な元気の姿があった..


    「まだ、小さかったルーク君..今では体格も毛並みもりっぱになった..優しい眼差しの元気」

2007/04/05(木) う〜ん..
久し振りの青空だった..風が少し冷たかったが、それが心地良かった..公園の桜も葉桜になって来た

勇気と遊歩道へ..花弁が散って、地面は桜の絨毯..元気がいなくなって、初めての桜並木も終わり
勇気と歩きながら、去年の今頃の元気を思い出していた..散った桜の花弁が飾り毛に一杯ついていた
それでも、歩いてくれる事が嬉しくて、歩かせていたっけ..元気は、この頃食欲満点でとても元気だった
病気を抱えているなんて思えないほど元気だった..体重が減る事もなく、むしろ増えていた位だった..
このまま、この状態を継続して欲しいと願っていた..体力さえあれば、病気に打ち勝てるに違いないと

西洋医学に見捨てられた命、東洋医学に拾われた命..そして、ホリスティック療法に委ねる命..
私は、何を選択して良いのか、分からなくなっていた..どの方法が、元気にとって最善の方法なのか..
西洋医学では当たり前の事が、東洋医学とホリスティック療法では否定される..頭の中がごちゃごちゃ
でも、後になって分かる事なのだが、東洋医学とホリスティック療法を選択した事が元気の命を長らえた
西洋医学を選択していたら、元気の命は9月までは持たなかった..西洋医学的には、奇跡の命だった

ステロイドの注射で肝機能の数値が落ちたのを、元の数値に戻したのもホリスティック療法のお陰だった。


 「元気は、表情豊かだった..喜怒哀楽がはっきり分かった..この顔は、少し怒ってるぞーシリーズ」

2007/04/04(水) 雷..
今朝も寒かった..今にも、雨が降り出しそうな空..こんな日は、心にも体にも雨が降って来そうだ..

案の定、午後になって雨が降り出した..もの凄い雷も鳴り出した..外は、真っ暗になってしまった..
慌てて、パソコンを消した..パソコンとテレビが連動しているので、テレビを観る事も出来ない..
勇気は、雷がなっていても、平然とした顔をして、布団の上に座っていた..音には敏感なはずなのに
「ゴロゴロピシャーン!..怖い、怖いよ〜」..元気にこう言うと、雷がなっていなくても慌て不為いていた
雷が鳴り出すと、慌てて私のお股の中に、避難して来た..それは、病気になってからも同じだった..
普段は、とても素っ気ないワンコだったが、そんな時は思い切り甘えて来た..そんな元気が愛しかった。
勇気に同じ事を言ってみた..何が何だか分からないと言う顔をしていた..分からなくて当たり前か..
元気の写真に向かって、「元気、ゴロゴロピシャーン!..怖い、怖いよ〜」..途端に涙が溢れて来た。
雷が鳴ってる間、涙が止まらなかった..勇気は、そんな私を慰めてくれたが、それがうっとうしかった..

去年の今日、病院で検査をした..検査と言っても、いつもの軽い検査にエコー検査が増えただけ..
左後ろ足の骨は、もう取り返しがつかない状況..腫れ上がった部分の中身は、水ではなく液体だった
主治医は、液体を抜く事を躊躇していた..中身の液体が何なのか、詳しい検査をしていてくれたら、
他に何だかの方法があったかもしれない..血液検査の結果、肝臓の数値が、5倍に跳ね上がっていた
ステロイドの注射をする前は、正常値内の数値だったのに、やっぱりステロイドが悪影響を与えてしまった
主治医は、病気を治すのではなく、病気を発症させてしまう..ストラバイト結晶も、肝機能の低下も、
元気の体の事も考えずに、安易にフードを変えたり、ステロイドの注射をした結果..信頼を失墜させた

遊歩道の桜並木を歩いて、病院まで通った..美しい桜並木に感動する心と、暗い心が同居していた


 「生後4ヶ月から10年以上、元気と共に信頼して通っていた病院..待合室では、いつでもリラックス」

2007/04/03(火) 憎悪..
今日は雨..そして寒い..昼間の気温が、6度だったらしい..思わず、ストーブのスイッチを入れた..

身体の調子は相変わらず..朝も起きられなかった..そして、日中もボーッとしてる時間が多かった..
目を覚まそうと、お風呂に入ってみたが、対して身体に影響はなかった..夕方も勇気と一緒にお昼寝
緊張感のない毎日だから、身体にも緊張感がないのだろうか..生きる張り合いも、目的もないし..
元気が病気になってからは、毎日が緊張感の連続だった..でも、その中で楽しい事もたくさんあった..
メリハリのある毎日だった..元気と共に、生きる喜びを分かち合っていた..毎日が、とても充実していた
辛い事、苦しい事、悲しい事もたくさんあった..でも、元気の生きる力に後押しされて、私も生きていた

去年の今頃、元気の左後ろ足が腫れて来た..ステロイドの注射をしてから数日後に腫れてしまった。
この日から、元気の左後ろ足の腫れが始まった..ステロイドの注射が、足に影響を与えてしまった..
元気の足の事を何も考えないで、ステロイドの注射をした主治医..この獣医を憎んでも憎みきれない
最初は、ピンポン玉位の大きさだった..この時、中の液体を抜いていたら、どうなっていたのだろうか..
今更言っても遅いけれど、最初に痛みを訴えて、病院へ行った時に、適切な検査をしてくれていたら、
こんな事にはならなかっただろう..この時から、左後ろ足の腫れとの闘いが始まった..死んだ日まで..

主治医への憎悪は、未だに心の中から消える事はない..私がこの世から消えるその日まで続くだろう。


  「去年の今頃..コロンママさんから届いたげんきロゴ入りシャツ..丸く腫れた部分が後に破裂した」

2007/04/02(月) 何だか..
身体の調子が悪い..目覚めは悪いし、指は浮腫っぱなしだし、○ッコの出は悪いし、イライラする..

仕事を辞める頃もこんな感じだった..元気の介護中もこんな感じだった..そして最近、再び始まった。
もしかしたら、ストレスが溜まっているのかもしれない..勇気を育てる事に疲れたのかもしれない..
未だに、私の心の中を占めているのは元気..勇気を育てながら、絶えず元気と勇気を比較している。
してはいけない事は、充分分かっている..この気持ち、愛しいワンコと死に別れた人なら分かるだろう..
やっぱり、元気への想いと完全に決別してから、次のワンコを迎えた方が良かったのではないだろうか..
勇気は可愛い..でも一緒に生きた時間が違い過ぎる..この先、元気のような存在になれるのだろうか

台所の隅で、煙草を吸っていると、元気が死んだ日の事を思い出す..台所の隅で震えていた事を..
何も出来ない私に変わって、ルークママさんとコナママさん、娘が左後ろ足の始末をしてくれていた..
腫れていた内側の皮膚が壊死して、足の付け根から真っ黒い皮膚が、数カ所からぶら下がっていた..
数日前までは、新しい被毛が生え始めていて、ピンク色の皮膚だったのに、あまりに変わり果てていた。
何も出来なかった..何もしてあげられなかった..ただ、台所の隅で震えながら泣きじゃくるだけだった。
腫れた左後ろ足を抱えながら、懸命に生きていた元気に対して、私はいったい何をして来たのだろうか
台所の隅で、煙草を吸いながら、死んだ日の事を思う..触れる事さえ出来なかった自分が情けくなる。

このHPのトップページの写真をクリックすると、元気のお墓が現れます..お参りして頂けたら幸いです..


  「去年の4月2日 小さかったルーク君とお菓子争奪戦..コロンママさんから届いたボーダーシャツ」

2007/04/01(日) 心の中..
今日は、エイプリールフール..そして、父の命日..今年もお墓参りに行けなかった..怒っているかな?

昨夜、私は発狂しそうだった..もう、何もかもが、どうでも良くなった..投げ出したい、逃げ出したい..
上の部屋の騒音で、寝不足でイライラしているのに、それに比例するように、勇気が粗相をしまくっていた
しかも、私が見ている目の前で..粗相した後を片づけていたら、また新たな場所に粗相をし続けていた
色んな事が重なって、私の神経はズタズタ..訳もなく涙が溢れ、雑巾を握りしめながら泣き続けた..
勇気の事なんて、もうどうでも良かった..ただ、ひたすら元気の名前を呼び続けた..元気..元気..

ワン友さんに、メールで助けを求めた..帰って来たメールの文章を読んでいて、はっと我に返った..
勇気は、私の心の中に自分がいないと分かっているんだ..だから、気を引く為にわざと粗相をしている。
私に怯えて、どこかに隠れてしまった勇気を呼んだ..全身で喜びを表しながら私の胸に飛び込んで来た
勇気を抱きしめながら、謝り続けた..生きているこの子を大事にしなければ、きっと元気にも叱られる。
気持ちが落ち着いて来たので、早めにお布団に入った..勇気も、安心した表情で安らかに眠っていた
爆睡していた勇気が突然起きて、布団の上でお座りを始めた..そして、台所の一点を見つめていた。
寝なさい..そう言って布団に入れたが、またお座りをして一点を見つめる..その眼差しは真剣だった。
あっ..元気がそこにいるんだ..勇気には元気が見えるんだ..「ママを困らすなよ」そう言ったのかな?

去年の今日は、ルークママさん&ルーク君と、赤塚公園までお散歩に行った..元気は大張り切りだった
カートの上で、やたらに張り切っていた..赤塚公園へ行く道を覚えていたので、とても嬉しかったようだ。
赤塚公園に着いたら、以前ルルちゃんと会った方向ばかりを見つめていた..そこへ遠くの方からキャバが
元気は驚くような走りで、そのキャバちゃん目がけて行ったのに、ルルちゃんじゃないと分かってがっくり..
自分から行ったにも拘わらず、いきなりプィッとそっぽを向いてしまった..私達は苦笑いをしていたっけ..

今日は去年と同じ道を歩き、その時の元気を思い出しながら、赤塚公園側の別の公園まで行って来た


「去年の夏以降、足を踏み入れなかった反対側の遊歩道..元気が通った病院まで延々と続いている」


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