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2007/05/31(木) 思い出7..
今日は、勇気とのお散歩から帰って来たら、雷と豪雨..やっぱり、私は元気に守られてると感じた..

去年の今日は、関西旅行の最終日..いよいよコロンママさん、コロンパパさん、コロむすさんとお別れ..
帰りたくなかった..もっと一緒にいたかった..これが、元気を会わせられる最後だと思っていた..
重い心を引きずったまま、車に乗り込んだ..泣かない..絶対に泣かない..そう心に誓っていた..
車が走り出した途端、ケージの中にいた元気が突然出て来た..そして、開いていた窓から顔を出した。
きっと、サヨナラを言いたかったんだ..元気の足を持って、コロンママさん、コロむすさんにバイバイ..
サヨナラの挨拶が済むと、元気はケージの中へ戻って行った..もう、会えないと分かっていたのだろうか?

帰り道..奈良県内のSAで、地元のトマトや野菜を買った..トマトは、甘くてとっても美味しかった..
元気はトマトが大好きだったので、一緒になって食べていた..「ママ、このトマト美味しいね」そんな顔で
今でも、法隆寺等のCMを見ると、このSAの景色が浮かんで来る..何故か、このSAが忘れられない。
我が家へは直行せずに、なおたさん宅へもう一泊した..元気は、いつものようにソファーに座っていた..
ソファーに敷いてあったバスタオルは、パピーの頃からの愛用品..元気と一緒にお空へ逝ってしまった..

この旅行は、生涯忘れられない思い出となった..元気もお空の上で、この旅行を思いだしているかな?


  「なおたさん宅にて..パパに抱っこされてご機嫌だった..ぎゅうちゃんと元気の最後のツーショット」

2007/05/30(水) 思い出6..
何だか、はっきりしないお天気..こんなお天気が続くと、心の中もはっきりしなくなって来る..暗い。

パートナーズの最後の日..朝食を済ませ、チェックアウトも済ませ、お土産の奪い合いも済ませた..
テラスに爽やかな風が吹き抜けていた..私達も元気達も、誰もが皆笑っていた..楽しい2日間だった
最後にと、パートナーズの敷地内にあるランで、遊ばせる事にした..リードから解き放された瞬間..
元気が走り始めた..あんなに走った姿を見たのは、この日が最後だったかもしれない..そうきっと最後
その後、やはり併設されているプールへ移動した..シエルちゃんが、プールに投げ入れられていた..
その姿を見て皆で大爆笑..後で、その時の元気の写真を見たら、カートの上で笑っていた顔があった。

パートナーズを後にして、お醤油の街「湯浅」へ〜お醤油を求めて爆走..お醤油の瓶は未だにある..
お醤油を買って、今度は梅干しを求め、マリーナシティーへ〜海辺なので、とにかく真夏のように暑かった
黒潮市場で梅干しを買って、あまりの暑さにみんなでソフトクリームを食べた..黒沢牧場の物だった..
黒沢牧場は初めて和歌山へ行った時に、マミーさんに連れて行って貰った..カーリーちゃんと遊んだっけ
トランク一杯にお土産を積んで、最初の日に行った大阪のカフェに向かった..ワン友さんに会う為だった
なおたさんのワン友さん、オータムココさんにも会う事が出来た..全ての日程を終えコロンママさん宅へ〜

パートナーズのランで走っている姿を、なおたさんが撮っていてくれた..勇気のブログにアップする予定..


  「パートナーズのランで、急に走り出した元気..暑くて、ソフトクリーム争奪戦が繰り広げられていた」

2007/05/29(火) 思い出5..
昨日から、気温が下がって来た..風がとても冷たく感じる..去年の今頃の関西は、もの凄く暑かった

真夜中まで、話し込んでいたので、誰も起きてこなかった..私は、眠くても物音で目が覚めてしまう。
遅めの朝食を終わらせ、和歌山市内にある、元気がお世話になっていた、HAC和歌山さんへ向かった。
店長さんは元気の顔を見て、思ったより元気だね〜毛艶も良いし、目も輝いているし、これなら大丈夫
太鼓判を押してくれたが、足の液体を抜くと、ガン細胞が全身に広がってしまう可能性があると言われた
それなのに、大学病院で針を刺してしまった..この忠告を守っていれば、もっと生きられたかもしれない
元気と私の繋がりは、非常に濃い関係だと..元気と私を見ていて、「あ.うん」の呼吸があると言われた

HAC和歌山さんを後にして、もう一度ピカさんに会う為にエマへ向かった..そこで思わぬ出会いがあった
コロンママさんのワン友のpikoさんが偶然ランにいた..出会い後に、私を励まし続けてくれたpikoさん..
元気が生きていたから、色んな出会いが生まれた..心から、元気に感謝している..今もこれからも..
この日の元気は、元気良くランで走っていた..とっても楽しそうだった..どんどん元気になって行った..
生きている喜びを、私達に伝えているようだった..そんな元気を見ていて、連れて来て良かったと思った
夕方までランで遊んで、ピカさん、pikoさんに別れを告げ、再び高速でパートナーズ湯浅へ戻って行った。

ちょっと豪華な夕食を食べ、残ったお肉を元気達にもあげて、パートナーズ湯浅の最後の夜を楽しんだ。
でも、みんな遊びすぎたのか、ぐったりしていた..そろそろ疲れが出ていた..私も途中から記憶なし..

シエルちゃんが、元気に寄り添うように眠っていた..そんな姿がいじらしかった..シエルちゃんに感謝!


   「パートナーズ湯浅の朝..何処へ行っても草が大好きだった..ランでウンPをしていましたぁ〜」

2007/05/28(月) 思い出4..
あのキャバちゃんが、お☆様になってしまったのが、ショックだった..懸命に病気と闘っていたのに..

HPのメモリアルを読んだ..愛する家族を失ってしまった思いは、みんな同じだ..涙が溢れて来た..
お花に囲まれた写真を見て、そう言えば元気はお花に囲まれてなくて、寂しげにポツンと横になっていた
何にもしてあげなかった..その時の事が、また蘇って来てしまった..お花を供える心の余裕もなかった。
可哀想な事をしちゃった..側についててあげる事もしなかった..冷たくなった体に触れられなかった..
彼が帰って来るまで、荼毘に付さなければ良かった..あの暑かった日には、それは不可能だったけど..
何度振り返っても、後悔する事ばかり..だから、いつまでもグズグズなんだ..自分が嫌になって来た..

去年の今日は、和歌山市へ向かっていた..13時に、カフェエマで、ピカさん、マミーさんと待ち合わせ..
前の年の12月以来の再会だった..エマでランチを食べて、久し振りの再会に、大盛り上がりだった..
ワンコ達は、エマに併設されているドックランで、楽しそうに遊んでいたが、元気は気乗りしていなかった..
K太君が、でっかいワンコを追いかけ回し、一番はしゃいでいたかな..後のワンコ達はマイペースだった。

エマのランで夕方まで遊んで、宿泊先のパートナーズ湯浅に向かった..少し遠いので高速移動だった。
パートナーズ湯浅は、山の中だった..季節がずれていたら、私の大嫌いな虫達が出そうな場所だった。
何より、コロンママさん、なおたさん達と一緒にいられる事が嬉しかった..真夜中まで話し込んでいた..
元気達は、遊び疲れたのか、ご飯を食べた後すぐに眠ってしまった..元気も楽しかったんだろうな〜

元気は、重大な疾患を抱えて生きているようには見えなかった..健康なワンコと何ら変わりなかった..


   「エマのランでは、気乗りしていなかった..パートナーズ湯浅玄関前で、何だか威張ってます」

2007/05/27(日) 思い出3..
今日は、朝から陽射しが強くて暑かった..1年前の今日..大阪も暑かった事を思い出していた..

コロンママさんの運転で、近くのドックカフェに行った..ここには、ドックランもショップも併設されていた。
テラスで食事をしようと思って座っていたが、あまりにも暑かったので、店内へ移動してランチを食べた。
シエルちゃん、ぎゅうちゃん、元気も、ワンコメニューをオーダー..みんな、美味しそうに食べていたっけ..
そして、何より楽しそうだった..みんな、ニコニコしていた..本当にここまで来て良かったと思った..

ランチを終えてから、コロンちゃんのお墓参りへ行った..コロンちゃんのお墓参りは二度目だった..
泣かない..泣かないぞ..そう思ったが、涙が溢れて来てしまった..なおたさんもポロポロ泣いていた..
心の中で、コロンちゃんに言っていた..「元気はまだ、コロンちゃんの側へは行かないよ..行かせない」
「お空の上で、もうしばらく見守っていてね」..今頃は、「元気のママに言われたのに来ちゃったんだね」
コロンちゃんに、そう言われてるかもしれない..ママ達が逝くまで、お空の上で仲良く遊んでいてね..

夕ご飯のメニューは、大阪名物たこ焼きだった..コロンパパさんが作ってくれるたこ焼きは超絶品..
初めて食べた時は、感動した..関東では絶対に食べられないたこ焼き..幾らでもお腹に入ってしまう
元気達にも、ワンコ用のたこ焼きを作ってくれた..シエルちゃん、ぎゅうちゃん、元気も全て平らげていた

今日、ワン友さんのHPで知った..元気と同じ歳のキャバちゃんが虹の橋へ..ご冥福をお祈りします..


   「大阪のカフェにて..美味しい物、早くちょうだいよ〜って顔..お外はとっても暑かったねぇ〜」

2007/05/26(土) 思い出2..
今日は、朝から陽射しが強いけれど、風は爽やかだ..去年の旅行中も、ずっとこんなお天気だった..

去年の今日は、一杯の荷物と、なおたさん手作りのお弁当を持って、大阪のコロンママさん宅を目指した
東名の静岡県内には、茶畑が広がっていた..久し振りでこんな風景を見た..感動的な美しさだった
浜名湖SAのベンチで、浜名湖を見ながらお弁当を食べた..皆で食べるお弁当は格別美味しかった。
何より、元気が元気でいてくれる事が嬉しかった..芝生が広がる広場を、気持ち良さそうに歩いていた

伊勢湾道をひた走り、長島SAに到着した..長島SAは広々としていて、犬が散歩出来る場所もある。
初めて和歌山の旅行に行った時も、長島SAに寄って仮眠を取った..思い出深いそして大好きなSAだ
なおたさんと私は、ぎゅうちゃんと元気を彼に任せて、足湯に入った..少し熱かったが、心地良かった..
何をしていても、笑い声が絶えなかった..なおたさんも彼も私もぎゅうちゃんも元気もニコニコしていた..
もう少し走れば、コロンママさんに、シエルちゃんに、ピンクちゃんに会える..そんな思いで一杯だった..

夕方、やっとコロンママさん宅へ到着した..前の年の12月以来の再会だった..やっと会う事が出来た
元気は車から降りると、さっさと建物の中へ入って行った..私達は、元気の行動に唖然としてしまった
半年前に初めて来た時も同じ行動を取った..まるで以前から、コロンママさん宅を知っているようだった
シエルちゃんとのご対面はとても静かだった..シエルちゃんは、元気の体の変化に気づいているようだった
半年前に会った時は、一晩中ラブラブで、ほとんど眠らなかった..それなのに今回は近寄らなかった..
少し離れた場所から、ずっと元気を見守っていた..そんなシエルちゃんと元気の姿が、とても健気だった

リクエストした、おでんを囲みながら、楽しい時間が過ぎて行った..殿方達が眠った後も会話が弾んだ。
その間も、きゅうちゃん達はとても静かだった..シエルちゃんと元気の距離が少しずつ縮まっていた..
まるで、元気を守っているようだった..シエルちゃんのお陰で、元気は安心して眠っているように見えた。

どうして、こんなに鮮明に覚えているのだろうか..「ボクの事を忘れないでね」と、言われているようだ..


   「浜名湖SAで、楽しそうに笑っているように見える..長島SAで、仲良く?お散歩していた」

2007/05/25(金) 思い出1..
今日は、雨が降っていて肌寒い..何だか、元気が泣いているような気がする..何でもこじつけかな?

去年の今日は、なおたさんちへ向かっていた..途中の鮎沢PAでオシッコ休憩をしてからお弁当を食べた
元気は、食欲モリモリ..私達のお弁当のおこぼれを狙っていた..本当に生き返ったように元気だった。
足柄SAのドックランへ寄ったが、あまり歩きたがらなかった..歩く事よりも、草を食べる方が忙しかった。
順調に東名高速を走り、なおたさんちへ到着した..駐車場に懐かしいなおたさんととーちゃんの姿が〜
元気を車から降ろすと、私を引っ張って、さっさとなおたさんちへ向かって行った..ちゃんと覚えていたんだ
元気はなおたさんちへ入ると、これまたさっさと、自分が決めたソファーの定位置に、ちゃっかりと座っていた
そしてソファーに座ったきり、自分からは一度も下りようとしなかった..今の自分を弁えていたのだろう..
ぎゅうちゃんと元気はつかず離れずの仲だった..それはいつもの事で、旅行が終わるまで変わらなかった

雨音を聞きながら、この日の事を鮮明に思い出していた..彼も同じだった..記憶の糸は途切れない。


 「車に乗ってもハイテンションのままだった..なおたさんちのソファーの定位置で、ちゃっかりくつろぐ元気」

2007/05/24(木) 後悔していない事..
今日も良いお天気だった..ベランダに出てそろそろあれを外そうかと考えた..元気用の小さな柵を..

足の具合が悪化して来た頃に、ベランダの金網に小さな柵を取り付けた..ウンPの飛び出し防止柵を
ウンPをする時に、体がよろけてしまって、金網にへばりついてしていた..下痢Pが外に飛び散ってしまう。
それで、仕方なく金網に柵を取り付け、雑誌を立てかけていた..その柵が、未だにそのままになっている
元気が頑張っていた証だからと外せないでいた..最近、勇気が元気と同じように縄張り見張りを始めた
そっと、その様子を窺っていたら、その小さな柵が邪魔をして、隅っこで小さくなって外を眺めている..
元気に問いかけてみた..「もう外してもいいよね〜勇気の為に外してあげてもいいよね」..答えは?

去年の今日は、関西旅行へ出かける為の仕度をしていた..やっと実現したなおたさんとの関西旅行
多分、これが元気と一緒に出かける最後の旅行になるだろう..とても複雑な心境で仕度を始めていた
元気は、仕度をしている私の側で、嬉しそうな顔をしていた..「お出かけ、お出かけ、嬉しいなぁ〜♪」
自分のリュックが出ると、すっかりハイテンションになっていて、足が悪いのも忘れ小躍りして喜んでいた..
長距離旅行なので随分悩んだが、鍼の先生もショップの店長さんも、最後に楽しい思いをさせてあげて
楽しい思いをすれば、細胞が活性化して、余命も伸びるかもしれないと..その言葉で心を決めた..

この長距離旅行に行った事は、今でも後悔していない..最後に、最高の思い出を作る事が出来た!


 「去年の昨日 この写真が大好き!..風になびく被毛、幼顔..とても11歳を迎える顔には見えない」

2007/05/23(水) 寂しい..
昨夜も元気☆が良く見えた..窓辺に座り一服しながら、元気☆に語りかける..ママって声が聞こえた

そんな訳がない..ワンコは喋らないんだから..自分の中の空想でしかない..そう思うと寂しくなる..
私が☆を見上げている時、勇気はベランダを走り回っている..そんな勇気を見ていて、元気を想う..
元気だった頃のように、何の不自由もなく、歩きたかっただろうな..走りたかっただろうな..と思う..
歩くのが大好きだった..どんなに遠くても、弱音を吐いた事などなかった..だから、とても健脚だった..
険しい道のりも、私を引っ張って歩いていた..私が立ち止まると、心配そうに顔を覗き込んでいた..
元気と色んな所へ行った..旅行したり、ドライブしたり、長距離お散歩したり、楽しかったなぁ〜♪
今頃は、虹の橋のたもとで、何の不自由もない足で、コロンちゃんやお友達と走っているのかなぁ〜?

もう一度だけで良いから、一緒にお出かけしたいな..でも、今でも何処へ行くのもママ達と一緒だもんね


 「去年の今日 草をむさぼるように食べていた..腎臓の機能が落ちていた?..怒られてふてくされ顔」

2007/05/22(火) お墓参り..
トップページの写真に設置してある、【インターネットのお墓】..2月に設置して以来、1000回を越えた。

たくさんのワン友さん達、初めて訪れてくれた方達が、お墓参りをしてくれている..元気、幸せだね〜
一日に何回も、お参りしてくれるワン友さんもいる..元気は、みんなにこんなに愛されていたんだね〜
私自身は、「お早う」と「お休み」の挨拶..朝、パソコンを開いたら、真っ先にお墓参りをしている..
それから、私の一日が始まる..そして、パソコンを閉じる時に、お墓参りをして一日を終えている..
本物のお墓は、「私が死んだ時に元気と一緒にしてね〜」と、娘に頼んである..当てには出来ないかな

何だか、無性に寂しい..ワン友さんのブログで、思い出深い場所の写真を見てしまったせいだろうか..
足柄SA..ここのドックランへは東名高速を走る度に、寄っていた..疲れを取るには最高の場所だった
元気はドックランよりも、周りの草の中を歩くのが好きだった..匂いを嗅いでみたり、時には食べてみたり
去年の5月、関西旅行へ向かう為に、一緒に行くなおたさんちへ向かう時も、ここで遊んでから行った..
浜名湖SA..コロンままさんちへ向かう途中で、なおたさん手作りのお弁当を、ベンチに座って食べた..
なおたさん、彼、私、ぎゅうちゃん、元気..みんな楽しそうに、ニコニコしながらお弁当を食べていた..
やっと実現した、なおたさんと一緒の関西旅行..心の中は既に、コロンママさんのお家へ飛んでいた..
あれから、1年も経ってしまうなんて、とても信じられない..元気の表情の一つ一つまで思い出す..

お墓参りをして下さっている皆様へ..いつもありがとうございます..天国の元気も喜んでいると思います


  「去年の関西旅行..足柄SAのドックランで草に夢中でした..浜名湖SAでお弁当を食べました」

2007/05/21(月) 行方知れず..
昨日、娘が引っ越しをした..気になってメールを入れたら、センターからメッセージエラーが届いた..

エーッ、そんな馬鹿な..一昨日までメールをしあっていたのに..突然の事に面食らってしまった..
娘の所へ行ってみる事にした..部屋はもぬけの殻..私があげた乾燥機が、窓の前に転がっていた..
ポストには、親展と書かれた封書がそのまま残されていた..他人に見られては困るので保管している
移転した地域は知っているけれど、詳しい住所は分からない..職場も業種と地域しか聞いてなかった
彼の職場の名称は知っているが場所は良く分からない..もう大人だからと聞かなかったのがこの結果だ
娘がどうしても、私を必要だと感じたら、そのうち連絡が入るだろう..その時には、こっぴどく言わねば..

去年の昨日は、彼と一緒に自由ヶ丘のポンポリースに出かけた..胴輪を交換して貰う為だった..
最初に買った胴輪が、小さくて窒息しそうだった..ポンポリースの方が元気の大きさを見て納得していた
元気の世代のキャバは、ほとんどが元気位の大きさなのだが、最近のキャバは小さくなってしまった..
だから、キャバサイズでは、洋服等も合わなかった..私の中のキャバサイズは、元気の大きさなのだ..
元気は、彼と一緒にお出かけが出来たので、とっても嬉しそうだった..彼といられる事が幸せそうだった。
この時買った胴輪は今でもリード掛けにかけてある..最近、勇気がこの胴輪をしきりに取ろうとしている

勇気が、この胴輪を使える日が来るのだろうか..元気のような体格にならない限り無理だろうなぁ〜


  「去年の昨日 ポンポリースのテラスでお茶を..この日は楽しかったが、とっても暑くてへばっていた」

2007/05/20(日) 樹林公園の..
昨夜は、☆が綺麗だった..元気☆とコロン☆が並んでいた..やっと、二つの☆が見えるようになった..

今日は、素晴らしい青空..陽射しはきつかったが、風は爽やか..どこかへ行きたい気分になって来た
疲れて帰って来た彼に、思い切って言ってみた..「ゼブラへ行かない?」..「行ってもいいよ〜」(^o^)
但し運転は私..大丈夫かな?と思ったけれど、全然平気だった..久し振りの運転は結構楽しかった
日曜日の午後..抜け道を駆使して、ゼブラへ急いだ..後部座席には、彼と勇気が仲良く座っていた
そんな姿を見て、元気の事を思い出していたら、不思議な事に勇気は自分からケージに入って行った。

ゼブラのカフェコーナーに、見覚えのあるキャバちゃんの姿が..先日、お会いした14歳のマロ君だった..
どうしてもゼブラに行きたかった訳が分かった..マロ君に会わせる為に、元気が私をその気にさせたんだ
元気の異母兄弟の写真を見せて頂いた..大きな足に、大きなお鼻、大きなお目目..良く似ていた。
彼は、ゼブラに来たのは初めて..ここに元気が横たわっていたんだよ..ここの灰皿が倒れたんだよ..
このフィールドを、ヨチヨチだけど一生懸命歩いていたんだよ〜彼は、私の説明を黙って聞いていた..
勇気は、シュナイザー軍団に圧倒されたのか、お地蔵さんになってしまったので、早々に帰る事にした..

帰り道は、違う抜け道を通った..彼と二人で、以前の記憶を辿りながら、あっちこっちを抜けて帰った。
ある交差点の標識に、右折「和○樹林公園」と表示されていた..通りたくない、見たくない、どうする?
かと言って、川○街道には出たくない..既に右折ラインに入っていたので、そのまま向かってしまった..
樹林公園に隣接する大○学園の公園..入口に馬の親子の像が見えた..涙がポロッと零れて来た。
右手には、一度だけ行ったワンコショップ..道路に並行して見える公園内の小径..ここを歩いたっけ
最初で最後の公園..二つの公園内を歩き、お弁当を食べて、原っぱで遊んで、楽しい時間を過ごした
運転しながら、元気との思い出の光景が浮かんで来た..忘れたくても忘れられない思い出のあの日..

今日で私が仕事を辞めてから丸2年が経った..そのうちの1年4ヶ月、元気との時間が送れて幸せだった


「去年の6月中旬 いっぱい遊んで、いっぱい歩いて、お弁当を食べて楽しい時間を過ごしたよね〜元気」

2007/05/19(土) ウジウジ..
今日の天気は、おかしい..雨が降っていたかと思うと晴れて暑くなり、その後また大粒の雨が降って来た

安定しないお天気のように、私の心も安定しない..心の中の雨も、降ったり止んだり..ウジウジ..
あ〜もう嫌だ..どうして、前に進む事が出来ないのだろう..どうして、前向きに生きられないのだろう
毎日、元気の事で心が一杯になる..勇気が入り込む隙間がない..勇気は私の心を察知している。
私を、執拗に追いかけて来る..鼻をすすっただけで、何処にいてもすっ飛んで来て、顔を舐めようとする
「ボクが側にいるんだから、泣かないでね」..そう言われているような気がする..その姿は元気そのものだ

昨夜もそうだったが、夕食を作っていて、涙が溢れて来た..たった一人分しか作らない夕食..
毎日独りぼっちで食べる夕食..話す相手もいない寂しい食卓..どうしてこんな事になってしまったのか
2年前の春まで、私は彼と同じ会社に勤めていた..彼が仕事を辞めて4ヶ月後に私も退職した..
仕事をしていた頃は、毎日ハツラツと働いていた..仕事の合間に、献立を考え買い物も済ませていた。

仕事を終え、休む間もなく主婦業をこなしていたが、それはそれでやりがいがあった..元気も元気だった
暖かい家庭も、暖かい食卓も、笑い声もあった..お金もそれなりにあったので全く不自由を感じなかった
勤めていた会社は、忙しい時期を除いて、休む事には寛大だったので、旅行も年に5回位行っていた..
元気の医療費を稼ぐ為に、彼は今の会社に勤めた..その結果、元気も私も寂しい毎日を送る事に
元気が死んでしまった今も、その日常が続いている..そして、疲れ切っている彼は私と話す時間も無い
暖かい家庭も、暖かい食卓も、笑い声も、元気だった元気も、全てを失ってしまった..本当に寂しい。

こんな事を書いていたら、益々落ち込んで来た..最近、リピーターさんが減ったのは、ウジウジのせいかも


  「去年の今日 今の自分を弁え、素直にケージに入ってくれた..この格好を見るのが大好きだった」

2007/05/18(金) せつない..
昨夜、ベランダの窓辺に座って、ふと夜空を見上げたら、私の真っ正面に元気☆がキラキラ光っていた。

やっと、真っ正面に見えるようになった..元気がお☆様になった時に、見えていた位置に戻って来た..
これで、迷う事なく元気☆と話が出来る..私からの一方的な話を、ただ元気☆に聞かせるだけ..
ワン友さんのブログに書いてあった言葉..愛犬を失ってみて初めて知った、【せつない】と言う気持ち..
この一言に尽きるかもしれない..愛おしさも、悲しさも、寂しさも、辛さも、苦しさも..【せつない】..

去年の今日..ルークママさん、コナママさん、ももママさんと一緒に、自由ヶ丘のポンポリースに出かけた。
お散歩で知り合って、初めて4人でお出かけをした日だった..何故か、この日は皆の日程が合致した。
彼が、数日前に仕事を辞めたので、元気を任せて安心して出かける事が出来た..久々の外出だった
彼に元気を任せて出かけたのは、この日が最後だったかもしれない..私にとって、貴重な時間だった..
ポンポリースの隣のレストランで、ランチを食べながら、話が弾んだっけ..とっても、楽しかったなぁ〜
ポンポリースで、楽しい時間を過ごしながら、元気の胴輪&リード、靴下、アイスノン、お菓子を買った..
この時の胴輪&リードは、元気が歩けなくなるその日まで使っていた..靴下は、ワン友さんへ形見に..
この日を境に、4人の仲は急速に深まって行った..元気が天国へ逝くその日まで、それは変わらなかった

どんなに辛い事も、いつかは過去に変わる..もうとっくに過去の事だけど、辛い心は今も変わらない..


    「サティ1階のスタバで、買い物に行った娘を待つ元気..靴下を履かされて、ご機嫌斜め?」

2007/05/17(木) ベビー誕生!
雨が降り止まず、月命日を済ませたばかりの心にも雨が降っていた..立ち直るには時間が必要だ..

クウカイママさんから、「空のベビーが、まだ産まれないよ〜」..予定日を過ぎているのに、産まれない..
お腹には、5匹のベビーが入っている..ダックスが5匹もお腹に抱えていたら、さぞや体が重かろうに..
夕方、クウカイママさんから連絡が入った..♀匹、♂2匹が帝王切開で産まれたと..母子共に元気!
ベビーが無事に産まれ、空ちゃんも元気で良かった..これが最後の出産..空ちゃん、お疲れさまでした

2年前の1月..産まれたばかりの、空ちゃんのベビーを見に行った事がある..あの時は3匹産まれていた
長野県辺りが大雪で、途中で行くのを止めようと思ったが、娘に「約束は守らなきゃ駄目だよ..行くの」
そう言われて、10時間以上かかって、石川県までたどり着いたっけ..でも、それも楽しかったなぁ〜
元気は、ベビーを見て仰け反って、近づこうともしなかった..その態度を見て、2匹目は無理だと悟った。
クウカイママさん宅の近くの温泉に泊まったっけ..ワンコは泊まれない旅館に、口利きで泊めて貰った..
元気は雰囲気で察したのか、いつにも増してお利口さんだった..初めての場所なので緊張気味だった
そして、次の日にタボスへ向かった..大雪で、チロルへの最終カーブを上がれなくて大変な思いをした。

ベビーが産まれた日に、こんな事を書くのは不謹慎だが、去年の昨日、鍼の先生に余名を宣告された。
後半年、もって1年..足の腫瘍が良性なら、もっと生きられる可能性はあるが、その望みは薄いだろうと
後半年..年内までしか生きられない..クリスマスもお正月も一緒に迎えられない..落ち込んだ..
立ち直れないほど落ち込んだ..元気の命を縮めたのは私..彼と娘に余命を告げるのが、辛かった..
でも、結局9月までしか生きられなかった..私がして来た事が空回りして、悪い方向へと行ってしまった。
だから、私は今でも自責の念に駆られている..私がして来た事をしなければ、もっと生きられただろうと

今日は、コロンちゃんの月命日..異母兄弟の月命日が仲良く並んでしまった..これから先もずっと..


   「一昨年の1月..クウカイママさん宅のソファーで威張っていたのに、旅館では緊張気味だった」

2007/05/16(水) 八回目の月命日..
2時15分まで後2時間..元気の命が尽きるまでの2時間、私は何をしていたのか、ほとんど覚えていない

元気の、苦しそうな息使いが聞こえていた..ストローでお水をあげていたのは、確かに覚えている..
口の横から、お水を入れてあげると、美味しそうに「ゴックン、ゴックン」..でも、お腹が膨れて来ていた..
腫れ上がったお腹のリンパが破裂したら、もっと苦しい思いをする..どうすればよい?どうしたら良い?
その時、ルークママさんは心の中で、「早く楽にしてあげて..最後の言葉を言ってあげて」そう思っていたと
でも、私は苦しそうな元気を見ていても、死ぬなんて思ってもいなかった..元気は絶対に死なない..
あんなに、一生懸命頑張って生きて来た元気が、こんな簡単に死ぬわけがない..まだまだ生きてくれる
やせ細った背中を撫でていたら、たくさんのしこりに触れた..こんな体になっても、生きようと闘っていた
元気は、薄れ行く意識の中で、いったい何を感じ、何を思い、私達に何を伝えたかったのだろうか?..

2時10分..勇気を抱いて、ベランダの窓辺に座った..元気☆は、建物と建物の間に移動していた。
夜空を見上げ、元気に話しかけていたら、涙が止めどなく溢れて来た..勇気が涙を必死で舐めていた
そして、私に抱かれたまま、ベランダの一点を見つめていた..視線の先は、元気の縄張り見張り番処。
「そこに、元気兄さんがいるの?こんな夜中に、縄張り見張りしたって、ワンコは通らないのにねぇ〜」..
そこは、元気が転びそうになりながら、必死でオシッコをしていた場所..今でも、その姿が目に浮かぶ..
元気へ..【元気ごめんね..もっと生きたかったよね..もっと一緒にいたかったよね..ママを許してね】

病院を変えなかった事..大学病院へ行ってしまった事..死なせてしまった事..悔しい..悔しい..


   「この祭壇を、いつまで経っても片づけられない..片づけられる日は、やって来るのだろうか?」

2007/05/15(火) 月命日..前日
お散歩へ行こうと思ったら、空模様が怪しくなって来た..雷の音が聞こえて来た途端、雨が降り出した

1日早く着いた花を祭壇の側に供え、祭壇のカバーや写真を取り替えた..それが今日のお勤めかな..
月命日が近づくと、心の中に隙間風が吹いて行く..どうしようもない寂しさが、心を押し潰して行く..
何ヶ月経っても、変わる事のない感情..愛する家族を亡くした人なら私の感情が理解出来るだろう..
やんちゃな勇気が側にいても、決して埋まらない心の隙間..勇気が大きくなっても、変わらないだろう。
元気のようなワンコには、二度と会う事はないだろう..それほどまでに飼い主思いの優しいワンコだった。
愛する元気を死なせてしまった私の責任は重い..この先も、その思いを抱いて生きて行くだろう..

今日は2時15分まで起きていなくちゃ..お☆様は見えるかな?..勇気を抱いて元気☆に語りかけよう


   「去年の今頃 まだ小さかったルーク君に説教中..久し振りに洗ったので、顔が威張りん坊」

2007/05/14(月) イライラ..
目を覚ました瞬間から、猛烈にイライラして来た..自分で、自分を抑制出来ない..カルシウム不足?

そう言えば最近、手足の毛が無くなって来た..子供を妊娠した時と同じ状に況陥ったような気がする。
あの時は、カルシウム不足に陥り、お腹の子供にカルシウムを取られ、髪の毛以外の毛が抜けてしまった
去年から続いている栄養不足..そのつけが体に来てしまったのだろうか..骨粗鬆症になってしまう?
何年か前に、骨密度を調べたら90%だった..この先どんどん減るから、カルシウムを取る事って言われた
それなのに、自分のサブリは飲むのを止めてしまった..自分のサプリにまで手が回らなくなってしまった..
右足大腿部の付け根は痛いし、左足の膝は痛いし、腰は痛いし、首は痛いし..私の体はガタガタだ。

昨日は、母の日だったような..我が娘からは、何の連絡もない..元気が死んでから疎遠になった..
娘は娘なりに、元気に精一杯の愛情を注いでいた..自分の休みを削ってまで、元気に会いに来ていた
普段の日も、お出かけする時も、旅行に行く時も私達の都合に合わせてくれた..それも元気がいたから
いなくなってしまった今、会う必要性が無くなってしまった..娘は娘の時間を、取り戻しているのだろう..
でも、たまには元気に会いに来て欲しい..大好きだった娘に会えなくて、元気は寂しがっているだろう。

月命日が近づいて来ると、元気の気配を感じなくなる..一対どこへ行ってしまうのだろう..寂しい..


   「去年の今日 パパが一緒なので嬉しそうだった..舌を出したお茶目な顔が、とっても愛おしい」

2007/05/13(日) 静かな日々..
今日は、彼が出かけてしまったので、いつものような時間が過ぎて行った..勇気は相も変わらず元気!

お散歩から帰って、洗ってあげればシャワーに食ってかかり、拭いてあげればタオルに食ってかかり..
乾かしてあげればドライヤーに食ってかかる..その元気さとパワーに、私の身体は疲れ切ってしまった..
元気は、シャワーやタオル、ドライヤーに食ってかかるようなパピーではなかった..いつも大人しくしていた
血筋でこんなにも違って来るのだろうか..私の中のキャバは、元気のような大人しいのがキャバの姿..
優雅で、気高い..それがキャバ..勇気は、ジャッ○ラッセ○テリ○にしか見えない..キャバじゃない〜

元気と過ごして来た、静かな日々が懐かしい..元気は大人しいパピーだった..悪戯なんかしなかった
悪戯で覚えているのは、買ったばかりのヒールのかかとをかじられた事くらい..他は全く無傷だった..
我が家に来て、何日も声を出さなかった..もしや、耳が聞こえないのではと思うほど静かなパピーだった
かと言って、物怖じするような事はなかった..家でも外でも堂々とした態度だった..元気が変わり者?
元気は、私がいて欲しいと思う時に、そっと寄り添って来た..そして、す〜っといなくなってしまった..
元気との、この適度な距離感が好きだった..お互いが必要な時に寄り添い、そしてすーっと離れて行く
今の勇気と私には、その距離感がない..24時間べったりくっついている..犬とは適度な距離が必要だ

我が家はスパルタ教育..元気も勇気も同様..誉めて育てるなんて事はしない..駄目な事は駄目
ちゃんと出来た時は目一杯誉め、駄目な時は目一杯叱る..でも、もしかしたら勇気には合わないかも
元気は、叱られると隅に行って、しょぼんとしていた..勇気は、叱られても全くめげる事を知らない..

私の理想のキャバの姿は元気..どうしたら、元気のようになれるのだろうか..勇気がなれる訳ないか


  「去年の今日 今も玄関に置いてある熊さんの敷物..元気の帰りを待っている..変な頭だねぇ」

2007/05/12(土) 再会&出会い..
今日は、ルークママさん&ルーク君と一緒に、ゼブラへお出かけした..累ママさん一家とゼブラで合流した

土曜日だったのに、さほど混雑していなかった..風が爽やかな割に、陽射しが強かったせいかな?..
ランで遊ばせてから、カフェに移動して累ママさんを待っていた..後ろの席にボーダーコリーの姿が..
そして、飼い主さんの顔に見覚えが..その人も、私の顔を見て「あっ!」..やっぱり、そうだった..
去年の7月、最初で最後のゼブラに来た時、腫れ上がった左後ろ足を、優しく撫でてくれた人だった..
涙を浮かべながら、「こんなに腫れちゃって、可哀想に..頑張るんだよ〜」と、励ましてくれた人だった。

その人は、私を抱きしめながら「辛かったよね..元気君もママも精一杯頑張ったんだよ」そう言ってくれた
「元気君は、もう何処も痛くないんだよ..ママがしてくれた事に対して、心から感謝しているよ..」
泣かないつもりだったのに、涙が溢れて来た..その人は、そんな私の背中を優しく撫で続けてくれた..
たった一度しか会った事がないのに、元気と私の事を気にかけていてくれた..優しさに感謝している..

2007/05/11(金) いた..
昨夜、祭壇の前に座っていたら、右足の膝に違和感を覚えた..足を乗せられた感触だった..元気?

白い影を見たのが3回..右足の膝への足の感触は2回目..何だか、ぼてっと置かれたような気がする。
懐かしい感触のような..勇気の小さい足ではなく、元気のでっかい足だった..本物の足を触りたいよ〜
元気は、いるんだ..いつだって側にいるんだ..私の事が気になって、ずっと側にいてくれてるんだ..
生きていた時も、いつも私を見つめていた..時には笑って、時には寂しそうに、時には心配そうに..
私への気遣いは、並の物ではなかった..元気に、あんなに気を遣わせちゃって、駄目な飼い主だった。

元気は、自分の立場をきちんと理解していた..おできを切ってから、散歩に行っても歩こうとしなかった
歩きたい時は、カートの上で「歩きたい」と、意思表示していた..それが、全くしなくなってしまった..
おできを切ってから、毎日消毒していたせいだろうか..それとも、足に違和感を感じていたからだろうか
去勢と停留睾丸摘出の時もそうだった..一度も縫った場所を、舐めようとしなかった..10針程縫った
カラーなど付けなくても、何の支障もなかった..この時も、元気は自分の体の事を認識していたんだ。

左後ろ足の事は、どんな風に感じていたのだろうか..「どうして動かないんだろう」って思っていたのかな


 「去年の今日 ベランダで何を思っていたのかな?..もっと早く片づけて、広くしてあげれば良かった」

2007/05/10(木) シュレッター..
先日、彼が電動のシュレッターを買って来た..これで、やっと不要になった領収書等の整理が出来る。

元気の具合が悪化してから、何もかも手つかずだった..何年も几帳面にやっていた事も放棄していた。
領収書等は箱に無造作に入れたまま、元気の祭壇の下に放置していた..中身も全く見ていなかった
不要な領収書をシュレッターに入れながら、カード明細書を確認してみた..もの凄い金額が並んでいた
元気が病気になってから払い続けていた、医療費&サプリ代等..月に5万円〜7万円以上払っていた
多い月には10万円以上..この金額を、1年近く払い続けていた..私の少ない退職金が無くなる訳だ
この他に、鍼の治療費もかかっていた..鍼の治療費も、サプリ代も元気が生きる為に必要なお金だった
悔しいのは、無駄に払っていた病院代..元気の病気が良くなるどころか、かえって悪化させてしまった。
使ったお金も時間も、元気の命も帰って来ない..何が良くて、何が悪かったのか、未だに答えは出ない

毎日、日記をつけているが、続けるべきか止めるべきか迷っている..心の底の暗い気持ちしか書けない
元気に対する無念の気持ちが強すぎるからだろう..してあげなかった事と、しなければ良かった事..
毎日々、後悔の気持ちが心の中を占め続ける..潰されそうな心..元気の事が一時も頭から離れない
勇気と日常を送っている時も、お散歩に出かけて歩いている時も、お出かけして車に乗っている時も..
どんな時でも、元気と過ごした時間を思い出してしまう..どうすれば良い?..どうしたら良い?..

この日記を読んでる人達が、愛する家族と別れた後に、私のようにならない事を切に願っている....


  「去年の5月10日 新しいお洋服がとても似合っていた..毎年、大きなツツジの前で写真を撮った」

2007/05/09(水) 悔しい..
毎日が、あっという間に過ぎて行く..起きて、掃除して、洗濯して、ご飯を食べて..変わった事もない。

去年の今日、病院へ行っておできの原因を伝え、中身を抜いてくれと言ったら、院長の顔色が変わった。
どういう事かと言うので、鍼の先生の診断結果を伝えたら、一瞬にして不機嫌になった..そう言うやつだ
自分の診断結果では無く、鍼の先生の診断結果で抜いてくれと言われたから、不機嫌になったのだ..
肝臓から来てるなら、肝臓の検査をしなくちゃいけないと言うので、そうではないと詳しく説明した..
肝臓の検査をするなら、血液検査をした時、私に数値が高いのではと指摘された時にするべだった..

説明しても、納得した訳ではなかったようだが、少しだけ抜いて顕微鏡で確認してみると言う事になった
元気は、おできに細い針を刺されても、まったく平気な顔をしていた..痛みは感じてないようだった..
内容物を顕微鏡で覗いていた院長は、「これはやはりニキビかおできみたいな物だから切りましょう」と..
小さなメスを取りだして、おできを切開し始めた..それでも元気は、平気な顔でおできを切らせていた。
何故、最初におできを見た時に、顕微鏡で調べなかったのだろう..院長は、全てがこんな対応だった。
私が知る限り、先住犬のベアデットを飼った頃に開業したのだから、20年以上獣医をやっているはずだ。
開業当時の熱心さは、どこへ行ってしまったのだろうか..人間の医者も獣医も、もう一度初心に戻れ!

昨日、久し振りに大泣きした..泣いても泣いても、涙が止まらなかった..死なせてしまった事が悔しい


 「去年の今日 おできを取って、足も気分もすっきり..病院の帰りに寄った徳○第五郵便局のATM」

2007/05/08(火) お空の上の異母兄弟..
今日も、良いお天気だった..3時半頃、お散歩へ出かけようと外に出たら、まだアスファルトが熱かった。

去年の今頃も、こんなに暑かったかな?..5月の爽やかな風に吹かれながら、病院へ通った記憶がある
カートの上の元気とビッコを引きながら歩いている元気と、話をしながらテクテクと歩いて病院へ通っていた
去年の今日は、おできを切って貰おうと病院まで行ったが、あまりに混雑しているので、キャンセルした..
帰り道は、近くの【水車公園】で、のんびりとした時間を過ごし、再び遊歩道をテクテクと歩いて帰った..
こんな時間が持てる事が幸せだった..仕事を続けていたら、病気の元気は独りぼっちでお留守番だった
私が仕事を辞めたのは、元気の足が悪くなる少し前だった..きっと、私を必要として辞めさせたのだろ
今でも、あの時仕事を辞めて良かったと思っている..元気との残された時間を密に過ごせて良かった..

コロンママさんの日記に、コロンちゃんの寝顔が掲載されたいた..写真を見ていたら涙が溢れて来た..
こんなに可愛いコロンちゃんが、元気より先にお☆様になってしまった..なんて惨い事なんだろう..
まだ8歳だった..コロンママさんと親戚サイトを通じて知り合い、その3ヶ月後にお☆様になってしまった。
初めてコロンちゃんの写真を見た時は、あまりにも元気とそっくりだったので、本当にびっくりした..
親戚サイトを通じて知り合い交流を深めながら、ちょうど2年の月日が経った..あっという間の2年だった
その間に、最愛のコロンちゃんと元気を亡くし、今はココロちゃんと勇気と言う、兄妹犬を家族に迎えた
コロンママさんも私も、同じ悲しみを抱いて生きている..この悲しみが、癒える時が来るのだろうか?

勇気は、私が泣いていると何処にいても飛んで来て、涙を舐めてくれる..元気に頼まれてるのかな..


   「コロンちゃんも元気も可愛い寝顔でしょう〜今頃は、お空の上で一緒に遊んでいるのかな?」

2007/05/07(月) おできの正体..
勇気の食欲にムラがある..食べたくても食べられなくなった元気..食べない勇気を見ていて涙する。

去年の今日、右後ろ足に出来た「おでき」のメール添付写真を見て、鍼の先生から回答のメールが来た
【見た限りでは膿が中に溜まっている感じです。きちんと消毒して中身を抜いても大丈夫だと思います。できているところが、どこの経絡の上かにより意味があります。
たいがいその経絡に熱が溜まっていたのが抜ける時に経絡の最後の方ににきびや吹き出物ができます。足の経絡は肝臓・胃・胆嚢が指の間です。内側(親指側)からこの並びです。中指だと胃の熱です..】

こういう内容の回答だった..早速、バウワックスでマッサージしながら、どの指の間なのかを確認してみた
親指と、人差し指の間だった..ここは、肝臓の熱が溜まる場所..やっぱり肝臓から来た熱だったのだ。
4月の上旬に、椎間板の痛みを軽減させる為に、ステロイド系のホルモン注射を2日間続けて打たれた。
その後の血液検査で、ALT、GGT、ALPの数値が異常に高くなった..ALPは前回の5倍の数値だった
いずれも、肝疾患を表す数値である..椎間板の痛みは軽減されたが、肝臓に熱を持ってしまったのだ
この注射をした後、左後ろ足の腫れも酷くなり、散歩へ行くとやたらに草をむさぼるように食べていた..

以上の事を鍼の先生に報告したら、下記のような回答が来た..いつも、素早い回答をしてくれた..
【ステロイドは、熱い性質だと話したと思いますが、ステロイドの影響で、肝臓に熱が溜まっていたのです。それで草もいっぱい食べていたんです。食事を下痢しない程度の冷たい性質にする。
いずれにしろ吹き出物が出たという事は熱が盛んな時期は収まった印ですが、今はそんなに草を食べないでしょう。冷やさなくちゃという時期は過ぎたみたいですね。中身をさっさと抜いて消毒してください..】

何故、あの医者は重大な疾患を抱えている元気に対して、むやみにステロイド剤を打ったのだろうか..
血液検査の結果、肝臓の数値が上がってしまったのも知っていたが、何の処置もしようとしなかった..
数値が跳ね上がっていたので、「こんなに数値が上がっているのは何故ですか?」..そう聞いても..
「それ位の数値は大丈夫です」..大丈夫じゃないから、体の中で闘っていたのだろう..あいつは医者か

あの医者は、未だに多くの患者を診ている..あれから、元気のような犠牲者は出ていないのだろうか?


 「木漏れ日の中で、仲良く散歩する元気とルーク君..肝臓からの熱を放出する為に出来たおでき」

2007/05/06(日) 不思議な縁..
GWも今日が最終日..何だか、少し騒がしくなって来た..明日から、またいつもの日常が始まるんだ

午前中、雨が降り出した..彼の休みも終わりなので、勇気をフィラリアの検査へ連れて行く事にした..
連休最後の日なのに、病院は思いの外空いていた..元気の最後の主治医だった先生は手際が良い
血液を抜く時も、血管を浮き出させるゴムすらしない..以前の主治医は、必ずゴムを巻いて抜いていた
何でこうも違うのだろう..この先生にもっと早く出会っていたら、元気の足も命も助かったに違いない..
この主治医に、元気の命を預けた日があった..結局、肝臓の数値が悪く、手術は中止となってしまった
私は今でも、元気が「ボクの体をいじらないで、ボクはこのままで良いんだ」..そう言ったと思っている..

どうして、だらだらとあの病院へ通っていたのだろう..膝のお皿が外れてるのさえ発見出来なかった医者
去年の今日も、あの病院へ行ったが、足の指の間に出来たおできの正体も見抜けなかったヤブ医者..
鍼の先生は、メールで送った写真だけで、おできの正体を見抜いた..肝臓から来た熱が放射されたと
肝臓の数値を上げたのも、あの医者..病気を抱えている元気に、むやみにステロイド剤を注射したせい
死んで7ヶ月が経とうとしてる今でも、この医者に対する憎悪の気持ちは、一日たりとも消えた事はない。

去年の今日、ルークママさん&ルーク君と、病院まで続く反対側の遊歩道を途中まで一緒にお散歩した
ルーク君は、ちょうど勇気位の月齢で、なかなか先へ進んで行かなかった..元気は辛抱強く待っていた
今では、ルーク君が勇気に対して元気の役割をしているが、あの頃は歩いては止まりと言う感じだった。
この日、イングリッシュコッカーに出会った..その子もまだパピーだった..この子が、コナちゃんだった..
元気、ルーク君、コナちゃん..ハンカチにも描かれていた不思議な縁..必然的に会うようになっていた

元気の晩年は、優しいワン友さん達、優しいワンコ達に囲まれて、幸せな時間を過ごす事が出来た..


  「去年の今日 まだパピーだったコナちゃんに、ウーッと一喝..ルーク君も怖がってのけぞっていた?」

2007/05/05(土) GW..
そう言えば、GWだった..みんな、お出かけしているせいか、車の音も、人の話し声もあまり聞こえない。

彼も、カレンダー通りのお休み..彼は彼なりに勇気の相手をしてくれている..でも、どこか寂しげだった
我が家は、以前からGWにはお出かけしない..近場でも、普段行けない公園にお散歩へ行くくらいだ。
元気とも、10年間ずっとそうして過ごして来た..遠くへ行けなくても、二人一緒なのが嬉しそうだった..
朝起きると、彼の元に飛んでいく..「今日は、どこに行けるのかな?」..いつも、そんな顔をしていた。
平凡だけど、幸せな時間だった..元気がいる事で、我が家は平穏だった..そう言う役割だっのかな?
今年から、その役割は勇気にバトンタッチされた..でも、まだ勇気を全面的に受け入れる事が出来ない
私達には、元気の存在が大きすぎるのだ..私達の心の中を支配続けている..どうしたら良いのだろう

去年の今日は、NYに住んでいたアンジーママさんから、バウワックスとアロマスプレーが送られて来た..
元気の足に、バウワックスをつけて、マッサージをしてあげたら、実に気持ち良さそうに眠ってしまった。
普段、足の裏をいじられるのが大嫌いな元気が、いびきをかきながら眠ってしまった..アロマの威力かな
この時、指の間におできを発見した..こんな所に腫瘍でも出来たのかと、もの凄く心配してしまった..

遠くNYに住んでいたアンジーママさん..遥かNYの地で、元気の事を心配してくれていた..幸せだったね


  「去年の今日 彼が仕事に行ってしまったので寂しそうだった..バウワックスマッサージで爆睡中」

2007/05/04(金) 秘密の場所..
一昨日、勇気を連れて行った、我が家の秘密の場所..去年の今日は、元気とその場所で遊んでいた

誰も来ない場所なので自由に遊ぶ事が出来る..その場所を目指して、私達は頑張って歩いて行った
一昨年の5月4日..まだ足も悪くなく元気だった頃、同じ道をしっかりと自分の足で歩いて行った..
アスファルトも、砂利道も、坂道も、でこぼこ道も、階段もしっかりと自分の足で踏みしめて歩いて行った
この日の元気はカートの上..砂利道も、悪路も、階段も自分の足で歩く事が出来なくなってしまった
入口の階段の所で、元気がカートから下りたいとアピールした..自分の足で歩きたかったのだろう..
元気を抱いて階段を下り、そこに下ろした途端、先に着いていた彼の所へ、全力疾走で走って行った。
足の悪さなど感じられない走りだった..この時の写真も、動画も残っていない..撮れなかったのだ..
一昨年の今日は、誰も来ないこの場所を、自由に走り回っていた..貸し切りドックラン状態だった..
あんなに楽しそうに走ってる姿はもう見る事が出来ない..叶わぬ夢だが、もう一度走ってる姿を見たい

この場所を後にして、メインの公園へ下りて行った..そこには、大好きな草がたくさん生えていた..
草の中で、歩き回ったり、匂いを嗅いだり、時には食べたりして、とっても楽しそうに過ごしていた..
このまま、時間が止まって欲しかった..私達の前から、元気がいなくなるなんて思ってもいなかった..
今思えば、元気は限りある命を精一杯楽しんでいたんだ..「ボクは、元気だから心配しないで〜」と..

元気が天国へ逝ってから、早7ヶ月が経とうとしている..フゥーッと言って目を閉じた瞬間から7ヶ月..


   「去年の今日 坂道も歩けた..私達のお弁当も狙っていた..そして、草の匂いを楽しんでいた」

2007/05/03(木) 未だに行けない..
今日も、良いお天気だったので、彼と勇気と一緒に、我が家の秘密の場所までお散歩に出かけた..

この秘密の場所は、いつ行っても誰もいない..リードを外して、自由にさせてあげる事が出来る..
勇気が元気良く走る姿に元気を重ねていた..去年の春、リードを外してあげた瞬間いきなり走り出した
ビッコを引いていたはずの元気が、全力疾走したのだ..その姿は、元気な頃と全く変わらない走りだった
この場所へ来たのが、よっほど嬉しかったのだろうか..全力疾走する姿を見たのは、これが最後だった。

お散歩から帰って、勇気を洗っていたら、頭突きをされてしまった..その瞬間、何故か発狂してしまった
歯が痛い..元気に指を噛まれた..その時、奥歯も欠けてしまった..それが頭の中を駆けめぐっていた
突然、大声を出したくなって来た..お風呂場で、出る限りの大声を出して叫びまくってしまった..
彼に怒鳴られた..あんな声を聞いた事は久しくなかった..勇気は怯えて私のお股の中に避難していた
私はお風呂場で勇気を洗いながら泣いていた..彼もドアの向こうで泣いていた..大きな泣き声だった
お互いに、元気の事で深く傷ついている..お互いに、我慢して来た事も多い..心の叫びだったのか..
これ以後、口も効かず、晩ご飯も食べず、暗くて重い空気が部屋の中を支配していた..やっちゃった!

去年の今日は、仕事を終えた彼と待ち合わせをして、娘も一緒に戸田市にある「Mars Cafe」に行った
待ち合わせ場所に来た彼を見つけた元気は、ケージの中で小躍りして喜んでいた..凄い喜びようだった
カフェに着いても、その喜びは持続していた..彼を見て、私を見て、娘を見て、体中で喜びを表していた
カフェに来ると、いつも座るソファーの上で、とても上機嫌だった..顔が笑い、目がキラキラ輝いていた..
彼と久し振りに会えた事と、三人揃っていた事が、よほど嬉しかったのだろう..この時が最後だった..
カフェを出て土手道をお散歩した..少し暑かったが元気は草の匂いを嗅ぎながら楽しそうに歩いていた
この頃、左後ろ足はとても腫れていたが、そんな事など感じさせないほど、しっかりした歩き方だった..
カフェも、土手も、これが最後の日となってしまった..私は、未だにこの場所へ行く事が出来ない..

勇気が成長して元気のようになってくれれば、私達の心も救われるのだろうか..早く大きくなって欲しい


  「去年の今日 元気は久し振りに会った彼に甘えていた..土手道を力強く楽しそうに歩いていた」

2007/05/02(水) 最近..
今日も、素晴らしい青空だった..ベランダで一服していると、気持ちの良い春風が吹き抜けて行く..

目の前の公園は新緑が美しい..目の前の畑はピンク色のツツジ畑..ベランダの花も一斉に咲いている
いつもの春と同じ景色が広がっている..でも去年の春まで、ベランダで見張り番をしていた元気がいない
今、私の目の前で、ベランダから外を見ているのは勇気..でも、どうしても元気の姿を探してしまう。
「もう、いい加減に諦めろ..いや、まだ諦めきれない」..私の心の中で、私自身が葛藤している..

確かに形は存在しない..でも、時々気配を感じる..もしかしたら、元気も未練を残しているのでは?
あの日、私達は元気が死んでしまうなんて、これっぽっちも思っていなかった..元気も同じだったろう..
自分が私達の前から、消えてしまうなんて..私達に会えなくなるなんて..思ってもいなかっただろう..
あんなに、生きようと必死で頑張っていたのに、あんな簡単に逝ってしまうなんて..信じられなかった..

最近、気持ちが逆行して来た..勇気がいるから、立ち直れるかなと思っていたが、まだ当分無理かも


  「去年の今頃 この大きな、眼力のある瞳が大好きだった..この頃は、まだこんな格好が出来た」

2007/05/01(火) 帰り道にて..
今日から5月..元気が天国へ逝ってから1年の半分以上が過ぎてしまった..時間は無情に過ぎて行く

昨日、ラッキーかあちゃまの家を出たら、夜空に☆が輝いていた..あのキラキラ輝く☆は元気☆..
覚えておいてね〜そう言ってから、駐車場で別れを告げた..暗くなった道を走っていると真ん丸お月様。
真ん丸お月様を見ていたら、急に悲しくなって来た..彼に、「何だか、悲しくなって来ちゃった」..
彼は、無言で運転し続けていた..私は、勇気を抱いて、真ん丸お月様を眺めながら泣き続けていた。
「まだ、元気を忘れるなんて無理だね」..「元気を、忘れようなんて事は、しなくていいんだよ..」
「死んでしまった今でも、大事な家族なんだから..」..真ん丸お月様を見ながら、元気を想っていた。

去年の昨日..お腹を壊してしまったので、病院へ行った..注射をしましょう..私は、注射を拒絶した
主治医は一瞬ムッとした顔をしていた..西洋医学は何でもかんでも、薬や注射で押さえ込もうとする。
自己免疫力が、備わっていれば、必ず自力で治せる..事実、病院の帰り道でしたウンPは正常だった
それなのに、どうして病院へ行ったのか?..あの頃の私は、色んな治療方法の狭間で揺れ動いていた
当てにならない西洋医学..自己免疫力をつけるホリステイック療法..鍼と気孔と漢方薬の東洋医学
それぞれが、それぞれで言う事が違う..どれを選べば、元気にとって最善の方法なのか悩んでいた..

この頃の元気は、とっても元気だった..左後ろ足さえ腫れていなければ、健康なワンコに見えたほどだ。
生きようとする力に溢れていたような気がする..お目目もキラキラ、被毛もピカピカ、元気一杯だった..


  「去年の昨日 病院の待合室で不機嫌な元気..先日やっと行けた、ゾウさんの銅像のベンチにて」


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