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2008/11/16 二十六回目の月命日
2008/10/16 二十五回目の月命日..
2008/09/16 三回忌..
2008/08/16 二十三回目の月命日
2008/07/24 誕生日♪

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2007/07/30(月) シコリ発見..
最近、早起きをするせいか、全てをやりっぱなしで眠ってしまう事が多くなって来た..昨夜もそうだった。

電気も、パソコンも付けっぱなし..窓は開っぱなし..眼鏡もかけたまま、顔も洗わず、歯も磨かず..
勿論、布団も敷かずにそのまま眠ってしまう..私が眠っている間、勇気は何をしているのだろう?..
元気を介護していた頃も、こんな事は頻繁だった..睡眠不足が続いて、目を開けていられなかった..
私が眠っている間、元気は不安だったんだろう..オシッコがしたくても、自分で行く事が出来なかったのに
ずっと我慢していたのだろう..私が目を開けると、嬉しそうな顔をしいていたっけ..可哀想な事をした。

去年の今日、彼と一緒にお散歩へ出かけた..元気は歩かせられなかったけれど、とても嬉しそうだった
カートの上で、久し振りのお散歩を楽しんでいた..途中でコナちゃんに会って、ウーッて一喝していた。
コナちゃんは、元気の顔を見て嬉しそうに尻尾を振っていた..コナちゃんは、本当に元気が大好きだった
後に、元気の命を長らえてくれた恩犬..コナちゃんがいなかったら、元気はもっと早く逝っていただろう..

この日、新たにシコリを二つ発見した..大学病院へ行って元気の体をこねくり回したツケが来ていた..


  「元気の頭のてっぺんが窪んで来ていた..道路は歩けないけれど、カートの上で大張り切りだった」

2007/07/29(日) 初めて..
昨日、出かけてる間、東京は大雨だった..出先は良いお天気だったが、帰って来た途端土砂降り..

やっぱり、私達は元気に守られている..いつでも、お空の上から私達の行動を見ていてくれる..
元気がお☆様になってから、出かけた先で雨に降られた事がない..降っていても必ず止んでしまう..
いつも快適な時間を過ごす事が出来る..もしかしたら、元気も一緒について来て、遊んでいるのかな?

去年の今日..ラッキーかあちゃま&ラッキー君が、電車を乗り継いで、遠くから遊びに来てくれた..
連日の病院通いで、憔悴しきっていた元気の目に、輝きが戻って来た..本当に嬉しそうな顔だった..
生きる気力が湧いて来た様子だった..前日の疲れ切った顔とはまるで違っていた..目が生きていた。
ラッキー君は、犬見知りをするらしく、元気の傍へ近寄ろうとはしなかった..元気が恐かったのかな..?
でも、元気は初めて会ったラッキー君に、挨拶をしたかったらしく、布団の上から身を乗り出していた..
元気は、ワンコが大好きだった..だから、どんなワンコとも必ず挨拶をしていた..心残りだったかな?

元気が生きていたから、ラッキーかあちゃまと知り合え、会う事が出来た..元気が遺して逝った宝物..
元気が死んでしまった今でも、お付き合いが続いている..元気もきっとお空の上で喜んでいるだろう

次に会うはずだった約束の日..9月16日..元気がお空へ逝ってしまった日..二度と会えなかった..


   「ラッキー君は、元気の傍に寄ろうとしなかった..元気は、ちょっと寂しげな表情をしていたっけ」

2007/07/28(土) どうして..
今の私..去年の今頃と、同じような事をしている..元気と同じように、勇気に付きっきりの毎日..

元気は、生きる事に貪欲だったから、よほどの事が無ければ、ご飯を食べないと言う事はなかった..
それでも、具合が悪くなってからは、一口事にスプーンで食べさせてあげていたが、いつも平らげてくれた。
勇気は、自分からご飯を食べようとしない..一口事、口に入れてあげているが、吐き出してしまう..
根気強く、口の中に入れ続けると、やっと吐き出さなくなるので、時間をかけて食べさせている..
病気だから仕方がないと思っていても、無性にイライラして来る時がある..今日も当たってしまった..

私は、いったい何をやっているんだろう..これじゃ、去年の私とまるで同じだ..どうしてこんな目に..
新しい犬を家族に迎えたのは、元気との別れの傷を少しでも癒してもらう為だったのではないか..
それなのに、治らない病気を抱えて、長くないであろう命の勇気を育てている..どうしてこんな目に..
私が何をしたのだろう..元気の病気と必死で闘って来て、これからの日々を楽しみにしていたのに..

勇気にご飯を食べさせながら、今の自分を呪った..ご飯を口に入れてあげながら、ポロポロ泣いた。
勇気の顔が私の涙で濡れていた..勇気は、泣いている私の顔を必死で舐めようとしていたが拒絶した
勇気は、そんな私を悲しそうな顔をして見つめていた..元気が、私を見つめていた顔と良く似ていた。
この子には、罪はないんだ..病気を抱えて生まれて来た事に罪はないんだ..誰にも罪はないんだ..
普通に生まれて来ていたら、もっと美味しくご飯も食べられただろうし、お菓子だってもっと貰えた。
もっと大きくなっていただろうし、運動だって制限無く出来ただろう、..一番可哀想なのは勇気だ..
今出来る事を精一杯やって行くしかないけれど、私に与えられた運命は、荷が重すぎるかもしれない。

今日はビル君の一周忌..ビル君がお星様になってから、1年が経ってしまった..時は無情に過ぎ去りし


 「連日の病院通いで、憔悴しきっていた..突然、呼吸困難に陥り慌てた..大学病院への後悔」

2007/07/27(金) 2番目の後悔..
今朝もピーカンだった..元気と関わりのある日は、いつもピーカン..お空の上で頑張っているのかな?

大学病院へ行ってから丸1年..キャンと泣いた日から丸2年..不思議な因縁で結ばれた7月27日..
そして勇気も病院へ..24日の元気の誕生日にも病院へ行っていた..元気と勇気..不思議な因縁
やっぱり、元気と勇気はどこかで結ばれている..だから、病気を抱えた勇気を、私に託したのだろう..

大学病院へ向かう途中で、車の調子が悪くなった..第三京浜を走っている時から、悲鳴をあげていた。
一般度を走っている時に、凄まじい音を立てていた..あれは、元気からの警告だったのではないか..
「大学病院へ行かないでよ..Uターンして帰ろうよ」..あの時、元気からの警告に気がついていれば..
元気はもっと生きられたに違いない..私が元気の命を縮めてしまった..今も、元気の無念さが聞こえる

○○大学病院..飼い主には全く見えない場所で、検査をしていた..裏で何をやっていたのだろうか
元気は、非常に珍しい症例の病気だった..きっと、インターンも交え、大勢で研究していたに違いない
11時位に連れて行かれて、私達の元に戻って来たのが、20時頃だった..その間、何をしていたのか?
足の被毛を剃られ、針を刺された場所から、液体が流れ出し出血していた..この事が命取りになった

元気が麻酔から覚めカートに乗って、診察室から出てきた時、憔悴しきった顔で私を睨みつけていた..
「ボクは、どうしてこんな目にあうの?..どうしてこんなに痛い思いをするの?」..そんな目をしいた。

2007/07/26(木) 二度目のお誕生日会..
昨夜は、元気☆を見上げながら、泣いていた..自分が背負ってしまった事が、とても重く感じられた..

去年の今日は、元気の二回目のお誕生日会をしていた..娘が買って来てくれた小さなワンコケーキ。
そのケーキを、ルーク君と仲良く食べていた..ルーク君にとって、初めてのワンコケーキだった..
残ったワンコケーキは、今でも冷凍庫の中に保管してある..そのケーキを見る度にこの日を思い出す..

自分達用に作ったご馳走を、元気が食べたそうにしていたので、ほんの少しだけお裾分けしてあげた..
元気の食欲は、全く落ちなかった..だから、体重も減ってはいなかった..でも、それは違っていた..
体は痩せて、背中なんてゴツゴツして来ていたのに、左後ろ足の液体の重さで、体重が減らなかったのだ

翌日、私が最も後悔している事が控えていた..何故、大学病院へ連れて行ってしまったのだろうか..


「ワンコケーキを、ルーク君と争うようにして食べていた..半分残ったケーキは、未だに冷凍保存のまま」

2007/07/25(水) 久々の元気☆..
昨日の夜空..久し振りに☆が輝いていた..元気☆を探したが、なかなか見つからなかった..

あれかな?これかな?..やっと見つけた!..元気☆の横に、仲良く並んでいるコロン☆があった。
私が勝手にコロン☆だと思っている☆..他の☆が見えなくても、二つの☆だけが見える時がある..
異母兄弟だった元気とコロンちゃん..この世で会えなかったけれど、お空の上ではいつも並んでいる..

私は何をやっても駄目だ..元気の命を縮めたのも、勇気の命を縮めているのも、私のせいかもしれない
他人には、あれこれ言う事が出来ても、いざ自分のワンコの事になると何一つきちんと出来た事がない。
私には、飼い主の資格などないのかもしれない..もう、ワンコなど飼うのはよそう..そう思えて来る..
今、勇気の事でどん底まで落ち込んで来ている..何をどうしてどうやったら、命を救えるのだろう..

元気、勇気を助けて..ママを助けて..元気のパワーで、勇気の病気を悪化させないで..お願い..

2007/07/24(火) 12歳のお誕生日
今日は、元気のお誕生日..生きていてくれれば、12歳だった.12歳になった元気を見たかったな..

勇気の病院へ行った帰りに、近くのお花屋さんに寄って、お誕生日用のアレンジを作って貰った..
夏のお花で可愛らしく作って貰った..夏に生まれた元気..そんな元気に相応しいひまわりのお花..
お花を抱えて家に戻ったら、宅急便の不在通知がドアに挟まっていた..送り主は、なおたさんだった。
お花と一緒に入っていた、なおたさんからのメッセージを読んで、そのお花を見ながら久し振りに泣いた..
「元気君へ..キミの生まれた日だね..出会えてよかったよ..ずっと忘れないよ..」....
そして、もう一つお花が届いた..私が作って貰った向日葵より、もっと大きな向日葵のお花が届いた..
ラッキーかあちゃまからだった..「元気君の誕生日と、元気ママ、勇気君がいつまでも幸せに..」
お☆様になってしまった元気のお誕生日に、お花が届いた..元気を忘れないでいてくれてありがとう〜

去年のお誕生日は、3回もしたっけ..24日は、家族だけでお祝いをした..きっと今年が最後だろう..
そんな思いで、お誕生日のご馳走を作っていた..泣かないつもりだったのに、涙が溢れて来てしまった。
元気は、ご馳走やケーキを前にして、とっても嬉しそうだった..その食欲はとても病気に見えなかった..
以前の、食欲満点の元気と何にも変わらなかった..左後ろ足さえ見なければ、健康そのものだった..
願いは一つ..次のお誕生日も一緒にお祝いしたい..でも、その願いは、2ヶ月後にはかなく散った..

元気..生まれて来てくれてありがとう〜元気に巡り会えて良かった..家族になってくれてありがとう。


「お祝いのお花の横で笑顔の元気..ケーキを美味しそうにほおばる元気..全ては記憶の中の元気」

2007/07/23(月) 大切な存在..
今日も、低い雲に覆われて鬱陶しいお天気..いつになったら、カラッと晴れた日が来るのかなぁ〜

こんなお天気が続いていると、身も心もジメジメして来る..ちょっとした事で、涙がこぼれて来る..
勇気の事でしょげてしまい、元気の祭壇の前に座りメソメソ..「本当に元気が勇気を託したの?」
私に与えられた試練..それを乗り越えるには、荷が重すぎる..でも、途中で投げ出せない..
投げ出す訳にはいかない..この世に生まれた一つの小さな命を、守って行かなくてはいけない..
でも、疲れた..この先に、どんな事が待ち受けているのだろう..それを受け止められる心があるのか?

去年の今日..お散歩に行けなくて、外の空気に触れる事が出来ず、すっかり気力を無くしていた..
そんな時ルークママさん&ルーク君が遊びに来てくれた..ルーク君が来た途端、元気の目が輝き始めた
傍に寄って来たルーク君に、「ウーッ」と一喝しながらも、その目には生きる力が蘇って来ていた..
お菓子争奪戦を繰り広げながら、楽しそうにはしゃいでいた..ルーク君は、元気の生きる支えだった。
今もそれは変わらない..勇気に生きる力を与えてくれる..ルーク君の存在は勇気の支えになっている

明日は、元気の12歳のお誕生日..生きていたら、今でもルーク君に「ウーッ」って一喝していたのかな?


   「ぐったりしていても、ルーク君が遊びに来ると元気になった..元気の命を支えてくれていた」

2007/07/22(日) 後ろ姿..
朝方、強い雨が降っていた..今日も青い空が見えないんだ..そう思いながら、また眠ってしまった..

勇気が彼とお散歩へ出かけた..ベランダから見送る私には、勇気ではなくて、元気の姿に見えた..
元気が元気な頃は、彼がお散歩担当重役だった..彼は、厳しかったので、お行儀良くお散歩していた
畑の周りの縄張り点検を入念にしてから、大好きだったハスキーのリリーちゃんちの方に歩いて行った..
今日の勇気も、元気と同じ方へ歩いて行った..ベランダから見ていたら、後ろ姿の彼と勇気がいた..
元気が大好きだった、ハスキーのリリーちゃんも、元気より先にお☆様になってしまった..
お空の上で会えたのかな?..生きてる時は、塀越しに話をしていたけれど、傍で話をしているのかな?

針を刺した周辺が痒いらしくて、被毛をむしる事が多くなっていた..見張りをしていたので眠れない。
連日の睡眠不足が祟り、とてもイライラしていた..そして、そのイライラを元気にぶつけ始めていた..
語気が荒々しく強くなり、手を挙げる事もあった..元気が悪い訳じゃないのに、そう思っても駄目だった
でも、元気はそんな私を受け入れてくれた..いつでも、どんな時でも、私の事を理解してくれていた..
元気は、私にとって犬と言う存在ではなかった..私の全てを理解し受け入れてくれる唯一の存在だった


「左後ろ足は腫れ上がり、鼻もガビガビ、お顔も白くなって来たが、被毛はシュルシュルのピカピカだった」

2007/07/21(土) 元気の気持ち..
最近、夜空を見上げても、低い雲に覆われて、全く☆が見えない..元気の月命日に一瞬見たきりだ。

テレビ番組で、犬の言葉が分かると言う人が、犬の気持ちを聞き取り、その内容を飼い主に伝えていた。
今までしていた首輪をして欲しい、車椅子の車輪の音がうるさい等々..伝えて実行された後の行動
首輪をして貰った犬の顔がパッと輝いた..そして、車輪を替えた車椅子に乗って嬉しそうに走った..
本当に分かっているのか、少し疑ってはいるが..あの番組を見ていて、元気の気持ちも知りたくなった。
体が不自由になってしまった事をどう思っていたのか、私がして来た事をどう思っていたのか、聞きたい。

去年の今日、検査に出す為に、腫れている左後ろ足の後ろ側に針を刺して、細胞を少し取り出した。
その時は、何でもなかった..家に戻って、ケージから出そうとしたら、針を刺した辺りから出血していた
慌てて病院へ戻り、手当をして貰った..流れ出る血を見て、心臓が止まりそうになってしまった..
焦った..本当に焦った..このまま、血が止まらなかったらどうしよう..元気の命を縮めてしまう..
大事に至らなかったが、この事も後悔の一つ..検査をしたって遅かったのに、何故してしまったのか..
我が家に戻り、ケージの中に元気を入れたまま、階段を上がっていた..もの凄く重かったのを覚えている
ケージから出すのに手間取っていたら、元気が自らバックしてくれた..本当に言葉の分かる子だった..


 「病院へ行って痛い思いをしているのに、私を気遣いいつも笑顔だった..本当に優しいワンコだった」

2007/07/20(金) 思い出す事..
今朝は、久し振りに雲の合間から、お日様が覗いていた..暑いけれど、やっぱり太陽って良いなぁ〜

勇気の皮下点滴をしながら、主治医と元気の話をした..去年の一昨日、断脚手術が中止になった事
勇気の背中からの出血を見て、元気の左足からの出血を思い出した事..主治医も、感慨深げだった
元気が頑張って生きていた事を、とっても我慢強いワンコだった事を、ずっと覚えていてくれる..
もっと早く、この主治医に診せていたら、元気の犬生も変わっていただろう..いつも、そう思ってしまう..

去年の今日は、コナちゃんと一緒に、元気の病院へ行きがてら、お散歩をしていた..暑い日だった..
元気は、あまり元気が無くて、カートの上で体勢も変えられず、カートから下りて歩こうともしなかった。
元気がない日は、元気の命はもうそんなに長くはないだろう..そんな事を思いながら、泣いていた..
泣かないつもりでいても、勝手に涙が出てきていた..よく泣いた..瞼が腫れ上がるほど泣いていた..


「暴れん坊のコナちゃんは、いつも元気にウーッて怒られていた..でも、コナちゃんは元気が大好きだった」

2007/07/19(木) 静かな時間..
今日も、どんよりした曇り空..昨日より、少しムシムシするかも..お日様は何処へ行ったのかなぁ〜

静かな時間が過ぎて行く..彼が帰って来てから、朝ご飯を食べて、買い物や支払いに行って貰った..
私は、未だに一人では買い物や支払いに行かない..日常の買い物は仕事から帰った彼が行ってくれる
私がする事は、買い出しリストのメモ書きを渡すだけ..今では、私より彼の方が買い物上手になった..
私は、いつまで彼に甘えているのだろうかと..反省はするのだが、心が動こうとしない..駄目な私..

去年の今日も、静かな時間を送っていた..断脚手術が中止になって、ほっとしていたような気がする。
タイムリミットを言われ、早急に決めなければいけなかった断脚手術..迷う暇も、考える暇もなかった..
断腸の思いで決めた断脚手術..肝臓の数値が悪くなったのは、元気の心からの叫びだったのだろう..
「ボクの足を切らないで..こんなに腫れていても、ボクには大事な足なんだよ」..そう言ってたのかな?

元気は、ご飯を一杯食べて元気だった..その姿を見ていて、足を切らなくて本当に良かったと思った。


 「この頃は、スプーンでご飯をあげていた..元気は、どんなに不味いご飯でもこうすれば食べてくれた」

2007/07/18(水) 切断手術をするはずだった日..
昨夜からの雨も止んだが、どんよりとした雲が覆っている..冷たい風が吹いていて、半袖では寒い..

去年の今日、左後ろ足の切断手術を予定していた..前の晩から、ご飯やお水も我慢させていた..
彼が仕事へ出かける時、ベランダから見送る私に拳をあげて、「頑張れよ〜」..彼の精一杯の気持ち
娘が真夜中まで、元気の傍で付き添っていてくれた..私達の態度が、普段と違うなと感じていただろう

コロンママさんから贈られて来たお誕生日のプレゼント..そのお洋服を着せて、手術の朝を迎えていた。
ルークママさんが、病院まで付き添ってくれる予定だった..そろそろ、出かけようかと思っていた矢先..
主治医から電話がかかって来た..「肝臓の数値が悪いので、このまま手術を行うと危険度5になります」
危険度5と言うのは、「死」を意味する..手術を行っても無駄死にするだけだ..私は、手術を断った。
今でも、この選択は正しかったと思っている..あのまま手術を行っていたら、確実に病院で死んでいた。

手術が中止になったので、早速元気にお水をあげた..夢中になって飲んでいる姿が、愛おしかった..
お水を飲み終わった後、朝ご飯もあげた..よっぽどお腹が空いていたのだろう..がっついて食べていた。
お水やご飯にがっついている元気の元気な姿を見ていて、手術をしなくて本当に良かったと思った..
このまま、元気の体に任せておけば良かったのに..この後に選んだ事が、私の一生の悔いとして残る..

今日は、チャマちゃんの月命日..これからもずっと、15日、16日、17日、18日と月命日が続いて行く..


「断脚手術の朝、早起きをして写真を撮った..無くなってしまう腫れ上がった左後ろ足が愛おしかった」

2007/07/17(火) ラブちゃんに..
今日は、朝から小雨が降っていた..勇気を病院へ連れて行くのに..そう思っていたら途端に止んだ。

私が行動する時には、それまで降っていた雨さえ止んだしまう..遊びに行った時も、旅行に行った時も
その度に思う..元気が、雲を雨を追い払ってくれている..いつも、私達を傍で守ってくれている..
きっと、お空の上で仲間のワンちゃん達を総動員して、雲や雨を追い払ってくれているのだろう..
雲を追い払い過ぎて、「こんなに暑くしなくても..」と、文句を言っていたら、雷を鳴らして怒っていた..

病院から帰って来て、駐車場の前の道を歩いていたら、見覚えのあるワンちゃんと飼い主さんの姿が..
挨拶をしようと近寄って行くと、「えっ!..」と言うような表情をした..「犬が違うでしょう..」
私から切り出した..「前の犬は、死んだんです..」..「そうだったんですか..老衰ですか?」
「病気だったんです..1年位、病気と闘っていたんです..だからカートに乗っていたんですよ」..
若い男性の飼い主さんは、しばらく黙ったままだった..ラブちゃんがお散歩デビューの日に出会った..
ラブのパピーと元気は、遊歩道で出会った..その後もお散歩の度に、色んな場所で偶然会っていた。
あんなに小さかったラブちゃんが、りっぱな成犬になっていた..時間は確実に刻まれていた..

今日は、コロンちゃんの三回忌だった..そして、リロちゃんの月命日..元気は今私の傍にいない..


  「断脚手術の前日..まるで、それを知っていたかのように、ベランダからコナちゃんを見送っていた」

2007/07/16(月) 10回目の月命日..
今日は、元気の月命日..勇気の世話で泣く事は少なくなったが、元気への想いは今も変わらない..

昨夜、不覚にも居眠りをしてしまった..彼と勇気が、私を起こしに来た..1時30分になっていた..
元気の月命日に、彼がいるのは久し振りの事だった..一緒に夜空を見上げる事などほとんどなかった。
「さっき、☆が見えていたよ」..彼の言葉でブラインドの隙間から夜空を見上げたら、雲に隠れていた。
今日は、元気☆に会えないかも..今まで月命日に、元気☆が見えないなんて事は、ほとんどなかった
2時10分..窓を開けた途端、元気☆が見える場所だけ雲が切れていた..そして3つの☆が輝いていた
縦に並んでキラキラ輝く3つの☆達に、「どうか、勇気の命を守って下さい」..そうお願いした..
3つの☆が見えたのは、ほんの一瞬だった..強い風に流されて来た雲に、スッポリ覆われてしまった..

元気..ママは、元気から勇気を託されて強くなったよ..勇気を守って行く事が元気への恩返し..
勇気がいるのに、元気を思いだしてメソメソしているママに対して、元気は泣く事を取り上げたんだね..
「そこに勇気がいるのに、どうして泣いてばかりいるの?」..そう言われているような気がする..
ママ..頑張るね〜元気から学んだたくさんの事を、勇気に活かして行くね..ありがとう、元気..


  「未だに片づけられない元気の祭壇..でも、ここが元気の居場所..ずっとこのままでいようね」

2007/07/15(日) シコリを発見した日..
昨夜から今朝にかけて、雨が降り続いたが、思ったより酷くならなかった..そして彼も無事に帰宅した。

去年の今日..元気の胸に違和感のある物が出来ていた..ボタンのような形をした物..シコリだった
発病してから10ヶ月目に、初めて出来たシコリだった..発見した瞬間、胸が張り裂けそうになった..
あ〜もう駄目だ..宣告された余命が確実に近づいている..リンパに転移したら、もう全てが終わりだ。
絶望の淵に立たされ、私の心は徐々に断脚へと傾いて行った..足が1本なくても、私が支えてあげる。
鍼の先生にも、ショップの店長さんにも、断脚を反対されていた..切断部分からリンパに転移すると..
10歳を過ぎた犬には、辛い犬生が待っているだけだと..それでも、最後の望みに賭けてみようと思った

この頃、元気は左後ろ足の被毛を、しょっちゅう口でむしっていた..きっと、皮膚が痒かったのだろう..
目を離すと、口の周りにに被毛がついていた..見つける度に叱っても、決して止めようとしなかった..
だから、元気から目を離す事が出来なかった..朝も昼も夜も..恐くて、眠る事さえ出来なかった..
私は、万年寝不足に陥っていた..肉体的にも、精神的にも、疲労のピークに達しようとしていた..

今日は、マイロちゃんの2回目の月命日..今頃は、お空から下りて、優しいママ達の元へ帰ったかな?


 「足の毛をむしるのを叱られて、フテ気味な元気..腫れ上がった足とむしった後が分かりますか?」

2007/07/14(土) 驚愕の事実..
今日は、朝から大粒の雨が降っていた..台風の影響だろう..彼は、大阪から無事に帰れるのかな?

去年の今日..キャバ友さんが紹介してくれた病院へ、元気を連れって行った..そして、検査をした。
検査の結果は、驚くべきものだった..目の前のレントゲン写真には、驚愕な事実が映し出されていた。
膝の周りの骨が、無惨にも砕け散っていた..膝から上の大腿部と膝から下の骨が繋がっていなかった。
「こんな足で歩いているなんて信じられない」..今の勇気のサブ担当医が、唖然とした顔でそう言った。
私も信じられなかった..こんな足で歩いていたんだ..知らなかった..元気の我慢強さに涙が溢れた。

「この子は、腫れた部分に針を刺しても、平然としていました..何て強い子なんでしょう」先生の言葉。
先生の言う通りだった..元気は、どんなに辛くても、どんなに痛くても、ずっと我慢して生きていた..
私は、元気の我慢強さに、甘えていたのかもしれない..今、どんなに後悔しても、元気は戻って来ない
元気の命を救うには、断脚か放射線治療しか残ってないと言われた..最後の選択が私に与えられた。


 「検査が終わり、病院の駐車場でも笑顔だった元気..疲れ果てて、布団の上で爆睡していた..」

2007/07/10(火) 欠けた奥歯..
右下の奥歯が欠けたままになっている..指を噛まれた日に欠けた奥歯..最近穴が大きくなって来た。

右手人差し指の治療が終わって、ふと奥歯に舌を這わせたら、違和感を覚えた..詰め物が取れていた
お腹も壊していたし、奥歯も欠けてしまったし最悪だった..人差し指は、翌日になっても痛み取れず
病院へ行ってる間、お留守番をしている元気が心配だったが、家に戻ると玄関までお迎えに来てくれた。
その顔は、「帰って来た〜ボク、ちゃんとお利口にお留守番していたよ〜」..そんな表情をしていた..
左後ろ足が悪化してから、ほとんどお留守番をさせていなかったので、きっと不安な気持ちだったろう..
思い切り甘えて来た元気..すっかり年を取ってしまったが、そんな時は、パピーの頃に戻ったようだった。
もう少し、元気と付き合いたかったなぁ〜もっと年を取った元気を見たかったなぁ〜どんなキャバだったかな


  「この頃は、たまにしか会えなかったパパ..一緒の時は、本当に嬉しそうだった..甘えっ子の元気」

2007/07/09(月) 爪の傷跡..
今も右手人差し指の両端に傷跡がある..その傷跡を見る度に、元気に噛まれた時の激痛を思い出す

去年の今日、元気に右手人差し指を噛まれた..とんでもない激痛が走った..痛くて々悲鳴をあげた
元気は、泣いている私をキョトンとした顔で見ていた..何が起きたのか、理解出来なかったようだった..
元気が悪い訳じゃない..一生懸命食べていたササミジャーキーを、大きいからと取り上げようとした..
その時、取られまいとして必死で噛んだのだ..それがササミジャーキーではなく、私の人差し指だった..
激痛に堪えながら、傷を確認してみたら、爪の両端に穴が空いていて、そこから血が流れて来ていた..

救急病院へ行って、応急処置をして貰った..骨にまで達しているかもしれないと、レントゲンも撮った。
破傷風予防の注射も打たれた..飼い犬に噛まれるなんて..お医者さんは、そう思っていただろう..
処置をされながら、病気の元気にも、爪に穴を開ける力が残っていたんだ..まだまだ生きられる..
激痛に耐えながらそう思っていた..本当に痛かったぁ〜今、その痛みを思いだしても、顔が歪んで来る


  「この頃、仕事から帰る彼をお迎えに行っていた..彼を見つけると、心から嬉しそうに迎えていた」

2007/07/08(日) 聞き逃した..
昨日、送って行けなかったラッキーかあちゃまを、彼と一緒に自宅まで送り届けて来た..我が任務完了

野川公園に差しかかった時、妙に寄りたくなった..車の中から、駐車場を覗き込んだら空いていた..
「ここの大きな木の下で遊んだんだよ〜駐車場空いてるね」..私の声を無視して彼は左折してしまった
後で知った..その大きな木の下にマイロママさんがいた事を..呼んでいる声を聞き逃してしまった..
きっと、元気とマイロちゃんがお空の上から、「ここにママがいるよ〜」..そう教えてくれたのだと思う..

去年の今頃は、体の調子がとても悪かった..元気をお散歩へ連れて行って、倒れそうになっていた..
それでも、元気が喜んでくれるならと、必死で連れて行っていた..最後の激坂を上がるのが辛かった..
10Kgの元気を抱いて、激坂を上り、自宅の3階まで階段..腕も、肩も、腰もパンパンになっていた..
今も去年の寝不足、栄養不足が祟り、体の調子はあまり良くない..年のせいだと言う声も聞かれるが


「笑顔が見たくて、倒れそうになる体にむち打ってお散歩へ連れて行った..元気は嬉しかったのかな?」

2007/07/07(土) 軽井沢2..
一昨年の10月以来、久し振りに迎えた、静かな嬬恋の朝..初夏だと言うのに、半袖では肌寒かった。

違うのは、元気が傍にいない事..「お早う〜」、いつも私の顔を覗き込んで、「オシッコがしたい」と..
寂しかった..元気との、長年の習慣が無くなっていた..いつも、朝のお散歩を楽しみにしていた..
寝ぼけ眼の勇気を起こして、キャベツ畑へ〜張り切って歩く勇気の姿に、元気の姿を重ねていた..
朝食を終え、帰り仕度..帰り際にママさんが撮ってくれる記念写真..元気が座っているような気がした

チョコラを後にして、北軽井沢へ〜大好きな「ゆうゆう」は、営業していなかった..ママに会いたかったな
我が家の定番、「ハーブ工房」へ〜陳列棚に割れ物が多いので、元気はいつも車の中で待たせていた。
勇気達を遊ばせる為に、マウンテン牧場へ向かった..この場所へは、何年か前の冬に来たきりだった。
変な乗り物に乗せられて、もの凄く不機嫌な顔をしていた..その顔を見て、腹を抱えて笑ったっけ..
ランで、勇気達が楽しそうに走り回っていた..若いって良いなぁ〜そんなエネルギーを感じていた..

そして、大好きな「珈琲工房須田」へ〜去年の冬、ダボスへ行く前に、珈琲を買いに寄って以来だった
木漏れ日が差すテラス..一昨年の9月、ワンコケーキを美味しそうに食べていたっけ..可愛かったなぁ
北軽井沢に行くと、何処へ行っても、元気を思いだしてしまう..10年間の思い出は忘れられない..

今日は七夕だったんだ..織り姫様と彦星様のように、1年に1度で良いから、元気に会いたいなぁ〜


  「一昨年の10月、チョコラで食べた最後の朝食..一昨年の9月、珈琲工房須田でワンコケーキを」

2007/07/06(金) 軽井沢1..
今日は、累ママさん&ラッキーかあちゃまと、1泊2日の予定で軽井沢へ〜今年の3月に行って以来..

いつもの下道ではなく上信越道で〜新しいカフェに行ったり、プリンを買って、大好きな塩沢タリアセンへ
懐かしい塩沢タリアセン..中に入った途端、元気との事を思い出し、涙が溢れて来た..ここに元気が
一昨年の9月、娘と一緒に来たのが最後だった..左後ろ足は、まだほとんどビッコを引いてなかった。
湖畔を一周した後、テラスでソフトクリームを食べたり、ガァーガァー鳴いている鴨に吠えてみたり..
楽しかった思い出が、走馬燈のように駆けめぐっていた..目の前に、元気がいるような錯覚を覚えた..
お弁当を食べていたら、一瞬今までと違う風が吹き抜けて行った..「ママ〜ボクもここにいるよ〜」..

スリードックでティータイム..旧軽井沢で散策&ショッピングをしてから、我が家の定宿だった「チョコラ」へ
元気は、チョコラのママさんが大好きだった..食事を作っているママさんを、ドアの前でずっと待っていた。
ママさんが出てくると、嬉しくて嬉しくてずっとはしゃいでいた..ママさんも元気を心から可愛がってくれた。
「ツールド嬬恋」に参加する為に、泊まり始めた「チョコラ」..コースの真ん前に立っている..
レースの度に、チョコラの敷地に陣取り、応援し続けた..元気は、最初から最後まで「頑張れー」って
その時の写真が、チョコラのアルバムにたくさん残っている..久し振りに見た若い頃のハツラツ元気..
今も、お空の上で世界各地の「ツールド」を応援しているのかな?..応援し過ぎて声をからさないでね。

チョコラのリビングに飾ってあった我が家の家族写真..ママさんは、その写真を飾るのを迷ったそうだ..
私は、ママさんの気持ちが嬉しかった..そして、写真を飾ってくれていつものように迎えてくれた事も..
チョコラの前に広がるキャベツ畑..元気と一緒にテクテク歩いたっけ..往復2時間以上も歩いた事も
それでも弱音など吐かなかった..ふてくされて、草をムシャムシャ食べたり、私を睨みつけたりしていたっけ
楽しかったなぁ〜その時々の表情一つ々を思いだしていた..楽しい思い出を残してくれてありがとう..

去年の今日は、ルーク君&コナちゃんと「ゼブラ」へ行った..最初で最後の「ゼブラ」..楽しかったね!


  「塩沢タリアセンのテラスで、ソフトクリームを..この橋を渡ったのは、この日が最後になってしまった」

2007/07/05(木) アイコンタクト
ぱっとしないお天気が続いている..梅雨だから仕方がないけれど、心の中までじめじめして来る..

去年の今頃は、静かな毎日が続いていた..雨の合間にお散歩へ行ったり一人で買い物へ出かけたり
割と普通の生活をしていた..元気をお留守番させても、まだ安心していられた..平穏な時期だった。
このまま、元気の病状が悪化する事なく、静かな時間を過ごして行けたら、どんなに幸せだっただろう..
残り少ない時間を知らずに過ごしていた日々..もっと大切に、もっと大事に過ごしていたらと後悔する。

元気は、布団にいる時間が長くなり、お水も飲みに行こうとしなかった..用事がある時は、鏡をカリカリ
「お水が欲しいの?」..そう問いかける私に、大きな瞳で「そうだよ」..すっかり横着者になっていた..
言葉など無くても、目と目で話が出来た..元気が訴える事は、ほとんど理解出来た..アイコンタクト。
11年間を共に暮らして来たから、お互いを分かり合えた..勇気は、元気のようになれるのだろうか?


  「一日のほとんどを布団の上で過ごしていた..退屈だったろうな..そして時には、ソファーへ移動」

2007/07/04(水) 試練を与えた?
勇気の病気が分かってから、元気の事を思いだしても泣かなくなって来た..涙が枯れた訳じゃないのに

勇気がご飯を食べない..元気は、どんなに具合が悪い日でも、不味いご飯でも必死で食べていた..
ご飯を食べれば、ママが喜んでくれる..そして、自分も元気になれる..そんな思いだったのだろうか?
勇気が食べなくなって来た頃、ただの甘えだと思っていた..「元気兄さんを見習ってちゃんと食べて!」
いつもそう言っていた..病気のせいだとは思っていなかった..いつも勇気に対して辛く当たっていた..

元気と勇気、全てに対して比較していた..私達が初めて飼ったキャバ..元気がキャバの基本だった。
元気以下のキャバを認めなかった..元気と同等、それ以上のキャバを望んでいた..高望みをしていた
元気よりマズルが長い..顔にシミが出てきた時も、元気にはこんなシミなんてなかった..許せない..
顔のバランスが悪い..元気より目が小さい..茶色の毛の色が薄い..背中に白い毛が多すぎる等々
勇気の個性を認めようとしなかった..そんな私に、元気が怒ったのかもしれない..そして試練を与えた


「6月下旬..サプリや漢方薬の入ったご飯を必死で食べていた..時には、スプーンで食べさせていた」

2007/07/03(火) 未だ憎しみ消えず..
最近、日記が飛んでいる..一週間前からの分を、もう一度振り返って、書いて行こうと思っている..

去年の今日、元気の足の液体を、抜く抜かないで、病院へ相談に行ったが、煮え切らない院長の態度
責任逃れをしようとする院長、屁理屈ばかりを言っている院長の態度..私は、ついにプツンと切れた..
「自分で判断出来ないなら大学病院を紹介しろ」、「大学病院はフリーでも行けます」そんな答えだった
自分の評価が落ちるのを恐れて、大学病院すら紹介しようとしない..「何でも良いから一緒に行け」
院長はしぶしぶ了解したが、その後学会に出席しなくてはならないからと、伸ばし伸ばしになってしまった
結局大学病院を紹介する事も無く、勿論一緒に行く事もなかった..こんな医者を長年信頼して来た
この院長は、元気に対する怠慢な治療、間違った治療を、何の反省もなく未だに多くの患者を診ている
最初に診た時に、疑わしい場所を徹底的に調べてくれていたら、元気の命が消える事はなかっただろう。
私は、自分の命が消える日まで、この院長を許さない..いや、もしかしたら死んだ後も許さないかも..


「6月下旬..遊歩道をお散歩中に、コナちゃんちで一休み..コナちゃんは元気に会えて嬉しそうだった」

2007/07/02(月) 更年期障害悪化?
旅行から帰って来てから、ダラダラと時間だけが過ぎて行く..いつもの日常が、戻って来てしまった..

真夜中まで起きているが、朝早く目が覚めてしまう..何だか、元気を介護してい時と同じようだ..
寝不足が続く毎日..梅雨時のせいか、年のせいなのか、病気なのか..体が重くてとってもだるい..
些細な事でも、イライラしてムカついて来る..細かい事が出来ない..もしかして更年期障害の悪化?

この頃の元気との生活は、一応平穏な日々だった..足の腫れは酷くなっていたが、元気一杯だった。
買い物やお出かけから帰って来ると、調子が良い時は、尻尾フリフリで玄関まで出迎えてくれていた..
このまま、小康状態が続いて欲しいと願っていた..でも、足の腫れはいよいよ酷く、破裂寸前に見えた
中の液体を抜こうか、抜いたらどうなるか..日々その事で悩んでいた..決断をしなくてはならなかった。
今思えば、元気の生きる力に、自ら作っていた体に任せておけば良かったと、つくづく後悔している..


  「時には、布団から抜け出して、窓辺やリビングでくつろいでいた..大きな目がキラキラ輝いていた」

2007/07/01(日) あの海へ..
元気..勇気を連れて、あの海へ行って来たよ〜あの場所で、元気が走ってる姿が見えた気がしたよ〜

パパに抱かれて、海から目をそらしていた元気..ビッコを引きながらも、嬉しそうに走っていた元気..
色んな元気の姿を思いだして、涙が溢れて来た..勇気が難病だと分かった時から出なかった涙が..
止めどなく溢れて来た..どうして命を救ってあげられなかったのか..どうして今ここにいないのか..
色んな思いが心の中で交錯していた..もう一度、走って..もう一度、この腕の中に帰って来て欲しい
叶わぬ夢を心に抱きながら、遠い水平線を眺めていた..未だに吹っ切れぬ元気への想い..会いたい


「去年の2月、青い空、青い海..パパの腕から脱走寸前..ビッコを引きながら、一生懸命走っていた」


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