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2008/11/16 二十六回目の月命日
2008/10/16 二十五回目の月命日..
2008/09/16 三回忌..
2008/08/16 二十三回目の月命日
2008/07/24 誕生日♪

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2007/08/31(金) 元気へのお願い..
とうとう、8月も終わりだ..灼熱の太陽も雲に隠れてしまった..だから、元気☆もしばらく見てない..

9月に入ると辛い思い出が多くなって来る..懸命に生きていた元気の顔に白い被毛が目立つようになる
生きている時には感じなかった白い被毛も、改めて写真を見ると相当増えている..辛さが顔に出ている
時々見せるパピーのような表情が、私の心をほっとさせる..そんな表情の元気は、楽しかったのかな?
9月に入ると、一周忌も来る..もう1年経ってしまうんだ..未だに残る後悔の気持ち..昔年の思い..

元気..私達だけでなく、勇気の事をしっかり守ってね..まだ、お空の上には連れて行かないでね..
元気みたいに、色んな事を経験してないんだよ..元気みたいに、美味しい物も食べてないんだよ..
これから、覚えなきゃきゃいけない事も、たくさんあるんだよ..もっとお利口さんになれる仔なんだよ..
まだ、1歳にならないんだよ..元気には、お空の上にたくさんのお友達がいるから、寂しくはないでしょう〜


「オシッコとウンPの回数が多くて、私は休む暇もなかった..みんなが一緒だと山羊さんミルク美味しい」

2007/08/30(木) やり過ぎる私..
涼しい朝..雨混じりの空..どんより..空もどんよりだが、体も心もどんより..勇気も一緒にどんより

私は、子供を育てていた時も、元気を育てていた時も、介護をしていた時も、手を出しすぎてしまった
待っているのがまどろこっしくて、つい手を出してしまう..その状況は、今の勇気に対しても同じ..
娘のパパがお金にだらしなかったのも、娘が甘ったれになって、行方○○になってしまったのも私のせい..
元気が歩けなくなってしまったのも、私が手を出しすぎたせい..勇気が自分からご飯をた食べないのも
自分からしようとする気持ちを私が奪ってしまった..良かれと思ってやった事が、全て裏目に出てしまった
自己嫌悪に陥り出した..また、落ち込んで来てしまった..このまま、奈落の底まで落ち込むかも..

元気の左後ろ足から出でいた液体..穴が塞がってしまったので、かさぶたを取ろうと必死になっていた
軽く消毒だけしておけば良かったのに..無理矢理かさぶたを取ろうとして、皮膚が白くなってしまった
その白くなった皮膚以外の場所に歪みが来て、所々黒くなってしまった..私が余計な事をしなければ
皮膚が薄くなり、血管ももろに浮き出ていた..元気の左後ろ足は、見るも無惨な皮膚になってしまった
私が元気の命を縮めたのかもしれない..そして今、勇気の命をも縮めているのも、私なのかもしれない


 「コナちゃんと元気の珍しい接近戦..まるで最後の挨拶をしているようだ..体を拭いたらすっきり顔」

2007/08/29(水) 本当は疲れてる..
ほぼ毎日の早朝のお散歩..真夜中に寝る私の、睡眠時間4時間..昼寝が欠かせなくなってしまった

そして、3日に1度位、パソコンも電気も付けっぱなし、何もかもやりっ放しで、爆睡してしまう事もある..
パソコンの画面をじっと見つめていると、ふとキーボードを打つ手が止まってしまう..もういいや〜寝る!
そんな事を思ってしまうと、いつの間にか眠ってしまう..私が寝てる間、勇気は何をしているのだろう?
元気との闘病生活が終わり、傷心の日々が続き、やっと明るい光が差し込んだのに再び同じ生活が..
肉体的にも、精神的にも、金銭的にも、私を追い込み始めている..本当は疲れている..くたくただ。

去年の今日..元気は、何事もなかったようにベランダに立ち、オシッコもウンPも、順調にしていた..
立てなくなって、ベランダで奮闘していた数日間..立てなくなってしまったのは、私のせいかもしれない
私の心の中を見抜かれていた..転ぶのでは?こけるのでは?..いつも、ハラハラドキドキしていた。
私の発する声が、いつもより高かったのかもしれない..元気は、私が高い声を出すと警戒するのだ..
健康な頃から、私の高い声を聞くと異常に反応して、怯えたりしていた..そして、守ろうともしていた..
だから、私が怖がっていた事を察して、元気も怯えてしまって、立てなくなったのではないだろうか?
我が家の順位は、彼→元気→私だった..元気にとっての私は、自分が守るべき存在だったらしい..


「オシッコもウンPも順調にしていたが、初めて寝○ソをした..命を繋いでくれていたコナちゃんにウーッ」

2007/08/28(火) 奇跡が起きた日..
陽射しは暑いが、風が変わって来た..赤とんぼが飛び出したから今年の夏も、もうすぐ終わりかな?

去年の今日..ご飯を食べなくなってしまった..食べさせようとしても、ガンとして口を開こうとしなかった
立てなくなってしまったので、オシッコをする事も出来なかった..このままでは腎臓の機能が駄目になる
病院へ連れて行きたくても、状態が悪くて連れて行けない..犬の在宅医療があったらとつくづく感じた。
カテーテルをオチンチンに入れて、オシッコを取らなくては命に関わる..どうして良いか分からなかった..
無理を承知で、病院へ連れて行く事にした..ケージに入れる事も、抱いて連れて行く事も出来なかった
そこで、コナちゃんのベットを借りる事にした..コナちゃんのベットに寝かせて、病院へ連れて行こうと思った

コナちゃんのママが、ベットを持って駆けつけてくれた..元気は、とっても嬉しそうに迎えていた..
そして、今までがんとして口を開けなかったのに、コナちゃんのママの声を聞いた途端、ご飯を食べ始めた。
そして、コナちゃんのベットの匂いを熱心に嗅ぎ出した途端、寝ながら尻尾をピンと立ててオシッコをした。
初めてしたオネショだった..大量のオシッコだった..元気は照れくさそうに私達の顔を覗き込んでいた。
やったぁ〜ご飯も食べてくれたし、ずっと出なかったオシッコもしてくれた..コナちゃん効果は絶大だった!
そして、今まで立つ気配さえ見せなかったのに、右後ろ足を踏ん張り、自分から立ち上がろうとしていた。
ベランダへ連れて行ったら、何事もなかったように自分からすっと立って、オシッコをするようになった..
お水も自分から飲みに行こうと言う意志を見せた..生きたいと願う、元気の気持ちが奇跡を生んだ..

今日は、ビル君の13回目の月命日だった..お☆様になって、1年1ヶ月も経ってしまった..早すぎる。


   「オシッコが出なくて、疲れ果てていた時の元気..オシッコが出て、すっきりした顔の元気..」

2007/08/27(月) 液体が流れ出した日..
勇気の病気が悪化して来た..年内にはぐったりすると言われていた事が、現実味を帯びて来たようだ

どんなにあがいても、決して治らぬ病気..人間も難病に指定されている病気..治療方法がないのだ
どうして、こんな病気を持って生まれて来たんだろう..どうして私達の元へ来てしまったのだろう..
勇気にご飯をあげながら涙が溢れ、ポツンと呟いてしまった..「それは絶対に言ってはいけない言葉..」
私の後ろで、私のつぶやきを聞いていた彼が、私の背中に向かって、怒ったような言い方で呟いた..
「今後、どんな事があっても、どんな事を思っても、二度その言葉を口にするなよ!俺が許さない..」

去年の今日..元気がついに立てなくなってしまった..ベランダでオシッコをしようとしたが立てなかった。
何度も、ベランダへ出たが、その度によろよろとしゃがみ込みそうになってしまった..もう、駄目だ..
絶望の淵に立たされ、目の前が真っ暗になってしまった..もう、自力でオシッコをする事も出来ない..
悪い事は続いた..ついに、腫れ上がった左後ろ足から、液体が流れ出して来た..ポタンポタンと..
恐れていた事が、ついに始まってしまった..二つの事が同時に重なり、私はパニック状態になっていた。
あ〜もう駄目だ..足が破裂し始めたら、もう終わりだ..命の炎もついに尽きる時が来てしまった..


「前日のお散歩でルーク君と偶然会った..この日が最後のお散歩となってしまった..ぐったり顔の元気」

2007/08/26(日) 元気パワーをくれたワンコ達..
残暑厳しく、夏バテ気味..今日は、勇気のブログのアップに、3時間以上かかってしまった..疲れた。

勇気のブログと、元気の回想日記..二つを両立させるのは難しい..でも、それももうすぐ終わりかな?
元気の一周忌までは、この日記は続けるけれど、その先は分からない..もう、残ってる写真も少ない
フォルダに保存されている写真が、残り少なくなって来た..後は、どこからか探し出すしかない..
ワン友さんで、元気の写真を持ってる人はいないだろうか?..お心当たりの方々、ご一報下さいませ..

去年の今頃、コナちゃん&ルーク君が頻繁に遊びに来てくれていた..その度に元気パワーを貰っていた
布団の上で、ぼーっとしてるだけの毎日だったけれど、コナちゃん&ルーク君が来た時は活気があった。
コナちゃん&ルーク君がは、一番先に元気へ挨拶に行っていた..その度に威厳ある態度で「ウーッ」
でも、その顔には嬉しさが溢れていた..自分を慕って来てくれる、コナちゃん&ルーク君が大好きだった
全く食べなくなってしまった「アズミラ」さえ、コナちゃん&ルーク君が遊びに来ると、争って食べていた。
元気に元気パワーをくれ、元気の命を長らえてくれた、コナちゃん&ルーク君には心から感謝している..


 「どんなに具合が悪そうな日でも、暴れん坊のコナちゃんとルーク君が来てくれると元気が復活していた」

2007/08/25(土) パパ大好き!
元気は、パパが大好きだった..お休みの日には、べったり甘えていた..そして、勇気もパパが大好き。

パパと一緒に行くお散歩を楽しみにしていた..パパが一緒の日は、甘えからなのかやかましかった..
健康な頃は、パパがお散歩担当重役だった..仕事を終えて帰る私を、パパと一緒にお迎えに来ていた
時には、会社の中まで入って来て、私の仕事が終わるのを待っていた.会社の皆に可愛がられていた。
私がタイムカードを押すと、皆をかき分け玄関へ飛んで行った..「お散歩しながら、お家へ帰ろうねぇ〜」
彼の躾はスパルタだった..彼の前では吠える事も許されない..歩行態度にも、厳しく躾をしていた..
他人が見たら、虐待と言われかねない躾方法だった..それでも、元気はパパを信頼し心から慕っていた
病気だと分かってからも、それは変わらなかったが、介護が始まってからは厳しい態度は緩んで行った..
勇気に対しても、当初は元気と同じようにスパルタで躾ていたが、今は吠える事以外は決して怒らない


「大好きなパパと一緒にお散歩へ..たまにしか会えなくなってしまったパパ..元気は寂しかったろうな」

2007/08/24(金) 余命..
勇気との病院通い..元気との病院通いは、遊歩道を歩いて行ったので、それなりに楽しみもあった..

四季折々の景色を楽しんだり、犬や飼い主さんと触れ合ったり、ベンチに座り美味しい物を食べたり、
行きは早いが、帰りは何時間もかかった事もあった..テクテク、テクテク..元気との会話も弾んだ..
勇気との病院通いは、何の楽しみもない..行きは、病院へまっしぐら..帰りは、我が家へまっしぐら〜
病院の待合室も、飼い主さん同士の触れ合いなどほとんど無い..みんながそれぞれ離れて座っている
もう少し涼しくなったら、病院の帰り道に寄り道でもしようかなぁ〜遊歩道をテクテク歩いてみようかなぁ〜

勇気の主治医に、余命らしき事を言われた..最近の様子を見ていると、そうかなと感じる事もある..
主治医にとっても、勇気の病気は未知の物に等しい..きっと、教科書通りの事しか言えないのだろう
最初に病名を言われた時..「元気君のママだから、きっと耐えられると思うから病名をはっきり言います」
そう言われた..私を強い人間だと思っているのだろろう..外見からも言葉からも、そう見えるのだろう..
足が治らないと知った時も、介護をしていた時も、死んでしまった後も、どれほど泣いたか苦しんだか..
人の助け無しでは生きて来られなかった事を、主治医は知る由もない..私が弱い人間だと言う事も..
鍼の先生に、元気の余名を聞いた時もショックだったが、元気は犬としてのそれなりの時間を生きて来た
でも、勇気は1歳に満たない..せっかくこの世に生まれて来たのに、犬としての時間を過ごしていない。


「頼みの右後ろ足も浮腫だし、シコリも発見した..パパにご挨拶..まだ上半身を起こす事が出来た」

2007/08/23(木) お昼寝..
毎日、寝不足の日が続いている..真夜中にならないと眠れない日々..それなのに起きるのは6時頃

多分、4時間位しか眠ってないと思う..寝不足の体を引きずりながら、勇気を連れて朝のお散歩へ〜
目を覚ました時、もう一度寝たいと思うが、足下で「お散歩へ行こう」と言う顔で勇気が座っている..
そんな日々が続いて、私の体は悲鳴をあげだした..お昼寝が大嫌いなのに、気がつくと眠っている..
元気の介護をしていた時でさえ、滅多にお昼寝をしなかった..と言うより、出来なかったが正解かな..
元気を介護していた頃、元気と一緒にお昼寝をする事が出来ていたら、体はもっと楽だったかもしれない

鍼の先生に言われたとおり、病院から処方されていた薬を飲ませるのを止めたら、下痢と嘔吐が止まった
鍼の先生が、西洋医学も両立して開業してくれていたら、どんなに心強かっただろうと、心からそう思った
下痢と嘔吐は止まったが、真夜中のベランダで、オシッコとオシッコ後にこける元気と奮闘していた..
左後ろ足に傷がついてないか、両足を痛めてないか..部屋に戻ってから、オシッコの始末と足のチェック
私は疲れていた..疲労困憊だった..精神的にも肉体的にも追いつめられ、元気に当たってしまった。
罵声を浴びせ、頭を叩いたり..今思えば、何でそんな事をしてしまったのか..詫びても詫びきれない。


 「私がどんなに辛く当たっても、元気はいつも笑顔だった..私の全てを受け入れ、病気と闘っていた」

2007/08/22(水) やってしまった..
イライラする自分がいる..疲れ始めている自分がいる..ストレスが溜まり始めている自分がいる..

元気の介護をしていた時のような、体の不調が始まった..首の凝り、肩の凝り、背中の凝り等々..
毎日、勇気のご飯を必死で作り、必死で食べさせる..元気の最後の頃より、手間も時間もかかる..
私の願いとは裏腹に、勇気は嫌々ご飯を食べている..そんな姿を見ていて、プチンと切れてしまった
床に敷いていたタオルを窓に向かって投げつけ、使っていたスプーンを床にぶん投げた..あ〜やっちまった
勇気は、そんな私に怯え部屋の片隅で小さくなっていた..目を大きく見開き、耳は完全に後ろにあった
怯えきった勇気を抱きしめながら、元気の祭壇の前で泣いた..勇気は、溢れる涙を必死で舐めていた
心なしか、写真の中の元気が怒っているように見えた..元気との約束を破ったママの事怒っているよね

去年の今頃、オシッコやウンPをする時に、上手く立てなくなって来た元気と、ベランダで格闘していた..
真夜中、何度も何度もベランダと部屋の往復..そして、下痢Pで汚れてしまったお尻の始末と洗浄..
元気は、私が抱きやすいようにと自らUターンしてくれていたが、それがかえって悪い結果になってしまった
その度事に、ベランダの隅で転んでしまい、抱きにくい場所にはまってしまっていた..そんな毎日だった。
しまいに、苛ついて元気に当たり散らすようになっていた..そんな時の元気は悲しそうな目をしていた。
だから、もう二度と当たり散らすのは止めよう..そう誓っていたのに、勇気に当たり散らしてしまった..


「去年の今日..元気の顔色が悪くなり、歯茎が真っ白になってしまった..もう命尽きるのかと焦った」

2007/08/21(火) 頭の感触..
昨日は、元気の親戚さんの空ちゃんに初めて会った..頭を撫でたら、元気の頭と感触が同じだった..

勇気の頭は、骨が突き出ている..元気のようなツルツル頭ではないので、撫でた感触が好きじゃない。
「ウルトラマン」と呼んでいる頭..どうして、骨が突き出ているのか分からないが、あまり心地よくない。
空ちゃんは、ノズルから額にかけて、元気とソックリだった..そして頭を撫でた瞬間..元気だった!!
真ん丸に見えるけれど、撫でてみるとてっぺんが少し平らになっている..骨の引っかかりも全くない..
元気の頭を撫でているような錯覚を覚えた..元気に会いたい..ず〜っと頭を撫でていたい..

この頃、ずっと続いていた元気の嘔吐と下痢Pは、病院から処方された薬を飲んでいたのが原因だった。
この薬は、アメリカでは評判の悪い薬だった..鍼の先生は、何故こんな薬を処方しているのかと..?
与えて良い限度は、3週間だった..元気には、限度日一杯与え続けていた..薬は恐いと感じた..
西洋医学に於いての薬は、悪い所と同時に他の部分に負担が来る..元気の体には相当負担だった
ずっと、漢方薬とハーブのサブリ、抗ガン作用のある物を与えていた体に、悪影響を及ぼしてしまった..


「電気鍼治療..1ヶ月に2回で30、000円..家計は苦しかったが、元気の安らかな寝顔が見たかった」

2007/08/20(月) また、お星様が..
知らなかった..HPを始める前からのネット仲間、エリー爺さんちのエリーちゃんが亡くなっていたなんて..

掲示板を開いて、飛び込んで来たお悔やみの文章..しばし絶句..まだ、5歳だったエリーちゃん..
80歳近いエリー爺さんの生き甲斐だったエリーちゃん..エリー爺さんの深い悲しみを思うと言葉も出ない
元気が闘病生活を送っていた時も、お☆様になってしまった後も、遠くの地から励まし続けてくれていた
私は、どう励ませば良いのだろうか..何て言葉をかけたら良いのだろうか..溢れる涙が止まらない..
元気..エリーちゃんを優しく迎えてあげてね..そして、お空のお友達とエリー爺さんを見守ってあげてね


 「薬のせいで、嘔吐と下痢Pが続きぐったりしていた..久し振りのパパとのお散歩..嬉しそうだった」

2007/08/19(日) 悲しい..そして、寂しい。
24時間テレビを偶然見てしまった..「千の風にのって」..その詩を聞いていたら、涙が溢れて来た..

元気も風になって、大空で自由にしているのかな..時々、私の傍で変な風が吹くのは元気なのかな?
空を見上げ、「元気、君は歩くのが大好きだったよね..君は野原を走り回るのが大好きだったよね..」
「お空の上で、何の不自由も感じず、走り回っているのかな?..お友達と、思い切り走ってね..」
元気はいつでも私の傍にいる..風になり、太陽になり、雲になり、いつでもいつまでも私を見守っている


  「3年前の元気..8歳と言う年齢を感じさせないほど元気一杯だった..そして、威張りん坊だった」

2007/08/18(土) 涼しい風が..
昨夜から、涼しい風が吹き始めた..雨も少し降ったみたいだ..このまま夏が終われば良いのに..

一日があっと言う間に過ぎて行く..たいした事は何にもしていないのに、気がつくと夕方になっている..
歳を取ると、時間の経過が早くなる..何とかの法則と言うそうだ..このまま人生が終わってしまうのかな
若い頃の威勢は消え、カッとする事も無くなって来た..山有り谷有りの人生が、大好きだったのに..
今は、のんべんだらり..心電図が停止したような人生だ..何が辛くて、何が楽しいのかも分からない。
元気と一緒に病気と闘っていた日々..大変な毎日だったけれど、楽しさも喜びもひとしおだった..
元気は私に色んな想いを遺して逝った..そして、かけがえのないたくさんの思い出を遺して逝った..

去年の今頃は、元気の劇的な体調不良に悩まされていた..食べ物を吐きウンPも超下痢状態だった
後で分かった事だが、病院から処方されていた抗生物質と消炎剤の薬が、吐き気と下痢の原因だった。
元の主治医に見放されてから、西洋医学の薬を飲ませず、漢方薬とサプリのみで体調を管理していた。
それが、大学病院へ行って足に針を刺されてから、化膿止めと痛み止めとして、薬を飲ませられていた。
その薬が体に合わなかったらしい..せっかく自ら作り上げていた体を、西洋医学で駄目にしてしまった。
毎日、嘔吐と下痢が続いて、元気の体は衰弱して行った..体のあちこちに、シコリが増え始めていた。

今日は、チャマちゃんの月命日..マイロちゃん、元気、コロンちゃん、リロちゃん達と仲良く遊んでいるかな


 「コナちゃんのママに、足裏の毛と爪をカットして貰った..ルーク君とお菓子の争奪戦をしていたっけ」

2007/08/17(金) 残り少ない..
勇気のブログにリンクしてある、コロンママさんから頂いた元気の動画..こっちを向いて微笑んでいる..

コロンママさんとなおたさんが、元気のお見舞いに来てくれた時に、遊歩道へお散歩に行った時の動画
あの日から1年後..添付メールで送られて来た..その動画を初めて見た時、声をあげて泣いてしまった
部屋にいた時には、よどんでいた瞳がキラキラ輝いていた..1ヶ月後にお空に逝ったワンコには見えない
いつものお休み処で、大好きなクッキーを美味しそうに食べていた..気持ちの良い食いっぶりだった..
そして、私達の言葉に楽しそうに反応していた..「可愛いねぇ〜」..その言葉で、照れた顔が愛おしい

もっと、写真を撮っておけば良かった..もっと、動画を撮っておけば良かった..生きていた元気の証を
パソコンのフォルダに、保存されている写真も少なくなって来た..そして、見るのが辛い写真ばかり..
元気の成長アルバムも、中途半端で中断してしまった..アルバム4冊分のアナログ写真が残っている
成長記録が完成する前に、お空へ逝ってしまった..間に合うはずだったのに、先に逝ってしまった..
一周忌が来る前に、「メモリアル」のアルバムを完成させなくちゃ..亡くなる2週間前からの元気の姿を

今日は、コロンちゃんとリロちゃんの月命日..15日、16日、17日、18日とそれぞれの月命日が続く..


 「元気の寝床はSのお布団、私の寝床は隣の座布団だった..何ヶ月も布団に寝た事がなかった」

2007/08/16(木) 11回目の月命日..
今日は、元気の11回目の月命日..未だ癒えぬ心の痛みを遺して、あっと言う間に時が過ぎて行った。

2時3分..携帯のON時間を変えた..元気が死んだ2時16分に気づく事なく、そのまま眠ってしまった。
いつもなら、ちゃんと起きていて、元気星に向かって話しかけるのに..なんとそのまま眠ってしまった..
その事に気がついたのは、出かける仕度をしてる時だった..時間を忘れていた事に愕然としてしまった
今の自分の生活に夢中になっていて、元気の事をないがしろにしてしまった..祭壇の前で深く反省..
ルークママさんにその事を報告したら、「そうやって、心に占める割合が少なくなって行くんじゃないの」
それも寂しい..元気が私の心の中から、少しずつ想いが消えて行く..これも時間の流れなのだろうか

元気が生きていたと言う事を、私達だけではなく多くの人達の心の中からも想いが消えて行くのだろう..


  「1年経とうとしている今も、祭壇を片づけられないでいる..元気、私が死ぬまでここで待っていてね」

2007/08/15(水) ブカブカ..
セミの声が、やけにうるさい..真夜中でも鳴いている..いつもの年より、セミの死骸が多い気がする。

セミの鳴き声を聞いていると、余計に暑く感じられる..彼らには罪はないけれど、うるさいなぁ〜
早く、夏が終わってくれないかな..残暑もいらないから、そのまま秋になってくれたら良いのになぁ〜
大嫌いな夏..夏が来る度に、元気のお誕生日と元気と過ごした最後の夏の日々を思い出してしまう

去年の今日..コロンママさんに初めて作って貰ったラガーシャツを着せてみたら、ブカブカになっていた。
パツンパツンだった首周り..第一ボタンを外して着せていたのに、そのボタンをしてもブカブカだった..
こんなに痩せてしまったんた..体重も変わらないし、見た目も変わっていなかったのに、痩せてしまった。
癌細胞が、確実に体をむしばんでいた..リンパに転移してしまったので、もう止める事は出来ない..
元気の体を撫でながら、大学病院へ行ってしまった事を、深く後悔していた..行かなければ良かったと
元気が自分自身で作り上げた体を壊してしまった..あのまま、そっとしておけばリンパに転移しなかった
体のあちこちにシコリが出来ていた..もう、漢方薬もハーブのサプリも抗ガン作用の効き目がなくなった。
痛みを我慢していた元気が泣くようになって来た..我慢強かった元気も、痛みに耐えかねたのだろう..

今日は、マイロちゃんの3回目の月命日..今頃は、優しいママとパパの元へ帰って来ているだろう..


 「一昨年の初夏に、初めて作って貰ったラガーシャツ..パツンパツンだったのに、ブカブカになっていた」

2007/08/14(火) 新盆か..
外が静かだ..車も人も通らない..公園から、鳥のさえずりが聞こえて来る..お盆は静かで良いなぁ〜

新盆なのに、元気の気配を感じない..いつも、自分の月命日が近づくと、何処かへ行ってしまう..
今月は、何処へ行ってしまったのだろう..なおたさんちへ行ったかな?それともコロンママさんちかな?
それでも、月命日当日には帰って来て、私の傍に寄り添っている..確かに、帰った気配を感じるのだ
今月、11回目の月命日を迎える..そして、来月は一周忌..あっと言う間に、時間が経ってしまった。

去年の今日は、静かな一日を送っていた..真夜中にも起こされず、朝までぐっすり眠る事が出来た。
ベランダでオシッコをする時、元気の足が滑らないようにする為に敷いていたタオルの洗濯に追われていた
夏だと言うのに、指にはアカギレらしき物が出来ていて、洗濯をする度に痛かったのを思い出す..
洗濯機で洗わずに、バケツに水と洗剤を入れて、ごしごし擦っていた..小さい頃を思い出したっけ..
水道代も、いつもの倍近くに跳ね上がっていた..水道局の検診の方に、何かあったのですかと聞かれた

元気にとっても、私達にとっても、辛かった夏の日々..季節が違っていたら、もう少し楽だったのに..と


 「いつもは、布団に帰りたがるのに、珍しく居間でくつろいでいた..一度も着る事がなかったお洋服」

2007/08/13(月) 最後のあの場所..
未だに行けぬあの場所..前を通る時も見ないようにしている..どうしても、行けないあの場所..

行けば、あの日の元気の笑顔を思い出してしまう..買い物を済ませ、戻って行った時のあの笑顔を..
思い出せば、悲しくなるだけだ..だから、あえて行こうとは思わない..願わくば避けて通りたい..
この日が、元気と一緒に行った買い物へ行った最後の日..この日を境に、私の足は遠のいてしまった。
この先も、当分行けないだろう..行く気持ちにはなれないだろう..いつになったら、心が解禁するのか


「彼と一緒に夜のお散歩へ出かけた..あの場所で最後のお買い物..満面の笑みで私を迎えていた」

2007/08/12(日) ストレス&後悔..
彼が、今日から水曜日まで連休に入った..予想もしていなかったお休み..寝てるだけだろうなぁ〜

去年の今頃、私のストレスは最高潮だったかもしれない..睡眠不足、肩こり、首の痛み、腰痛等々
いつまで、私の肉体や精神が持つのだろう..このままでは、私が先に逝ってしまうかもとさえ思った..
私が倒れたら、元気を診てあげられる人間がいなくなってしまう..元気の為に頑張らなくちゃ..!!

カラ元気だった..この現実から、逃げ出したくなっていた..誰かに変わって貰いたいと思ってしまった..
彼も、娘も、当てにならなかった..全てを自分で受け止めなくてはならなかった..そう思っていた..
四六時中、元気に付き添っていて、ストレスを発散する術もなかった..だから、泣いてばかりいた..

何を選んでも、何をしても、良い方向に向かわず、空回りしていた..私が選択した事は間違いだった。


 「病状は進行していたが、食欲は旺盛だった..生きようとする意欲も旺盛だった..満腹お昼寝中」

2007/08/11(土) 川の思い出..
勇気と川遊びをして来た..戸隠牧場内の小川、乗鞍高原一ノ瀬園地の川で遊んだ事を思い出した

元気がパピーの頃、戸隠牧場へ行って、牛や山羊とご対面したり、草むらを思い切り走り回った..
牧場内に小川が流れていて、私達は小川を飛び越えたが、元気は対岸で行けないよと吠えるばかり..
「先に行くね〜バイバイ」..なんべんそう言っても、「跳べないよ〜」..本当に情けない犬だった..
諦めかけたその時、「ウーッ、ワンワンワン」..気合いの声と共に、勢い良く小川を飛び越えて来た..
その時、お股を嫌と言うほど岩に打つ付け、「ワン、キャン、キャイーン」..私達は腹を抱えて笑ったっけ

若かりし頃、乗鞍高原一ノ瀬園地内の川..水深がとっても浅いのに、川の中へ入ろうとしなかった..
川の中に飛び石が置いてあったので、それを使って川を渡った..元気も石の上を移動して来た..
それが突然、真ん中付近の石の上でも立ち止まってしまった..そして、その石の上でUターンを始めた。
4本の足がやっと乗せていられる小さな石の上で、器用にUターンを始めていた..何を思っていたのかな
先に対岸に着いていた私達が、「元気、バイバイ」と歩き始めたら、大慌てで川の中を走って来た..
戸隠牧場での出来事も、乗鞍高原一ノ瀬園地での出来事も、ビデオに残っているが、再生出来ない。

パピーの頃から、色んな所へ連れて行った..今のようなドックカフェも、ドックランもほとんどなかった。
食事の時は、いつも車の中で待たせいた..私達は、食事を大急ぎで食べて、車に戻っていた..
この頃のトラウマが最後まで残っていた..どんなに躾をしても、吠える事を止めようとしなかった。
車を停車させ、ギアをRに入れると、直ぐに吠え始めた..何処かへ行くんだ、ボクまた置いていかれる..
私は今も、元気と車で出かけていた頃の癖が残っている..到着する前に、下りる準備を始めてしまう。
あ..元気は、もういないんだ..私の傍にいるのは勇気..慌てて下りる仕度をしなくて良いんだ..

元気と一緒に過ごした11年間..年に5、6回旅行に出かけていた..元気との旅行楽しかったなぁ〜


 「自力で布団から下りて、玄関まで歩いてパパを迎えに行った..左後ろ足の足首がプラプラだった」

2007/08/10(金) 介護に疲れて来た頃..
毎日、暑い..去年もこんなに暑かっただろうか?..外に出なかったから、感じなかったのだろうか..?

冷え切った部屋にこもり切りだった..たまに外に出るのは、元気の病院へ薬を取りに行く時だけだった。
外の暑さにめまいを起こしそうになりながら、病院へ向かっていた..病院で倒れそうになった事もあった。
寝不足、栄養不良、冷房病等々..私の体は悲鳴をあげていた..この体がいつまで持つだろうか?
そんな思いで毎日を過ごしていた..今も、去年の後遺症的な事が残っている..治る事はないだろう。

真夜中のオシッコの回数が異常に多くなり、頻繁に起こされていた..一時間おきにベランダで格闘..
ベランダで転んでしまった元気を抱き上げながら、私はこんな真夜中にいったい何をやっているんだろう。
ボーッとたたずんでしまったり、泣いてみたり、喚いたり、怒ってみたり..私の心も壊れそうになっていた。
自分の感情のまま、元気に当たり散らして、きつい言葉を吐いたり、頭を叩いてしまった事もあった..
元気は、その度に怯えた顔をしたり、悲しそうな顔したり..許しを請うような顔で私を見つめていた..

左後ろ足の腫れは、いよいよ酷くなり、今にも破裂しそうだった..もう長くない..そんな思いだった..


 「鍼治療..元気が針を抜いちゃって、先生と慌てて探したっけ..針の抜き方がとても上手だった」

2007/08/09(木) 不思議な出来事..
今日は、朝から不思議な力を感じていた..元気が近くにいるのでは..そんな思いで朝を過ごしていた

ルーク君との朝のお散歩で、偶然コナちゃんに出会った..その場所は、元気との第二のお休み処..
近くの販売機で、ポタージュスープやジュースを買って、そのお休み処で元気と分け合って飲んでいた..
そんな場所で、ルーク君とコナちゃん勇気が揃った..そして、初めて三匹一緒の写真を撮る事が出来た
元気の存在を強く感じた..勇気に何かを伝えているような気がした..命の恩人と仲良くするんだよって

そして、我が家に戻るとももママさんから電話がかかって来た..「自由ヶ丘のポンポリースに行かない?」
ちょうど、他のショップへ勇気のお菓子を買いに行こうと思っていた..私の気持ちが通じたのでは..?
自由ヶ丘のポンポリースに向かう途中、近くの友人に何年ぶりかで連絡をしたら、珍しく自宅にいた..
ランチを食べている時に、その友人が会いに来てくれた..友人は、忙しいので滅多に会う事がなかった。

今日は朝から、とても不思議な感覚に襲われていた..元気の意図が働いているとしか思えなかった..


  「元気の頭を優しく撫でながら話しかけていた..そしてお別れのキス..最後のお別れのキス..」

2007/08/08(水) あれから1年..その二
やつを見てしまった..声を聞いてしまった..再び、憎しみの気持ちが、心の中に沸き上がって来た..

決して忘れないあの顔..決して忘れないあの声..決して忘れないあの話し方..元気の元主治医。
どうして今頃、私の前に..もう忘れようと、憎しみをぬぐい去ろうと必死でもがき苦しんでいたのに..
目の前で苦しんでいる患者の命を救おうとしなかった主治医が、狂犬病について偉そうに語っていた..
見殺しにしたのは元気だけじゃない..蘇生が必要な患者を放ったまま、元気の診察を続けていた..
その時に気づけば良かった..この人は、医者としても人間としても、何かが欠落していると言う事を..
自分の保身の為に、大学病院もセカンドオピニオンも紹介してくれなかった..他の病院は自分で探せと
10年間信頼して通っていた、元気の体と私の心をズタズタにした元主治医..元気の命を返して欲しい

去年の今日..鍼の先生が来る前に、みんなでお散歩へ出かけた..雨上がりの遊歩道は涼しかった。
ボーッとしていた元気の顔が、見事に輝きだした..お目目はキラキラ、舌はピンク色、鼻はヌレヌレだった
いつものお休み処で、クッキーを食べさせてあげた..美味しそうに食べている顔はとても幸せそうだった。
お散歩をしたかったんだ..例え、歩く事が出来なくても、外の空気に触れただけで、体は活性化する。
真夏じゃなければ、毎日でも連れて行ってあげたかった..その気持ちを、季節が邪魔をしていた..

鍼の先生と共に、なおたさんが帰って行った..もう二度と会えないであろう元気と一緒に見送った..


  「雨上がりの遊歩道..お休み処で、クッキーを食べて上機嫌だった..これが最後のスリーショット」

2007/08/07(火) あれから1年..その一
今日も、朝から暑かった..暑い夏を味わって、元気が頑張って生き抜いていた夏の日々を思い出す..

去年の今日..コロンママさんとなおたさんが、わざわざ新幹線に乗って元気のお見舞いに来てくれた..
春の関西旅行以来の再会..久し振りに会えた喜びと、こんな形で再会する寂しさが交錯していた..
元気は、コロンママさんとなおたさんの顔を見た途端、シエルちゃんとぎゅうちゃんを必死で探していた..
一緒にいても、交わったり遊んだりしない間柄だったけれど、やっぱり会いたかったんだろうなぁ〜
元気は、コロンママさんとなおたさんの顔を見て、尻尾フリフリで大歓迎..その目はキラキラ輝いていた。
会えた事が嬉しかったんだろうなぁ〜元気の心の中にも、たくさんの思い出が詰まっていたんだろう..

なおたさんが、ぎゅうちゃんの匂いが一杯染みついた、ぬいぐるみの「チビぎゅうちゃん」を持って来てくれた
元気は、懐かしいぎゅうちゃんの香りを思い出すかのように、必死の形相で匂いを嗅ぎまくっていた..
このぬいぐるみの「チビぎゅうちゃん」は、元気がお空へ逝く時に寂しくないようにと、一緒に持たせてあげた
「チビぎゅうちゃん」の中に、大好きなお菓子も入れてあげた..今も一緒に過ごしているのかな?
コロンママさんが、なおたさんの洋服をリメイクした、ぎゅうちゃんとお揃いの洋服を作って持って来てくれた
転びそうになった時に、持ち上げられるベルトがついていた..一度も着る事なく、今もぶら下がったままだ

コロンママさんとなおたさんは、大阪と静岡から元気に会う為に来てくれた..今でも心から感謝している。


 「久し振りの再会..この日会った元気は、春に会った時の元気の姿からは想像出来なかっただろう」

2007/08/06(月) エアコン..
壊れてもおかしくない居間のエアコンが冷えている..去年の今日買った新しいエアコンより冷えている..

去年の昨日..長年使っていたエアコンがついに力尽きた..しかも、元気が寝ていた部屋のエアコン..
慌ててしまった..エアコンが冷えなかったら、元気がぐったりしてしまう..取りあえず居間に避難させた
そして、去年の今日新しいエアコンが設置された..設置中、元気はお兄さん達に愛想を振りまいていた
相変わらず、お客さんが大好きだった..電気店のお兄さん達は、元気が病気だと気づいていなかった。
左後ろ足さえ見なければ、元気が病気だと感じなかっただろう..それほどまでに、元気一杯だった..

今日は、元気が大好きだったキャバちゃんの初めての月命日..お空の上で、シニアデートしたのかな?

2007/08/05(日) 暑い..
暑い..ムシムシと暑い..大嫌いな夏..早く過ぎ去って欲しい..そう思いつつあの日が近づいて来る

去年の今頃は、万年寝不足に陥っていた..元気のオシッコタイムが、真夜中でも1時間おきだったのだ
眠っては起こされ、眠っては起こされ、その都度ベランダで、オシッコタが出るまで付き添っていた..
眠くて、語気や態度がきつくなって当たり散らしていた私を、元気は済まなそうな顔をして見つめていた。
オシッコへ行く時に、お腹の下に腕を入れると、私のかけ声を待って、立つタイミングを合わせてくれた。
私の顔を見つめながら、右後ろ足を蹴って立ち上がってくれた..その右後ろ足は、とても力強かった..

この頃、部屋の中を歩くようになっていた..重い左後ろ足を引きずりながら、一生懸命歩いていた..
どこにそんな力が残っていたのだろう..左後ろ足は、膝から下が繋がっていなかったはずなのに..
部屋の中でも、ベランダでも、左後ろ足が床についていた..今考えても、本当に不思議な足だった..
針を刺さなければもう少し自由があったのかもしれない..元気はこの不自由さを自覚していたのだろうか

去年の夏も暑かった..暑さの中で元気は一生懸命生きようとしていた..私は応えていたのだろうか?


  「ピカさんから送られて来たマンゴーをお裾分け..一杯食べたっけ..元気と見た最後の花火大会」

2007/08/04(土) 元気がいない花火大会..
今日は、元気がお星様になってから、初めての花火大会だった..10年間、一緒に見て来た花火..

昼間から気持ちが沈んでいた..去年の花火大会の事を思い出していた..最後だと思っていた事を
元気は、雷や花火、大きな音が大嫌いだった..花火が始まると、いつもスタコラさっさと影に隠れていた
でも、元気には隠れる自由さも残っていなかった..隠れようと言う気持ちがあっても体が動かなかった。
これが、元気と一緒に見る最後の花火..元気を抱いて花火を見ながら、止めどなく涙が溢れて来た
私の後ろですすり泣きが聞こえた..彼が泣いていた..私の前では決して泣かなかった彼が泣いていた
花火の始まった音を聞きながら、去年の事を思いだしていたら、無性に元気に会いたくて泣けて来た..

ルークママさんが、花火を見ながら呟いた..「元気は、犬じゃなかったよね..まるで人間だったよ..」
本当にその通りだった..元気は、背中にチャックがついていて、人間が入っていそうな感じのワンコだった
私達の言葉の全てを理解し、我がままは言わず、我がままを受け入れ、気持ちまでも理解していた..
私には元気が神様に見えた..私のような飼い主を信頼し、私の全てを受け入れて、懸命に生きていた

私は、元気から生きると言う事を教えて貰った..懸命に生きれば、限られた命でも生きられると言う事を


  「この頃は、まだまだ元気一杯だった..ルーク君とお菓子の奪い合いをしてウーッって怒っていた」

2007/08/03(金) シコリが増えた..
何だか、体がだるい..暑くて出る汗ではなく、脂汗がにじんで来る..夏風邪を引いたのかもしれない。

去年の今頃、不味いご飯を食べさせるのが可哀想で、サプリ入りとサプリ無しのご飯を交互に与えていた
サプリ入りのご飯を食べる時は、不味そうな顔をしながら食べていたが、それでもいつも平らげてくれていた
サプリと漢方薬が、元気の命を繋いでいた..それでも、以前のような効き目は薄れて来ていた..
大学病院で、左後ろ足に針を刺されてから、元気の体は癌細胞からの、防御能力が薄れてしまった..
針を刺された事で、リンパに転移してしまった..リンパに転移してしまったら、どうあがいても助からない
全ては私の判断ミス..元気が自ら作り上げていた体を壊してしまった..癌との闘いにも勝てなくなった

背中の右側に、大きなシコリが出来ていた..お尻の浮腫も、左後ろ足の腫れも一段と酷くなっていた。
胸の左側のシコリも、大きくなっていた..転移してしまったのか、体中に小さなシコリが点在していた..
でも、元気が腫れた左後ろ足を咬んで、抜けてしまった被毛が復活していた..美しい被毛だった..
剃られてしまった左後ろ足の内側にも被毛が生えて来ていた..癌細胞に冒されていても生えていた..
元気の体は、本当に不思議な体だった..もう、とうに西洋医学から見放されていたのに生きていた..

明日は、板橋&戸田の花火大会..去年は、元気を抱きながら花火を見て二人で泣いてしまった..


  「以前のように、ベランダからパパを見送った..ベランダから外を見たいと要求する事が増えていた」

2007/08/02(木) 出迎え..
今朝は、起きられなかった..朝のお散歩へ行こうとしたのに起きられなかった..そして突然の豪雨!!

私は感じた..確かに感じた..元気の意志を感じた..「今出て行くと、雨に濡れちゃうから止めなよ」
元気は、生きていた時から、雨を感知するワンコだった..雨が降る前の風や雨の匂いが分かっていた。
お散歩へ行く前に、ベランダに出て外の匂いを嗅いで、出て行くのを止めてしまう事が何度もあった..
お散歩中にも、雨に降られた事がない..元気の行動を観察していると、雨が降って来るのが分かった。
だから、今も何処へ出かけて行っても雨に降られた事がない..元気が、私達を雨から守っていてくれる。

去年の今日..ルークママさんに元気を任せて、病院へ薬を取りに行った..帰ろうとしたその時..
ルークママさんから、電話がかかって来た..宅急便が来たら、布団の上から下りて玄関まで歩いたと..
そのまま、玄関で待たせておくように伝えた..慌てて戻って玄関を開けると、そこに笑顔の元気がいた。
尻尾ブリブリで、お出迎えしてくれた..もう、歩けないと思っていた元気が、玄関で待っていてくれた..
布団に戻し、目一杯誉めてあげた..その時の笑顔を、今でも忘れない..本当に心からの笑顔だった

元気が歩けなくなったのは私のせいかもしれない..もっと自由にさせてあげれば良かったと後悔している


    「布団に寝ていた時の顔と、窓辺に寝かせてあげた時の顔..瞳の輝きが全く違っていた」

2007/08/01(水) 3回目のお誕生日..
やっと梅雨が明けた..1年中で一番嫌いな季節が始まってしまった..今年からは、もっと嫌いになった。

去年の8月..外は真夏..部屋の中は真冬..ずっと、冷え切った部屋で、元気と私は過ごしていた。
1日中、エアコンのスイッチを切る事はなかった..外に出たい..いつも、そう思って過ごしていた..
でも、元気を一人で置いて行く訳にはいかない..私の肌は、真夏だと言うのに日焼けさえしてなかった
お散歩へ行きたくても、元気を抱く事さえ困難な状況だった..元気もお散歩へ行きたかっただろう..
だから、たまには窓辺に寝かせ、外の空気と風に当たらせていた..そんな時元気の顔は嬉しそうだった
大学病院に行かなければ、お散歩へ行けたろうし、歩く事も出来た..自分が選んでしまった事が悔しい

去年の今日は、アリスちゃんと元気の合同お誕生日会をしていた..アリスちゃん2歳、元気11歳..
kaznさんが、アリスちゃんを連れて、手作りケーキを持参して、わざわざ我が家まで来てくれた..
アリスちゃんは我が家に入るなり、真っ先に元気の所へ飛んで行った..そして元気と挨拶を交わしていた
アリスちゃんは、元気の異変に気がついていたようだ..挨拶を交わした直後、寂しそうな顔をしていた。
でも、元気はアリスちゃんと会えて、とっても嬉しそうだった..最後に会わせる事が出来て良かった..

元気を布団の上から隣の部屋へ移動して、ケーキにロウソクを立てて、最後のお誕生日をお祝いした。
元気は、遊びに来ていたコナちゃんやアリスちゃんに負けないぞとばかりに、ケーキにパクついていた..
若いアリスちゃんやコナちゃんに囲まれて、元気は元気を取り戻していた..全身に生きる力が漲っていた
若いパワーをたくさん貰って、これからを生きようとしていた..「ボクは病気なんか負けないぞ〜」って..

とっくに見捨てられた命..生きているのが不思議だと言われた命..私の傍に奇跡のワンコがいた..


  「元気を優しく見つめるアリスちゃん、アリスちゃんの優しさを感じる元気..とっても良い関係だった」


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