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2007/09/30(日) やっと会えた..
朝から、どしゃ降りの雨..ずっと、降り続いている..いきなり、晩秋のような気温..もの凄く肌寒い。

今日は志○3丁目のカフェへ..元気が生前から、お世話になっていたharuさんにやっと会う事が出来た
ずっと、会いたかったharuさん..直接お会いして、お礼を言いたかった..それが、やっと実現した..
アジママさんのブログで知った、「haruさん手作りのワンソープ」..去年、元気用に取り寄せてみた..
洗い上がりの素晴らしさに魅了された..元気の被毛は、見事な輝きを放った..手触りも最高だった。
それから市販のシャンプー&リンスを止め、ワンソープしか使わなくなった..今は勇気に引き継がれている

大学病院で検査の為に、元気の左後ろの被毛が剃られてしまった..そこが、赤くただれてしまった。
足を消毒していたので、ただれは一向に治らず、困り果てていた時に、haruさんがアロマ水を送ってくれた
パルマローザ水で、足のただれ、耳やお尻を拭いて、ラベンダー水で体中を毎日念入りに拭いてあげた。
ラベンダー水で体を拭きながら、毎日マッサージもしてあげると、いつも気持ち良さそうな顔をしていた。
元気を最後に洗ったのは、亡くなる3ヶ月前..haruさんのアロマ水のお陰で、最後まで美しくいられた..
だから、元気もharuさんに感謝していたのだろう..死ぬ前日、死んだ日にきちんとお礼に行ったそうだ。
直接お会いする事が出来て、haruさんにお礼が言えた事を、元気もお空の上で喜んでいる事だろう..


  「去年の6月18日..ワンソープで洗った、最後の日となってしまった..被毛は、美しく輝いていた」

2007/09/29(土) また、お星様に..
昨日のお願いが効いたのか、効き過ぎたのか、朝から雨模様の肌寒い1日だった..やり過ぎないでよね。

まだ、一度もお会いした事がなかった、元気の親戚さんを飼っている方の、キャバちゃんがお☆様に..
今年に入ってから、次々と若いキャバちゃん達が亡くなっている..知っているだけでも、6匹かな..
勇気もそうだけれど、今のキャバは疾患が多いような気がする..無理な繁殖が原因なのだろうか..
体も小さくなって、四肢が長くなっている..ずんぐりむっくり体型のキャバは、もう日本からいなくなる?
元気が生まれた頃のキャバは、疾患も少なくて、結構長生きしている..12歳、13歳、14歳、15歳。
元気は、主治医に心臓が悪いと言われたが、他の病院では加齢に依る心臓肥大だけだと言われた..
全身麻酔にも充分耐えられる心臓だった..足が何でもなかったら、もっと長生きしていた事だろう..

2007/09/28(金) また、ひとつ小さな☆が..
また、暑さがぶり返した..もう、いい加減にしてくれないかなぁ〜と、お空の上の元気にお願いをした..

何気なく覗いたブログ..勇気と4日しか変わらないお誕生日..小さな命がお空の上に逝ってしまった。
勇気と良く似た顔立ちのキャバちゃん..仕草もどことなく似ているキャバちゃん..小さなキャバちゃん..
そのキャバちゃんと、勇気をダブらせてしまった..私にも、飼い主さんと同じ思いが近い将来やって来る。
どんな思いで、過ごしているのだろうか..愛する者を失った気持ちは、私が嫌と言うほど味わっている..
何をしていても、こみ上げて来る悲しみ、寂しさ..この世からいなくなってしまった事を認めたくない..
定位置を見つめ、「どうして、君はそこにいないの?..ママを置いて、何処へ逝ってしまったの?..」
悲しみは計り知れない..愛する家族を失ってしまった者にしか分からない感情..そう..分からない。


今日は、ビル君の14回目の月命日..ビル君、元気、お星様になたワンちゃん達を優しく迎えてあげてね

2007/09/27(木) お月様..
真ん丸お月様..周期が巡り真ん丸お月様..去年の今頃、真ん丸お月様を見ながら泣き続けていた

元気がお☆様になってから、まだ10日しか絶っていなかった..どう生きて良いのかも分からなかった。
毎日、元気が寝ていた布団の隅で抱き枕を抱え、祭壇の元気を見つめながら虚ろな時間を送っていた
何にもする事がなかった..元気のオシッコやウンPの世話も、食事の支度も、ご飯を食べさせる事も..
元気に関わる全ての事から解放されてしまった..それでも、台所に立つと、「元気、ご飯待っててね」
元気が寝ていた方へ振り返って、そう叫んでいた..「あっ..もういないんだ..もう作らなくていいんだ」
悲しかった..寂しかった..今でも、この頃の事を思い出すと、涙が溢れて来て無性に会いたくなる..
ご飯を待っている元気の顔が浮かんで来る..「ママ、お腹が空いたよ〜早く作ってね」..そんな元気を。

2007/09/26(水) 足音が..
昨日とうって変わって、涼しい一日だった..暑かったり、涼しかったり、目まぐるしく変わる初秋のお天気

台所から、「カツカツ、カツカツ」と言う音が聞こえて来た..床を歩いている、ワンコの爪が当たる音だ..
誰かいるの?..勇気何してるの?..そう問いかけてみたら、勇気は私と同じ部屋でお昼寝中だった。
一瞬だけど、姿も見えた気がする..姿だけは、何度か見た事があるが、足音を聞いたのは初めてだった

でも、元気の足音を忘れてしまった..左後ろ足が悪くなってから、健康な時と違う足音になってしまった
床に滑り止めの絨毯も敷いてしまった..だから、「カツカツ、カツカツ」..と言う音ではなくなってしまった。
どんな足音だったのかな?..歩く音、走る音、飛び跳ねる音、ぶつかる音、食べてる音..全ては遠い


「自慢の被毛だった..美しい被毛だった..大好きな被毛だった..それなのに、形見の被毛がない」

2007/09/25(火) ゼブラ..
朝方まで降っていた雨も止み、絶好のゼブラ日和..やっぱり、元気がお空の雲を払ってくれたんだ..

近場へお出かけの時も、旅行の時も、自分のイベントの時も、降っていた雨さえ、ビタッと止んでしまう。
雲を払いすぎて、「こんなに暑くしなくていいのに〜」..そう言うと、空に雲が出て来て太陽を遮る..
あんまり文句を言うと、怒って雷まで出現させる..お空の上で、私達の言う事を聞いているのかな..
この事は、一緒に出かけた人にしか分からない..偶然だよと片づけられない不思議さで一杯なのだ..

ゼブラ..元気とはたった一度しか行った事がない..珍しく揃った、ルークママさん&コナママさんと一緒に
これも、私へのプレゼントだったのかもしれない..最後に、元気との楽しい思い出を残せるようにと..
もう、あまり歩けなくなってしまった元気..それでも、フィールドに下ろした時、とっても嬉しそうだった..
若い、ルーク君コナちゃん達の動きには到底ついて行けなかったけれど、元気はそれなりに楽しんでいた。
元気から離れて、「元気、ここまでおいで〜」..そう呼ぶと、みんなの所まで、ヨチヨチと近づいて来た..
精一杯の歩みだった..腫れ上がった左後ろ足を庇いながら、他の足に力を込めて私の元へやって来た
生きようとする力が漲っていた..このまま、元気の力に任せておけば、あの日はもっと遅かっただろう..


「フィールドに立って、歯を食いしばりながら、前へ進もうとしていた..元気の生きる力は素晴らしかった」

2007/09/24(月) やっぱり駄目..
不穏な空気が漂う2日間を過ごした..土曜日は、夕ご飯も食べずにふて寝..日曜日は、適当..

いつも、独りぼっちの夕ご飯..だから、いつも適当..栄養のバランスなんか考えるのも面倒くさい..
冷蔵庫の余り物で、適当に作る..でも、これが意外と美味しい時がある..思わず一人で「旨い!」
そんな適当な食生活をしているから、彼の為に美味しい物を作ってあげようと言う気持ちが湧いて来ない
作ってる最中にイライラして来る..あ〜めんどくさい..そんな独り言を呟きながら、食事を作っている。
以前の私は、どこへ行ってしまったんだろう..仕事と家庭を、きちんと両立させていた私はどこへ〜?
いつまで続くぐうたら生活..このままでは、自分が駄目になってしまう..何とかしなくちゃいけない..

二人と一匹で、朝のお散歩へ出かけた..彼とのお散歩に慣れない勇気は、どことなくよそよそしかった。
彼がリードを持っても、ちっとも前へ進んで行かない..私が前を歩かないと、自ら歩こうとしない..
忘れ物を取りに行った間中、ピィーピィー泣いていたと言う..晩年の元気も、勇気と同じようだったっけ
以前は、彼が元気のお散歩を担当していたのに、私がいないと後ろを振り返って前へ進もうとしなかった
すっかり、私っ子になってしまっていた..あんなにパパっ子だった元気が、すっかり私っ子になってしまった
私を守るべき人間だと思って過ごして来たのに、今度は自分を守ってくれる側に変わったと判断した?
晩年の元気は、可愛かったなぁ〜私を頼ってくれて、可愛かったなぁ〜お空から降りて来て欲しいなぁ〜


 「一昨年の8月16日、10歳..パパと一緒に早朝のお散歩へ〜元気は朝露の中で美しく輝いていた」

2007/09/23(日) わがままかな..
急に寒くなってしまった..陽射しもなく、どんよりとした空..これから、過ごしやすい季節が到来する..

彼が、3日間の連休..いなきゃ寂しい..いれば鬱陶しい..確立されている自分の時間が崩れる..
部屋の真ん中でゴロゴロ..疲れているのは分かっているのに、イライラ..あーっ、邪魔だよと独り言。
元気が生きていたら、きっと大喜びだっただろうなぁ〜パパが大好きだったから、べったりだったかも..
勇気は、ベビーの頃からパパがいない事に慣れている..だから、あんまり嬉しそうな態度をしていない..
仕方がない..元気はパパと接する時間が長かったけれど、勇気はほとんど私と二人きりで生活している
元気も晩年、ほとんど私と二人切りだった..パパと遊びたかったろうな..お散歩へ行きたかったろうな。

元気はお空の上で、今の私達の生活を見て、何を想っているだろう..寂しいのは僕だけでたくさんだよ。
そう想っているかな..寂しかったよね..元気..会いたかったよね..元気..ごめんね..元気..
ママも寂しくて、悲しくて、辛くて、一人で全てを背負えなくなっていたよ..悲鳴をあげていたんだよ..
でもね、途中で元気を投げ出す訳にはいかなかった..最後まで、歯を食いしばって生きていたの..
誰か助けて〜誰か変わって〜誰か、誰か..そう言う気持ちになった時は元気の寝顔を見て踏ん張った
元気の寝顔は、美しかった..可愛かった..時には、恐ろしい顔もしていたけれど、寝顔が大好きだった
最後の寝顔も、生きてるかのように美しかった..もう一度、あの大きなお目目を見せてくれると思った..


「我が家のPCの画面..PCを開ける事に、元気の寝顔を見る事が出来るが、もう二度と起きて来ない」

2007/09/22(土) 思い出のカフェ..
今日も暑かった..いつまで続くこの暑さ..このままじゃ、地球は滅亡する..私が死んだ後だと思うけど

暑い陽射しを浴びながら、元気との思い出のカフェに行って来た..私の腕の中には、元気と勇気..
久し振りに、元気の写真入りのバックに荷物を詰めて行った..だから、私の腕の中には元気と勇気..
リューニアルしたと言う店内..ただ、無駄な空間が広がっていて、もの凄く殺風景になっていた..
元気を連れて行った時、二度座った事がある赤い椅子..以前、置いてあった場所からなくなっていた。
思い出の場所には、小さなソファーがポツンと二つ置かれていた..元気との思い出が消えてしまった..

彼と私、そして元気..我が家は、HPを立ち上げるまで、ドックカフェやドックランに行った事がなかった。
いつも、家族だけで行動していた..だから、ワン友達、サイト仲間、キャバ友達など一人もいなかった。
そう言う関係の友人達が出来るなんて、考えた事もなかった..旅行もお出かけも、いつも家族だけ..
HPを立ち上げ、今まで考えもしなかったお友達との交流が始まった..新鮮だった..そして楽しかった。
元気が闘病中も、お星様になった後も、ワン友達、サイト仲間、キャバ友達が励まし続けてくれた..
みんながいなかったら、あの時の私はどうなっていたか分からない..今、生きているのはみんなのお陰。


「元気は、このカフェのカボチャプリンが大好きだった..パパと一緒に行った最後のカフェになってしまった」

2007/09/21(金) 鳥っていいなぁ〜
昨夜は、満天の星空だった..私の目の前には、元気☆&コロン☆が、仲良く並んで光り輝いていた。

窓辺に座り、煙草を吸いながら、ボーッと空を見ていた私の目の前の電線に、一羽の鳩が舞い降りた..
鳥は好きではないが、何故か写真を撮りたくなった..そーっと、音を立てないようにカメラを取りに..
隣の部屋から戻ってくると、まだ同じ場所に止まっていた..気づかれないように、そーっと、そーっと..
2回シャッターを切ったら、大空高く飛びだって行った..いいなぁ〜空が近くて..私も飛んで行きたい..
飛んで飛んで、大空高く飛んで、元気がいるお空の上に近づきたい..こんな所に来るなって怒られる?

北海道へフェリーで帰っていた頃、デッキの上で海鳥と戯れるのが楽しみだった..時間が経つのも忘れた
船内で販売している「かっぱえびせん」..それを海鳥に向かって投げると、上手にキャッチしてくれる..
指の間に挟んだ物も、上手にくちばしでくわえて持って行く..海鳥が追いつけなくなるまで遊んでいた。
目の前でホバーリングしている写真を撮ったり、かっぱえびせんをくわえた瞬間の写真を撮ったりしていた。
フェリーの長旅を、癒してくれた海鳥との時間..とうとう一度も、元気と一緒に行けなかった北海道..
今度、行く時には、一緒について来てくれるかな..仙台から乗るフェリーの特別室は、ワンコOKらしい。
以前、商船三井のアンケート用紙に、ワンコの待遇の悪さを何とかしてくれと訴えたけれど、駄目だった。
いつか来るかな?..デッキで、ワンコと一緒に、海鳥と戯れられる日が..そんな日が来て欲しいな。


「鳥はいいなぁ〜空が近くていいなぁ〜私も飛びたいなぁ〜そして、お空の上の元気に近づきたいなぁ〜」

2007/09/20(木) また、見つけた。
今日は、陽射しが暑い..また、夏に逆戻りしてしまったようだ..でも、吹く風は秋の気配を感じる..

古い保険証入れに、ポラロイド写真が3枚あった..嬬恋のチョコラで、オーナーに撮って貰った写真..
行くたび事に、1枚ずつ増えて行ったポラロイド写真..他の写真は、何処へ行ってしまったのだろうか?
チョコラへ泊まるようになったのは、「ツールド嬬恋」がきっかけだった..コースの真ん前の立地条件..
5部屋しかない、小さなペンション..チロルの広さに慣れていた私達にとっては、ちょっと窮屈だった..
でも、オーナー夫婦の気さくさと優しさ、値段の割に料理が美味しいところが気に入り、定宿となった。
泊まる部屋は、いつも同じだった..窓から、浅間山、白根山、草津が見えて、目の前はキャベツ畑..
空いていれば、「ゆっくり休んで下さい」と、もう一部屋用意してくれた..心休まるペンションだった..
元気と一緒に、何年通っただろうか..年に2、3回は行っていたかな..思い出多き、嬬恋のチョコラ..


 「たった一度行った、大学病院の診察券も出て来た..こうして見ると、元気はいつも私の腕の中..」

2007/09/19(水) こんな写真が..
元気の一周忌が終わってから、どんよりとした曇り空が続いている..すっかり秋の風に変わってしまった。

一周忌が近づいて来た頃..部屋の中やベランダで元気の気配を感じた..気配と言うより姿を感じた
今までにも、何度か感じた事があった..それは、一瞬の気配..一瞬の出来事..一瞬の時間..
あっと思った時には、もう見えなくなってしまった..祭壇の前に座っている時に、太股をガリガリされた..
勇気と違う、ボテッとした足の感触..生きていた頃は、ガリガリの足の動きで、言いたい事が分かった。
この時は、優しくそっとガリガリされたような記憶がある..こんな風に、ガリガリされたのは初めてだった。
何が言いたかったのだろうか?..何か欲しい物があったのだろうか?..「ボクは、ここにいるよ」かな..

とうとう、一周忌までにメモリアルが出来なかった..作ろうと写真を眺めては、辛くなって閉じてしまう..
お星様になる、2時間前の写真..顔の被毛が真っ白になっていた..こんなになるまで頑張っていた。
元気の「死にたくない」と言う思いが、この真っ白な顔に出ていた..目の色さえ、変わってしまっていた
そんな写真を見ていて、メモリアルにする事をためらってしまう..でも、いつかは作りたいと思っている..


「古い保険証入れに残っていたポラロイド写真..この頃が一番充実していて、幸せだったかもしれない」

2007/09/18(火) なんだか..
胸がえぐられるほど寂しい..悲しみや辛さはなくなって来たのに、寂しくて寂しくて寂しくて、それが辛い。

最近、元気が使っていた物や、捨てられないでいたサプリやアロマを、少しずつ、少しずつ処分している。
その度事に、元気の顔が浮かんで来る..サプリを不味そうに飲んでいた..アロマで綺麗にしてあげた。
未だに、祭壇の下にはたくさんの遺品がしまってある..どうしても捨てられない介護用品等がある..
死んだ後に届いたお花の一部も、ドライフラワーにして取ってある..馬鹿だなと思いつつ捨てられない。

洋服もそのまま..被毛もそのまま付いている..たまに引き出しを開けると、獣の匂いが漂って来る..
勇気が大きくなったら、元気の洋服を着せようと思っていたが、もうこれ以上大きくなる気がしない..
ず〜っと、ず〜っと、このまま引き出しの中に入ったままかもしれない..洋服は絶対処分出来ない..
コロンママさんが、一生懸命リメイクしてくれた、スキーウェァー、チャリンコスーツ、迷彩柄の洋服等々..
元気を感じる事が出来る遺品..それらは、未練がましいけれど、永遠に処分する事は出来ないだろう


「パステル画になった写真..今も我が家の壁にかかっている..寝ころぶと大きな瞳が見つめている..」

2007/09/17(月) 1年経って..
昨日の一周忌..大勢のワン友さん達から、お花が送られて来た..覚えていてくれた事に感謝します

遠く兵庫県から、ひらりははさんが..そして、累ままさん、ラッキーかあちゃまも、お参りに来てくれた..
元気の祭壇の前で、楽しい時間が過ぎて行った..泣き虫ママじゃなくて、元気もほっとしていたかな..
勇気も、ラッキーかあちゃまと楽しそうに遊んでいた..その姿に、かつての元気の姿を重ねていた..
勇気ほど悪戯なパピーではなかったけれど、それなりにやんちゃだった..遊び好きなワンコだった..
勇気と違うのは、ずっとお留守番をしていた事..甘えたい時期にも、独りぼっちの時間が多かった..
だから、甘え下手になっていたのかもしれない..もう一度、パピーの頃の元気とやり直してみたい..
勇気みたいに甘えっ子になっていたかな?..私を守らなくちゃいけないなんて、考えなかったかな?..

彼が、勇気を抱いたまま、祭壇の前に座り、元気の写真をじっと見つめていた..もしかしたら、泣く?
元気の病気が悪化して来た頃、転職をして、ゆっくり会えない日々が続いた..10日も会えない時も..
その間にも、元気の症状は悪化していた..パパが大好きだったのに、会えない寂しさを我慢していた。
彼も同じだっただろう..そして、仕事の関係で元気の最後にも立ち会えなかった..悔しかっただろうな
彼は、やっぱり祭壇の前で泣いていた..一周忌を迎えて、色んな想いが交錯していたのかもしれない。
元気に対して、直接何もしてあげられなかった寂しさ悔しさが、一気に涙となって溢れて来たのかも..
元気の高額な医療費を稼ぐ為に転職をした..元気は、パパに会えなかったけれど感謝していると思う


 「累ままさんからの、お誕生日プレゼント..お星様になってもプレゼントがあるなんて、幸せだねぇ〜」

2007/09/16(日) 一周忌..
2時15分..晴天の空に、無数の星が輝いていた..元気からの贈り物に違いない..ありがとう、元気。

あの日と同じ、秋の青空、照りつける太陽..元気が寝ていた部屋に、まだ亡骸があるような気がした。
冷房を最低温度に下げたが、崩れた左後ろ足からは、異臭が漂っていた..既に、外にはハエが..
彼が帰って来る翌日まで、そのまま寝かせておきたかった..でも、それすら出来ない亡骸だった..
亡骸を抱いていたかった..添い寝もしていたかった..でも、私の心がそれを頑なに拒絶していた..
冷たくなってしまった体を撫でる事さえ出来なかった..冷たくなってしまった元気を認めたくなかった。

元気は、最後まで生きようと必死で頑張っていた..私達も、諦めたくなかった..逝かせたくない。
元気の最後の1年は、病気との闘いの日々だった..変な言い方だが、私にとっては充実した日々だった
それまで過ごした10年間の日々より、ず〜っと長い時間を一緒に過ごす事が出来た..私は幸せだった
その幸せな時間を与えてくれた元気を、こんな形で逝かせたくなかった..まだまだ、これからだよ〜
介護に疲れ果てていた頃..ワン友さんに、「どんなに手がかかっても傍にいてくれる幸せを感じて..」

【下記の文章は、去年の今日をそっくり掲載した..あの時の行動気持ちを、再認識したかった】

それでも、時々私達を見つめてくれた..元気の動きがある事に、「元気凄いね〜頑張れ〜頑張れ〜」
応援し続けた..よほど喉が渇いていたのだろうか..ストローで与えたお水を力強く飲み続けていた。
でも、いよいよ息が荒くなって来た..お腹のリンパも腫れ上がって来た..背中が激しく動いていた。
腫れ上がったリンパが、癌に冒された肺を、心臓を圧迫しているのか..こんな苦しい思いをさせるなら..
やせ細って、シコリだらけの体を優しくさすってあげた..こんな体でここまで頑張ってくれたんだ..
もう、楽にさせてあげたい..体をさすりながら「一杯頑張ったから、もういいよ」と呟いていた..
そして、ずっと下敷きになっていた顔の右側を拭いてあげたら、「ふぅー」と言って、顔が手から離れた。
その途端、呼吸が止まった..「うそー、私のせい?」と思わず叫んでいた..違うよ、元気の意志だよ。
ルークママさんがそう叫んだ..後は良く覚えていない..開いていた目を、娘がそっと閉じてくれていた。

あ〜..とうとう逝ってしまった..あんなに頑張っていたのに..私が余計な事を言ってしまった?
でも、本当に充分頑張って生きて来た..発病してから、約1年..医者に見放されても生きて来た。
医者がびっくりする程の生命力だった..きっと、私を残して死んで逝くのが心配だったのだろう..
ルークママさんが言った..ただのお散歩仲間が、こんなに親しくなれたのは、きっと元気の力だって!
ママを残して行くのが心配で、私達に託して行ったんだって..元気は最後までママを心配してたんだよ。

元気の体を綺麗にしなくては..台所の隅でうずくまっている私を、娘が優しく背中を撫でてくれた。
足の汚物の処理は、私には出来ないだろうと..ルークママさん、コナママさん、娘が取りかかってくれた。
その間、私は台所の隅で震えていた..何て情けない飼い主なの..何て元気に謝れば良いの?..
でも、でも..私には出来ない..情けないけど、私には出来ない..崩れて行った時の恐怖が蘇る。
汚物の処理が終わり、足をガーゼとタオルで巻いてくれた..私に見えないようにタオルをかけてくれた。
元気の顔にも、タオルがかかっていた..タオルを取って顔を見ると、安らかで優しい表情をしていた。

空を見ると、昨日までの雨があがり、秋空が広がっていた..これも、元気の力なのかなと感じた。
以前勤めていた会社の同僚に、元気の報告をした..すぐに駆けつけてくれ、元気と対面してくれた。
彼女は、元気を可愛がってくれていた..元気の顔を見ながら、泣いていた..元気も喜んでいただろう。

娘もいったん自宅へ戻った..元気と二人切りになってしまった..側へ行きたいのに部屋に入れない..
どうしてこんな感情が湧くのか分からなかった..顔が見たい、体を撫でてあげたい..でも、入れない。
隣の部屋から、ただ見つめているだけだった..死んだ事が受け入れられないのだろうか..?
そうだ!斎場に電話をしなくちゃ〜先住犬が葬られている斎場に、12時の立ち会い葬を予約した。

元気の亡骸を、布団から棺へ移動した..その間も、私はただウロウロ..ママは、お花を持って!
ルークママさんは、テキパキと行動してくれる..ルークパパさんの運転する車で斎場へ向かった。
斎場へ着くと、係りの人が棺を無造作に運んで行った..そして無造作に、ドンと台の上に置いた。
腹が立った..「どうして、そんなに乱暴に扱うんですか?もっと丁寧に扱ったらどうですか..」
「ずっと病気と闘い続けて、やっと楽になれたのに」と言ったら、プィと横を向いて出て行ってしまった。
他の係りの人が謝ってくれた..「12時までには、時間があるから、ゆっくりお花を入れてあげて下さい」
大好きだったけど食べ残したお菓子、たった一つ遊んだダンベル、mobbyさんのお散歩バックグッズ入り、
寂しくないようにちっちゃなぎゅうちゃんを棺の中に入れてあげた..そして、体が埋まる位のお花..

これで、本当にお別れだ..みんなで、頭を撫でてあげた..顔が見たいのに、見えなくなってしまった。
最後のお別れをして、棺の蓋が閉められた..そして、炉の中へ運ばれて行った..サヨナラ元気..
遠くのワン友さん達が、東に向かって合掌してくれてるはずだ..元気、君は本当に幸せな犬だ。
焼かれて出てきた骨は、想像を絶するほどのりっぱな骨だった..折れていた骨もちゃんと残っていた。
五人で交互に骨を拾った..頭蓋骨を見て、「あっ!元気だ」..頭蓋骨から顔が想像できた。

2007/09/15(土) とうとう、最後の時が..
チ○ルのオーナーから連絡が..ダボスの丘へ行き、元気とアリスちゃんが、走り回っていたあの場所へ〜

何にもない場所..冬は、初心者コースのなだらかな斜面が広がっている..自然一杯のドックラン..
何度、この場所で走り回った事だろう..国道側の急な斜面を、元気と一緒に登って行った事もある..
標高1500m..私は息も絶え絶えに上って行ったが、元気はへこたれなかった..むしろ元気一杯だった
空ちゃん、海ちゃん、カーリーちゃん、私のお友達と元気一杯走り回ったダボスの丘..今、思い出が蘇る

ほん僅か眠っただけだと思っていたのに、すっかり朝になっていた..半分だけ黒ずんでいた皮膚は?
足にかけておいたタオルの隙間から見えた皮膚は、全て黒ずんでいた..でも、タオルを取れなかった..
私は発狂しそうだった..どうして良いか分からなかった..何をどうして、どうすれば元気は助かるのか
一人ではいられなかった..ルークママさんとコナママさんに、メールを入れたが、連絡が来なかった..
そんな時、コロンママさんから電話がかかって来た..電話口のコロンママさんは、すでに涙声だった..
元気の左後ろ足の状態を説明した...大阪と東京..どんなにあがいても、容易く来られない距離..
遠いのが切なかった..遠いのが辛かった..会いたかった..元気と私の、傍にいて欲しいと願った..

ルークママさんとコナママさんが、駆けつけてくれた..電話をかけたら、二人共すぐに飛んで来てくれた。
彼も帰って来た..崩れてしまった左後ろ足を見ようとしたので、「見ないで〜」と泣き叫んでしまった..
彼に、崩れてしまった左後ろ足を見せたくなかった..そして、私も見たくなかった..見られなかった。
足の処置をどうすれば良いか、病院へ電話を入れる事になったが、私はとても話せる状態ではなかった。
彼が電話をかけてサブ担当医と話し、抗生物質を取りに行く事になった..もう、間に合う訳がなかった。
私のやっていた事は、いつも後手後手だった..心臓の薬を取りに行った時に、貰えば良かったのに..
もう一度病院へ電話を入れ、患部を洗浄しに行った方が良いかどうかを尋ねた..泣きじゃくる私に..
0医師は、「連れてくる体力があるとは思えない..取れる物は取って、患部を消毒するように」と..
「今まで、お家で看病していたのに、搬送途中や病院で死なせては可哀想です..そのまま、自宅で」
病院では死なせたくなかった..搬送中に死なせたくなかった..自分達で消毒をするしかなかった..

酷い状態だったのに、元気は自力でオシッコとウンPを二つした..その顔は、とても気持ちよさそうだった
抗生物質を飲ませる為に、ご飯を食べさせた..三口位で苦しそうにしたが、薬もちゃんと飲んでくれた。
元気は、どんなに辛い時でもどんなに苦しい時でも、私を悲しませなかった..病気が悪化してからも..
余計な事に気を遣い過ぎて、病気が悪化してしまったのだろう..私が死に急がせたかもしれない..

足の消毒をしなければならなかった..私は体が震え、どうしても崩れた足を見る事が出来なかった..
そんな私を見かねて、彼とルークママさんが、消毒をしてくれる事になった..部屋のドアが閉められた。
その間も、体の震えが止まらなかった..泣きじゃくっている私を、コナママさんが優しく労ってくれていた。

彼が仕事に行く時間が近づいて来たが、もう一度元気の足の消毒をしてから、出かけてくれる事になった
彼とルークママさんが、消毒を始めてくれた..私も立ち会う勇気が出たので、足の状態も確認出来た。
パパに抱かれた元気の顔は、とっても嬉しそうだった..大きな目をキラキラさせがら、私を見つめていた。
この時の写真を撮っておけば良かったと、今でも後悔している..彼に抱かれて嬉しそうだった元気を..
今でも、私の目に焼き付けた元気の顔が浮かんで来る..パパに、消毒して貰って本当に良かったね。

彼が出かける時間になった時..「元気行ってくるからね」の挨拶をすると、自ら上半身を起こして..
「パパ、行ってらっしゃい〜」って、名残惜しそうに見送っていた..でも、その顔はとても穏やかだった。
きっと、パパに会えるのは、これが最後になると思って、最後の気力を振り絞って挨拶をしたのだろう..
勤め先を早退した娘が駆けつけて来た..会社の同僚ではなく、友人が仕事を代わってくれたそうだ..
元気は、娘の姿を見た途端、嬉しそうに一生懸命尻尾を振っていた..本当に間に合って良かった..

彼が出かけてから、急に息づかいが荒くなって来た..鼻が詰まって、息をするのがとても苦しそうだった。
ルークママさんが、生理食塩水を作って来てくれた..ストローで鼻に入れたら、鼻の通りが良くなった。
呼吸が少し安定したので、朝からほとんど食べていなかったので、急いで口の中に食べ物を詰め込んだ。
そして、ご飯を食べた直後、不覚にも眠くなってしまった..ほんの少しだけ、眠らせてもらおう..
元気の顔を見ながら、心の中で「少し寝てもいい?」と聞いてみた.「少しだけならいいよ」そう答えた。
寝てる私の姿が、元気から見えるように、玄関に置いてある熊さんマットを枕にして、少し仮眠を取った。

「元気が呼んでるよ」と言う声で目が覚めた..すぐに傍へ行って体を撫でたら、安心したような顔をした。
でも、呼吸は益々荒くなっていた..苦しそうに、ハァーハァーゼェーゼェーと、喘ぎ続けていた..
氷をあげると、むさぼりつくように食べ始めた..何度か繰り返したが、ストローでお水をあげる事にした。
何度も何度も、美味しそうに飲んでいた..そして、光のなかった目が動きだし、キラキラと輝き始めた..
もしかしたら、このまま持ち直すのでは..元気は不死身だ..絶対に死なない..そう思い始めていた。


「9月15日、朝8時頃の元気..まだ、穏やかな顔で眠っていた..9月15日、20時頃..娘にご挨拶」

2007/09/14(金) 瞼のシコリ..そして、皮膚が..
昨夜は、泣き疲れたのか、頭が痛くていつの間にか眠ってしまった..そして、真夜中携帯にメールが来た

チ○ルのオーナーからだった..「ダボスの丘へ行って元気君を想ってみます..そして☆を眺めます..」
「元気君とアリス(オーナーの愛犬)は、私の犬関係で大きな比重を占めています..特別な存在です」
パピーの頃から、通い続けたチ○ル..オーナーが変わった時、小さなアイリッシュセターを連れて来た..
元気にとって、アリスちゃんは後から来たワンコ..元気の方が優勢だった..アリスちゃんも従っていた..
元気より、数段大きくなってしまったアリスちゃんに対しても、最後まで変わらぬ態度で接していた..
チ○ルへ行きたい..ダボスの丘へ行きたい..あの木の傍へ行きたい..元気が私を呼んでいる..

去年の今頃、元気が怒った顔をしてるなと思っていた..瞼の上に出来た、シコリを発見してしまった..
右目の瞼が、おかしい事にと気がついた..恐る恐る触ってみたら、私の手に大きなシコリが触れた..
大好きな大きな目..目の動きだけで、元気の気持ちが全て伝わって来た..キラキラ輝く大きな目..
その大きな目が、シコリの為に塞がって来ていた..ショックのあまり、元気の傍で泣き崩れてしまった..
体中がシコリだらけだった..三種類のシコリが無数に体にへばりついていた..ついに目にもシコリが..

この日、コナママさんが、トリミングに来てくれた..お尻の被毛と、前足の被毛を切ってもらった..
寝ながらウンPをしていたので、下痢Pの時など被毛にへばりついて、大変な思いをしながら取っていた。
ルークママさんも来てくれた..元気が生きていた、最初で最後の三人一緒のランチとなってしまった..
三人一緒のランチ..その様子を見ていた元気も、どこか楽しげに見えた..顔が笑っているようだった。

左後ろ足の右下の皮膚がおかしくなって、毛を取ろうとしたら、皮膚も一緒に剥がれそうになってしまった
そこから、中の液体がこぼれ始めていた..右下の皮膚は、まだ綺麗なピンク色で、壊死していなかった。
鍼の先生から指示された漢方薬を塗ってガーゼを当てておいた..それが最善の方法だと思っていた..
この時、義妹から電話がかかって来た..最悪の事になるとは知らずに、長々と話し込んでしまった..
義妹と、話し込んでいた2時間余り..元気と私に取っては貴重な時間を、義妹に奪い取られてしまった

こんな状況でも、ご飯を全て食べてくれた..そして足のガーゼを取り替えようとして、タオルをめくったら..
壊死してないピンク色の皮膚が、だらんとぶら下がっていた..どういう処置をして良いか分からなかった。
ガーゼを取ろうとしたら、ぶら下がった皮膚の肉片が、一緒に取れてしまった..恐怖で体が震えていた。
元気はそんな私を、きょとんとした顔で見つめていた..そして、右後ろ足で力強く布団を叩いていた..
左後ろ足に、違和感を感じていたのだろう..うつ伏せの状態のまま、ガンガンと布団を叩いていた..

壁にもたれ、垂れ下がった皮膚をずっと見つめていた..何をして良いかも分からず、再びタオルをかけた
恐怖で眠る事も出来なかった..夜が明け始めていた..珈琲を入れた途端、ほんの僅か眠ってしまった
恐る恐るタオルをめくってみると、目の前には黒く変色して、ちぎれてしまった皮膚がぶら下がっていた..


「右の瞼にシコリが..コロンママさんから、シコリ保護用の胸巻きが送られて来たが一度しか使用せず」     

2007/09/13(木) チーズ君との別れ..
真夜中..パソコンをしてる私の前に、珍しく勇気が陣取って、元気の祭壇の写真を見つめている..

久し振りに、ショパンが聴きたくなった..窓辺に座り、空を見上げ、風を感じながら、ショパンを聴いた..
涙が一粒、その後は堰を切ったように滝の如し..ず〜っと、我慢していた..泣く事を我慢していた..
目に浮かぶのは最後の頃の元気..生きようと必死で頑張っていた..最後まで生きる事を諦めなかった
泣きながら空を見上げていたら、今までと違う風が吹いた..その時、ふとダボスの景色が浮かんで来た。
チ○ルのオーナーに、「元気を想い出して、ダボスの丘へあの木の傍へ行ってあげて」と、メールしていた。
何故ダボスの丘が浮かんで来たのだろう..私を呼んでいるのだろか..タボスの丘で元気が待っている?

去年の今日..チーズママさん一家が、元気に会いに来てくれた..所沢のカフェで会った切りだった..
最初に会ったのは、伊豆旅行だった..元気は、その時既にビッコ我引いていたが、威厳は保っていた。
カートを覗き込む、チーズ君を「ウッー」って怒っていた..それでも、チーズ君と元気は楽しそうだった..
所沢のカフェでも、ワンコを取り合い大喧嘩をした..元気は、チーズ君の不意打ちに面食らっていた..
元気には、以前のような威厳がない事を、チーズ君に悟られてしまったのかもしれない..ワンコは鋭い。

弱々しく布団に横たわっている元気を見たチーズ君は、何かを感じ取ったらしく、傍に来ようとしなかった
元気も、只チーズ君を見つめているだけだった..もしかしたら、目と目で通じ合えたのかもしれない..
元気は、チーズ君が来るまで、ぐったりしていたのに、一緒にお菓子を食べ始めた..力を貰っていた..
チーズママさん達も私も、これが最後の再会になるとは思っていなかった..また会おうね〜とお別れ..


「お☆様になる3日前..虚ろな瞳に何を見ていたのだろうか..その瞳に私は映っていたのだろうか?」

2007/09/12(水) 変形した鼻..
元気の一周忌が近づいて来て、何だか切ない気持ち..私達の元を去って、1年が経とうとしている..

最近、我が家にいなかった元気も、自分の一周忌が近づいて来て、どうやら帰って来た気配がする..
今も、扇風機の風が、一瞬微妙に変わった..フワーッと優しく、私の体を包み込むように吹き抜けた..
「千の風になって」..元気は、扇風機の風にもなるのかな?..何て馬鹿な事を思ってしまった..
ここ数日、空を見上げても、厚い雲に覆われて元気☆は見えない..あの時間には☆が見えて欲しい

私達は、元気は不死身の体だと思っていた..パピーの頃から、色んな病気をしても、乗り越えて来た。
だから、絶対に死なないと思っていた..もう、駄目かなと思う気持ちが片隅にあっても、打ち消していた
最後の最後まで、死なないと思っていた..私の手の平から、がくっと落ちて逝った時も、冗談だと思った
閉じてしまった瞳も、閉じてしまった口も、直ぐに開けてくれると思った..でも、それは現実回避だった..
4日後の日曜日..その日を泣かないで迎えられるだろうか..この日が、節目となるのは間違いない。

去年の今頃..元気の鼻は、大きく変形していた..固くなってしまった皮膚が、鼻にへばりついていた。
触ると、黒い皮膚がポロポロと落ちて来た..取れる物は取って良いと言われていたので、必死で取った
外の状態より、中の方が深刻になっていた..鼻腔がくっついて、息が出来なくなってしまいそうだった..
そこに鼻くそが詰まり、悪循環を招いていた..ツボを押しても、詰まった物が出なくなってしまった..
オリーブオイルを塗ったり、綿棒で鼻くそを取ったり..鼻をいじり過ぎて、出血する事もしばしばだった。
この時、生理食塩水が手に入っていたら、元気はもっと楽だったろう..作り方を教わっていたのに..
誰も作れなかった..そして後で分かった事..病院に生理食塩水があった事を..私は馬鹿な飼い主


 「この日は、元気がなかった..珍しく、ルーク君が布団の上に..もう会えない事を分かっていた?」

2007/09/11(火) 淡い期待..
朝から雨..今週一杯は、雨が続くそうだ..元気の一周忌には、あの日のように晴れて欲しいと願う。

勇気の病院の帰りに、近所のカフェに行って来た..地図を見た瞬間に通り慣れた場所だと分かった。
仕事中に、しょっちゅう通っていた抜け道..懐かしい得意先..懐かしい風景..2年振りだったかな?
不思議な事が..私達が座っていたテーブルの下に、お守りが落ちていた..どこかで見たお守りだった。
でも、私のお守りではないと思っていた..ところが、携帯のストラップを見たら、お守りがなくなっていた。
私のお守りじゃん..足が悪くなってしまった元気の為に、ちゃろママさんが送ってくれた、大事なお守り..
今まで、一度も携帯から外れた事などなかった..「あっ!..元気が帰って来た..ボクはここにいるよ」
でも、何だか気味が悪い..何か、変な事が起きるのでは、起きているのでは..不吉な予感がしていた
我が家に戻って、マイロママさんの日記を見た瞬間..絶句..マイロちゃんの姉妹のミルキーちゃんが..
前日、マイロママさんと電話で、ミルキーちゃんの今の容態に関して、お話をしたばかりだったのに..
元気がお守りを落として、「また、お星様が増えちゃったんだよ」..そう教えてくれたような気がする..

去年の今日は、朝から食欲満点だった..布団の横に置いてあった、お菓子が欲しいと要求して来た。
ご飯も嫌々だけど、全部平らげてくれた..これなら、まだまだ生きてくれる..生きられるかもしれない。
淡い期待を抱きながら、元気の世話に明け暮れていた..オシッコは完全にオネショ体制になってしまった
でも、オネショでもオシッコをしてくれれば、それで良い..もう、全くベランダでオシッコは出来なかった。

この日、彼と喧嘩をした..私ばかりが、何故介護をしなくちゃいけないの..何故、こんな思いをするの
彼が反論して来た..ボクが何もしてないと言うのか..大変な思いをしているのは君だけじゃない..
懇々と言われてしまった..言っている事は、一々最もだった..だから、反論も出来なかった..
元気は、そんな私達の言い争いを傍で聞いていて、私を彼から庇わなくちゃと言う仕草を見せていた..
元気は、どんな時でも、どんな事があっても、いつも私を庇ってくれていた..それを忘れてはいなかった。


「彼との言い争いを聞いていて、半ばあきれ顔で眠ってしまった..コナちゃんベットがお気に入りだった」

2007/09/10(月) 破裂寸前だった..
今朝は、彼が起きて来なかった..勇気を抱きながら気持ち良さそうに、お昼頃まで眠り続けていた..

そんな姿を見ながら、元気を想っていた..べったりくっくのがが嫌いだった..いつも、距離を置いていた
10年間と言う月日をお留守番していた..自分の時間が確立されていたので、邪魔をされる事を嫌った
一定の時間、触れ合えばそれで良かった..それは元気の本心だったのだろうか..遠慮していたのでは
本当は、思い切り甘えたかったのではないのだろうか..仕事で疲れいた私達を、気遣っていたのでは?
足が悪くなってから、「布団に入れて〜一緒に寝たいよ」..そんな感じで、ガリガリされた事があった..
その時は、彼が長期で帰らない時だった..寂しかったんだ..本当は甘えたかったんだ..と今思う..

去年の今日..夜中にオネショをしたらしく、布団に敷いていたシートが濡れていた..初めての事だった
昼間は、順調にオシッコをしていた..まだ、腎臓が正常に働いていると安堵..ウンPも順調にしていた
この頃、オシッコやウンPをする時に、「ウーッ」と苦しそうな声を出して、事が終わると歯ぎしりをしていた
お腹の中のリンパが腫れて来て、尿道や腸を圧迫していたのだろう..その時の顔が、苦しそうだった..

左後ろ足から、広範囲で液体がにじみ出ていた..黒くなってしまった皮膚からも、液体が流れ出ていた
ガーゼを替えても、すぐに汚れてしまうので、ガーゼを二重にして、人間用のパットを敷いて保護していた
鍼の先生から頂いた漢方薬が、意外な効き方をしてしまったと思う..悪い物を出そうとしていたと..
所々黒ずんでいた皮膚が、崩れて来てしまった..皮膚が、ガーゼにくっついて、薄くなってしまった..
流れ出てる液体に、血が混じり出し、匂いも相当きつくなっていた..もう、駄目かもしれないと感じた。


「9月3日時点の左後ろ足の状態..皮膚が、黒ずんでいた..何を考え、何を耐え、何を想う???」

2007/09/09(日) 私のイライラが..
彼が、晩ご飯を作ってくれた..一睡もしてないのに、買い物へ行ってくれて、晩ご飯まで作ってくれた..

元気の介護が始まってから、未だに続いている買い物拒否症..一人で買い物へ行くと、立ちすくむ..
情けない..甘えてるんじゃないと言われても、ろくに買い物が出来ない..彼もそれを分かっている..
だから、自分が行った方が早いと..私は、只買い物リストを作るだけ..それさえ、面倒な事さえある..
何度も、何度も、買い物にチャレンジしたけれど、結局駄目だった..と言うより甘え癖が抜けない?
もう、そろそろ彼を解放してあげなくちゃ..いつまでも、甘えている訳にはいかない..元気に叱られる。

元気を介護している頃、階下から聞こえる宗教の音と、階上の赤ん坊の泣き声に悩まされ続けていた。
一定の時間になると、階下から鳴り響いて来る低音..ギャーギャーと金切り声で泣き叫ぶ赤ん坊の声。
毎日、イライラと過ごしていた..宗教の音が聞こえて来ると、私の機嫌が悪くなり元気が怯え始めた..
その度事に、物に当たり散らしていたので、元気は益々怯え続けた..元気を気遣う事さえ忘れていた
当たり散らした後、元気に謝り続けたけれど、怯えた心が癒される事はなかっただろう..今更、思う..
私のイライラした気持ちが、元気の死期を早めてしまったのではないだろうか..謝っても謝りきれない。


  「ごめんね、元気..気を遣わせちゃって、ごめんね..コナちゃんと会ったのも、この日が最後だった」

2007/09/08(土) 最後の鍼治療..
台風一過..抜けるような青空..元気が逝ってしまったあの日のような青い空..照りつける太陽..

来週の土曜日に、一周忌を迎える..あっと言う間の1年だったが、元気との日々が走馬燈のように蘇る
元気の一周忌が来るまでに、最後の2週間をメモリアルとして、残そうと思ったが、写真を見るのが辛い。
だんだん、輝きが無くなって来た大きなお目目..うつ伏せでしか寝られなくなってしまった哀れな姿..
そんな姿を見ていると、再び後悔の想いが押し寄せて来る..もっと違う生き方があったのではないか..
してあげられなかった事としなければ良かった事..勇気に対して出来る事が、元気には出来なかった。
気がついてあげられなかった..今更遅いけれど、もっともっと、たくさんの事をしてあげれば良かった..
そうすれば、もう少し私達の傍にいてくれたかもしれない..してあげられなかった事を深く後悔している。
そして、しなければ良かった事..元気の為と思いしてしまった事が結局何一つ元気の為にならなかった

去年の今日..最後の鍼治療を受けた..気孔をしていた先生が、腎臓の辺りが冷たく感じます..と
寝たきりになって動かないので、血流が悪くなっていると..その結果、体中の浮腫が酷くなっていると..
歩かせたくても、歩けなくなってしまった..私が、手を貸しすぎて、自分で歩くのを止めてしまった..
その結果、左後ろ足の筋肉も骨も、完全に固まってしまった..全く、動かなくなってしまったのだ..
歩きたいと願う元気の自由を私が奪ってしまった..介護をし過ぎた..放っておく必要もあったのだ..
私は、元気に対して、何をして来たのだろう..面倒な事は省こうと思って介護をしていたような気がする
そして、私の心の中に諦めの気持ちが芽生え始めていた..その気持ちを読み取っていたのかもしれない

コナちゃんとルーク君..元気の命を延ばしてくれたワンコ達..元気に生きる力を与えてくれたワンコ達
コナちゃんとルーク君が来ると、20時間も出なかったオシッコさえ出てしまった..本当に不思議だった..
コナちゃんとルーク君が来ると、それまで全く食べようとしなかった物でさえ、争うように食べていた..
ルーク君は、暴れん坊のコナちゃんから、元気を守ろうとしてくれた事もある..立ち塞がってくれたのだ..
元気はお空の上で、コナちゃんとルーク君に感謝しているだろう..たまには傍にいるかもしれない..

最後の鍼治療の時に、左後ろ足につけてくれた漢方薬..これが、足が崩れる一因になった..と思う。


 「鍼の前のマッサージを受けて、気持ち良さそうだった..右下の赤い光は、まだ生きるぞーと言う証」

2007/09/07(金) ついに呼吸困難に..
昨夜は、台風が関東地方を直撃して大荒れのお天気だった..そんな中、ノー天気で爆睡してしまった

彼は、大型車に乗って、大阪から栃木県までヤ○トの荷物を運ぶ仕事をしている..大丈夫だろうか?
案じていたら、東名高速、中央道、上信越道、254号線、18号線..東京に通じる幹線は通行止め。
いつもより、3時間近く遅れて帰って来た..通行出来る道路を探しながら、栃木県まで行ったそうだ。
疲れ切った彼の顔..それでも、勇気と遊んでくれていた..元気に対しての悔いが、そうさせるのだろう。

去年の今日..元気が呼吸困難に陥ってしまった..ガン細胞が肺に転移して、鼻を詰まらせてしまった
苦しそうに暴れている元気をどう扱って良いか分からず、ルークママさんとコナママさんに助けを求めた..
鼻の詰まりを治そうと、直接鼻をすすったら、唇を思い切り噛まれてしまった..血がポタポタと流れ落ちた
痛かった..泣きたいほど痛かった..泣いていたかもしれない..血はなかなか止まらなかった..
私の事に、構っている状況ではなかった..布団の上で、もだえ苦しむ元気..このまま死んでしまうのか

ふと、鼻の横を押してみようと思った..指で触れると凹んでいる所があった..もしかして、ここはツボ?
鼻の横を何度か押していたら、詰まっていた鼻汁が飛んで来て、くっついていた鼻が見事に貫通していた
それまで、もだえ苦しんでいた元気が、何事もなかったように、穏やかな顔で私達を見つめていた..
指で触れると凹んだ所は、正にツボだった..鍼治療を見ている飼い主は、自然とツボに手が行くそうだ
元気から学んだ事はたくさんある..体中のツボもその一つだ..今も、それを勇気の体に活かしている。


「この日は、ご機嫌な朝を迎えていたのに..Gマークが入った新しい洋服は、一度も着る事がなかった」

2007/09/06(木) 最初で最後のご対面..
台風の影響で、朝方から荒れ模様..そう言えば、1年前の今日も、朝からどしゃ降りの雨が降っていた

どしゃ降りの雨の中、ちょびさん&小太郎君、バロンママさん&アイリちゃんが、お見舞いに来てくれた。
小太郎君とアイリちゃんは、元気と親戚さん..血の繋がった3匹が、やっとご対面をする事が出来た..
小太郎君とは、スキー旅行やカフェで何度も会っているが、アイリちゃんとは初めてのご対面だった..
アイリちゃんが、元気へ挨拶に行った..顔を覗き込んでも、匂いを嗅いでも、怒るどころか嬉しそうだった
元気の布団の上に乗っても全く怒らなかった..驚いた事に、元気の横に寝ても何をしても怒らなかった
今まで、布団への進入を許していたワンコは、同じキャバのルルちゃんだけだった..女には甘かった?
小太郎君とは、相変わらずの仲だった..初めて会った時と同じように、交わる事も接する事もなかった。
でも、お互いの存在は認め合っていたようだ..小太郎君は、元気の様子がおかしいのに気づいていた。
ワンコは、ワンコ同士が分かる、何かを送っているのだろう..ワンコには、ワンコの死期が分かるのだろう。

小太郎君、アイリちゃんが会いに来てくれて、元気は元気を取り戻していた..とっても楽しそうだった。
そして、私もちょびさんが差し入れしてくれた、ケーキをほおばりながら、久し振りに楽しい時間を過ごせた
この10日後に、元気が逝ってしまうなんて、誰一人思っていなかった..それほどに元気一杯だった..
小太郎君とアイリちゃんを連れて来てくれた事を、今でも感謝している..命の時間を伸ばしてくれた事を
勇気をキャバリアの親戚サイトに登録した時、小太郎君ともアイリちゃんとも親戚さんである事が分かった
元気が繋いでくれた縁を勇気が引き継いでいる.. 勇気にも小太郎君とアイリちゃんに会わせてあげたい

今日は、ルルちゃんの2回目の月命日だった..そして、以前勤めていた会社のゴンの命日だった..


 「小太郎君が来るよ〜っと言ったら嬉しそうに待っていた..忘れてなかった..アイリちゃんとべったり」

2007/09/05(水) 卑屈な心..
勇気の体調が、少しだけ持ち直して来た..病気が進行しているので、楽観視は出来ないけれど..

元気の介護をしていた頃、元気なワンコ達を見ると羨ましかった..そして、同時に飼い主さん達の事も
どうして、元気がこんな目に遭わなきゃいけないんだ..そして、同時に自分の立場をも呪っていた..
元気に歩いていた元気..元気に走っていた元気..元気に旅行に行っていた..元気は元気だった。
それなのに、あの医者の誤診、怠慢な検査治療で介護の身になってしまった..憎しみは増すばかり..
元気の犬生も私の人生も、他人の手で奪われてしまった..ワン友さん達の言葉も素直に聞けなかった
卑屈な心は、心配してメールをくれたワン友さんに向けられた..私の言葉で、彼女達は傷ついただろう
あの頃の私の卑屈な心は、止められなかった..ここでは書けないような事さえ、心の中で思っていた..

でも、元気は他のワンコ達が羨ましいなんて思っていなかっただろう..自分をしっかり受け止めていた。
ワンコは、自分が病気だなんて思っていないそうだ..その時を、その時を、懸命に生きているそうだ..
元気も、今の自分をしっかり受けて止めて、懸命に生きていた..私を気遣いながら、必死で生きていた
正直、今も元気なワンコ達が、元気なワンコ達を飼っている飼い主さん達が羨ましい..本当は羨ましい
でも、私も元気と同じように、今の自分の立場を受け止めて生きて行く..これが元気から受け継いだ心


 「具合が悪くても、コナちゃんにはウーッ!..コナちゃんは、元気のレスキュー犬..オシッコしてスッキリ」

2007/09/04(火) 誰もいない部屋..
勇気を病院に預け、どこにも寄らずに我が家へ戻った..ドアを開けると、そこには誰もいない空間が..

2日連続で、独りぼっちの時間を過ごした..勇気の息づかいも、足音も、何も聞こえて来ない空間..
何をすれば良いのか..何をしたら良いのか..どう時間を使えば良いのか..一瞬、分からなかった..
元気が逝ってしまった後の、数ヶ月間と言う時間..私は、今日と同じ誰もいない空間を味わって来た
毎日、元気が寝ていた布団の上に座り、抱き枕を抱いたままボーッとしていた..何も手に付かなかった
食べる事も飲む事も、排尿排便さえ面倒だった..息をするのも面倒だった..生きている事が嫌だった

勇気のいない部屋で思っていた..また、元気を失った時と同じ思いをするのか..その日は近いのか..
立ち直るのに、いったいどれ位の時間を要するのだろう..もう、二度と立ち直れないかもしれないなと..
部屋の隅にうずくまって、何もしないまま時間だけが過ぎて行く..そして、涙が止めどなく流れて来る..
こんな時間を、もう一度味わうのだろうか..やっと、元気の事を想っても、泣かなくなって来たのに..
元気の祭壇の前に座り、「勇気を守ってね..いつでも、いつだって、ママを守ってくれているでしょう〜」
「今度は、勇気を守ってあげてね..元気の眼力で、死に神なんて追っ払ってね..ウーッて唸ってね..」

去年の今日..元気を抱いて、ベランダから彼を見送った..彼は、とっても嬉しそうに手を振っていた..
これが、最後のお見送りになってしまった..元気がパピーの頃から、10年間続けて来た習慣だった..
この日を最後に、ベランダから元気の姿が消えた..勇気が来るまでの4ヶ月間、私一人で続けていた
勇気が引き継いだベランダからのお見送り..また、独りぼっちで見送る日が来てしまうのだろうか..?


  「もう、何をあげても良いと言われていた..大好きなルチンを、精一杯背伸びして食べていたっけ」

2007/09/03(月) 最後のお外..
勇気の集中点滴2日目..点滴と注射が効いてきたのか、元気を取り戻して来た..私の心は複雑..

元気は、病院に通っていても、ちっとも良くならなかった..主治医は、何の治療も施さなかった..
ただ、左後ろ足を触り、「今日は腫れてますねぇ〜何か、しましたか?」..いつもそんな感じだった..
医者として、患者に最適な治療を施すとか、最善を尽くすとか、そん態度は全く見受けられなかった..
私は、只ひたすら、この医者に無駄なお金を払い続けた..そして、無駄な時間も費やしてしまった..
1年経っても、元気の元主治医に対する憎しみが無くならない..元気は憎んでなんかいなかったよね。
パピーの頃から、あの病院が大好きだったもんね..あの主治医とギャル看護婦が大好きだったもんね。

去年の今日..夜になってから、彼と一緒にお散歩へ出かけた..元気は、喜んでいると思っていた。
カートの上で、元気が変な動きをしていた..もぞもぞと、今にもカートの上で立ち上がりそうだった..
元気の尻尾が立っていた..おかしい..そう思いながらも、進んで行ったが、益々動きがおかしくなった
カートの中を覗いたら、元気のお尻から大量のウンPが出ていた..次から次へと溢れんばかりだった。
元気の顔色がおかしい..慌てて歯茎の色を確認したら、血の気が失せていた..死んじゃうよ〜〜
こんなウンPまみれの体でで死なせたくない..慌てて、ウンPまみれの体を抱いて、我が家へ戻った..
全身のマッサージをして血流を促し、ウンPまみれのお尻を、彼と二人で泣きながら必死で洗った..
何とか、歯茎の色も赤身を帯びて来て、元気は生き返った..もう、カートにも乗せられなくなってしまった
もう、お散歩にも連れて行けなくなってしまった..絶望の淵に立たされ、もう終わりだ..そう感じた..


「この頃から、顔つきが変わったような気がする..時折、険しい表情をしていた..ウンPしてぐったり顔」

2007/09/02(日) 去年と同じ思い..
勇気の病状が思わしくない..心配で眠る事が出来なくなって来た..去年の9月と同じ思いをしている

毎日、洗濯物にタオルが一杯..勇気がご飯をこぼしたタオル..去年は、元気のオネショのタオル..
洗濯物を干しながら、私はいったい何をしているのだろう..タオルの大きさは違うけれど同じじゃん..
毎日がハラハラドキドキ..一喜一憂..一時も傍を離れる事が出来ない..目を離す事が出来ないい
元気を介護していた時から、トイレのドアをきちんと閉めた事がない..常に、耳をダンボにしている。
お風呂にもゆっくり入れない..自分の食事はそっちのけ..一時、元に戻った体重がまた減って来た..
元気を失ってから、もう二度と同じ日々は来ないと思っていた..何故、1年後に同じ思いをするのか..

去年の今日..元気が通っていた病院の実名と、住所、電話番号、Eメールをこの日記上に公表した。
こんな名もないHPの日記に公表した所で、主治医には何の痛手もなかっただろう..それでも良かった。
ほんの一握りの人に伝わったら、誤診の犠牲にならなくて済む..でも、主治医は堂々とTVに出ていた
画面の向こうで、正当な医者の顔をして、狂犬病の予防がいかに大切かを理屈ぽい口調で訴えていた
顔を見た途端、メラメラと憎しみの炎が燃えだして来た..また、真夜中のメールを再開しようかと思った
でも止めた..ペットロスのサイトのお坊さんが、「医者を恨んではいけません..愛する者が悲しみます」と


「美しい寝顔、美しい被毛、死期が近くなっても変わらなかった..左胸には大きなシコリが出来ていた」

2007/09/01(土) とうとう9月に..
9月に入ってしまった..私の今までの人生で、最も忘れられない日々..そして、最後まで頑張った9月

去年の9月、元気の介護に明け暮れながら、後悔の日々が続いていた..心の中は後悔で一杯だった
一昨年の今頃、元気の左後ろ足は、まだ軽いビッコだった..この時に、病院を変えていたら..と..
元気の左後ろ足は、こんな事にはならなかった..あの病院にしがみついていた、自分が情けなかった。
詳しい検査もしない..適切な治療もしない..何もしようとしなかった、あの病院にしがみついていた。
私は、自分の勝手で元気の犬生を奪ってしまった..健脚だった元気の足の自由を奪ってしまった..
私の心の重荷は、今も消える事はない..一生かけても償いきれない..命尽きても思いは同じだろう。


「お鼻はガビガビ..顔には白い毛が..それでも大きな瞳は輝いていた..サプリ入りのご飯を拒絶中」


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