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2011/03/11(金)
もう、ダメか。
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と、思ったのだ。マジで。
仕事中だったが 「・・・やばくない?もぐったほうがよくない?」 「メッティングじゃない??こりゃーもうメッティングでしょ!!」 と、いつも足元に転がってるヘルメットを被り、机の下へ。
どんどん強くなり延々と続く揺れに 「ここで、終わるのか。」と思った。
その後も余震は続き、もはや仕事にならない状態。 ついに、解散命令が出て、センター閉鎖。
相方に電話するも、当然つながらず。 迎えに来て欲しい旨メールするが 送信はとりあえずできるものの、一向に返事なし。 仕方ないので、とりあえず歩いて帰ることにした。
会社を出るなり、聞いたこともないサイレンの音。 続いて、「大津波警報が発令されたので海沿いにいる人は直ちに避難せよ」のアナウンスが。 「飲まれるかも」という恐怖に慄きながらも、とりあえず歩くしかないと、歩きはじめた。
その背中に、浴びせかけるように、何度も何度もサイレンと 警報が。不安と恐怖にかきたてられながらも とにかくひたすら歩く。
ショッピングモールは全て閉鎖されており、道路は渋滞。 町全体が非常にヤバい空気に包まれていた。
相方からは一向に返事がなく、迎えにきてメールが届いたのかどうかも不明なため とりあえず、道すがら、●:●●、**通過。●:●●、***到着と、時間と場所を知らせるメールを送った。
途中、「もう、会えないのだろうか」という不安もよぎったが 暫く歩いて、ふと見ると、車の窓から手を出してブンブン振ってる人が。
相方である。
あー、もう、これで、全て良し。 と、本当に心から、ホッとした。
が。 ホッとしたのは良かったが 帰ってみると、エレベーターが停止。 我家はマンションの最上階。 ふくらはぎパンパンになりながら、階段を登り ようやく家についたはいいが、何故かワシの部屋だけ壊滅状態で 色んなものが落ちまくり。 とんでもない乱暴者が大暴れしていった跡みたいになっているのだった。
お互いの家族の安否確認をしつつ、クソー。と思いながら片付けをし、ようやくひと段落したところで、もー、飲んじゃおう。ということになり、二人で飲み始めた。 そんな感じで恐怖の日を過ごしたのである。
ニュースで見る被害はかつてないほど甚大である。 実際、こうしている今もまた揺れ、油断がならない状態である。
しかしながら、少なくとも相方と離れ離れになっていないというだけで、安心できる。
1人だったら、どうだっただろう。 バスを乗り継ぎ何とか帰ったか、あるいはどこかの店で飲んだくれたのだろうか。 帰ったところでアパートで1人不安と恐怖に耐えたのだろうか。
こんなとき、帰る場所があり、一緒に居てくれる人がいるというのは、何より心強い。
本当に有難いと身に凍みて感じるのだった。
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