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2006/12/12(火)
奇妙な種子。
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こう考えた。
奴は、我々の心に、奇妙な種子を撒いていった。 どう咲かせようと、アンタら次第だよ、と言って。
頭にくるので、アタシは、でっかくて綺麗な花を咲かせて オマエに見せてやる。と、思っている。
それが、奴の遺したものだと考える。
それは、生きている者のエゴかもしれない。 だが、何故死んだか考えたところで答えは出ないのだ。
エゴで結構。エゴで何が悪い。 死んだ人に聞くことはできないのだ。勝手に理由をつけるしかない。そうして自分を、周りを、魂を慰めるしかないじゃないか。
無駄死になんかじゃないと思うことは、実際、死んだ人を慰めることではなく、生きている自分を慰めることなのだ。
が、自分を責めても、慰めても、どっちみち亡くなった人は救われないのであれば、せめて、自分を慰めてやろうというのが、せいぜい、生きてる者ができることじゃないのか。と、思うのだ。
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