独りごちる。
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2006/07/13(木) KING OF LIVE
今日は朝から最悪だった。
電車から降りようと、人ごみをかき分けていたら
オヤジの腹に肘が触れた。その途端、「ベチョ」という、有り得ない感覚が肘に走った。「!?」と思い、その肘を見ると、水でもかけられたかのように、肘から水が滴り落ちそうになっている。
オヤジの腹の汗、いや、オヤジ汁である。
思わず泣きっ面で「ウギーーーーーーーッッ」と叫びたくなった。すぐに拭きたいけど、ハンカチで拭いたらもうそのハンカチは使えない。でも早くしないとオヤジ汁が垂れてしまう。ギャァアアアとパニックになりながら、汗拭きシートを持ち歩いていることに気づいた。このときほど、「銀の除菌効果」というパッケージの文字が心強く思えたことはない。
そして基地外のように拭き拭きしまくったのである。
会社についてからも気持ち悪さが拭えず、アホみたいに拭き拭きしまくった。オヤジよ、いくらなんでも汗をかきすぎだろう。
服の上から他人をビショ濡れにしてしまう程の汗をかくのはやめろ。危うくオヤジ汁で腕を溶かされるところだったではないか。

そんなことはさておき。
仕事中、Yahoo のトップページを何気なく見ていたら、「甲斐智恵美、自殺だった」の文字が。「えー!!自殺??ていうか、いつ死んじゃったんだ??」などと思っていたら、さらに信じられない文字が飛び込んできた。
「忌野清志郎、咽頭がんで入院」。
「・・・・・・。。。。!!!!!!!」という感じである。
清志郎=がん ←結びつかない。
どーーーーー考えても結びつかない図式だ。
有り得ない。嘘っぱちだ。
が、現実である。

若かりし頃、清志郎はアタシの神であった。
思えば中学生の頃、心優しき不良のスーさんが、RC SUCCESSION の存在を教えてくれたのが始まりである。昼の弁当の時間に、放送委員が「雨あがりの夜空に」をかけたのだ。
当時、フォーク一辺倒だったアタシは、「一体この歌は何なのか」と強い衝撃を受けた。するとスーさんがいろいろ教えてくれたのである。

あまりの衝撃に興味を持ったアタシは、スーさんに教えられるまま、その日神奈川テレビに出ていたRC SUCCESSION とやらを見た。
静岡でのライブを、素行が悪いだか何だかでキャンセルされた清志郎が、「静岡なんてよー、みかんの皮も固いし、お茶もまずいっていうぜ」と、電波を通してライヴで言っていた。なんかわからんが、それまでフォークソングで平和に楽しんでいたアタシはいきなり金槌で殴られたような衝撃を受けてしまった。それが始まりだったのである。

その後、高校に入り、たまたま同じ高校の子が、ライヴにいけなくなったからと、チケットを譲ってくれた。それが始めてのライヴであった。確か、武道館だったと思う。
ライヴというもの自体、生まれて初めてだったアタシは、完全に打ちのめされてしまった。あのとき、本当に地面がグラインドしたのである。
清志郎が、KING OF LIVE と言われる所以はここにある。
当時のRC のライヴは、本当に物凄かったのだ。

そこからは、追っかけとまではいかないが、半追っかけみたいなもんで、あるときは仙台まで行ってライヴを見たりした。
自分の日常と彼らの作る歌を重ね合わせ、共に泣き、共に怒ったりしていた。

が、清志郎が結婚し、子供もできると、あんなに激しかったライヴが、何気にファミリーチックになってきて、オイオイ、ロックンローラーがそんなことでいいんかい!などと思っているうちに、RC は解散してしまった。その頃はアタシも、ボ・ガンボスに夢中だったので、ま、しゃーないか。などと思っていた。

ソロになってからの清志郎には、正直興味がなかった。
何やら毒がなくなってしまい、面白くないし、ドラマなんて出ちゃって、格好悪いと思っていた。
先日も、二時間ドラマの予告で、市原悦子の隣に映ってるのを見て、「そこまでやる!!」と、もう見たくないと思っていたばかりである。

が、とはいえ、何だかんだ言ってもこの魂の半分は、忌野清志郎で作られたと言っても過言ではないのだ。
多分、あのままフォークソング系で走っていたら、違う人生を歩んでいたに違いない。このどうしようもなく揺ぎ無い反骨精神は、間違いなく彼の影響によるところが大きいのである。

それが、その神が、がんって。しかも咽頭がんて。
ボ・ガンボスのどんとも星になってしまい、そして当時よく一緒にライヴに行っていた育ちゃんも、星になってしまった。
ただでさえ、いわゆる青春が終わっていく様をまざまざと見せ付けられているところに、わが青春の神が、ガン。
神様よ、あんまりじゃねーかよ。

だが、その一方で、そうして当時キラキラと輝いていたものが
色褪せ、消えていくのを冷静に見守っている自分がいることに気づく。なんでこんなになっちゃったのか。こんな女に誰がした?
と、まあそれはいいが。

とにかく、清志郎には頑張ってもらいたい。
常にファンや周りの期待や予想を裏切ってきた彼である。
もう歌えないのでは?などという予想を裏切って、もう一度KING OF LIVE に返り咲いてくれることを期待している。

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