独りごちる。
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2009/05/04(月) 肉体死すとも
今から27、8年程前になろうか。

アタシはまだ中3 で、校内暴力真っ盛りの時代。

女子はたのきんトリオもしくはシブガキ隊に夢中になり、男子は松田聖子か横浜銀蠅などを聴いていた頃、アタシはそのどこにも属さず、超少数派の「フォーク派」に属していた。

あるとき、昼休みに、放送委員が、妙な歌を流した。
それまで聴いたことのない、全く新しい音楽だった。
「な、なんだこれ」と、衝撃を受けるアタシに、ちょっぴりワルで
シャイなスーさんという男の子が、「知らないの? RC SUCCESSION というんだよ。あ、今日神奈川テレビに出るから、見てみるといいよ」と、教えてくれた。

たのきんやシブガキに夢中になる同級生を「馬鹿か」と醒めた目で見て、頑固にフォーク以外聴かなかった当時のアタシだが、なぜかそのとき、無茶苦茶そのRC SUCCESSION とやらが気になった。

で、教えられたとおり、その日の夜、神奈川テレビでライブを見た。なんか猛烈に奇抜な人が、「静岡なんてよ〜、お茶はまずいし、みかんの皮も硬いって言うぜぇ〜」と言っていた。
これが、アタシが忌野清志郎という存在を知った、瞬間である。

過激でありながら、どこかお茶目なところもある。
しかもセクシーで無茶苦茶格好よかった。
聴いたこともない音楽だったが、どこかにフォークの味もある。
頭をガン!と殴られたような衝撃が走った。

たまたま、近くのレコード屋が閉店するという頃で、レコードを投売りしてたので、RC のレコードを買い漁り、聴きまくった。
聴けは聴くほど、その世界の虜になった。
それまでフォーク一本だったのが、180度転換して
RC一筋になってしまったのだ。

しかしながら、何せ素朴な田舎の中学生である。
ライブに行くなど、夢にも思っていなかった。
チャンスは、高校に入ってやってきた。

それほど仲がいいわけでもないが、中学から同じ高校に行った女の子が、アタシがRC ファンだと聞きつけて、ライブのチケットを買わないかと言ってきたのである。

お姉ちゃんと行くことになっていたのだが、急遽、都合が悪くなり、行かれなくなったのだという。
一も二もなく、アタシはその話に乗った。
それが、当時恒例になっていた、クリスマスの武道館ライブのチケットだったのだ。

ライブというもの自体、初めてだったのだが、もう、その衝撃たるや、言葉では言い表せない。
地面がグラインドする感じ。グワァ〜っと、興奮の渦に飲み込まれるような、そんな感じ。
とにかく、ライブはド迫力で、アタシはすっかりその魅力の虜になってしまったのだ。

ここから、アタシのライブ通いは始まる。
以降、解散するまで、あっちのライブ、こっちのライブと行きまくった。

いまや反骨精神の塊のアタシだが、RC を知るまでは、自分の奥深くにその精神を隠しているところがあった。
ところが、RC を知ってしまった途端、それが一気に噴出した感があった。もはや、己の人生観や生き方まで、大きく変わってしまった感がある。それほど、忌野清志郎の影響力はでかかった。


気付けば社会人になっていたが、相変わらずRC 一筋は変わらない。社会の中でもがく自分と、RC の歌詞とをシンクロさせたりして、あるときは慰められ、あるときは奮起させられ、「あ〜、こんな恋愛がしたいな〜」とあこがれるなどなど、常にその歌と共に自分の人生がある感じだった。

その後、解散コンサートまで、アタシはライブに行き続けた。
解散してしまってからは、何か突然燃え尽きたように、それまでの熱は醒めてしまったが、それでも、当時見た数々のライブの強烈なインパクトや感動は、生涯忘れるものではない。

そして今振り返れば、もし、RC に出会わなかったら
もし、あのとき、昼休みに「雨上がりの夜空に」がかからなかったら、アタシの人生は、絶対、間違いなく、全く違うものになっていただろう。と確信する。

栗原清志氏は亡くなったが、忌野清志郎は死んでいない。
アタシの人生そのもの、音楽の好みも本の好みも映画の好みも考え方も生き方も死に方も、何もかもに、少なからず影響を与え、そしてアタシが死ぬまでその影響力が衰えることはない。

そんな人が、この日本に山程いるのだ。

肉体死すとも、魂は死なず。
忌野清志郎のブルース魂が衰えることはない。
だから、悲しむことはないのだ。

さてさて、今日は新じゃがと新たまねぎが余ってたので、ジャーマンポテトを作った。で、ついでにこれをパスタに絡めてみた。
いずれも、旨し。


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