独りごちる。
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2011/10/30(日) 灯火
母ちゃんの、命の灯火が、確実に消えようとしている。

退院後、金曜日に、父と姉が付き添って抗がん剤治療の結果を聞きに行った。
本人の前では言わなかったが、姉だけ残り、話を聞いたところ
我々に残された時間は非常に短い、という。

残念だが、癌の進行が早く、抗がん剤治療も、もはや意味なし。
ただただ副作用の下痢が酷くなるばかりで、本人が苦しむだけなので、とうとう、薬も痛み止めのみ出されることとなった。

もはや、これまで。
ということである。

土日、実家に泊まりこみで行ったが
母ちゃんは、明らかに入院中よりも衰弱していた。
父がいうには、日に日に状態が悪くなっていくという。

もう、食事もほとんど受け付けず、食べても吐いてしまう。
医者は、今のうちに、行きたいところに行かせ、会いたい人に
会わせてあげて、と、言ったそうだが
行きたいところに行くという力すら、もはや残っていない。

入院中、お見舞いに行った我々に、「温泉にいこうね」と
言っていたが、それも、もう叶いそうにない。

土曜日に行ったときには、本人も覚悟を決めてしまったのか
通帳の整理や、自分の葬式の写真選びをし始めていた。
でも、「疲れちゃって途中で嫌になっちゃった」という。
写真も選びたいが、その力も残っていないのである。

黄疸が出てしまい、顔も目も、黄色くなり、それをしきりに気にしていた。
「黄色いよね?」と、何度も聞いてきて、「そんなことないよ」とその都度答えていたが、さすがに嘘もつき続けられないぐらい、黄色くなってきて、とうとう、「そうね。少し黄色いかね。でも、薬のせいだよ。」と、言わざるを得なくなった。

2日間、少し起きては、すぐに横になり、ほとんど寝ていた。
まだ、薬で痛みも抑えられ、ぐっすり寝られるだけ、よしとしなくてはならないのかもしれない。

延命は、望めなかった。
せめて、痛みも苦しみも最小限に抑えてあげたい。

あんなにはつらつとして、元気いっぱいだった母ちゃんが
急速に、本当に、どうしようもないほど急激に
しぼんで、消えていこうとしている。

その様を、ただ見ていることしかできないのが
辛い。悔しい。悲しい。

そして、怖い。

今日、帰るときに、家の出口に父ちゃんと2人並んで
母ちゃんが、弱々しく手を振っていた。
その姿を見て、胸が一杯になった。

2人並んで見送ってくれるのを見るのは、これが最後かもしれない、と思えて、しっかり目に焼き付けておこうと
涙をこらえて、じっと見つめながら、いつまでも、いつまでも、手を振ったのである。

2011/10/27(木) ねむっ
疲れた。
寝るっ。

2011/10/26(水) 退院はした。
・・・・が。

どうも、薬のせいなのか
お姉ちゃんの話によると
ものすごく怒りっぽくて、しかも、言ってることがとんちんかん。

さっき言ったことと、突然逆のことを言い出したり
飲んでる薬は抗がん剤ではないと言い張ったり。。。

大丈夫か、母ちゃん。

2011/10/25(火) 明日退院
おかんは明日退院できるそうだ。
まあ、病気が治っての退院ではないので
万々歳というわけにはいかないが、とりあえず、本人も早く
退院したがっていたので、良かった。

神様。母ちゃんが一日も長く生きられますように。

2011/10/23(日) 大山
今日は、母ちゃんの見舞いに行く前に
相方と2人で大山に行ってきて、阿夫利神社で病気平癒守を買った。

久しぶりの大山は、完全な紅葉にはまだ早いが、結構賑わっていた。
かつては麓から頂上まで登山したが、ケーブルカーの入り口まで辿り着くまでに既にヘトヘト。
よく登ったもんだと感心する。

母ちゃんは嘘のように元気になっていた。
なんでも、担当医から、かなり状態が良いようなことを
言われたらしい。
しかしながら、どうも話がトンチンカンなので
ぬか喜びにならないように、後日検査結果が出たときの話を
待とう、と思った。
でも、奇跡は信じたい。

本当は父ちゃんと相方が、その後飲む予定だったが
今度は父ちゃんが心臓が苦しいという。
看病疲れと心労がたまったのかもしれない。
飲むのはやめて早々に寝るように。ということで
帰ってきたが、心配である。

両親とも、年を取ったなぁ。
まだまだ元気でいて欲しいなあ。

2011/10/21(金) 仕事から帰ってから
カレーと炒り鶏とグラタンを作った。
父ちゃんが数日食いつなぐための飯である。
終わったら1時過ぎてた。

間もなく3時である。

2011/10/20(木) 今日も
おかんは元気だったらしい。
抗がん剤の治療が開始されたが、副作用の少ない画期的な新薬とか。
今のところ副作用も出ず、今までつけっ放しになっていた点滴も外れて、嬉しくてウロウロ歩きまわっていたらしい。

頑張れ、母ちゃん!!

2011/10/18(火) 母ちゃんは
重度の便秘がいきなり解消されたら
その途端元気になって、ご飯もモリモリ食べ
父ちゃんとお姉ちゃんを叱り飛ばしていたらしい。

それでこそ、である。

まだまだ母ちゃんは
やれるな。

という気がしてきたのだ。

2011/10/17(月) 無力だ。
これまでは、どんな困難にぶつかっても
それなりに、何らかの答えを自分で見つけ
納得してきたのだ。

良い方に転んでも、悪い方に転んでも
とりあえず、納得できて
そして、また、次に進めた。

しかし。
今度ばっかりは勝手が違うようだ。

自力ではどうにもできん。
そして答えも見つからない。

考えても考えても
答えは一生見つからない気がする。

多分、答えが見つかったときは
神の領域に足を踏み入れてしまう、ということになるのだ。

結局のところ
何もできない。

ただ、ひたすら無力で
そんな無力な自分を持て余すしかない。

そこから見えてくるものなど
果たしてあるのだろうか。

などと
考えながらも
日常は淡々と過ぎ
今日もまた、いつも通り
弁当を作ったオレなのである。

2011/10/16(日) 土日は
おかんの見舞いに行き、今日はほとんど一日中付き添っていた。

今まで、色んな苦が襲い掛かってきたが
自分の頑張りようで、どうにかすることができた。

だが、今回ばっかりは、どうしようもない。
何もできず、ただ、寄り添い
ひたすら奇跡を信じるしかない。

悔しい。

今後は、こういうことが多くなっていくのだろうか
と、ふと思う。

これまでは、自力でなんとかなった。
なんとかできないことについても、とりあえず納得はいった。

だが。

今後はどうなのだろう。
ただ、耐えるしかない。祈って耐えるしかない。
そんなことが、繰り返されるのであろうか。

ここまでの人生は
そういうことにも、耐えられるようになるように
要するに耐性をつけるための
準備段階にほかならなかったのだろうか。

そんな気さえ、してしまうのである。


それでも、抗いたい。
なんとか、抗いたい。

一日、いや、一瞬で
何度も崩れ落ちそうになる本当に脆い気持ちではあるが
それでもなんとか、
アタシは、最後まで
抗っていたい、と、思うのである。

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