独りごちる。
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2006/12/31(日) ゆく年くる年
実はすでに明けてしまっているのだが
暮は毎日飲んだくれて帰ってきて、一年の締めくくりができなかったので、遡ってみようと思う。

まず、仕事納めの29日だが、なぜかクシャミが止まらず、30連発ぐらい出てしまい、まるっきり仕事にならなかった。風邪か??と思ったが、どうやらそういうことではなく、何かに反応してしまったらしい。とにかく、ヘクションヘクションやってるうちに、今年一年の仕事は終了。
そしてその日は同期の子と飲みに行き、酔っ払って帰宅。

タクシー待ちをしていると、目の前のオジサン連中と、なんか猛烈なしゃくれな男とが、列の割り込みで喧嘩を始めた。
アタシも見ていたのだが、あきらかにオジサン連中が割り込んだ。なので、しゃくれの言い分は正しかったのだが、なんとかまるめこまれてしまうしゃくれ。

だが、腹に据えかねていたのか、いざ、オジサン達が乗ろうとすると、タクシーの前に立ち塞がり、邪魔をし始めた。
数人のおじさんが一台のタクシーに乗ろうとしたのだが、そのうちの一人だけを乗せないようにしているのである。

先に乗ったおじさんが、しゃくれに掴み掛かり、あわや、というところで、列に並んでる客の中から、すごいドスのきいた声で「オイ!!なにやってんだよ!!さっさと乗れよ!!こっちは待ってんだよ!!」と叫んだものがいる。
ふと見ると、岩みたいなすごい顔したオバハンである。

しゃくれがひるんだスキに、邪魔されてたおじさんが乗り込み、タクシーは行ってしまった。
引っ込みがつかないしゃくれは、「うるせえんだよ、ババア!!」と、今度はオバハンに因縁をつけはじめた。

が。「うるせえじゃねーんだよ!!みんな待ってんだから早くしろよ!!次に乗りゃいいだろ!!さっさと乗れよ!!!」と、オバハンは一歩も引かない。ものすごい迫力でしゃくれをがなりたてるのである。周りの客も、「そーだよさっさとしろよ」などと加勢し始めたため、さすがのしゃくれも諦めてそそくさとタクシーに乗り込んでいった。

いやぁ。
オバハン、格好いいわ。

で、翌30日は、昼過ぎに起き、とりあえず昼飯を食べて、出かける支度。着物仲間との忘年会に出かける。
最近お気に入りの横須賀での飲みである。
二件梯子して、カラオケやって帰ってきた。
かなりゴキゲンだったので、着物ではあるが駅から歩いて帰ったのだが、途中、信号無視した車にもう少しで撥ねられそうになった。

運転手はしきりに謝るしぐさをしていたが、こんな年の瀬にひき殺されてはたまらない。
どうせ酒気帯び運転だろう。

ってことで、「オイオイオイ、何やってんだよコノヤロー!!殺す気か!!!」と、思いっきり睨みながら言ってみた。

とりあえず、そんな危機も乗り越え、なんとかうちに帰って鏡を見ると、簪でまとめてた髪が落ちて幽霊のようになっていた。
運転手はさぞビビッたことだろう。

で、今日も昼過ぎに起き、洗濯などしつつ、バスに乗って車を取りに行った。それから着物に着替えて、実家へ。
おかんが、「また一月になったら誕生日がきちゃうねぇ」などと、例のごとくイヤミを言い始めたのを潮に、一旦家に帰ることにした。

しかしおかんは何故ああいうイヤミを言うのだろうか。
それでこれまで家族中がブチ切れてきたのだが、本人は一向に気にせず、「まったく冗談が通じないんだから」などと言う。
冗談とイヤミの違いがわからないというのも始末が悪い。
あの冗談が通じる国がどこかにあるのだろうか。
とーちゃんから学んだ知恵だが、おかんがそういうイヤミを言い始めたら、さっさと席を立つのが一番なのだ。

「もっとお喋りしようよ」と、帰るというアタシを引き止めるおかんに「お喋りしてもイヤミしか言わないからおもしろくない。22時頃またくるわ」と、お仕置きの一言を残して一旦帰宅。格闘技を楽しんだ。

で、22時半頃実家に行き、23時45分頃、ここ数年恒例となっている日枝神社におかんと出かけて、そこで年越しを迎えた。

そんな風にして、2006年は終わったのである。
アッという間の一年だったが、振り返れば実に色んなことがあった。最後は、悲しいこともあったけど、家族が健康で無事でいられたことに感謝しよう。と思う。

おみくじは大吉だったが、相変わらず「待ち人」は「来るが遅し」であった。もう何年も「来るが遅し」である。
遅いって、どんだけ遅いんだよ!!と突っ込み入れたくなってしまうが、「来るが」のところだけにひたすら望みを繋げよう。と思うのである。
2007年は良い年でありますように。

写真は、30日の着物飲み会のコーディネートと、本日のコーディネート。日枝神社のお御輿の前で。

2006/12/28(木) 勝訴
人ごみの中をダーッと走ってきて、力一杯「勝訴」と書かれた紙を広げて見せるあの役を、一度でいいからやってみたい。と、ふいに思った。

で、不思議に思ったんだけど、あの役ってどういう人がやってるんだろうか。支援者かな。
そして、あの「勝訴」っていうのは、誰がいつ、どこで書いているんだろうか。あらかじめ、「勝訴」と「敗訴」もしくは「有罪」「無罪」と書いた紙を、それぞれ用意しておくんだろうか。
そしてあれを書く専門の人が裁判所にいるんだろうか。
などなど、次々謎が浮かんできた。

で、今夜も眠れない。

写真は、今日会社の仲間と行ってきた、横浜の一鶴というお店のひなどりと鴨トロ。美味かった!
明日はいよいよ仕事納めである。

2006/12/25(月) J.B
逝っちゃったなぁ〜。
星条旗のマント羽織って飛んでっちゃったのかなぁ。
何度も棺から出てきて、その度にマント着せられてまた入ってったりして。

それにしてもあれ、地毛だったんだろうか。
ゲロッパ。

2006/12/24(日) べりべりメリークリスマス
で、結局。
アタシは宣言通り、イヴイヴもイヴも、昼過ぎに起きて、いつまでもパジャマのままでグウタラし、年賀状作成などをして、引きこもって過ごしたのだった。

せめて、ケーキぐらいは食ってやろうと、おかんに、ケーキは買って行く。と伝えたのだが、おかんから電話があり、親戚のおじさんが、あんころもちを持ってきてくれたので、ケーキはいらないんじゃないか。という。

違うべ。かーちゃんよ。
あんころ餅には、クリスマスケーキの代わりは勤まらんべ。
甘いものがあれば別の甘いものはいらないとか、そういうことではない。

で、そのように力説したところ、「あら、そう。アンタのクリスマスなんか、むしろケーキよりあんころ餅ぐらいがお似合いかと思って。」ときたもんだ。

・・・・オイ。

いい歳こいてはいるが、稀におかんに軽く殺意を抱くことがある。それは例えばこういう時である。
本人はジョークのつもりらしいのだが、言っていいことと悪いことの区別がつかない。あれを外でもやってるとしたら、どんだけ敵作ってんだ、この人は。と、思う次第である。

ムカついたので、話してる途中で電話をガチャ切りしてやったが、確かに、ケーキよりあんころ餅の方がお似合いかもしれぬ。
でも言うことないじゃん!!!充分わかってんだからさ!!!

むしろ、浴びる程日本酒でも飲みたい気分。

が。
実家で、おかんと二人、チキンとシチューとケーキとあんころ餅などをたらふく食っていると、まーこれはこれでシアワセに違いないさ。と思えてくるのである。

人は、生かされている。
それがキリストなのか仏陀なのか何なのかよくわからんけど、とにかく、何かの意思で生かされているのである。
今日、こうして、なんだかんだ言いながら、たらふくご飯が食べられたこと。おかんは憎まれ口をきく程元気であり、おとんは忘年会で梯子するほど元気である。
それでよし、とするべきだろう。と、しみじみ思う、そんな聖なる夜であった。

2006/12/20(水) うり坊
年賀状を作ろうと、イノシシの研究をしていたら、うり坊の写真に釘付けになってしまった。
うり坊、かわいいなぁ〜〜〜。なんてかわいいんだろ。
大人にならないなら、絶対飼っちゃうんだけどなぁ〜。
それにしても、うり坊って、誰がつけたんだろうか。天才だ。

2006/12/19(火) クリスマス〜
HDD がクラッシュし、作ったflash が全部ぶっ飛んで、辛うじてサーバーにUP してあったムービーファイルは手元に残ったのもつかの間、グリーティングカード配信サービスのぐりぐりあっとびーちは知らないうちになくなっているという、ダブルパンチに見舞われて、すっかりやる気を無くしたアタシは、グリーティングカードのコーナーを放置したまま見て見ぬふりをしてきたのだが、一応、クリスマスコーナー中心にやってるよという看板をぶら下げている以上、それじゃ詐欺だろうということで、気を取り直してとりあえず閲覧だけはできるようにした。

ついでにトップページもクリスマス仕様に変更し、すっかりクリスマスらしく可愛く賑やかになったのだが、自分的には、「じゃかーしいわい!!」と、自分で自分のホームページに突っ込み入れたい気持ちでいっぱいである。

この時期、どこ歩いてもジングルベル。
店だけならまだしも、年々イルミネバカ一家も増すばかり。
うちの中に仏壇飾ってるくせに、外側はイルミネーションか!!と突っ込みたいところだが、今やそんな突っ込み入れる方がナンセンスという時代である。

こんな偏屈爺みたいなことを言っているが、それは負けパー組だからに他ならない。

あ〜あ。クリスマスを楽しみにしていた頃に戻りてぇなあ。

2006/12/17(日) そうなのだ。
生きるの、死ぬの、などというのは、理屈じゃないのだ。
神様が決めたことに、ワシらはただ従うしかないのである。

その理由などというのは、あくまでも後からつける理屈に過ぎない。

だからただ、ひたすらに生きて、死ぬまで生きるのみ。
その間に、笑って、泣いて、怒って、失敗し、つまずき、爆発し、飯食って、寝て、うんちして、そんなことをただただひたすら繰り返すのみなのだ。

死んだ子のことで、くよくよするのやーめた。
ただ、当たり前のことの大切さを、気付かせてくれたことに感謝しよう。

さようなら。どうぞ、安らかに。

2006/12/16(土) で、早速きた。
笑える日は早速やってきたのだった。

今日は、着物仲間とはとバスの牛なべ&ニーハーフショーに行ってきた。
そんな気分じゃないなぁと思いつつも、自分で立てた計画であるし、予約キャンセルなどはできない。
なんとなく重い気分で行ったのだが、牛なべは相変わらず旨かった。そして、ニューハーフショーで、一気に陰鬱な気分も吹き飛んでしまった。

すべて忘れて、大爆笑してしまったのである。
さすが、プロ。三蔵さんに感謝。

我々は、三蔵さんに「チーム・おてもやん」と命名された。
おてもやんて(笑)。

悲しいときでも、腹は減り、旨いもんを食えば旨いと思い、面白ければ、爆笑する。
生きてるって、そういうことで、人の死が教えてくれることは、そういう、当たり前なことの大切さだったりするのである。

写真は、先日届いたコート、今日のコーディネート、三蔵さんとチーム・おてもやん。

2006/12/15(金)
忘年会から一週間。
今日は、仕事が終わってから会社の仲間三人で飲みに行った。

職場では一週間、何ごとも無かったように過ごしてきたのだが、みんな、やっぱり心の中では常に考え続けてきたに違いない。
とても一人じゃ抱え切れん。という気持ちがあったのかもしれない。で、行きますか。ということになった。

結局、最後までその話は触れずじまいだったが、いよいよ店を出なくちゃならないというところで、その話が始まった。
やはり、みんな常に考えているという。そりゃ、そうだ。

昨日、忘年会のときの写真が出来たといって見せられた。
ニッコリと楽しそうに笑う奴の最後の姿が写っていた。
言葉が出なかったが、なんとなく、ホッとしたのも本当である。

ああ、そうか。楽しんでたんだよな。と。

どのような形にせよ、あれが奴の寿命だったのだとしたら
その最後の日を、楽しく過ごせたのなら、それはそれで良かったのかもしれないな。と。

だが、そう考える一方で、いや。やはりそれはエゴなのではないか。自分を楽にするために、そんな風に思おうとしているだけでないのか。痛かったに違いない。苦しかったに違いない。怖かっただろう。悲しかっただろう。もっと生きたかっただろう。死にたくなんか、なかっただろう。死ぬ前のひととき、楽しく過ごしたからといって、それが何の慰めになろうか。

いや、でも。。。。

そんなことをグルグル考えてしまう。

本気で笑えるようになる日は来るのかな。

いつか、来るよな。

2006/12/12(火) 奇妙な種子。
こう考えた。

奴は、我々の心に、奇妙な種子を撒いていった。
どう咲かせようと、アンタら次第だよ、と言って。

頭にくるので、アタシは、でっかくて綺麗な花を咲かせて
オマエに見せてやる。と、思っている。

それが、奴の遺したものだと考える。

それは、生きている者のエゴかもしれない。
だが、何故死んだか考えたところで答えは出ないのだ。

エゴで結構。エゴで何が悪い。
死んだ人に聞くことはできないのだ。勝手に理由をつけるしかない。そうして自分を、周りを、魂を慰めるしかないじゃないか。

無駄死になんかじゃないと思うことは、実際、死んだ人を慰めることではなく、生きている自分を慰めることなのだ。

が、自分を責めても、慰めても、どっちみち亡くなった人は救われないのであれば、せめて、自分を慰めてやろうというのが、せいぜい、生きてる者ができることじゃないのか。と、思うのだ。

12月絵日記の続き


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