独りごちる。
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2006/03/27(月) 作らせろ
作らせろ、アタシに、帯を。
会社にいる時間が勿体無くてしょうがない。
残業時間が勿体無くてしょうがない。
作らせろ。頼む。

2006/03/26(日) ついに帯。
手作り熱も高じる一方で、ついに半幅帯を完成させた。しかも2本。やってみると案外出来ちゃうもんで、予想以上に上手くいっちゃったのである。
芯をどうしようかというのが課題だったが、今日地元の手芸屋に行ってみて、色々吟味するうちに、キャラコという生地が丁度良いのではないかという結論に至り、それを使ってみたところ、既製品とほとんど変わらない堅さに仕上がった。締めてみたが問題なく締められたので、これは成功と言って良いだろう。

写真は完成品。
昨日仕立て上がってきた木綿の着物の余り布に合わせて撮影してみた。
左からリバーシブルの半幅帯2本分と、右はマリーちゃん帯(要するに昼夜帯だがなぜマリーちゃんなのかわからない。本にそう書いてあったのだ)。

今日も燃え尽きた。

2006/03/25(土) 買出し
昼近くに起きたので、どうしようかと思ったが、思い切って再び日暮里まで出かけて行った。
今日は、洋服だし、でかいバッグも持ったので、存分に買出しが出来た。
繊維問屋街の桜並木も、先日はまだ蕾だったが、今日はかなり咲いていて、3〜5分咲きといったところ。天気もよく、花見もできて楽しかった。
着物の仲間と、2回日暮里に行ったが、その度に、あの駄菓子屋横丁はどの辺りにあったのだろうとキョロキョロ探していた。
どうも、駅前の大規模な工事をやっている辺りがそうなのではないかという気がしていたが、いまいちよくわからなかった。

今回は1人だし、久しぶりに駄菓子屋横丁に行ってみようと思い、昨夜ネットで検索してみて、ようやくその所在が明らかになった。場所は、やはり駅前の工事現場だった。開発のため、2004年に解体されたという。駄菓子屋横丁は、もう無かった。

専門学校のとき、日暮里に駄菓子屋がズラッと並んだところがあると、どこからか情報を得て、安斉ちゃんという友達と2人で行ってみた。それが、日暮里に行った最初である。
昭和初期の風景がそこにあった。そして駄菓子を、今で言う「大人買い」したのである。日暮里に行ったら、絶対もう一度あの駄菓子屋横丁に行きたいと思っていたのだが、2年遅かった。

駄菓子屋は新しくできるビルの中に入るという。
「ふ〜ん。」という感じである。
昔ながらの駄菓子屋は、もうこの辺りではお目にかかれなくなった。それでも日暮里にはあると思っていたのに、ビルの中では意味がない。ジジぐさいことを言うようだが、昭和はこういう風にして消えていくのか。と思ってしまう。
開発も結構だが、一体どれだけ開発すれば気が済むのか。街の名物をつぶしてまで、開発する意味があるのか。
と、騒いでみてもあとの祭だ。2年遅かったのだ。
どうも今年は同級生との偶然の再会といい、みかん電車の引退といい、おセンチにさせられるシーンが多い。

が、今日、ゆかた屋さんに注文しておいた木綿の着物が仕立て上がってきたので、多少おセンチからは解消された。シンプルな着物なので、帯によって色々表情を変えられそうだ。
今日大量仕入れした生地で、半幅をたくさん作ろう。あー休みが欲しい。365日ぐらい。

2006/03/24(金)
なんだろうか。すべてが空虚だ。物を作ってるとき以外は。
なんとなく、仕事は遣り切った感があり、引き際というものを考えれば、今を置いて他にはないという気がする。
ただ、次にどうするかが決まらない。
人との会話も億劫だ。中途半端な話題なら、無い方がマシと考えてしまう。本当は、語りたいのだ。私は、猛烈に。
だが、相手がいない。深く語りたいのだが、深く語ろうとすると、ほとんどの人は退いてしまうか、アポーンとなってしまうのである。
寝るのも忘れるぐらい、語り捲りたい。マシンガンで撃ち合うみたいに。
それができる唯一の相手は、遠すぎて、残念ながらアタシの声は届かないみたいだ。

2006/03/22(水) だから役人はバカなのだ
「小坂憲次文部科学相は22日の閣僚懇談会で、野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で初代王者に輝いた日本代表の王貞治監督やコーチ、選手にスポーツ功労者顕彰を贈ることを検討していることを明らかにした。またイチロー選手への国民栄誉賞授与をあらためて検討すべきだとの考えを示した。
 小泉純一郎首相は閣僚懇談会で「21日は野球一色だった」と日本代表の活躍をたたえ、杉浦正健法相は「文化勲章と同格のスポーツ勲章を制定してもいいのではないか」と提案した。
 小坂文科相は「スポーツ功労者顕彰を贈ることを検討している」と表明。イチロー選手に関し「(過去に)2回、国民栄誉賞を辞退しているが、今回くらいは受けていただけるのではないか」と述べた。」
以上、共同通信より。

バカか。何度蹴られたら気が済むのか。今回、この時だからこそ、イチローは蹴るに違いないということが、まだわからんのか。なんでも賞をやればいいというものではない。むしろ、賞なんてやったがために台無しになるものもあるのだ。
今回、小泉さんは賢明だったと思う。
小坂とやらよ、「賞をやってはどうか」なんて、偉そうに言ってんじゃねーよ、バカ。今回のイチローを見ててわからんかなぁ。賞欲しさにやってたんじゃないだろうよ。まったくガッカリする提案だよ。

どうしてもっていうんなら、王さんに2度めの国民栄誉賞を捧げるべきだろう。

2006/03/21(火) 世界一、再び
やった。
野球でこんなに興奮したのは久しぶりである。
そして最初から最後までじっくり見たのも久しぶりだ。
はじめの頃そんなに興味がなかったのだが、ボブの不正のあたりから、俄然盛り上がった。終わってみれば、結局全部ボブが今回のドラマを作ってしまったような気がしてならない。
ボブのインチキ判定に対する怒りが、メキシコを勝たせ、日本を勝たせたのではないか。理不尽なことに対する人の怒りのエネルギーは凄まじいのである。
それにしても。
王さん、ホントに良かった。ホームランで世界一。監督で世界一。苦労してきた甲斐があったよねぇぇ(T_T)
いずれの世界一の瞬間もリアルタイムで見れるなんて、すごいラッキーだ。泣きましたよ、アタシゃ。ホームランのときも、今回もね。王さん、ありがとう(T_T)
そしてイチロー、サムライだよ、あんた。
今頃ボツボツは出とけばよかったと、後悔してることだろう。
今夜はいい夢がみれそうである。

2006/03/19(日) 日暮里、墓参り、そして王さん万歳
昨日は、着物仲間と再び日暮里に行ってきた。
先日学習したので、今回は千駄木で待ち合わせ、谷中ぎんざを通って、日暮里に向かい、生地の買出しをして帰途に着くという前回とは逆コースにした。なぜならバカみたいに大荷物になるからである。そして、予想通りバカみたいに大荷物になった。
前回、なぜか見つけることができなかった谷中カフェだが、今回はアッサリ見つかった。しかも、前回探し回ってウロウロしていたときに、目の前を何往復もしていたことが判明した。なんで見つからなかったんだか不思議である。
それにしても、日暮里TOMATO の生地の安さにはビックリだ。地元の手芸屋で1800/mの生地が、100円/mだったのには唖然となった。今回は、半幅帯を作るための生地を探していたので、4m必要だった。厚手の生地2種類をそれぞれ4m、薄手の生地×1を4m、他に、なんとなく気に入った生地2種類×1m。まるで米俵をぶら下げて歩いているような重さになった。次回はガラガラ付バッグででもいかないと、無理と悟る。

そして今日は彼岸とのことで、おかんの命でお墓参りに行ってきた。彼岸だからなんだろうか、昨日、ノエルが夢に出てきた。多分挨拶にやってきたんだろう。
出かけるときは晴れていたが、その後、お昼を食べたり、おかんに頼まれてオリンピックに行ったりしているうちに、どんどん雲行きが怪しくなり、帰るときにはパラパラ雨が降ってきた。終いには雷も鳴り出す始末。春の天気はわけわからん。

家に帰りテレビをつけると、WBCが盛り上がってるところだった。
うぉおおおと思いながら久々に野球で興奮する。
王さん、勝って良かった!!ホントに良かったねぇぇ(T_T)
そして、イチロー。サムライだよ、あんた(T_T)
キューバ戦も頑張って、王さんを監督でも世界一にしてやってくれ!!

そして写真は左から、千駄木のいせ辰で買った猫村さん風のてぬぐい、谷中カフェのランチ、夕焼けだんだん、昨日のコーディネートである。

2006/03/17(金) みかんよサラバ。
いつからだったか忘れてしまったが、とにかく随分前から、会社のコと餃子を食いに行こう。と約束をしていながら、何故かその日になると送別会だの歓迎会だの、研修だのが入り、ことごとく潰れていた。そして今日、ようやく食べに行ったのだ。
たらふく食べた後、電車を待っていると、カメラ小僧が三脚を立ててカメラを構えていた。
もうすぐ東海道線のオレンジとグリーンのみかん色電車が引退するそうなので、最近、よくこのようなカメラ小僧を見かけるようになった。折角だからアタシも撮っておくか。などと思いながら、お姉ちゃんに「撮ろうかな」とメールしているうちに、電車がやってきた。
ちょっと前から、「ありがとう 113系」というプレートがつけられているが、何やらそれを見ると、感慨深くなる。
電車に乗り込むと、遅い時間の割に何故か混んでいた。「この車輌ももうすぐ見納めなのかぁ」などと思いつつ、良く見ておこうとキョロキョロ見回した。駅に着き、降りる直前でお姉ちゃんからの返事を読むと、「今日で最後らしいから、是非撮っておけ」と。「なんと!!今日で最後だったのか!!」と慌てる私。
皆、知っているらしく、降りるなり、パチパチと写真を撮りだした。当然、カメラ小僧もいるが、普通のおねえさんなども携帯で撮っている。こりゃ乗り遅れちゃいかんと、私もなんとか一枚撮った。
フラッシュを浴びながら、みかんは行った。
そして、お姉ちゃんからのその後のメールにより、実はその電車が、本当に最後のみかん車輌だったらしいことを知る。
ラッキーなことに、餃子を食べたおかげで、最後のみかん電車に偶然乗り合わせたのである。

そうか、最後だったのか。と、思っていると、何やら色んな思い出が蘇り、計らずもおセンチになってしまった。
子供の頃、毎年夏になると熱海に家族旅行に行ったのだが、その時は必ず冷凍みかんを買って食べたものである。それが、子供時代には最高の楽しみで最高の贅沢だったのだ。
そして大人になってから、大荷物を持って毎日渋谷の学校に通った。社会人になってからは、神田に通い、そして新橋にも通った。みかんはアタシの夢を乗せて走ったこともあり、挫折を乗せて走ったこともあり、絶望を乗せて走ったこともあるのだ。
駆け込み乗車しようとしてすっ転び、目の前で無常にもドアが締まったときに、「会社を辞めよう。」と決意したっけ。
色々あったよなぁ〜(T_T)

色んな古いものが無くなり、新しく恰好いいものに変わっていくのは、若い頃はワクワクしたものだが、最近は、寂しいという気持ちが先に立つ。年取ったんだなぁ。

みかん電車よ。長い間、お疲れ様。
アリガトね。

2006/03/16(木) ようやく
モチーフ編みの鞄ができあがった。
親指が痛い。

2006/03/13(月) 人の老い見て我が老い気付く
またしても人身事故とかで、帰りの電車のダイヤが大いに乱れていた。すぐに電車は来たものの、ちょっと走っては停止。ちょっと走っては停止。目の前に到着駅が見えているにも関わらず、暫く車内に閉じ込められた。
この間に、出口に近い車両まで移動した。ようやく電車が動き、駅に到着。ドア付近に立つと、目の前に座ってる男がなんだか手招きしている。「なんだこいつは」と思ってそいつを見た。
知らないおっさんだったが、不思議なことがおきた。
なんというか、3DCG みたいに、一枚、二枚とその顔の皮が剥げていき、ようやくそこに、中学の時の同級生の男の子の顔が現れた。「おおーーーーーっっ!!!おまえかぁああああああああ」という感じである。気付くのに数秒かかったのである。思わず、「オッサンになったなぁああ」という言葉が口を突いて出そうになったが、寸前のところで止めた。そりゃお互い様に違いないからである。
いや、それにしてもオッサンになった。
実は高校も同じだったのだが、そいつについては、中学の時の印象が強い。彼は、クラスに1人はいる、成長の遅い子だったのだ。
中二の時同じクラスで、席が隣だったのだが、可愛い顔をして1人だけまだほんの子供みたいな感じだった。そのため、私の恰好の餌食となっていたのだ。ガキくさいくせに、クソ生意気なことを言うので、とにかくからかいまくり、いじめまくった。授業中、つかみ合いの喧嘩をし、先生に大目玉を食らったこともある。私にしてみれば、弟みたいな感じだったのだ。
ところが高校になってから、急成長をした。バカみたいに背が伸びて、なんかヒョロヒョロで気持ち悪い奴になった。
そのあいつが、いきなりオッサンだ。
10代から突然25年後にタイムスリップしたような感じだった。
自分のことは思いっきり棚に上げてしまうが、自分の目に入るものがそれだったのだから仕方がない。
わけもわからず貰った名刺には、「課長」と書かれていた。
それもまた変な感じだった。課長という中途半端さが、いかにも彼らしいといえば彼らしいのだが。

それにしても。
同級生に会うことなどは、滅多にないが、このタイムスリップのような経験は実に貴重であった。

いや〜、しかし。
オッサンになったなぁぁああ、オガミよ。

3月絵日記の続き


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