独りごちる。
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2006/03/11(土) 曽我の梅林
今日、明日は出かける予定はなかったが、気持ちよく晴れた上に、めずらしく休日に早起きしたので、おかんを誘って曽我の梅林に行ってきた。
一部はもう散っていたが、まだまだ満開の梅がたくさんあった。
特に枝垂れ梅がお見事。ところどころでレジャーシートを敷き、お弁当を食べている人がいた。来年は絶対弁当持参で来ようと決める。
その後、ロビンソンでガーリックねぎライス、しゃきしゃき大根サラダ、はちみつトーストをパクついて帰ってきた。気持ちいい休日だった。

おかんが、マフラーを編んでくれた。おかんはずっと働いてきたので、記憶がないぐらいにほんの小さな子供の頃以来、何かを手作りしてもらったということがない。今は退職してのんびりしているので、時間がある。そして私のミシン、編物狂いに影響され、何十年ぶりかで編物を始めたのだった。
私の熱中症は、おかん譲りだ。マフラーは2日で編み上げたという。嬉しかった。

2006/03/07(火) バカ女見参
ようやく仕事を終え、うんざりしながら帰途につき、特に目的もなくセブンイレブンに入ってみると、レジでガングロ姉ちゃんが何やらわめいている。
「どーしてくれんだよ!!弁償しろよ!!ちょっとー店長いないの!?店長出せよ!!こっちは仕事中なんだよ!!時間ねーんだよ!!」と、まるで交尾を中断された虎である。
ガミガミと食いつかれているバイトの青年は、ただ黙って耐えるばかり。「なんだよそのツラは!!こっちはこの時間も時給引かれてんだよ!!バイト代も弁償しろよ!!ちょっとー!!店長まだなのかよ?!」と、猛烈な勢いだ。
そのうちに、店長と思しきおじさんがやってきた。
「こいつが商品入れ忘れたんだよ!!どーしてくれんだよ!!!弁償しろよ!!テメー入れ忘れてんじゃねーよ!ちゃんと仕事しろよ!!こんな奴クビにしろよ!!!」と、カウンターをガンガン叩きながら大声張り上げエライ剣幕である。で、カウンターを叩いている間に爪が折れたらしく「バイト代弁償しろよ!!爪も弁償しろ!!」と、とんでもない要求までし始めた。

誠に不愉快極まりない。
髪の毛を引っつかんで、店中グルグル引きずり回した挙句「じゃーテメーはぜっっっったいに失敗したことはないんだな??今後も失敗しないんだな????」と、言ってやりたかった。あるいは、もし金を余るほど持ってたら、「オイ、ねーちゃん!!」と言い、その汚い黒いツラに札束を投げつけて「失せな。」と言ってやりたかった。

が、しかし。
自分を含めそこにいた人々は、ただただクソ女を白い目で見ながら事の成り行きを見守るばかり。どいつもこいつもそして私も、所詮小市民である。

つい最近まで尻に蒙古斑をつけてたようなハナタレ小僧を、あそこまでのさばらせていていいものか。いや、良くはない。半殺しの目に合わせてやるべきである。なのに、私はいたたまれず途中で出てきてしまい、更には暫くしてから再度様子を見に行ったのだ。サイテー。

写真は我が家のベランダから見える風景。
目の前は梅畑なのである。そしてこれは夕方ではなく朝日だ。

2006/03/06(月) 眠い。とにかく眠い。
春眠暁を覚えず。などと言うが、私の場合は春夏秋冬眠、暁を覚えることがない。以前から薄々感づいてはいたのだが、これは間違いなく睡眠障害である。夜、ちゃんと熟睡できていない感がある。明日、ガイアの夜明けで睡眠障害についてやるそうなので、ここはひとつじっくり見させてもらおうか。と思う。昼間寝て夜仕事したい。

写真は昨日作って今日お姉ちゃんにあげたリスバッグである。

2006/03/05(日) 釜飯、竹、洋館とアタシ。
懐かしく、やがて悲しき古都の旅。

いきなり何を言い出すかという感じだが、昨日、鎌倉へ行っての感想である。
昨日は着物仲間兼仕事仲間と共に、鎌倉に行ってきた。
久しぶりに気持ちよく晴れた日だった。こんな日は、アホみたいに人が繰り出すに違いなく、混雑覚悟で出かけたものの、何故か江ノ電は空いていた。久しぶりに報国寺に行くことにしたのだが、バスもアッサリ座れた。昔、おかんと感動した多可邑の釜飯が再び食べたくて、前日、あの店はまだあるのかとネットで調べたところ、無事、生きていたので、早速いくことにした。ここもまた混んでるだろうと思いきや、すんなり座れた。多可邑の釜飯を初めて食べたとき、これまで食べていた釜飯が全て色褪せてしまう程旨いと感じたものだが、うれしいことにその味に衰えはなく、空きっ腹に響く旨さであった。
そして報国寺へ。ここもまた、不思議な程人がいない。竹の庭をながめながら、お抹茶などを戴いて、清々しい時を過ごした。
その後、瑞泉寺まで歩こうかと、テクテク歩き出したのだが、折角なんで浄妙寺にも寄ってくか。ということになった。

この浄妙寺、直接寄ったことはないのだが、思い出深い場所である。かれこれ20年近くも前のこと、就職口を必死に探していた私は、とらばーゆでとある噴水会社の求人を目にする。当時、深い意味はないが、鎌倉で働きたいと思っていた私は、大好きな報国寺近くのその求人に飛びついた。

面接の日、会社がどこにあるのかさっぱりわからず、浄妙寺バス停前の薬局に入り、おじさんに道を尋ねた。「この裏の方に原節子さんの家があるんだよ。原節子さんて知ってる??」などと、いらんことを語るおじさんを置いて、教わるまま浄妙寺の脇道に入り、坂道を登り始めた。途中、鉄製の大きな門があり、まだまだその先も坂が続く。どうもその門が会社の門らしいのだが、一体どんだけ敷地があるんだよと思うほど、一向に建物が見えない。
いい加減登ったところで、いきなり大きな洋館が現れた。
こんな山の上に洋館があるとは思ってもみなかったので、なんだか狐につままれたような気分であった。
恐る恐る玄関に入ると、そこは間違いなく面接を受ける会社だった。洋館の中に入ると、両側に部屋があり、そこで何人かの人達が図面を引いていた。皆一言も喋らず、一種異様な雰囲気が漂っている。一番奥の部屋に通され、モスグリーンのアンティークのソファーに座らされた。一体全体この会社は何なのだ????と、頭が「?」だらけになっていたが、有無も言わさず、一般常識の試験を受けさせられた。
半端じゃなく年代モノのソファーに座り、必死に問題を解いていると、何やら視線を感じる。ハッとして目を上げると、そこには白髪の老婆が。。。。あれほどビビッたことはない。「でちゃったよオイ」という感じである。思わず半腰浮いてしまったぐらいビビッたのである。
後で、その老婆が会長であると知らされたが、そういうことは先に言ってくれ。と思ってしまう。
面接も謎だった。私のやる仕事は何かとたずねると、「噴水がピュッと飛び出るその瞬間のイラストを描くこと」と言われた。「ハァ????」という感じだが、当時なんとかしてデザイン業界に食らい着いていたいと思っていた私としては、「なるほど〜」と答えるしかなかった。
面接が終り、「?????」で頭が一杯のまま、館を出た。もし合格したら、あんな洋館に毎日通うことになるのか。なんだかすごいぞ!!と思いながらも、行きに必死で登った坂道を下りながら「ちょっと待て。これ、毎日上り降りするのか???そして、噴水がピュッと出た瞬間を描くのか??っていうか、描けるのか?そんなものが。しかも、あんな暗い連中と、うまくやっていけるのか??」などと思っていたら、一気に気持ちが萎えてしまった。
結局、確か翌日には、合格の知らせが来たのだが、どうにも決心がつかず、断ってしまった。

後々まで、あの洋館のことは不思議な思い出として残っており、たまに、もしかしたらあれは夢だったのではなどと思ったりすることもあったのだが、もう一度行って確認するというわけにもいかず、仕方ないので謎の思い出として残しておいたのである。

が。思いがけないことが起きた。

浄妙寺に行くと、受付のオバサンが「裏の方に石窯ガーデンというのができたから、是非見てください。」という。「大正時代に建てられた古い洋館」だと。一瞬、「え。まさか。」と思ったが、そのまさかが当たってしまった。
言われるまま行ってみると、途中から見たことのあるあの風景が。そして、目の前に現れた洋館は、随分綺麗になっていたが、あの噴水屋の洋館に間違いなかったのである。

ここで一気に20年分タイムトリップした。嬉しいような、信じられないような、複雑な気持ちになった。なんだがわけもわからず1人でわーわー騒いでしまったのである。

そんなこんなで興奮冷めやらず一日が終わったのだが、かえってきて早速ネットで調べてみると、やはり、以前は噴水業者の持ち物だったというところまではわかったのだが、その噴水業者が一体今どこに行ってしまったかというところまでは、確認することができなかった。

私が知りたいのは、あのあと、一体あの会社はどうなって、そして今あるのかないのか。あるならばどこにあるのか。ということである。なれど、わからず仕舞い。ええい、ここまでアタシを引き戻しておいて、その先はおあずけかーーーっっ!!と、地団駄踏みたい気持ちだが、もしかしたら、また今回みたいに、何年後からその消息が知れるということもあるかもしれないので、まあ今回はよしとしておこう。

それにしても。。。。
2度と行かれないと思っていたところにアッサリ行かれるようになってしまったあたり、時の流れを感じずにはいられない。
なんとなく、色々考えさせられる一日だったのである。

2006/03/02(木) 有り得ないけど有り得ること
仕事中突然訃報が飛び込んできた。
以前、同じ会社にいた女の子が亡くなったという。
あまり面識はなかったが、ある期間同じ社内で毎日顔を合わせていた子である。社内の男の子と結ばれ、結婚して一児をもうけた。今は、2人目を妊娠中だった。突然倒れ、そのまま還らぬ人に。元気な印象しかないので、全く信じられない話しだった。
実際、それまで全然元気だったという。本当に、突然その瞬間がやってきたという感じなのだろう。恐らく一番幸せなときで、そんなことって有り得ないと思う。でも、有り得ることなのだ。
今夜寝て、明日の朝また目覚めるのが当たり前と思っているが、考えてみれば何の保証もないのだ。明日も間違いなくこの心臓が脈打っていると、誰が保証してくれるというのか。そんな保証はどこにもない。
日々過ごしていると、すぐに忘れてしまうが、身近な若い人が亡くなる度に、今を大切にしなくてはと思い知らされる。

今はただ、冥福を祈りたい。

2006/03/01(水) こんなものをみつけた。
スキー、スノボーにバナナはいかが。


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