独りごちる。
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2011/03/17(木) たまご。
昨日に続き、本日も自宅待機ということで仕事は休み。
今朝は起きるなり停電。そして夕方から夜にかけて2度目の
停電が予定されている。

停電明けに、とりあえず野菜の煮込みスープを作り
夕飯の買出しと、お蕎麦屋さんに昼食を食べに相方と出かけた。

スーパーは比較的混んではいたが
15日の大行列に比べればまだ全然マシであった。
電気が使えなくても大丈夫なようにと、本日の夕飯は鍋に決定。

鍋の場合、お酒を飲みつつ、ということになるので
ご飯を炊く必要がない。
今や、米、卵、牛乳、ガソリンは絶望的に入手困難なので
無くても良い方法を考えるしかないのである。

ということで、買出し&お昼もチャリで出かけたのだが
荷物が多くなってしまったので、一旦荷物だけ置いて
再びチャリで出発。

張り切って出かけたのは良いのだが
なんせ、今住んでるところは急な傾斜から長く緩やかな傾斜まで
周り中、坂だらけである。

出発するなり「ひーっ」と言いながら自転車をひっぱって昇る羽目になった。

お蕎麦屋さんに行くまで、何度も「ウヒー」という思いをし
着いたときにはヘトヘトだったが、お蕎麦は美味しかった。

で、ちょっと元気になったのはいいが、相方はそのまま帰ろうとしない。
どこに行くのかわからないままノロノロついていった。

途中、スーパーがあったので、相方が、寄ろう、という。
寄ってみると、案外、そこには色んな食材が揃っていた。
卵も米も無かったが、小さな牛乳パックは山積みされていた。
なんだか、久しぶりに棚が一杯のスーパーを見たら
ちょっとホッとして、テンションが上がった。

スーパーを出てから、相方はすぐに自転車には乗らずに
ブラブラと歩きながら周りにある小さな商店を除いたりし始めた。

一緒にくっついていき、昔からやってそうな、古い八百屋さんなどを見て回った。
そのうちの一件で、「野菜、安いなー」などと見ながら相方を探すと、棚の前でニコニコしながら立っている。
なんと、その棚には、卵が。

「おおっ!!!卵!!!」
もう、当分は買えない、と諦めていた卵が
並んでいるではないか。

明日は仕事と決まったが、社食は休業なので明日も手弁当である。
弁当のおかずとして、卵の存在は、かなりでかい。
有ると無いとでは、大違いである。
仕方ないのでほかのもので埋めようと思っていたのだが
思いがけず、卵、登場。
早速、買って、大事に大事に自転車の籠に入れた。

その後は何だか卵を温める親鳥のような気持ちで
そーっとそーっと、大切に大切に家まで運ばなくちゃと
神経を使ったのだが、相方はまだ帰ろうとしない。

そのまま帰れば今度はらくらく下り坂のはずだったのだが
「ちょっと過酷な路を通ろう」という。

そうして大事な卵を抱えたまま
更に厳しい昇り坂を何度か越えて、ヘロヘロになりつつも
ようやく家の近くまで辿り着いたとき、信号が消えていた。
二度目の停電開始である。

えーーっ。こんなにヘロヘロの上、エレベーター止まってるのか〜。
と、思ったが、なぜかマンションの周囲だけは電気がついていた。ごく一部のみの停電らしい。
そんなわけで無事エレベーターでようやく家へ。

早速卵を見てみると、
割れている!!!!!

あんなに大事に運んだつもりだったのに、やはり自転車の籠で
ガタガタ揺れたせいか、1個は完全に割れてしまっていた。
それから3個はヒビが入っていた。

あーーーーっ。なんてことなんだ!!勿体ない!!
貴重な卵をーーーーーーーっ
・・・と、思いながら、同時に、生涯でこれほどまでに
卵を貴重で有難いものと感じることは無かったよなぁ
などと、しみじみ思ったりした。

ヒビが入った卵は、早速お弁当用の玉子焼きと、相方のリクエストでオムレツにした。

食卓に出したら、相方がふざけてケチャップでハートを描いた。
「なんだオマエはー」などと笑いながら、面白いので写真に納めたのである。
が、思いがけず、久しぶりにGET できた有難い貴重な卵により
なんだか幸せな気持ちになれたのである。

これも生きていてこそ感じられる想い。この災いで、生き残れたことを有難く思い、日々の小さな幸せを噛み締めながら生きていくのだ、オレは。

写真は割れた卵で作ったオムレツと本日の2度目の停電時の街の様子。手前部分は電気がついているが、向こうの方は暗くなっている。

2011/03/15(火) 無計画停電。
地震以降、振り回されっ放しである。

昨日は、朝と夜に来る、来ると言っておきつつ結局電車に影響が
出ただけで、実施せず。
何がなんだかわからんうちに仕事は14時で終了。解散となった。何せ、電車が動いていないので、人が来ない。
仕事にならない状態だったのである。

この日は社食もやっていたが、明日からは社食も休業という。
近くのショッピングモールは入場制限状態だし、パンはどこのスーパーも空っぽで何もないので、弁当持参でいくことにした。

ということで、この日は帰ってから弁当のおかずの仕込みをしたのである。

で、今日は、一応全員揃ったが、15時過ぎから開始とのことで
仕事は15時で終了となった。

が、途中、自家発電に切り替えるのでやっぱり16時まで
仕事してくれ、という。

停電が開始されたタイミングで自家発電に切り替えるが
その際、一旦電源が切れるのでパソコンの電源を落として
待機となった。

ところが、停電開始予定時刻になっても開始されず。
今、東電が停電するか検討中とのこと。
予定時刻になってから検討ってどうなのよ、と、
ブツクサ言ってるうちに、パソコンをたちあげ直す前に
16時になってしまい、結局解散へ。

ところが、解散が決定したと同時に停電開始。
信号が全く動いてない、危ない路を自転車で帰る羽目になった。

信号が一切ない状態の道路というのは恐ろしい。
帰る道すがら、まず一件の事故現場に出くわす。
続いて、また別件と思われるが
消防車と救急車、パトカーがけたたましくサイレンを鳴らして
走り去っていく場面にも出くわした。

これらのサイレンは、家についてから停電が終わるまで
ひっきりなしに聞こえていた。
恐らく停電のせいで、やれ事故だの何だのが発生したのだろう。

家に辿り着くなり、マンションの最上階まで階段で昇る。という、試練が待っていた。
さすがに昇りきったときには、息も荒くなって汗もかいていた。

暗くなるまでは、窓際で外の明かりを頼りに、相方は本を読み、アタシは通販のカタログなどを見て過ごし
暗くなってからは携帯のワンセグでニュースを見たり
外の様子を写真に撮ったりして過ごした。

外を見てみると、車の明かりと懐中電灯でチラチラ照らしている明かりしか見えない。
本当に真っ暗な世界になっていた。

19時になって、ようやく復活。
再度、外を眺め、いつもの電気がついた街に戻っているのを見て
なんだかホッとした。

やっぱ、電気って有難い。と思うのだった。

が、たまには、このように電気など一切無い状態で
静かに過ごすのも、まあ悪くはない、という気もする。
それに3時間は、案外短く感じたのだ。

何に焦って、スーパーでバカ買いしてるのかわからんが
米、パン、卵、豆腐など、根こそぎ買い漁られて、何もない。
そんなもん、今、焦って買い占めたところで、どうしようもないだろうに。

そんなに慌てなくても、こうしてみると3時間など大したことないから、騒がすじっと過ごしてみてはどうか、と、言いたくなる。
とにかく、日本中浮き足立っちゃって、落ち着きを取り戻せなくなっているような気がする。

いやはや、それにしても。
電気が一時的に無くなるだけで、こんなにも全てが
狂ってしまうとは。
全く脆いものである。

いやいや、何より全ての根源は地震だ。
原発しかり。買占めしかり。
地震に揺さぶりをかけられただけで
こんなに全てがダメダメになっていくとは。

文明に踊らされたサルが、ドン!と一突きされて、
一斉に木から落ち、キーキーと、ただ混乱して大騒ぎする様が
何となく目に浮かんでしまう、今日この頃である。

写真は、本日のお弁当、停電中につけていた蝋燭、停電中のマンションから見た街の様子と、停電終了後の様子。

2011/03/11(金) もう、ダメか。
と、思ったのだ。マジで。

仕事中だったが
「・・・やばくない?もぐったほうがよくない?」
「メッティングじゃない??こりゃーもうメッティングでしょ!!」
と、いつも足元に転がってるヘルメットを被り、机の下へ。

どんどん強くなり延々と続く揺れに
「ここで、終わるのか。」と思った。

その後も余震は続き、もはや仕事にならない状態。
ついに、解散命令が出て、センター閉鎖。

相方に電話するも、当然つながらず。
迎えに来て欲しい旨メールするが
送信はとりあえずできるものの、一向に返事なし。
仕方ないので、とりあえず歩いて帰ることにした。

会社を出るなり、聞いたこともないサイレンの音。
続いて、「大津波警報が発令されたので海沿いにいる人は直ちに避難せよ」のアナウンスが。
「飲まれるかも」という恐怖に慄きながらも、とりあえず歩くしかないと、歩きはじめた。

その背中に、浴びせかけるように、何度も何度もサイレンと
警報が。不安と恐怖にかきたてられながらも
とにかくひたすら歩く。

ショッピングモールは全て閉鎖されており、道路は渋滞。
町全体が非常にヤバい空気に包まれていた。

相方からは一向に返事がなく、迎えにきてメールが届いたのかどうかも不明なため
とりあえず、道すがら、●:●●、**通過。●:●●、***到着と、時間と場所を知らせるメールを送った。

途中、「もう、会えないのだろうか」という不安もよぎったが
暫く歩いて、ふと見ると、車の窓から手を出してブンブン振ってる人が。

相方である。

あー、もう、これで、全て良し。
と、本当に心から、ホッとした。

が。
ホッとしたのは良かったが
帰ってみると、エレベーターが停止。
我家はマンションの最上階。
ふくらはぎパンパンになりながら、階段を登り
ようやく家についたはいいが、何故かワシの部屋だけ壊滅状態で
色んなものが落ちまくり。
とんでもない乱暴者が大暴れしていった跡みたいになっているのだった。

お互いの家族の安否確認をしつつ、クソー。と思いながら片付けをし、ようやくひと段落したところで、もー、飲んじゃおう。ということになり、二人で飲み始めた。
そんな感じで恐怖の日を過ごしたのである。

ニュースで見る被害はかつてないほど甚大である。
実際、こうしている今もまた揺れ、油断がならない状態である。

しかしながら、少なくとも相方と離れ離れになっていないというだけで、安心できる。

1人だったら、どうだっただろう。
バスを乗り継ぎ何とか帰ったか、あるいはどこかの店で飲んだくれたのだろうか。
帰ったところでアパートで1人不安と恐怖に耐えたのだろうか。

こんなとき、帰る場所があり、一緒に居てくれる人がいるというのは、何より心強い。

本当に有難いと身に凍みて感じるのだった。


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