独りごちる。
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2009/05/31(日) お散歩。
今日は、江ノ島から腰越〜七里ガ浜まで、海岸線をお散歩してきた。
曇が出ていたので直射日光を浴びることもなく、気持ちよく散歩できた。
でもさすが6月が目の前にきているだけに、蒸し暑かったかな。

のんびりと幸せな一日であった。

2009/05/28(木) 梅雨がくる。
もうそこまで来ている。

梅雨なんか大っ嫌いである。
とにかく足元がグジャグジャ濡れるのが気持ち悪い。
格好悪くてもいいから、長靴を履いて会社に行きたいものだ。
と、ずーっと思い続けてきたが、今年は可愛い長靴大流行である。ようやく、大手を振って長靴を履ける時代がやってきた。

先月あたりに、レインブーツを検索しまくっていたのだが、そのときはまだ必要に迫られていなかったので、ブックマークのみしておいた。

で、今朝。
お天気は雨。実にタイムリーなことに、「スッキリ」では
レインウェア特集がやっていた。

いよいよ梅雨を迎えるにあたり、こりゃー買っとかないと。
という気になってきた。

ブックマークしておいたページを見ていると、もうかなり売り切れ状態になっている。
が、以前は無かった新製品も入荷しており、その中に「おっ!!」というのを見つけたので、早速注文。

続いてレインコートも買おうと、検索するうち、レインポンチョは形も可愛いし、鞄ごとスッポリ隠せるし、何なら着物にも使えるということで、レインポンチョを注文。

あとは到着を待つばかりである。
これで、今年の梅雨も、多少は楽しく過ごせそう。

2009/05/25(月) で、そして。
唄っちゃいました。
ホールで、図々しくも。厚かましいまでに。

お師匠さんと二人で会場に向かったのだが
電車の中でもずーっと楽しく喋りまくっていて、
全く緊張せぬまま会場に到着。

控え室には、貫禄充分なお姐さん方がたくさん居たので
さすがに怖くて隅っこの方にちょこんとしていたが
すぐにお稽古開始。続いて、お師匠さん自身のお稽古が始まったので、アタシはpsp に録音しておいた本日のお題の唄をひたすら
聴きながら、口パクで稽古した。

そうこうしているうちに、いよいよ出番。
舞台袖に行ったときは、さすがに若干緊張したのだが
隙間から客席を覗くと、「ありゃ〜っ」ってぐらい、ガラガラも
いいとこである。

後ろの方にまばらに人がいるだけで、あれをきっちり前から詰めて座らせたら、おそらく二列で納まっちゃうんじゃないか、というぐらいのガラガラぶりなのであった。

それを見て、すっかり安心した。
これなら昨年の、同期の結婚式で唄ったときの方が
余程お客が多いではないか。

ってことで、さすがに若干声が上ずってしまったものの
落ち着いて唄うことが出来たのである。

先に唄った「移り香や」は、高音部がどうにもショボイ感じになってしまったが、二曲目の「晴れた庭木に」は、結構元気に唄えたのではないか、と思う。

終わってから、お師匠さんにも、「お弟子さんが落ち着いていてすばらしいってみんなに言われるわ〜」と言っていただいたので
アタシもホッとして、うれしかった。

写真は、帰ってきてから撮ったもの。
青くて見えないけど、着物は蝶々の絵入りで、これは
大師匠に頂戴したもの。花柄の帯は、お師匠さんからお借りした
大切な嫁入り道具である。

2009/05/23(土) ホールで唄っちゃいます。
明日は都内某所で小唄の会。

会場は、よく試写会とかやっちゃうようなところで
これまでの小さい内輪の会とはわけが違う。
アタシにとっては初のホールである。

とか言ってるのだが、実は全然緊張していない。
まー、実際どうなのかっていうのが想像できん。
てこともあるけど、それだけではない。

11時から夜20時ぐらいまでの長丁場らしいのだが、そのうち、アタシの出番はホントに最初の方なんで、正直、見に来る人といえば、同じぐらいに出番を控えてる人々(つまり下っ端)の家族や知人ぐらいのもんだろう。
本気で、こいつの唄を聞いてやれとか、批評したれぐらいの気持ちで聴く人間など、いるわけがない。

まー、この舞台に出させていただくにあたり、かなり高い金も払ったことだし、金払った上に失敗したんじゃ、あまりにアホくさいから、せめて気持ちよく唄わせてもらおうか。などと考えているのである。

とか言って、おそらく本番になったら、ビビるに違いないが。

でも、緊張して、緊張のあまりにこれまでの稽古の成果が十分に出せないというのはいかにも惜しい。

だから、あくまでも図々しく、度胸満点で唄ったれ。と思うのである。

2009/05/18(月) 伊豆に行ってきました。
昨日、今日と伊豆温泉旅行に行ってきた。
ホテルは熱川だったのだが、早く着きすぎたのでその先の方まで
行き、浄連の滝を見てきた。
今日は天気も良かったので、城ヶ崎のつり橋を渡ったり
箱根でスワンを漕いだりしてきた。
ホテルはオーシャンビューで、お風呂も広く、快適であった。
詳しくは書かないが、とにかく最高に楽しい旅だったのである。

写真は、左上から浄連の滝、ホテルから見た風景、城ヶ崎、スワン、箱根ターンパイク。
また行きたいな。

2009/05/10(日) ロビーコンサートでクロコ。
いやー、暑かった。

何がって、今日は茅ヶ崎市美術館にて小唄のロビーコンサートがあり、師匠が出演するので、アタシは黒子としてお手伝いをするために、昼から出かけていったのだ。着物で。

今年は全然着物を着ていないのだが、久しぶりに着たら、無茶苦茶暑い。
ていうか今日が特に暑い日だったのだ。

ロビーコンサートでの黒子のお仕事は、1回三味線をあっちからこっちに移動するために出て行くだけ。と、超簡単なものだったので、楽ちんだったが、とにかく着物が暑くて疲れた。

写真は、ロビーコンサートの模様と、今日の着物。

2009/05/09(土) 我等なりの偲ぶ会
青山は、すんごい事になってたようだが、アタシはライブを最後の思い出としておきたい、というか、あえて終止符を打つ必要もないだろ。ってことで、告別式に行く気は無かった。まあ、後でニュース見て、どっちにしろあの行列を並ぶのはアタシにはムリ!って思ったが。

その代わり、相応しい人と相応しい場所で、相応しいやり方で「偲ぶ会」を執り行ったのである。

場所はお祭りで大賑わいの神田。
22年、いや3年前か? アタシがはじめて就職したのが神田の会社であった。そこで出会った同期と、更にはその妹と共に、当時、RC のライブに行きまくったのである。

当時は、清志郎の作り出す歌と、自分の置かれている状況が妙にシンクロして、ライブに行っては、「うぉぉーっそうだ、そうなんだよぉぉお!!」みたいな感じになっていたものである。

まあ、このあたりは「10年日記」に全て書いてあるのだが、つまりは、その「10年日記」に出てくる場所、人、出来事、全てまるごと偲ぶ会を、その、元同期と行ったわけである。

「10年日記」とか言っちゃってるが、このHPを立ち上げて過去の日記を「10年日記」と称して公開したのが10年前。
つまり正しくは、「20年日記」だ。

神田の会社を辞めて、それぞれ別々の道を歩み出してから今までの20年、及び、その会社で共に過ごした1年3ヶ月を振り返ろうというのだから、話が尽きるはずがない。

あっという間に時間が経ってしまったのだが、まだまだ話し足りないという状態だった。

なんというか、20年間かけて作った手弁当を、お互い持ち寄って、披露する。みたいな、そんな感じなのだが、さすがに、20年ともなると、味も相当しみていて、出てくるおかずは、「しょっぱっ!!」「苦っっ!!」「辛っっ」と、味の濃いものばかりだ。
それだけに、超〜面白い。「しょっぱっっ!!!でも、、旨っ」って感じである。

20年以上の歳月を、共に語れる相手がいるというのは幸せなことだ。清志郎を偲ぶという目的で再会したのだが、実際のところは、懐かしい場所、二度と会えない人々、消えたお店、戻れない場所などの全てを「偲ぶ会」になっていた。
なんだか、最高に素敵な偲ぶ会が出来たなぁ〜という気がする。

こんな風に、また元の原点に戻って、共に偲ぶことができるとは、思ってもみなかった。これだから人生は面白い。

で、更にわかったこと。
女の魅力は若さに非ず!! 年を重ねるって、案外素敵で面白いことだなぁと思ったのだった。

とにかく、こんなにすばらしい充実した一日をくれた清志郎に心から感謝である。

写真は、お祭りで賑わう神田。そして、残念ながら閉店していた、AIKO。

2009/05/04(月) 肉体死すとも
今から27、8年程前になろうか。

アタシはまだ中3 で、校内暴力真っ盛りの時代。

女子はたのきんトリオもしくはシブガキ隊に夢中になり、男子は松田聖子か横浜銀蠅などを聴いていた頃、アタシはそのどこにも属さず、超少数派の「フォーク派」に属していた。

あるとき、昼休みに、放送委員が、妙な歌を流した。
それまで聴いたことのない、全く新しい音楽だった。
「な、なんだこれ」と、衝撃を受けるアタシに、ちょっぴりワルで
シャイなスーさんという男の子が、「知らないの? RC SUCCESSION というんだよ。あ、今日神奈川テレビに出るから、見てみるといいよ」と、教えてくれた。

たのきんやシブガキに夢中になる同級生を「馬鹿か」と醒めた目で見て、頑固にフォーク以外聴かなかった当時のアタシだが、なぜかそのとき、無茶苦茶そのRC SUCCESSION とやらが気になった。

で、教えられたとおり、その日の夜、神奈川テレビでライブを見た。なんか猛烈に奇抜な人が、「静岡なんてよ〜、お茶はまずいし、みかんの皮も硬いって言うぜぇ〜」と言っていた。
これが、アタシが忌野清志郎という存在を知った、瞬間である。

過激でありながら、どこかお茶目なところもある。
しかもセクシーで無茶苦茶格好よかった。
聴いたこともない音楽だったが、どこかにフォークの味もある。
頭をガン!と殴られたような衝撃が走った。

たまたま、近くのレコード屋が閉店するという頃で、レコードを投売りしてたので、RC のレコードを買い漁り、聴きまくった。
聴けは聴くほど、その世界の虜になった。
それまでフォーク一本だったのが、180度転換して
RC一筋になってしまったのだ。

しかしながら、何せ素朴な田舎の中学生である。
ライブに行くなど、夢にも思っていなかった。
チャンスは、高校に入ってやってきた。

それほど仲がいいわけでもないが、中学から同じ高校に行った女の子が、アタシがRC ファンだと聞きつけて、ライブのチケットを買わないかと言ってきたのである。

お姉ちゃんと行くことになっていたのだが、急遽、都合が悪くなり、行かれなくなったのだという。
一も二もなく、アタシはその話に乗った。
それが、当時恒例になっていた、クリスマスの武道館ライブのチケットだったのだ。

ライブというもの自体、初めてだったのだが、もう、その衝撃たるや、言葉では言い表せない。
地面がグラインドする感じ。グワァ〜っと、興奮の渦に飲み込まれるような、そんな感じ。
とにかく、ライブはド迫力で、アタシはすっかりその魅力の虜になってしまったのだ。

ここから、アタシのライブ通いは始まる。
以降、解散するまで、あっちのライブ、こっちのライブと行きまくった。

いまや反骨精神の塊のアタシだが、RC を知るまでは、自分の奥深くにその精神を隠しているところがあった。
ところが、RC を知ってしまった途端、それが一気に噴出した感があった。もはや、己の人生観や生き方まで、大きく変わってしまった感がある。それほど、忌野清志郎の影響力はでかかった。


気付けば社会人になっていたが、相変わらずRC 一筋は変わらない。社会の中でもがく自分と、RC の歌詞とをシンクロさせたりして、あるときは慰められ、あるときは奮起させられ、「あ〜、こんな恋愛がしたいな〜」とあこがれるなどなど、常にその歌と共に自分の人生がある感じだった。

その後、解散コンサートまで、アタシはライブに行き続けた。
解散してしまってからは、何か突然燃え尽きたように、それまでの熱は醒めてしまったが、それでも、当時見た数々のライブの強烈なインパクトや感動は、生涯忘れるものではない。

そして今振り返れば、もし、RC に出会わなかったら
もし、あのとき、昼休みに「雨上がりの夜空に」がかからなかったら、アタシの人生は、絶対、間違いなく、全く違うものになっていただろう。と確信する。

栗原清志氏は亡くなったが、忌野清志郎は死んでいない。
アタシの人生そのもの、音楽の好みも本の好みも映画の好みも考え方も生き方も死に方も、何もかもに、少なからず影響を与え、そしてアタシが死ぬまでその影響力が衰えることはない。

そんな人が、この日本に山程いるのだ。

肉体死すとも、魂は死なず。
忌野清志郎のブルース魂が衰えることはない。
だから、悲しむことはないのだ。

さてさて、今日は新じゃがと新たまねぎが余ってたので、ジャーマンポテトを作った。で、ついでにこれをパスタに絡めてみた。
いずれも、旨し。

2009/05/02(土) ヒッピーに捧ぐ
お別れは 突然やってきて すぐに済んでしまった

RC SUCCESSION のヒッピーに捧ぐ という歌の一節である。

忌野清志郎が逝ってしまった。
ガン転移のニュースを聞いたときから、ある程度覚悟はしていたが、やはり、実際亡くなったと聞かされると、少なからずショックである。

まさに私の青春はRC に始まりRC に終わったと言っても過言ではなく、当時の私にとって清志郎は神そのものであった。

解散してからは、なぜか聴く気がしなくて、ソロになってから出た初アルバムのみ購入し、しかもそれすらほとんど聴いていなかった。
30周年記念ライブも姉に誘われて行ったのだが、やはりかつて程の盛り上がりが自分の中に感じられなかった。

やはり、私にとって清志郎はあくまでもRC SUCCESSION の清志郎なのである。

なので、確かに亡くなったことはびっくりしたし、「あー、そうかぁ。。。」とショックでもあるが、だからと言って、当時、ライブで受けた衝撃などが薄れてしまうわけでもなく、また、彼の遺した数々の名曲が、一緒に死んでしまうわけでもないので、案外、アタシは落ち着いているのである。

ただ、やはり、あー、また青春の光がひとつ消えていったか。。という感があることは否めないが。

とにかく、私にとって清志郎がKING OF ROCK であることはまったく変わらないし、スローバラード他の名曲が色褪せることも一切ないのだ。夢中でライブに行きまくり、そして酔いしれたあの日々を、ありがとう。お疲れ様でした。と、言いたい。

さて、清志郎が亡くなったのは今朝だったらしいが、そんなことは露知らず、アタシは山盛りで有名な「ゾロ」に行って、ミックスフライをお腹いっぱい食べてきたのである。

おばちゃんが気をきかして、「残したらお持ち帰り用にできるから」と言ってくれ、実際アタシは半分しか食べられなかったのだが、連れが綺麗に片付けてくれた。どこで何を食べても綺麗に片付けてくれるので、ご飯を食べるのが楽しい。実に頼もしい連れなのである。


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