独りごちる。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年9月
前の月 次の月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
最新の絵日記ダイジェスト
2016/01/11 遅ればせながら
2015/11/07 12年
2015/06/11 ほぼインスタ。
2015/04/09 祝・結婚5周年記念旅行
2015/03/24 招き猫

直接移動: 20161 月  201511 6 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 月 

2007/09/29(土) 久しぶりに
着物を着た。
今日は、小唄の演奏会に日本橋劇場まで行ってきたのである。

昨日は真夏日だったし、その前もずっとそうだったので、麻の襦袢に半襟をつけて用意していたのだが、今日になったらいきなり寒くなっていた。しかも雨。

でも、もう今更どうにもならんと、そのまま出かけて行ったけど、麻で正解だった。電車の中が暑い。

小唄の演奏会は、最初勉強のためにマジメに聴いていたんだが、しまいには眠くなってしまった。アタシのお師匠さんの方が全然唄が上手だ。 と、小唄自体、まだよくわかっていないながらも思ってしまったのである。まー、さすがに最後の方の人は上手かったけど。でもアタシはお師匠さんの声が好きだなぁ。艶っぽいもの。

で、途中で抜け出して、横浜でいつもの横須賀の飲み友達と飲んで帰ってきたのである。
いつも渋い飲み屋で飲んでいるが、たまにはお洒落なホテルのバーラウンジなどで飲んでみよう。ということになり、沖縄系居酒屋で散々飲んだあと、最後にホテルのバーに行ってみた。

なんか大人〜って感じなんだけど
アタシはやっぱり銀次の方が落ち着くなぁ〜。
あくまでも庶民派なアタシである。

ところで大分更新をサボってしまったが、この間に色々あった。
まず、亡くなったおばちゃんの形見となってしまった、小紋2反と襦袢1反を仕立てに出した。これで約10万が飛んだ。

着物って、反物を買うと同時に仕立てもお願いするのが最も安上がりなんだよねー。仕立てだけお願いすると、やれ八掛だ何だと、えらい高くついてしまうのである。
まー、これも供養だから致し方なし。着物は一生、いや、アタシが死んでからも、ずっと先のまだ生まれてない人でも、着ようと思えば着続けられるのだ。それ考えたら安い安い。

、、、と、自分を励ましているのである。小さいぞ、オレ。

あと、会社の仲間がいきなり肺炎で入院してしまった。これはイタイ。そのために土日も交代で出勤することになったのである。
これで、10月の三連休がフイに(ToT)/~~~

何やら、あれやこれやと身辺が忙しい。でも3/4ぐらいは自分で忙しくしてしまったのである。
ま、しゃーないか。結局こんな風にドタバタしながら、年取っていくんだよねぇ。

写真は今日の着物と半幅帯の結び。

2007/09/17(月) 色即是空
さて、いきなりだが写経などやってみた。

実は前々から本屋で『鉛筆ではじめる写経』等の本を見て、気になっていたのだった。

おばちゃんが亡くなって、おかんが寂しがるといけないので、霊を慰める意味でも、一冊買ったろか。と思い、昨日本屋に寄ったのだが、いまいちいいのがないのでやめておいた。

今日は、形見となってしまった、戴いた反物を、着物に仕立てておかなくては、と、おかんを誘って仕立て屋さんに出かけて行ったのだが、あいにく休みであった。

で、そのままunidy へ。犬だの熱帯魚だのを、おかんとブラブラ見て歩くうちに、写経セットを見つけた。すると、おかんが興味を持った。お手本入りの練習用紙20枚入りと、筆ペンを早速購入。その後、花などを見て歩いたのだが、なんとなくアタシも気になったので、同じセットを購入してみた。

そして今夜、風呂から上がるなり、写経開始。
下にお手本を敷くので、難しいもののそれなりに書けるのである。ただ、無茶苦茶肩が凝る。最初は正座して書いていたのだが、そのうちにおねえ座りになり、最後は胡坐をかいてしまった。

1/3程書いたところで、一文字書いては、『うーん。なかなか・・・』などと、いちいち悦に入った風に見入ったりしていたが、実は早くも飽きていたのである。

そのうちに、一文字ごとに悦に入ってたら、一生終わらない事に気付き、『忍耐、忍耐』と思いながら、なんとか書き進める。

ようやく1/2ほど進んだところで、『ところでどういう意味だ??』ということが気になり、頭から読んでみる。

『・・・・・・・わからん。まるでわからんが、とにかく"無"の字が多い。"無"になれって意味かもしれん』と、今の己に対する戒めも込めて勝手に解釈し、再び書き進める。

ようやく書き終わったときは、『ウギーッ』と、思わず叫びたくなるほどイライラと肩こりの限界であった。
全然、無になれないオレ。

で、最後に、願い事を書く欄がある。どうしようかと思いつつ、お手本を見てみると、無病息災とか、家内安全とかの例が書いてある。『痩せますように』とか、そんなことを考えていたのだが、どうやら漢字じゃなきゃ、いけないらしい。と思い直した。
で、考えに考えた挙句、『安眠』と書いた。とにかく、寝つきが悪いからである。

お経までは下にお手本を敷いて、それをなぞるだけだから、あたかも字が上手いかのように書けるのだが、願い事は自分で書かなくてはならない。
ものすごく慎重に書いたつもりだったのだが、いきなりそこから小学生並の字になってしまった。

この小学生並の『安眠』では、とうてい効果が得られようはずもなし。と思ったアタシは、ついでにその筆ペンで、宝船の絵を描いてみた。これを枕の下に入れれば、W効果で熟睡間違いなしである。

・・・って。何やってんだ、オレは。爺さんか!
ていうか、写経とかやっちゃって、どこに行こうとしてるのか、オレは。

姉ちゃんに写経と宝船の絵を写メールで送ったら、お手本無しの宝船の絵の方が、上手いと言われた。同感である。

しかし、何だかんだ言っても、虫の声を聞きながら、静かにお経を写すというのも、なかなか良いもんである。特に忍耐力のないアタシには、丁度いい修行かも。
無の境地には、程遠いけど。 ↓できあがり

2007/09/15(土) 兄さん、喧嘩を売るときは(2)
(つづきである)
バカ従兄弟とは別のバスに乗ったので、姉ちゃんと『まだやっつけ足りないな』と話していると、前の方で何やらデカイ声で喋ってるおっさんがいる。

どうも妙な様子だと思って聞いていると、どうやらバスの運転手に、『もっとクーラーを効かせて冷やしておけ』とか何とか、ネチネチとでかい声で文句言ってるらしい。
別に暑くもなんともなかったのだが、そのオッサンは昼にマイクロバスに乗ったときに、突然『気分が悪い』と言い出し、降りたオッサンだった。どうやら、そのときの事をバスの運転手のせいにして、ネチネチやりだしたらしいのだ。

『こんな暑いときにクーラーを効かせておかなかったら、後ろの方にいる人が具合が悪くなるだろう!!いいか、××バス、燃料が高いとか、色々大変なことはあるだろうけど、それがサービスだろう。大体、勘違いしてるんだよ!ねえ、そうでしょう、皆さん!!』などと、何故か勝手にみんなを代表したヒーロー気取りになって、ガミガミネチネチ怒鳴りまくり。

あーあー、最悪。いるんだよねぇ、こういうバカ。
客だからって、明らかに強い自分の立場を利用して、弱い立場の人をイビる、チン○小さいやつ。サイテー。

シーンとするバスの中で、更にバカオヤジが運転手を責め始めたその時、ブチ切れた姉ちゃんがいきなりスックと立ち上がり、『ちょっと!!もういいでしょう!!いい加減にしなさいよ大人気ない!!こんなことして、(亡くなった)おばちゃんが可哀想!!』と、逆にバカオヤジを怒鳴りつけた。
『うっひょ〜!!姉ちゃん、やった〜っ』と思っていると、オヤジが小さい声で『スイマセン!!・・・オコラレチャッタ・・・』と、ショッボ-----ン となってしまった。

うーん。さすがアタシの姉ちゃんだ。普段は我慢に我慢を重ねる人で、アタシや母ちゃんの方が余程キレ易いのだが、本当にキレたときの姉ちゃんは、怖いもの知らずである。
ショボーンとなったバカオヤジが、それでも悔し紛れにまだ何か言おうとすると『まだ言うか!!』と更に一喝。むしろ母ちゃんが『お姉ちゃん!!』と小声で止める有様である。

『我慢できなかった』という姉ちゃんに、アタシは『いいよ。よくやった!!』と言った。たとえ他の誰にもわかってもらえなくても、ワシは姉ちゃんが正しいと思う!!姉ちゃんがやらなきゃ、ワシがやったとも。・・・いや、できないかも(笑)

ところが、バスを降りるときに、後ろにいた叔母さんが、『ありがとう。よく言ってくれたわ』と姉ちゃんに声をかけた。続いて別の叔父さんも。

そして、父ちゃんも、『いい事言ってくれるなぁ〜』と思って聞いていたら、『・・・ん??この声は??』と、後から姉ちゃんであることに気付いたのだという。
そんなわけで、色んな人に褒められて、無事、一日が終了したのだった。

しかし、よくよく考えてみると、バカ従兄弟に舐められた怒りが、そのままあのバカオヤジに向けられたような気がしてならない。多分、あんなことがなかったら、バカオヤジに対するお手厳しい一言も、もう少しお手柔らかになったのかも。
バカオヤジはとんだとばっちりを食ったのかもしれないのだ。
ま、結局オヤジが悪いんだけど。

兄さんがた、人に喧嘩を売るときは、相手をよーーく見てから売れや。でもって、周囲にどんな奴が居るか、も、よーーく確かめてからにしろ。
母ちゃんDNA を受け継いだ、うちら姉妹がいるところで、アホな喧嘩しかけてくると、痛い目見るゼ〜。

・・・・って。
いずれも自分や誰かに売られた喧嘩ではあるけれど
結局、騒動をおこして、おばちゃん泣かしてるのは、ワシら姉妹か?(笑)

でも、まあ、うちの親族が集まるときに、このような騒動はつきものなのである。
きっと、おばちゃんは、『またやってる(笑)』って、いつものように、静かに笑っているに違いない。

2007/09/14(金) 兄さん、喧嘩を売るときは(1)
さて、9月15日といえば、地元の氏神様のお祭りの日なのだが、今年は祭どころではなかった。お葬式である。
この一週間、何かとバタバタしたが、今日、おばちゃんは荼毘に付されたのである。
昨日のお通夜、今日のお葬式と、悲しい2日間だったが、悲しいのはもはや言うまでもないので、それはあえて書かない。
それより、今日の葬式で面白いことがあったので、是非とも記しておこうと思う。

うちの父ちゃんは6人兄弟なので、アタシには従兄弟がたくさんいる。子供の頃は、やれ祭だ正月だと、親戚一同が本家に集まっていたので、この従兄弟達とも顔を合わせる機会があったが、大人になってからは葬式でもない限り、滅多に会うことはない。

父ちゃんは下から2番目なので、従って従兄弟はほとんど年上の兄さん達だ。アタシは子供の頃、こいつらに『でこっぱち』などとあだ名され、可愛い可愛いとやたらと可愛がられる同い年のマリちゃんと比較されて、随分と辛酸を舐めさせられてきたものだ。

大人になってからも、つまらん事を言われてムカつきたくないので(しかもアタシは未だに独身という弱味がある)、葬式などで顔を合わせても、なるべく遠くにいて関わらないようにしていた。

ところが。
今日、火葬が終わり、初七日を行うときに、奴らがアタシと姉ちゃんの後ろに座ったのである。で、いきなり姉ちゃんに対し、『太った』などと、不躾なことを言い出した。1度目は笑って済ませた姉ちゃんだが、しつこく言われ、『いい加減、アタシもキレるよ』と言い出した。そしてアタシも『表、出るか?』と脅した。すると、もう一人のバカも、『太ったなぁ〜』と、言い出した。『テメーにだけは言われたくないよ』と、言いたくなるほど、己も様変わりしている男である。

で、すかさずアタシは『誰なのよ、この顔のむくんでるオッサンは』と言い返した。
そんな中、お焼香開始。
一応、無事済んで、マイクロバスで会場を移動。というときに、最初にちょっかいを出してきたバカが、また姉ちゃんをからかいだした。

で、姉ちゃん、ついにキレる(笑)
奴の胸ぐらをむんずと掴み、『オイこら、いい加減にしろ』と、詰め寄った。すかさずアタシが『オイ、おまえは35年前もアタシを"でこっぱち"と言ってからかったよな。いい加減にしとけよコラ』それを聞いて姉ちゃんが『全然成長してないな、オマエは!!』

胸ぐらを掴まれた奴は、『スイマセン、スイマセン』とか言いながらもヘラヘラしている。
本当はもう一人のバカもボロカスにしてやりたかったのだが、マイクロバスに乗らなくてはならなかったので、仕方なく乗って移動した。

精進落としでは、バカ従兄弟達の席を避けて別の席にしようとして席を探していたところ、父ちゃんが住職の相手を頼まれたので、ついでに同席させてもらった。
住職の話は面白く、お酒も入り、いい供養ができたなと気分が良くなった。

先ほどとっちめたバカ従兄弟とは別のもう一人のバカの妹(マリちゃん)が声をかけてきたので、興奮してるワシら姉妹は、『アンタの兄ちゃんに随分失礼なことを言われたよ。うちら姉妹を敵に回さない方がいいゼ』と、脅しの一言。妹に罪はないが、この際、売られた喧嘩なれば、仕方ない。
(文字制限につき、つづく。)

2007/09/10(月) おばちゃん(;O;)
なんだかんだ言ってる間に、アッという間に9月である。
やれ、台風だ、何だと大騒ぎしてたそんな矢先、悲しいことが起きた。

いつも、仕事が終わると、まず、ロッカーで荷物を入れ替える。
個人情報がどうのこうのということで、うちの会社は、私物を持ち込むときは、透明なビニールバッグに入れ替えさせられるのである。携帯は持ち込み禁止なので、ロッカーに入れる。
よって、携帯を確認するのは昼休みと帰りということになるのだが、アタシは面倒臭いので、昼休みに確認などしない。

で、今日、帰りに携帯を見ると、実家からの着信履歴が。
いつもくだらんことで留守電が入っているので、別に気に留めず、姉ちゃんからのメールを見た。
すると、『落ち着いて読んで』というタイトル。
この時点で、すっかり落ち着きを無くした。いい事であるはずがない。

悪い知らせであることはわかっていたが、内容を読んで呆然となった。本家のおばちゃんが交通事故で亡くなった。即死だった。という。

本家のおばちゃんというのは、うちの父ちゃん兄弟の長男のお嫁さんで、実際アタシとはまるっきり血が繋がってない人なのだが、アタシは、親戚中で、このおばちゃんが一番好きなのだ。

おかんが長年勤めてきた仕事を辞めて、家にいるようになってから、おばちゃんと旅行に行ったりすることが多くなった。
で、アタシもお邪魔して、去年の秋に初めて一緒に旅行したのだ。

それまでは、そんなに深く付き合ったことがなかったので、アタシもおばちゃんも、お互いに、大丈夫か?という不安があったのだが、すぐに打ち解けてしまった。それは、このおばちゃんが本当にいい人だからである。

一言で言えば、気遣いの人だ。
アタシは、人に気を遣われるのが大の苦手で、むしろ放っておいてくれることが最大の気遣いだ などと思ってしまう奴である。
そのため、その人の気遣いが、周囲の目を気にしての気遣いであるか、あるいは心からのものか、に対して、非情に敏感だ。

そんなアタシが、『この人は、凄い人だ』と、参ってしまった。
ものすごく気を遣ってくれるのだが、すべて自然なのである。
無理をしているのではなく、身についてしまっているのだ。
こんな人は初めてだと思った。

父ちゃんは兄弟が多く、親が早くになくなっているので、長男のおじちゃんと、その嫁のおばちゃんが親代わりみたいなものであった。貧しく、しかもうるさい小姑もいて、そんな中に、自ら飛び込んで、ずっと苦労してきた人である。

おじちゃんも、何年も寝たきりで、その看病にもえらい苦労をした。でも、その後は、息子の家族に囲まれ、カラオケ教室に行ったり、旅行に行ったりして、ようやく自由で楽しく暮らせるようになった。

おばちゃんのお母さんは、100歳を超えているが、まだご存命である。おばちゃんも病気ひとつしないし、きっと長生きできるねと、おかんと話していた。
まさか、こんなに急に逝ってしまうとは、思ってもみなかった。
しかも、事故なんて。

でも、姉ちゃんともメールで話したんだけど、なんだか最期までおばちゃんらしい。長患いして家族の手を煩わせることもなく、アッという間に去ってしまった。最期まで気遣いの人だった。

静かで、つつましく、優しくて、凛とした、これぞ、日本女性 !という人だった。いや、むしろ、生き様、死に様が侍である。

そしてアタシの着物の師匠でもあった。自分の着物を解いて、何枚も作務衣や二部式着物を作ってくれた。お気に入りという、反物もくれた。まだ、お仕立てもしてないのに、形見になってしまった。
さっさと仕立てて、着てみせてあげればよかった。

電話で、おかんばかりか父ちゃんも泣いているので、心配になって帰りに寄ってみたら、父ちゃんはイビキをかいて寝ていた。

喪服がないので、西友に買いに行くというと、おかんがくっついてきた。あーでもない、こーでもないと言いながら、ひと揃え買って、37000円ばかりをカードで買う。

おかんもついでに買い物をするというので、くっついて歩いた。
『なんでこんな時間にとうもろこし買ってんだろうね』と言いながら、おかんが一生懸命とうもろこしの皮を剥いている。
それを見ながら、思わず『お母さん、生きてるっていいよね。こんな風に、とうもろこしの皮を剥いてられるのって、シアワセなんだね』と言うと、『そうだよね〜』と、おかんも強く同意した。

うちに帰ってきて、風呂から上がり、上高地に行ったときの写真を見て、泣いた。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.