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2005/10/07(金)
寅さん映画に学ぶ
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このお天気マークはちょっと困り者で曇りのち雨が表記できません。そこで昼間の天気をいつも書いているのですが、ちょっと工夫してほしいなー。(借りているサーバーなので・・・)
さて、今日は、寅さん映画についてです。 このところ、NHK-BS2で寅さんの映画を第1作目から最終の48作目までを順番に放送しています。先週の土曜日ですでに15作品(だったかな?)最後の48作目はなんと2年後になるという壮大な計画をNHKはよくぞ実施しようとしているものです。というか、そんなに長くかけないではやく、ちゃっちゃとやってよ。 私、寅さんの大ファンです。 あらためて第1作から続けて見ていると(もちろん、全作見ています。さらにもちろんこれまでにもすべて見ています)、いろいろなところに山田監督のこだわりがあり、それを俳優さんたちが非常にうまく演じておられる、もちろん監督の意図ですからそこに原点があるわけですが、見るたびにそういった一瞬のこだわりや見逃してしまうようなちょっとした場面が、すごさをあらわしています。 見過ごしてしまいそうなという部分にかなりのこだわりがあるように思えます。つまりそれは見ている人に演技やこだわりを感じさせないけど、その一瞬がなければそのシーンが見えてこないというものです。 例えば、「とらや」の居間でみんながしゃべっているシーン。必ず後方でまだ幼いミツオが遊んでいます。また、このシーンでは、必ず誰かが背中越しに写ります。通常映画やドラマでは、画面展開上、カメラのある方には誰も人はいません。山田映画では、そうではなく、ごく普通の場面になりますから、当然4人がけのテーブルに4人以上座るとカメラの前には背中が写るわけです。 よく、役者は背中で演技するなんて言いますが、まさにこれがその冴えたるものではないでしょうか。 江戸川の土手のシーンや帝釈天、その参道のシーンでは必ず誰かがカメラの前を横切ります。 山田監督は、ある風景の中の寅さんを撮るためにイメージに合った雲が出てくるまで6時間も待ったそうです。当時もCGとは言いませんが、合成は出来たので雲は何とかなったのですが、そこは監督のこだわりです。じっと6時間空を見つめ、自分のイメージの雲を待ち続けたと言います。 先週の土曜日の作品は見ることができなかったのでビデオでとり、今日見ました。お決まりのマドンナ役は2回目の登場の吉永小百合さん。私はサユリストの時代ではありませんが、なんともかわいいではありませんか。寅さん作品の中で吉永さんは2回、しかも同じ人の続編的にでている珍しいパターンの1つです。 この人を見ていると単にかわいいとかスタイルがいいとかそういう今のアイドル性とは違うものがあります。当時決して演技が上手ではありませんが、それでも今のアイドルに比べたら雲泥の差。さらに面白いのは、この吉永さんの1回目から2回目登場までの間がおじちゃんは2代目の松村達雄さん(今年亡くなりましたよね)、非常に印象深いおじちゃんなのですが、わずか5作品のみおじちゃんです。もっともそれ以前にも、その後も別役で数回登場しています。 出演者の話ではなく、寅さん映画でした。 こういうこだわりや演技を見ていると、逆にわざとらしさとは何か考えるようになります。 いかに普通に、いかに自然にということが難しいか、また普通にすると伝わりにくいか、さらにそれを普通にしているように伝えるために普通にしないで演技する・させることの難しさがあります。 これは舞台でも同じことです。特に舞台では強調されます。 が、その原点はやはり普通。そう見せるためにどうしても舞台流のやり方が必要になってくるわけです。 照明の世界では、照明を感じさせない照明が出来たら超一流と言います。つまり通常生活では照明(光)を意識していませんのでそれを再現させようとすると・・・・。それほど普通が難しいのです。 と同時に非日常的という面もありますので、そのバランスでしょうか。 私が以前からやりたい照明プランに昔の照明、かがり火や蝋燭の明かりを使い、電気による明かりは判らないようにしてフォローするというものがあります。ある公演で実現したいのですが、なかなか主催者側からOKもらえません。 来年こそはと思って今からアプローチしています。
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