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2006/02/09(木) まじめに書きます。終焉。
はれ〜!だと思います。
まだ、夜明け前!
なので夜にちょっと修正するかも・・・。

この時間に書いているのは、ふといい話が雑誌に載っていたためです。忘れちゃいけないのでさっそく。

とはいうものの、すでに半分忘れているのですが。
何の話かというと、人の終焉についてです。
死を恐れるか否かの問題。
誰でも自分の終焉は怖いもの。
ある哲学者ですら、「実は不安や恐怖感はあり、これは仕方ないことだ」と理論や倫理感だけでは解決しないものであることを自ら認めている記述があるほどです。

そこで気になったのが、ある有名な高僧だったか、釈迦の弟子だったか、宗教家だったか、そこのところを忘れてしまったのですが、その方のおっしゃることです。
難しい言葉で綴っているのだそうですが、要約すると以下のような言葉。
「人はいつかは死んでしまう。でもそれがいつかはわからない。また死んだ人が生き返ったということもない。だから、今、そんなことを考えてうじうじしていても仕方ないでしょ?」
というようなことです。
なんだか、偉く感動してしまいました。
別にうじうじ考えている自分がいるわけではないですが、あらためて言われると、おお〜そうだ!そうなんだ〜と思えます。

多くの人が自分の死とか人の死について考え、一部の人はそれを専門分野の中で研究しています。
しかし、先の言葉は究極です。

そう、先のことよりも今。もちろん先を考えての今、過去からの今も。
大いに、大らかに、精一杯生きてみようではありませんか!
自殺サイト志願の人たち、自分自身を亡くしている人たち、ぜひ、この言葉に出会って欲しいと願うひとときでした。


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