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2006/05/10(水)
33回忌
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雨のち晴れのち曇り。 どしゃどしゃ降ったわけではありませんが・・・。
今日は、祖父の33回忌の法要です。意気でイナセで大好きだった祖父です。正式には来月初旬なのですが、訳合って早めに今日行いました。 33回忌というともちろん33年、正確には32年の月日が経っているわけです。その月日を思い、先祖を思い、供養することはとても大切なことであるというお話がご住職よりありました。 とても興味深いお話でしたのでご紹介です!
なんでも25回の法要があり、その日数を計算すると3万幾日になるそうです。それがその故人一人の人に関わる日数であり、その関わる人とは、もちろん現世に暮らす私たち。そうやって祖先とともに生きているという話でした。 また、アメリカの精神学者の長年の研究の話がありました。それによると前世だとか祖先だとか、そういう存在を認めざるを得ない事実がたくさんあり、その影響は多少なりとも今の自分たちに与えられているというのです。その関わり方は、簡単に言えば、生かされている、つまりそういった祖先の生き方が、現世でも続いており、それは試練の延長ではなく、生きるということ、継続であることだそうです。その見えない力である祖先のことを「ソウルメイト」と言うのだそうですが、日本語で言えば「守護霊」にあたるものらしい。 このアメリカの学者は、宗教家ではありません。 宗教学とか精神学とかそういった学問上の壁を超えた同じ見解であることが大変興味深いところです。 なお、このことについては、日本の学者で飯田何がしという方が出版されているそうです。 だから、折に触れ、祖先を思い、供養することは、大切なことであると言っておられました。結果、その祖先は現世における我々のことを守ってくださっているのだと。 「私は、そう信じています」とご住職が言われました。 普通、そういった方は、そういう言い方はしません。信じているのが当たり前ですから。 でも、このご住職の「私は、そう信じています」という言葉には、なにかとても暖かいものを感じました。
その後、本堂内で読経、焼香の後、墓前に行き、無事に終わりました。
私の家の寺は、禅宗の臨済宗ですので、飾りのない寺です。 庭がありますが、枯山水的な庭につつじが綺麗でした。待合の大広間には掛け軸が。庭が見えるので絵の掛け軸ではなく、文字だけのものです。なにやら幾何学模様のような組み合わせで書くなんとかという文字で、漢文かなにかの一節が書かれています。 妙に落ち着きます。
私の知っている限り、この寺は2階建てで、いわゆる本堂にあたる部分は2階、待合のような座敷は1階。 かつては、多くの寺がそうであるように平屋建てだったそうですが、同行した妹は、昔、この一階が本堂で、そこでお経を上げてもらった記憶があるといいます。 私の勘違いかと思っていたら、本堂内に新設された年月日が書かれてありました。その年には私も妹もまだ生まれていません。つまり、妹にはその記憶があるはずがない・・・はず。 もしかしたら、ご先祖の記憶が妹にあり・・・、やはり続いているのかもしれないという話となりました・・・。
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