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2007/11/17(土) 通夜
曇りのち晴れのち曇り。
冬に向かっているというよりも、まさに冬の一日。
この冬(?秋?)一番の寒さでした。

今日は、叔父の通夜でした。
昨日、亡くなりました。14日早朝危篤の連絡があり、病院に駆けつけ、その後の一端は意識も戻りましたが、とうとう旅立っていきました。
今年の7月に肺ガンが見つかり、発見された時にはすでに骨にも転移しており、抗がん剤治療を行なっていましたが、最初の段階ですでに余命宣告があったような状態です。
最後はいかに苦しまないで送ってあげるかということとなり、医師の判断によりそのような処置(決して安楽死ではありません。いかに苦痛を伴わないようにして眠るような最期にするための処置です)をしていただいた結果、安らかに眠ったままの状態で息を引き取ったのでした。
その医師は言いました。自分は医師として、いわゆる安楽死は絶対に出来ません。1分1秒でも生きるように努力しなければいけません。ただ、このような状態なので家族の意思(延命治療は最初から望んでいなかった)に従って、よりよい状態で最期を迎えるようにします。ご本人も家に帰りたいと言っていますが、それは今の段階では医師として許可できません。1分1秒を縮める行為は出来ません。
この主治医は女医さんで若く見えましたが、とても良い医師だと思いました。
叔母が後から話してくれましたが、治る見込みの無いことの説明を受けた際、最初は頼りない先生だと思っていたら、私が泣いてしまったら、一緒に涙を流してくれた。だからこの先生にお任せしようと決めたと。
私よりもずっと若い親戚たちは、なぜその時をただ待つだけなのかとか、最善を尽くしていないとか、そういう声もありました。しかし、今の医学ではどうにもならず、あと1日か数日なのか、場合によっては数ヶ月なのか判らず、その間ひたすら苦しみに耐えさせ、苦痛を乗り越えればその先に治るという言葉はないとなれば、残された選択はいかに楽にしてあげるか、静かにさせてあげるかということを親族は選んだわけです。
医師の話では、がんの場合、その最後には幻覚症状や全く別人のような言動があり人が変わったようになったり、さまざまな変化が現れることが多いということでした。実際に叔父もそうでした。その姿を見て一番辛かったのは家族だったと思います。普段めったに怒らない人が、目を覚ませば怒ってばかり、パジャマも引きちぎり、男手数人で押さえなければ点滴も挿せない状況など、誰も想像できないものです。

最期の前日、病院に行った際、筋肉が無くなったために骨が直接当たり痛い部分があることがわかり、柔らかい座布団を当ててあげた際に、意思の疎通がハッキリと出来たこと(そういうどこが痛いかとかどうして欲しいとかも判った!)、そしてOKサインが出たこと、さらには笑みさえ浮かべてくれたこと・・・・、その時にこれで最期だなと思ったのです。

このサイトの絵画の加藤麗子先生(REI)が、よく言っています。
「この広い宇宙の中でみんな一緒にいるんだから」
霊とか何々の存在とか、本当のことは良くわかりません。
しかし、確かに麗子先生がいることを感じる場面がたくさんあります。危篤ということでみんなが集まった時に2年前に亡くなった伯父が確かにいたと感じていました。
そういう気分だとか、そう思いこんでいると言われればそれだけのことかもしれません。そりゃ、実際には悲しいです。悲しすぎます。だからそう思っているだけだという人もいるでしょう。ですから逆にそうではなく、実際に宇宙規模で感じている人がいてもいいじゃないですか。そう感じたり、声が聞こえたり、存在を感じることがあっても良いと思うんです。

明日は、葬儀です。
しかし、私は行けません。明日は舞台の本番があり、舞台と照明の両方をやらなければなりません。私が行かなけれ幕は上がりません。
もちろん、叔父には報告済みです。あの笑顔がそれを許可してくれたと思い、こちらはこちらで精一杯頑張ってきます。

普通は、この状況であれば叔父に「これで最後。さようなら。」と言うのでしょう。
しかし、私はごくごく普通に「明日はごめんなさい。またね」と言って来ました。


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