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2007/03/04(日)
左右の話〜昨日の続編〜
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晴れです。相当に暖かい。・・・たぶん。 今日は照明会O.Oさんのお仕事で、ちょっと遠くの場所(深谷)でしかも集合時間が早かったため、早朝5時過ぎに家を出て、7時半前に現地について、その後ずっとホールにいたので昼間の外の暖かさはわかりませんでしたが、夕方外に出てみると、その時間でも結構暖かかった。時間をもてあまし、外で30分ほどホンワカしてました。
さて、昨日のお雛様の並べ方ですが、BBSに書き込みをくださった方もあり、ちょっとつけたしです。 京風雛というのがあります。京都御所の天皇家の様子をお雛様で再現した雛人形で、しかも現代においては、しっかりと銘の入っているものしか認めないとか。 その伝統を重視し、京都、大阪では、今でも左上座(自分の左側にいる人が上)、つまり向かって右が上座=お内裏様という雛人形の飾り方を守っている家が多いそうです。 また、その変化についてですが、雛人形に関しては、明治時代、文明開化により、西洋文化が取り入れられ、天皇家でも西洋に習うようになり、「男性が女性の右に立つのがよろしい」とされ、特に大正天皇の即位の際には、向かって左に天皇というスタイルが持ちいれられたことから、そういった並べ方になったそうです。 ただ、それがすぐにそうなったわけではなく、特に戦前では、昔のスタイルが残っていました。 それが一新したのは、例の戦後です。 昨日の話に御幣があってはいけないので、付け足しました。
でも、私が小学校6年の時、千葉県東金市の旧家を訪れた時、その家に飾ってあった、昭和天皇、皇后の写真は、向かって右に天皇でした。 そういった文化は、そう簡単には制御出来ないという事ですね。
人の立ち位置といえば、江戸時代、武士が並ぶ際に左側が上位の位置でした。同時にそれは敵意のないことを示したのでした。というのは、これは上座の考えもあったかもしれませんが、最大の理由は、相手が自分の右にいた場合、刀を抜いてすぐに抜いた方向のままで切ることが出来ます。逆に左にいた場合、刀を抜いて切ろうとすると一度相手に向かって左に向きを変えなければなりません。その時に相手に切られてしまいます。 そのことから、相手に対して敵意がないこと、敬意を示すという意味で、そういう立ち位置を取ったそうです。 実際には、今の時代劇のように武士が刀を振り回し、やたらと人を切りつけたということはそんなになかったようで、刀を抜いたことが一度もないという人も意外と多かったという話です。
さて、写真はさらに花茎が伸びた君子蘭です。太陽の方向に向かって傾いてしまったので、帰ってきてから向きを変えました。そうそう、土の中にいたと思われる団子虫が部屋に置いたため、部屋の中を数匹徘徊して困ってます。。。。。(ほら、後ろに1匹いる・・・)
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