|
2011/04/18(月)
成田でした
|
|
|
晴れです。 もう4月も中旬過ぎ。なのに昼間は暖かいものの、朝晩はまだまだ涼しい。 14日から成田でした。 今月3日、打ち合わせに行った際、街はなんとなく沈んでいる感じでした。特に人がいないとか(確かに少なかったけど)そういうのではなく、なにか重いようなグレーゾーンのような感じがしたのでした。 14日は、特に何も感じません。どうやら初日は雨になりそうな気配。その対応策に追われてしまいました。 15日、午後3時を過ぎた頃でしょうか・・・。実行委員会の若者たちが集まり、いよいよ前日の準備を開始(その前から動いている人は当然いるのですが)。この頃から少しづつではありますが、活気が・・・。 参道の商店の皆さんへ配られるおそろいのジャンパー。それを取りに来る商店の方々、みな口々に「今年は準備日数が少なかったから大変だよ」。でも、なんとなく笑顔です。 16日。いよいよ開催1日目。 心配されていた雨の心配もなく、晴天。気温も上がり、人も出始めます。例年よりはちょっと空いています。やはり、震災の影響でしょう。 17日。2日目。朝から快晴。一気に人が出てきました。ようやく、参道も活気づいてきました。 成田にいる間、時間を見つけて、お寺周辺を歩いてみたところ、地震の傷跡は、未だに大きく、境内のいたるところで崩れ、ロープが張られ、中には相当歴史のあるものであろうものが再起不能となっている姿がありました。 ここも確かに震度6を受けた被災地です。しかし、市役所入口には「福島県からの被災相談者入口」の看板があります。開催中、市役所の職員が街に出て義援金の募金を呼びかけ、お寺でも僧侶が呼びかけ、この催事のボランティアの高校生が呼びかけ・・・。義援金だけが被災地への支援のすべてではありませんが、そんな姿が目に付きました。この催事そのものの目的の一つでもあります。 が、この街自体が被災地なんです。活気を取り戻すべきは、遠い東北ではなく、この街であることも事実なんです。 「太鼓で元気をつけましょう、被災地にこの元気を届けましょう!」って叩き手は口々に言っています・・・。残念ながら違います。そんなこと、主催者は考えていない。ここで鳴らして届くわけがない。前回にも書きましたとおりです。自分たちの街が元気にならなければ、元気を届けられない訳で、義援金だって支援物資だって届けられないのです。 そういう意味では、実施してよかったのだと思います。 毎年参加の叩き手が、まさに被災地の中心である石巻からの参加で、元気をもらったと話していました。ある団体は叩き手が揃わないからせめてボランティアとして手伝いで参加した・・・そして元気が出た・・・。そういう人は純粋に元気を与えられる人です。 自分が出来ることをやるのみ、それしか出来ないのです。 でも、中にはここで叩いて全国に元気を与えると・・・英雄気取りになってしまっている、ちょっと勘違いしている人もいる・・・。それが残念でした。 いろいろと難しい・・・。
家に帰ると、君子蘭が満開で迎えてくれました。
|
|
|
|