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2013/03/05(火) 仏教の教えか真理か
暖かな1日。
日ごとに暖かさがまし、、、と思えばまた逆戻り・・・
これが春の三寒四温。

例年、行っている、4月の千葉県は成田山新勝寺を舞台に行われる日本一の太鼓祭り「成田太鼓祭」。
今年もそのメインステージでの役割が与えられ、地元の高校にも助けられます。
今日、学校の先生に協力要請の連絡しましたら、大変喜んでくださり、うれしさと感謝気持ちでいっぱいです。

さて、これまで、仏教をはじめキリスト教や他の宗教に興味を持ち、いいものはいいと素直に受け止めてきた私ですが、今回、実際に父を送り、仏教の考え方に特に興味深いものを覚えました。
それは、菩提寺のご住職がとても気さくな方で、かつ分かりやすく、そして決して押しつけがましいことをおっしゃらない方であることにもたぶんに影響を受けているものと思われます。

こちらのご住職は、いろいろと研究するのがお好きだそうで、ご自身のお考えをお持ちなのだと思います。そして、わかりやすく、説いてくださる。
それは、どんな宗教にも当てはまる内容であろうことで、しかも、人として当然!と思うことが多いのです。
よく、おっしゃる言葉に、「何を信じるかというのは個人の自由です」「私はそういうことで仏教を信じているのですが・・・」というもの。こうだから信じなさいとかは一切おっしゃらない。
今回の葬儀やら法要やら一連の件についても同様で、1つのことを除き、すべて肯定されました。
たとえば、通夜振る舞いや精進落とし。宴会が大好きで、自分の葬式はどんちゃん騒ぎを!と望んでいた父。そこで、家族は、宴会にしようと考えました。
ご住職にお話ししたところ、「とてもいいことです」の一言。精進落としでは、好きだったエビフライやらハンバーグ、さらに最後に1口だけ食べられた、プリンもついている。。。これは実は子供用のものだったのですが、それを全員でいただきました。ご住職にもお話したところ、とてもいいことですね、と。

ご住職は、やはり人格者。跡継ぎだからとか、そういうことではないのでしょう。実際、こちらのご住職は、跡継ぎではなかったそうです。

さて、たった1つだけ、それはダメです!と言われたことは、何かといいますと、3月の春のお彼岸です。
ちょうど、四十九日が春のお彼岸明けの翌日になります。
そこで、まさにその日に四十九日法要と納骨を行うのですが、「今年の春のお彼岸には、普通通りお墓参りに行ってもよろしんですよね?」と聞いたところ、それまでニコニコと聞いていらしたご住職が、その後、キリリとしたお顔に変わられ、きっぱりとおっしゃったのです。「それはダメです!」
ちょっと緊張した瞬間でした。
その一言のあとは、いつも通り穏やかに「あまりにもお彼岸と四十九日の日にちが近いため、お父さんのご冥福に集中してあげてくださいね」とのこと。

その後、亡くなってから仏壇の扉を閉めるというのが一般的だったの、いつまで閉めていたらよいのかと聞くと、もう開けていいです・・・との応えが。
なんでも、別に閉める必要がないということもおっしゃっていました。納骨まで、仮位牌と骨を仏壇と同じ場所に置き、一緒にお線香を上げたり、手を合わせていいのだそうです。

始終おっしゃるその原点は、心(気持ち)です。
たとえば、仏壇に向かって手を合わせなくてもいい、お墓に来て手を合わせなくてもいい。要は気持ちで、その日に気持ちを伝えるため、どこかで心の中で手を合わせたり、祈る心がけをすることでいいのだと。

かなり救われた気もしますが、やはり根本的に心の世界であり、建前や儀礼、ましてや見栄や格好つけて行うものではないのだと、あらためて教えられた感じです。

四十九日と納骨はまさにその当日。なんて幸せなんでしょう。
お寺で終えた後は、今回も居酒屋の個室を予約し、精進落としならぬ、大宴会を行うこととなりました。


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